第六十一話
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「ハル!装備の補給は終わったぞ、あとはお前だけだ」
ゲルガーがハルの補給分のガスボンベを持って来て報告を入れると、ハルはポルコの傍を立ち上がり、ボンベを「ありがとうございます」と受け取って、補充分のボンベを脇に抱え、手早く自身のボンベにガスの補充を始める。
しかし、その表情は何か気掛かりなことがあるような、喉に魚の骨でも引っ掛かっているような顔をしていて、ゲルガーは首を傾げた。
「ハル、どうかしたのか?」
「少し気掛かりなことが出来て…」
「気掛かりなこと…」
ゲルガーはそう反駁する短い間に、すいとハルの顔から視線を流して、ポルコを見た。動けないから当然だが、変わらず木の幹に座り混んだままのポルコの口に、未だ布が噛まされて居ない事に気がついて、ハルの浮かない顔の理由を察した、「おい」と腰に手を当てたゲルガーは、片足に体重を預けるようにして、俯きがちの顔を覗き込んだ。
「まだアイツの口を塞いでなかったのかよ。気掛かりなことって、何かおかしなことでも言われたのか?」
「いえ、おかしな事という訳では…」
ハルは補給を終えると、ボンベのバルブを締めながら顔を上げた時だった。
「…にしても、シガンシナ区よりもかなり東側に来ちまってるみたいだな。急いで出発しないと、団長達も森を抜けちまって、壁に辿り着くまでに合流出来ねぇかもしれねぇぞ」
応急処置を終えたトーマが、自身の包囲磁石を見ながら、ナナバ達に話している声が聞こえて、ハルは息を呑んだ。
ハルの纏う雰囲気に緊張が走ったのを感じて、ゲルガーが眉を顰めると、ハルはボンベを足下に置いて、ポルコの前へと歩み寄った。
「ポルコ」
「気安く呼ぶなよ」
固い声音で名前を呼ばれて、ポルコはハルから顔を逸らし、唾を吐くように言い捨てる。
ハルはポルコの前で片膝をつくと、らしくなく少し口早になって、逸らされか顔を僅かに覗き込むようにして問いかけた。
「気になっていたんです。君は、トーマさんを人質にして、私達を誘導するよう壁のある南ではなく東に向かって走りました。…それは私たちのことを、単純に壁から遠ざけようとしていたからですか?」
ポルコは何も答えない。
それに焦れたように、ハルは目を細めると、錆びた蝶番をこじ開けるようにして問いを連ねた。
「それとも、別に何か理由が?」
「…」
ポルコは何も言わなかった。ただ、今度はゆっくりと瞬きをしてから、ハルへと顔を向けた。
山鳩色の瞳が、ハルの器量を測るように、暗闇の中で鈍く光っていた。
ハルは息を呑む。嫌な予感が、背中を蛇のように這い上がるのを感じると、辺りが急に、音も無く明るくなり始めた。
新月が終わり、太陽の光を反射させた青白く細い月が空に姿を現して、初めて空に雲が無いことを知る。疎に地に生え、冬が近づき色を失い始めた草花や木が、冷たい夜風に吹かれて騒めく。
「おっと、新月も終わりか。月が出て、少し明るくなったな…」
「あんまり此処でのんびりもして居られないね」
「っ!」
ケニーとナナバの会話に、ハルは、ポルコの胸倉に勢いよく掴みかかった。
「おいっ、ハル?どうした!?」
驚いたゲルガーがハルの肩を後ろから掴み、屈み込んでその横顔を見ると、その形相に思わず瞠目してしまう。まるで親の仇にでも掴みかかっているような顔だった。まったく、ハルらしくなく、酷く焦燥し、胸倉を掴んでいる両手は、震えていた。
ポルコはそんなハルをざまあみろと見据えながら、今まで黙りを決め込んでいたくせに、やけに饒舌になった。
「今更気づいても遅ぇよ。…アンタは俺が車力の背中に居たことに、ずっと気づかなかった。あれは重くて運び辛いが、中の音を完全に遮断出来て、内側から力が加わると、簡単に開く特別な箱なんだよ。まあ、流石に大声で叫んだりすりゃあ、お前には気づかれちまうだろうが。戦場では割と役に立つ…、例えば––––」
薄い唇の口角が、ニヤリと上がる。
「巨人を地雷として、使う場合とか、かな…?」
ゲルガーは、ポルコが何を言いたいのか理解出来ず、ただ言葉の気味の悪さに不快さを滲ませて、「はぁ?」と声を上げるが、ハルは違った。
「……シガンシナ区の壁を、東に進めば…『叫び』は、ここまで届くの?」
焦りを抑えきれず、震え唸るように問いたハルに、ポルコは鼻を鳴らして、上げた口角を更に引き上げただけだった。途端、胸倉を掴むハルの両手に、ギリッと音が鳴る程に力が篭る。
「ポルコっ!!」
ハルの半狂乱になった声が辺りに響き、傍にいたゲルガーだけではなく、少し離れた場所にいたナナバ達も驚き、何事かと顔を向ける。
ゲルガーは、今まで見たことがない程戦慄し、顔を歪めているハルに、呆然としていた。
ポルコは、自身の胸倉を掴み、怒りと焦りに震える拳越しに、ハルを細めた目で見据えた。
「俺の口から態々聞かなくたって、気づいてるんだろ?その顔」
冷やかしや、嘲りを含んだ、冷たく響く声と口調に、ハルがギリッと奥歯を噛んで目を見開くのを見て、ポルコは至極気分が良さそうに一笑して、空を仰ぐ。
「もう月明かりも出てきた。頃合い、だよな…?」
「っ!!」
ハルはポルコを突き飛ばし、その勢いのままトーマ達の元へと走った。
「皆っ、こっちに来てください!!」
酷く焦燥した声で言いながら、ハルはトーマの腕を引っ張って、肩に担ぐ。
「なっ、おい!?一体どうしたんだよっ」
トーマは困惑してハルに問いたが、それを説明している余裕など微塵も無い様子で、ハルは声を荒立てる。
「急いでっ!!」
「「!」」
トーマを半ば引きずるように、ハルはポルコの元へと再び駆け出し。只事ではないと判断したナナバとケニーも、その補助をしながら走った。そうしてポルコの居る木の幹へと辿り着くと、トーマをポルコの隣に座らせたハルに、ナナバが戸惑いながら問いかける。
「ハルっ、一体そんなに慌ててどうし、」
しかし、ナナバの言葉を遮るように、南の空からこの世のものとは思えない恐ろしい咆哮が上がった。
ウォォォォォオオオオオオオオ…!!
地を揺さぶり、空気を震わせる、獣の叫び声に触発されたように、ハル達から離れた場所で、アグロが鳴いた。
ハルは、頬に温もりを感じて、息を詰める。厩舎に行けば、すぐに自分の気配に気がついて、嬉しそうに鼻を鳴らしながら、頬に擦り寄ってきた、アグロの温もりだった。
「っごめん、アグロ…っ!!」
罪悪に締まった喉の奥で喘いだハルは、ナナバ達を守るように引き寄せ、トーマに覆いかぶさるように座り込む。
それに、皆が息を呑んだ気配がした。
刹那、ビカビカと、ハルの周囲の至る所で、眩く激しい稲光が走り、砲弾でも降り注いでいるかのように、地上が揺れる。体が衝撃で跳ね上がりそうになるのを耐えている間、爆風に紛れた土や小石が、頬に打つかった。
やがて、衝撃と爆風がおさまると、ハル達は緩慢に顔を上げる。
そして、視界に広がった光景に、唖然とする他無かった。
「な、んだよ……これ…っ」
トーマの絶望的な声が、やけに大きく響く。
地面が抉られ、荒れ果てた地上の至る所で煙が立ち昇り、その発生源には、大量の巨人が転がっていたのだ。
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