第六十一話
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地面で仰向けに倒れたまま、左の腰を手で抑え、指の隙間から血を流しながら呻き声を漏らしているトーマの元へと、ナナバは慌てて駆け寄った。
「トーマ、大丈夫か!?」
手にしていた二刀のブレードを鞘に収め、操作装置を胸元のホルダーにしまい込みながら片膝をついたナナバが、心配げに顔を覗き込んで声を掛けると、トーマは脂汗を額に滲ませ、痛みに顔を顰めながらも、こくこくと頷いた。
「っああ、大丈夫だ。…脇腹をちょっと切ってるだけで…いたたっ…」
ナナバは上体を起こそうとしたトーマの後頭部に腕を差し込んで補助をするが、傷口が酷く痛んだようで、トーマが苦悶の声を漏らしながらナナバの腕に体を凭れていると、ケニーは地面に散らばった立体機動装置を拾い集めながら、歯牙にもかけない口調で言った。
「なんだぁ、そんぐらいの怪我で情けねぇ奴だな。ちゃんと足も腕も、五体満足全部繋がってるだろうが」
「うっ、うるさいなっ!べっ、別に痛がってねぇよ!」
トーマはナナバの腕に凭れていた体を勢いよく起こして、顔をカッと赤く燃え上がらせながら声を上げるのに、それだけ元気があれば心配ないなと、ナナバは安堵の笑みを浮かべながら、傷の応急処置に取りかかった。
そこから少し離れた紅葉樹の木の元に、肉が溶け骨だけが残った巨人の残骸からポルコを下ろして、両足を縄で拘束したハルは、他の巨人の接近が無いか、周囲の警戒をしているゲルガーに声を掛けた。
「ゲルガーさん、布を借りても良いですか。万が一のために」
両腕を斬り落とされ、切断面から蒸気を上げながら項垂れているポルコの傍で、片膝をついたまま自身の口を指差して見せたハルに、その意図を察したゲルガーは、上着から止血にも扱える白い布を取り出した。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
しかし、布を受け取ったハルであったが、ポルコに布を噛ませようとして、不意にぴたりと思い留まる。ゲルガーが「ハル?」と、不思議そうに名前を呼んだが、ハルはゲルガーを振り返ることは無く、徐に布を手にした右腕を、立てている膝の上に乗せると、俯いたまま微動だにしないポルコの顔を、少しだけ覗き込むようにしながら、口をゆっくりと開いた。
「…体を、酷く損傷している間は、巨人化は出来ない。それは、君もその例に漏れない筈。彼女は、違ったみたいでしたけど」
波打たない、まるで教本を朗読するように平坦な声だったが、それまで押し黙っていたポルコは、緩慢に顔を上げる。
睨み殺されそうな、激しい怒りに顰められた顔は、血を多く失っている所為で、暗がりの中でも青褪めているのが分かった。
「お前らはっ、悪魔だなんて生優しいもんじゃねぇ化け物だっ、巨人の、俺をっ…!」
舌を噛むように、殊更にゆっくりと憤懣を露わにして、辛うじて動かせる首を突き出し迫るポルコに、ハルは後ずさることもなく、ただ静かな瞳で、怒りに揺れる双眸を見据えながら言った。
「あまり動かないほうがいい。治癒が出来ていても、まだ血が出ているから…」
「俺の両腕を斬り落としたアンタが、言う事じゃねぇだろっ…!」
ふー、ふーと激昂した獣のように荒立った息が頬にかかる程、近くに迫ってきたポルコに、吐息で揺れる前髪の下で、ハルは僅かに睫毛を震わせた。拒絶や否定、憎悪に塗れ見開かれた瞳から逃れるように、視線を胸元へ落とす。
本当は傷つけたくなかった。なんて都合の良い言い訳は、口が裂けても出来なかった。ポルコは自分の信じるものの為に戦い、ハルもそれは同じだった。いっそ違っていてくれれば、話し合いの余地もあっただろうが、己の両腕を容赦なく斬り落とした相手に、何を言われたところで受け入れる気になどなれないだろう。
ハルは胸に、暗澹たる感情が滲み広がるのを感じながら、ポルコの腕を落とした感触が未だ生々しく残る掌を握り締め、息を吐くように小さく呟く。
「…うん。そうだね」
「っ」
そんなハルの虚脱した左肩を、ゲルガーは後ろからぐいと掴んで、ポルコから距離を取らせるように引いた。驚いたハルが顔を上げると、ゲルガーは息苦しそうに眉間に皺を寄せて、ハルを見下ろしていた。何故そんな顔をしているのか分からなくて、ハルが眉の間を開くと、ゲルガーは一瞬、我に返ったように瞠目した。それから不本意そうにハルから顔を逸らすと、靴底を乾いた土に擦るように少しだけ後ずさり、肩を掴んでいた手で、首の後ろを触りながら言った。
「あー……ハル、早くそのよく回る口、塞いじまえよ」
ハルは言われて、視線を白い布へと落とし、それからポルコを見た。ポルコの顔から怒りが失せていることは無かったが、ハルの鬱々とした感情は、不思議と胸の中から消えていた。
ハルは立ち上がると、ゲルガーと向かい合い、ナナバに包帯を巻かれながら悲鳴を上げているトーマと、その様子を面白げに見て爆笑しているケニーの方を見やりながら言った。
「…彼には、いろいろ聞きたいことがあります。ゲルガーさんは、トーマさんの応急処置を手伝ってあげてください」
言われたゲルガーは、背後を振り返ると、何故か取っ組み合いを始め出したケニーとトーマを見て、眉を上げた。それから体を戻し、腰に手を当てると、軽く肩を竦める。
「別に、俺の手伝いが必要な程、深刻な様子でも無ぇだろ。…それよりも、コイツと二人きりには出来ねぇ。巨人化出来ないんだとしても、だ」
軽い口調から段々と真剣みを増しながら言い終えたゲルガーは、兵服の袖で、ハルの頬についている土汚れを拭う。ハルはされるがままに立っていたが、口を閉じたままにはしておかなかった。
「大丈夫ですよ。今の彼は、自力で立ち上がる体力もありませんし。それに、ガスの補給とか、装備の確認も今のうちに済ませておいてほしいんです。此処を発てば、エルヴィン団長達と合流するまで休憩は出来ませんから」
命令だ。と、はっきり言われていないものの、自身の班長から下された言葉は、それと同じだ。ゲルガーはちらりと、ハルの肩越しにポルコを見た。気性の荒い獣のような目を、相変わらずハルの背に向けているが、顔色も悪く目の下にはくっきりと疲労が浮かんでいる。ハルの言う通り、自力で立ち上がることも難しそうな様子であり、その足も硬く縛られているのだから、尚更身動きなど取れそうも無い。
「…分かった。だが…あんまり油断するなよ?」
ならば、次の行動に向けての準備を優先すべきだと、ゲルガーも納得して汚れの取れた頬から手を下ろせば、ハルは眦を下げて、柔らかく微笑んだ。
その表情は、馬上からライフルを構えていた時のそれとは全く真逆で、家の軒下に巣を作っていた鳥の子供が、漸く巣立って行くのを見送るような顔をしていた。それは明らかな安堵の現れでもあり、つまり、ハルは何かに怯えていたということにもなる。女型の巨人と交戦した壁外調査の時にも、ウトガルト城でも見せなかったそれは、トロスト区を出発してからずっと、ハルの中にあった。それを彼女自身が自覚しているかどうかは分からなかったが、今は言及する時ではないと判断し、ただ僅かに肩を落とすだけに留めて、踵を返す。
ハルはゲルガーの背中を見送ると、ぎしりと身につけた立体機動装置を軋ませながら振り返り、再びポルコの前に片膝をついた。
「……」
「……、っ」
布を噛ませるわけでもなく、何を言うでもなく、ただじっと見つめてくるハルに痺れを切らして、ポルコは眉間の皺を更に深くすると、大きく舌を打った。
「…っんだよ、早くそれを噛ませりゃいいだろ。言っておくが、俺はアンタと話すことなんて何も無いぞ」
「でも、私は君に言いたいことが、」
「言っただろ…!薄気味悪ぃ化物と、話なんかしたくねぇって!」
「…そっか、なら仕方ない」
体力の無い状態でも、残る気力を振り絞るように悪態を吐いてきたポルコに対し、ハルは一拍開けてから、浅く息を吐いた。そうして気配も無く、突然体を寄せて来たことに驚いたポルコは、大きく息を呑んだ。首を掻かれる!そう思い反射的にハルから離れようとしたが、足を縛られ両腕の無い体では、後ろの木の幹に背中を押しつけることしか出来ない。
想定外だった。
ハル達にとって、いや、この島に生きる悪魔の末裔共にとって、自分は大事な情報源であり、貴重な顎の巨人の力を所有している存在であるのだから、すぐ命が奪われることは無いと、正直油断していた。しかし、彼等には、そんなことはどうでも良いことだったらしい。壁の穴を塞ぎ、シガンシナ区を取り返したところで、運良く彼等が海へ辿り着くことが出来たとしても、その海を越える船も、技術も無いのだから、そもそも自分達のことを知る必要も無いということなのかもしれない。
「(こんな所で、俺は終わるのかっ…?)」
このまま……何も果たせないまま、兄貴と同じように……
ポルコは口惜しさに、ギリッと奥歯を噛み締めると、緩く肩を掴まれ、頸に手が差し込まれる。今まさに、自分を殺そうとしているにしては、酷く優しい手つきをしていた。
そうして膝の上にのし上がったハルの、柔い黒髪が、さらりと頬を撫で、耳の下を擽った。全身を巡る血が一気に冷めて、体がびくりと強張る。首に、熱い吐息がかかって、じくりと肌を貫く鈍い痛みを感じた。首を、掻かれた……のではなく、噛みつかれた。……噛み、つかれた?
「なっ、なっ…!?」
一体何が起こっているのか頭の理解が追いつかず、混乱して、開いた口から意味の無い言葉が漏れ出す。首に感じる痛みは明瞭であるのに、眼下に広がる光景は悪夢以上に受け入れ難かった。わなわなと体を震わせ、喉を引き攣らせていると、じゅるっと首元で生々しい音がして、ポルコは「ひっ」と思わず悲鳴を上げ、体を大きく捩ってハルを体の上から突き飛ばした。
ハルは地面に尻もちをついたが、蒼白になって狼狽しているポルコとは反して、唇に付着した血を兵服の袖でぐいと拭いながら、なんのことはない顔と口調で言った。
「…ごめん、痛かった…?」
「はぁっ!?」
木の幹に全身を押しつけるようにしながら、ハルから身を引いて驚愕するポルコに、ハルは尻餅をついていた状態から三角座りに膝を立て、口元を手で覆い、その指先で、右頬に浮かんだ九つの痣を撫でた。その痣の一つが、じわりと黒く染まっていくのが見えて、ポルコは瞠目した。
「やっぱり、直接じゃないと意味が無いんだね。さっきの戦いに紛れて、彼女の血も少し貰ったんだけど、巨人の体から得た血じゃ効果が無いのか、痣が染まらなくて…」
「っふざ、けんな!お前っ、突然何を…!」
「君が話したく無いって言ったから」
ぴしゃりと言い返され、思わずぐっと喉を鳴らしてしまったポルコだったが、すぐに目角を立てて言い返す。
「だからって突然人の首に噛み付く奴が居るか!?」
「それは、君の両腕を問答無用で切り落とした人間に通る理屈じゃない」
「なにっ…」
「君が言った事、なんだけどな」
成程、意外とコイツは根に持つタイプなのかもしれない。ポルコは立てた膝の腕に両腕を置いて、目尻を下げ首を傾げて見せたハルに、下唇を噛んだ。腕があれば頭を掻き毟っていたことだろう。それぐらい腹が立っていたのに、出てきたのは文句でも怒鳴り声でも無かった。
瞬きと同時に、両目からポロリと滑り落ちた、感情とは裏腹な涙の滴に呆けていると、ハルは目を丸くして、口を引き結んでいた。…ああ、またかと、ポルコは涙を隠すように、肩から項垂れた。
「っ……、…アイツの所為だ……」
「…あいつ?」
舌足らずに問い返され、ポルコは俯いたまま「ユミルだよ」と突っ慳貪に告げてやれば、「…あぁ」と、短く、寂寥の滲む溜息を吐いた。それから、態勢を変える気配がして顔を上げれば、三角座りから正座に変わっていた。
ハルは、ずっと手の中にあった、口を縛る為の布を折り畳んで、己の意と反して流れ出る、ポルコの涙を拭う。
「……力を引き継ぐと、記憶も引き継いでしまうんだね」
ずっと握りしめられていた所為か、肌に触れる布には、ハルの体温が移っていて、ほんのりと温かかった。涙を拭っている間、ハルはポルコの目を見なかった。きっと、マジマジと見物されるのは嫌だろうと気を遣っていたからだ。
しかし、ポルコは、ハルにそうして同情されるのは、気分が悪かった。
長い睫毛の下に隠れた、黒い宵闇の瞳が、見たかった。
兄のマルセルを食った、ユミルという女は、最後に言い残すことは無いかと問われた時も、ポルコに食われる時も、なにも言わなかったらしい。パラディ島からマーレへ来るまで間に、否…もっと前から、全てを覚悟していた。…ヒストリアの小さな頭を撫で、困惑に揺れ、縋るように濡れた青い瞳から顔を逸らし、ベルトルトの元へ駆け出した時から、全てを、受け入れていた。
ポルコは、苦労をした。戦士候補生になり、自分より下だと思っていた人間に、巨人を継ぐ権利を奪われ、一人収容区に取り残されても、戦士であり続けようとした。そうして五年、漸く手にしたのが、兄が継いだ筈の顎の巨人だった。しかし、自分が食ったのは兄ではなく、大層な女神の名を充てがわれた、哀れな女だった。そして、彼女を食うのに、ポルコは苦労しなかった。
しかし、彼女は死してから、ポルコを苦しめていた。
兄の記憶は微塵もみせてはくれない癖に、自分の記憶ばかりを押し付けてくる、勝手で傲慢な女だった。
「気持ち悪ぃ……こんなの、俺じゃないのに…」
ポルコは血を吐くように言うと、ぴたりと、ハルの手が止まる。僅かに顎を上げ、睫毛の下の瞳が顕になる。とても、自分の両腕を切り落とした人間が向けてくる表情とは思えなかった。
「それは、君の感情なくてユミルのものだ。…だから、君が泣く必要は、ないよ」
とても静かな、神経を慰撫するような声で告げたハルは、一頻り涙を吸った布を、兵服の内ポケットにしまい込む。ポルコは、はぁと、内圧を下げるような深い溜息を吐いた。その布は俺の口を塞ぐ為のものじゃなかったのか、アンタは一体何を考えているのか、そのどちらかを問おうとして、ポルコは後者を選んだ。
「…アンタは、俺達の血を集めて、一体何をするつもりでいるんだ」
「…この力のこと、知ってるんだね」
「全部知ってるってわけじゃない。一番詳しいのは、あの人だからな…」
あの人という人物がジークの事を指しているということは判断に容易く、ハルは「あの人ね…」と呟く。それから、いつの間にやら痣が消えた右頬を指先で触りながら、少しポルコから離れて、片膝をついた。
「私は…この戦争を終わらせたいんだ。君の中に巣食う巨人の力も、この世界に刻まれてきた巨人の歴史も、すべての始まりの場所まで戻って、終わりにさせたい。…それだけで、人間同士の戦争が無くなるとは思えないけれど。少なくとも今の地獄を、残酷な世界を…変えることは出来るんじゃないかって–––」
「っは!」
ポルコが遠慮なく乾いた笑い声を上げたのに、ハルはポルコをはたと見た。
「まるでこの世界の事、全部知ったような口で語るんだなっ…!」
顎を上げ、皮肉めいた口調で言い放ったポルコに、ハルは特段気を悪くした様子もなく、頷いた。
「うん」
「…あ?」
「きっと全部じゃ無いかもしれないけど、それなりに知ってる、つもりだよ。これから、もっとちゃんと、知っていくつもりだ」
至極真面目に言ってのけたハルに、ポルコは開いた口が塞がらなかったが、何とか痺れる舌を動かして言葉を連ねた。
「……ありえねぇだろ。この島の連中はっ、島の外の事なんて何も知らない筈だ。…まさか、ライナー達が情報を漏らしたのか?」
「それは違う。ライナー達は何も、私に話してはいない」
「だったら何でだよ!」
そうじゃないならもっと問題だと、ポルコは焦燥して口早に問い詰めると、ハルは南の空に目をやり、遠くを見るように細めた目で、ゆっくりとポルコを振り返りながら言った。
「ただ、知っているだけ。…外のことも、黒髪の彼女のことも…顎の巨人をユミルから引き継いだ、君のことも」
「っ」
唇の隙間から、震えた息が漏れ出す。
ハルは、すっと腕を上げ、ポルコの胸元を指差して言った。
「ピーク・フィンガーは、君をポッコと呼んでいたけれど、本名はポルコ・ガリアードだ」
「!?」
心臓が一瞬止まって、次いでドクドクと激しく鼓動を始める。顳顬に、じんわりと嫌な汗が滲んだ。
自分を指差したハルは、その腕を静かに下ろしたが、透徹な黒い瞳は、動揺するポルコを見つめたまま、僅かなりにも波打つ気配が無い。
冗談では無く、この世界の全てを見透かしているような目に、ポルコは震える唇で問いを連ねる。
「……何で、…まさか心が読めたり、するのか…?それも、『ユミルの愛し子』の力なのか?」
「…それは流石に出来ないよ。言ったでしょ、ただ知っているだけだって」
「じゃあ、どうやって知ったんだ」
「記憶を共有したんだ。…君と、ユミルみたいな感じ、なのかもしれないけど…いや、違うかな」
「は?ってことは、アンタは誰かを食って、その力を継承したのか?」
「…ん、違うよ」
ハルは質問の全てに首を横に振った。嘘を言っている様子は無いが、答えを得ても謎は深まるばかりで、ポルコは諦念の溜息を吐きながら言った。
「……アンタ、これから俺を、どうするつもりだよ。壁内に連れ帰って、適当な無垢の巨人にでも食わせるのか?」
「そんな事はしない。君は大事な情報源だし、ハンジさんが放っておかない。それよりも、君は彼が大胆な行動を取らないようにする為の牽制…人質として、本体に拘束させておく」
ハルはまた首を横に振った。が、今回の返答では、今までで一番価値のある情報を得られたのは確かだった。
ポルコは、ふっと口元に笑みを浮かべる。
冷たい秋の夜風が、開けた草原の地を撫で付けながら吹き抜け、ハルの黒髪と、ポルコの髪の先を揺らした。
「…そうか。やっぱり、俺の命を、此処で奪う気は無いんだな?」
「…?」
木の幹に後頭部を押し付け、酷薄な笑みを浮かべながら、含みのある言い方で呟いたポルコに、ハルは目を細めた。どういう意味だと問い詰めてくるような視線に、悪戯が成功した悪餓鬼のように、眦を下げて、ポルコは言った。
「いや、ホッとしたよ。もしかしたら殺されるんじゃねぇかって、ヒヤヒヤしてたんだ」
「……」
暗がりの中でも、終始穏やかだった瞳の中に、隠された爆弾を探すような鋭さが滲んで、上がった口角が更に引き上がるのを感じた。何処までも理性的で、冷静な、凄腕の医者のような人間が、焦りを顕にする様を見るのが、面白かった。それが果たして自分の感情なのか、ユミルのものであるのかは分からなかったが、悪い気分ではなかった。
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