第六十話
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馬の蹄が大地を駆ける音に紛れ、背中から聞こえてくる足音を、唯一聞き取ることが出来るハルが、仲間に状況を知らせる。
「一人は壁の方へ向かったみたいです。追い駆けてきているのは、金髪の巨人の方ですね」
ハルの右隣で馬を並走させているケニーが、ちっと軽く舌を打ち、低い声で言った。
「なかなか冷静な判断しやがる。……しかし、どうするよ?馬の足じゃ、すぐに追いつかれちまうだろ?森まで逃げ込めそうもねぇが?」
「そうですね。…でも、…彼がこちらを追ってくれて、寧ろ都合が良かったかもしれません」
「どういうことだ?」
悲観無く言ったハルに、左隣を走るゲルガーが首を傾げた。皆もハルに理由を乞うように視線を向けると、ハルは双眸を細める。
「彼を拘束して、本体に人質として捕えておくことが出来れば、獣の巨人も……、ウトガルド城の時のように、大胆な投石攻撃をしかけられなくなる筈です」
『ウトガルド城』と、口にすることを、僅かに躊躇ったハルに、失った仲間のことを思い出したナナバとゲルガー、トーマの三人は、表情を曇らせた。
あの古城では、ヘニングとリーネ、同じミケ班だった二人の仲間を、獣の巨人の投石によって失った。全身を強く打ち、体温の失せてしまった二人の姿が蘇り、激しい悲しみと怒りが、胸に這い上がって来る。
ゲルガーはその感情を食い縛るように、馬の手綱を握り締めながら、悲痛に表情を曇らせているハルの横顔に向かって、低い声で問う。
「確かに、あの攻撃は脅威だが、標的を選べないってのが欠点でもあるからな。……だが、そもそもあの巨人を、拘束なんて出来るのか?さっきみてぇに事前の罠も無いんだ。実力行使するしか無いんだぜ?」
ゲルガーの問いには、横並びになった一番右側で並走するトーマも同調する。
「見たところ、動きも機敏で、戦闘能力に長けてるようだしな。こちらがどう考えても、不利…だと思うが」
ハルは、「そうですね」と頷きながらも、次には「でも、作戦があります」と間髪入れずに言うので、ナナバ達は目を丸くする。
「あまり此処で雷装を使いたくは無かったですけど…仕方ありません。下手に森に逃げ込めば、本体と彼をぶつけてしまう可能性もありますから……此処で、あの巨人を拘束するしか、どのみち選択肢はありません」
ハルは腹を括ったように言い終えると、大きく吸った息を、ふーと唇の隙間から吐き出す。その間に、頭の中に積み上げた作戦を、歪みなく整えて、外套の下の兵服に手を滑り込ませると、シャツのボタンを一つ開けた。
「成功率は五分五分の作戦ですけど、乗っていただけますか…?」
そう問いかけてきたハルに、ゲルガー達は顔を見合わせると、ニヤリと口角を上げた。
この不利な平地で、知性のある巨人と戦うのは無謀だと、以前のゲルガー達であれば間違いなく反対していただろう。
しかし、ハルの部下となった今の彼等は違っていた。寧ろ、ハルの言う、五分五分の作戦というものに、興味や期待すら抱いていた。
「その作戦、聞かせてくれ」
ナナバの言葉に、ハルは仲間の顔を見回した。ケニーだけは相変わらず気怠げな顔をしていたが、ゲルガーとトーマは、作戦内容を促すように頷きを返してくれる。
ハルは、流れるような口調で、しかし馬の蹄の音に紛れてしまわないよう明瞭に、脳漿から絞り出した作戦案を口にした。
「恐らく、先程の一撃で、彼はケニーの雷装を危険視しています。私とゲルガーさんで左、右にナナバさんとトーマさん、そしてケニーの二手に分かれれば、唯一雷装を装備しているケニーの方に、無意識でも一瞬、体が向いてしまう筈。その際に、私とゲルガーさんで、後ろ足両方…とは言いませんが、確実に足一本を、落とします」
「…確かに、あの巨人、機動力はありそうだが、足を奪えれば動きは格段に鈍りそうだしな」
トーマが顎に手を添えて頷くのに、ハルも「はい」と頷いて、話を続ける。
「そして、次にナナバさんとトーマさんで、どちらかの前足を狙ってください。態勢的に難しければケニーが雷装で、今ならまだ修復中の左顔面を狙えば、かなりのダメージを与えられて隙も作ることが出来ると思います。…中にいる彼は、巨人の体に十分な損傷を与え、体力を奪ってから確保しましょう。…申し訳がないですけど、腕二本は斬り落としておく必要がありそうですが…。まずは巨人の四肢を一つずつ、確実に狙って、目標を転覆させましょう」
ハルはそう言って、親指を立てて見せるのに、ナナバ達は武者震いでもするようにニヤリと笑って、同じように親指を立てて見せる。しかし、ケニーだけは面倒そうに大きく欠伸をしたので、ナナバ達は無言の圧力を送るように睨め付ける。ケニーはその視線に気がつくと、やれやれと溜息を吐きながら眉間に皺を寄せた後、致し方無さそうに親指を立てた。
ハルは、風に靡く前髪の下で黒い双眸を細めると、胸元のホルダーから引き抜いた操作装置の柄に縫い付けられた、マルコのエンブレムに唇を寄せる。
「人の絆は巨人の力にも勝るということを、私達で証明してみせましょう…!」
「「了解っ!」」
ナナバ達が、力強く頷く。
ハルは背中に、十分にポルコを引きつけると、右手でサインを出し、二手に分かれる。
ハルが予想していた通り、雷装を装備していたケニーに対して、ポルコは反射的に体を向けた。
その背中に出来た隙を逃さず、ゲルガーは鞍から飛び上がり、ブレードを振り上げる。それに反応したポルコは、振り返りざまに鋭い爪を光らせた左腕を払ったが、それはゲルガーの陽動であった。
ゲルガーが攻撃を避けた瞬間、ハルはポルコの右脚の付け根に斬り掛かる。
二刀のブレードは、深く肉を抉ったが、先程のように切断までは至らない。車力の巨人の肉や筋肉は、顎の巨人に比べてかなり柔らかかったようだ。見た目の割には太い骨にブレードの刀身が食い止められる感触が柄から掌に響いて、ハルは舌を打ちながらポルコから距離を取る。
「さっきみたいにはいかないかっ…!」
しかし、足は落とせなかったが、腱を裂くことには成功したようで、ポルコは突然力が入らなくなってしまった左足に顔を顰めた。
『(コイツらの連携っ、侮れねぇ!)』
攻撃と攻撃の間を作らず、今度はナナバとトーマが地についている腕を狙って斬りかかってくる。しかし、その動きは予測出来ていたポルコが、後方に飛び上がって攻撃を避ける。と、地面に着地する前に、顔面目掛け、先程の雷装が飛んでくる。
ポルコは顔を大きく逸らして、紙一重のところで雷装を避けると、背中で激しい爆発が起こった。
「っち!避けやがった!」
ケニーが悔しげに舌を打ち、地面に両足をついたところを狙い、ポルコは攻撃を仕掛けようとしたが、それを遮るように、ナナバが左腕に斬りかかってくるのを、右腕で牽制する。
『(クソッ、何とかしてユミルの愛し子を連れ去りたいが、この連携を続けられるとこっちが持たねぇ。…やっぱり、ジークさんの言ってた作戦で動くしかねぇかっ…!)』
ポルコは出来ることならハルを隙を見て攫い、壁に戻りたかったが、巧みな連携を見せる彼等に隙など出来なかった。ましてや、どんどんとチームワークが良くなって行く。
やむを得ないが、とりかえしがつかなくなってしまう前に、最終的な作戦行動を取ることに、ポルコは心を決める。
それからは、攻撃を仕掛けることではなく、攻撃を避けることに徹した。そして、トーマが腕の付け根を狙った攻撃を牽制した際に、空中で僅かに態勢を崩したのを見逃さず、ポルコは、トーマに牙を剥いた。
『(今だっ!!)』
「ぐぁあっ!?」
ポルコの鋭い歯先が、トーマの左脇腹と、腰元のベルトを貫く。
「トーマさん!!」
苦悶の声を上げたトーマに、切羽詰まったハルの声が響くと、ポルコはトーマの腰元のベルトに歯を引っ掛けたまま、東へと向かって走り出した。
「待ちやがれっ!」
ゲルガーがポルコを追うため、逸早く馬に乗り込んだのに、ハル達も馬に乗り込んで、ポルコの後を追った。
ハルは駆け抜ける地面に落ちたトーマの血に焦燥しながらも、疑問を募らせる。
「(何で彼は東に向かってるんだ?…逃げるなら、少しでも壁に近づくように、南に向かう筈。それに、何でトーマさんを殺さずに……っ)」
しかし、そんなことを考えている間にも、ハルの耳にはトーマの苦しげな呻き声が届いていた。痛みに耐え必死に身を捩っているが、ベルトがポルコの歯に掛かって、逃れられないで居る。
地面に尾を引いている出血を見る限り、傷も浅くはない。早く止血をしなくては、出血多量で意識を失ってしまうかもしれない。最悪は命を……、
「っ」
そこまで考えて、ハルは背中に悪寒が駆け抜け、唇を噛み締めた。見えない恐怖が、背中に音もなく抱き付いてくる。
左脚に負傷を与えられている為、辛うじて馬の足で追い駆けられてはいるが、治癒が終われば振り切られてしまい、ポルコに追いつくことは難しくなってしまうだろう。
ハルは、そうなってしまう前に早々に行動に出た。隣を走るケニーを呼ぶ。
「ケニー!ライフルを貸してください!」
「はぁ!?ライフル?お前、何するつもりだよ」
顔を顰めるケニーに、ハルは右腕を伸ばす。
「トーマさんを助けます。ナナバさん、煙弾銃に照明弾を込めてください。流石にこの暗さだと、狙うのは難しいですからっ…!」
ハルの命令に、ナナバも戸惑いを露わにする。
「照明弾って…」
「トーマさんのベルトが、巨人の歯に掛かっているんです。其処を狙います」
その発言に、先頭を走っていたゲルガーがギョッとして振り返った。
「冗談だろっ!?いくらお前でも無理だ!ただの的狙うんじゃねぇ、相手もお前も動いてるんだぞっ!?それに、もし外れたら…」
「分かってます。でも、トーマさんの傷、かなり深いと思うんです。それに、相手はトーマさんを噛み殺そうと思えばいつでも出来ます。すぐに、彼から引き剥がさないと!…大丈夫、間違っても、トーマさんには当てません。絶対に…!」
言葉の最後は自分に言い聞かせるようになったハルに、ケニーは顰め面のまま、背負っていたライフル銃を差し出す。
「…出来るのかよ、そんなことがっ」
ハルはそれを受け取りながら、過去に、自分の力を過信し、弟を守ろうとして、失敗した記憶が蘇った。
背中にしがみついている、恐怖の両腕が、ぐっと強くなり、その重さを増す。…それでも、自分は、やらなくてはいけない。
何故なら自分は、もうただの兵士では無いからだ。
ミケさんに、大切なものを、託されているからだ。
「私は…トーマさんの、班長です。皆さんの、班長ですっ…!」
ナナバ達が頬を打たれたようにハッとして、ハルを見つめる。
ハルは受け取ったライフル銃のボルトハンドルを胸元で引き、揺るぎの無い強い意志を込めた瞳を湛えながら言った。
「私には、皆の命を負う責任があります。必ず、壁内へ、全員連れて帰る責任があります…!絶対に取り溢しません…っ、必ず、守ってみせますっ…!」
その言葉の中に、ハルの班長しての強い覚悟を感じたナナバは、戸惑いを打ち消し、煙弾銃に照明弾を込めた。
「ハル、準備が出来たよ」
そう言って、片耳を塞ぎ、深い闇の広がる空に向かって、煙弾銃を持ち上げる。
ゲルガーも、不安げな表情を、瞬き一つで拭い去り、馬の手綱ごと、両手の操作装置を固く握り締めて前を向いた。
ケニーは、ハット帽を被り直し、口元に笑みを浮かべる。
ハルは、ライフル銃を構えた。
銃身に右頬を押し付け、大きく深呼吸をして、息を止める。失敗は、出来ない。
ナナバは照明弾を、空へと撃ち上げる。
ドンッと、信煙弾を撃ち上げる時とは違って、重く鈍い銃声が轟くと、空が白く発光する。
『(なんだ!?)』
突然、上空が光り、辺りの草原が姿を現して、暗闇に慣らされた目が眩んだポルコは、銃声が鳴った背後を、振り返った。
その先で、黒檀色の馬の鞍の上、ライフル銃を構えたハルの姿を視界に捉える。
刹那、脳裏に、銃弾が撃ち込まれたかのように、
目の前が景色が、月光に照らされ、崩れかけた古城の屋上に、塗り替えられる。
『–––誰のためでもない。…全部自分の為だよ、ユミル』
塔を揺らし、削る巨人達の足踏みが、地上から轟いてくる。
周りの仲間は、表情に絶望を貼り付け、見知った二つの顔は、酷く心を痛めているように、歪んでいた。
冷たい死の匂いが漂う世界で、彼女だけが、瞳に未来を映し、自分を見つめ佇んでいた。
『私は、死にたくない。皆と、ずっと生きていたいて、今は思ってる。それに、此処にいる誰にも、死んでほしくない……っだから、私は今出来る事をしたいんだって。それが、自分の正直な気持ちなんだってさ』
何処までも真っ直ぐで、一点の歪みも曇りも無い、言葉と、微笑みに、息が詰まる。
『ユミル。ありがとう。ずっと…騙されたフリを、していてくれて』
左肩に触れた、彼女の指先から、泣きたくなるほど純粋な優しさが伝わってきて、目尻に熱い何かが、迫り上がってくるのを感じた。
これは、自分の記憶でも、感情でも無いのに。
黒く柔い前髪の下で、穏やかに光る、宵闇の瞳が––––ユミルが好きだった瞳が、今、目の前にある。
『(––––ハル)』
感情に押し流されるまま開いた唇は、彼女の名前を無意識に紡いでいた。
ダァァァアアン!!!
銃声が響く。
「うおぉっ!?」
その直後、トーマの腰元のベルトが、ぶつりと切れて、トーマは驚きの声を上げて、地面に転がった。ガシャリと装備した立体機動装置が音を立て、ベルトの金具から外れて散る。
次の瞬間には、雷装が迫っていた。
記憶の渦に呑まれ、呆けていたポルコは、はっとそれを避けようとしたが間に合わず、深々と右腕に刺さり、爆発する。
その衝撃によろめくと、ナナバが右足の腱をブレードで斬り裂いて、ポルコはそのまま体を支えられなくなり、地面に腹部を押し付ける。咄嗟に頸を守ろうと、硬質化を試みたが間に合わず、深々と鋭いブレードが、頸に沈み込んだ。
両腕に激痛が走ったと思えば、体が、肉塊の中から外へと引き摺り出される。
「グッ…!!」
喉に迫り上がってきた悲鳴を、奥歯を噛み締めて耐える。
鮮血が噴き上がる中、白い頬を赤に汚し、深い闇を背にして立つハルが、自分を見下ろしていた。
「…ごめん」
月が、身を顰めた深淵の闇の中で、彼女の存在が、陽炎のように、揺れていた。
完