第五十八話
名前変換設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「っ」
トーマの言葉に、ハルは忸怩たる思いで唇を噛み締める。
自責の念に駆られ表情を歪めているハルを横目に、トーマは「はぁ」と浅く息を吐くと、湯気の上がる鍋の蓋を、静かに閉じる。
それからハルの方へと体を向け、胡座を掻いた太腿の上に、両手を置いた。
「心配だった、が。お前がそれだけ、このウォール・マリア奪還作戦に全身全霊をかけて臨もうとしてるんだってことも、分かってた。だから俺達も、お前を信じてついて行こうって気持ちで居たんだ。……ハルが、ケニーの話を俺達にしなかったのは、引き止められて、立ち止まってる時間が惜しいと思ったからってのが、まず一つ…なんだよな?」
真摯な眼差しと共に問われ、ハルは、「はい…」と、掠れた声で頷いた。
ナナバはガスの補充を終え、予備のボンベのバルブを締めながら、トーマが次に続けようとしていた言葉の先を引き継ぐ。
「もう一つは、事前に話をしなくても、私達なら納得してくれるって思っていたから、…だよね?」
ハルは自分の中の浅はかさと愚かさが、眼前に晒されたような心持ちになって、自己嫌悪に喉の奥が震えた。
ミケさんが兵団に復帰するまでの期間とはいえ、ウォール・マリア奪還作戦が控えている時期に、班長を引き継いだ私を信じて、今までついてきてくれた三人に対し、自分は如何に不誠実だったか。今になって、自分のした事の愚劣さが、信じられなくなる。
私は知っていた筈だ。
自分の知らない場所で事が進み、取り残されることの悔しさや憤りを––––…アニの、捕獲作戦会議の場に呼ばれ無かった事に対して、肺腑が抉られる思いを味わった経験がある癖に……だ。
「班長として……こんな不誠実な事をするべきではありませんでした。…奪還作戦を成功させることばかりに捉われ、恣意に駆られた行動に走った挙句、心配ばかり…お掛けして…」
班長がミケさんだったら、不安にさせてしまうことも無かった。
後悔と困苦の間に身を置き、沈鬱と告げたハルに、トーマとナナバは顔を見合わせ、肩を竦め合った。それから、ナナバは胸の前に腕を組んで、落ち着いた、先輩兵士として威厳の滲む声音で告げた。
「確かに。私達は互いに、命を預け合う仲間であり、パートナーなんだから。そういう話はちゃんと、共有して欲しかったって思うよ」
「はい…」
ハルは両手を握りしめて頷く。
それから、ナナバは目尻を下げ、口調を柔らげて言った。
「…でも、少し意外だった。正直、嬉しかったっていうのも、あるんだよね」
「………え?」
ハルは急に話の舵を切られたことに戸惑いながらナナバを見つめる。そんなハルに、ナナバはくすりと笑って、胸の前に組んでいた両腕を開げると、肩の力を抜きながら言った。
「だって、今までのハルなら、作戦実行時に混乱を招かないようにって、事細かに資料まで準備して、説明会開くくらいが普通だろう?…でも、今回そうしなかったのは、私達のことを信頼して、甘えてくれたからなのかなって、思ったんだ」
「っ!?」
ハルが思わぬ言葉に面食らっている中、トーマも同調したように「だよなぁ」と腰に手を当て、こくこくと頷く。
「その度に、俺らってそんなに信用されてねぇのかなって、悲しくなったもんだ」
「そっ、そういうつもりではっ…!」
ハルは慌てて弁解しようとしたが、ナナバが片手を上げてそれを制し、はっきりとした、明瞭な声音で発言した。
「私は、ケニーの件に関して異論は無いよ」
「ああ、俺もだ」
「!?」
容認の意思を露わにしたナナバとトーマの二人に、ハルが唖然としていると、今まで口を噤んで話を聞いていたゲルガーが、ナナバ達を覗き込むようにして声を上げた。
「おい!?ナナバ!?トーマ?!」
不満げなゲルガーに、ケニーは相変わらず仰向けに寝そべったまま、木で鼻をくくったような態度で言った。
「二対一だ。残念だったな」
「テッ、テメェッ…!」
摂氏扼腕とするゲルガーと、底意地悪く振る舞うケニーの間に割って入るように、ナナバはぴしゃりと言い放った。
「勘違いしないでくれ。ケニー、貴方を信じるって話じゃないよ。私は、あくまでハルの判断を信じるってだけだ。他に、理由はない」
ケニーはけっと悪態を吐いて、顔の上に被っていたハット帽を乗せるが、それ以上は何も言わなかった。ゲルガーは何か言いたげな顔をしていたが、ナナバに一瞥を投げられ、口を噤んで座り直す。
「…ナナバさん」
ハルは、万感の思いを滲ませた瞳と表情で、ナナバを見つめると、ナナバはいつも通りの、夏の風のように爽やかな笑みを浮かべて言った。
「私は、ハルを信じてる。君についていくのに、それ以上の理由は必要ない。ハルは私達の班長で、私達はそれを受け入れた……いや、違うかな。私達が望んで、君の部下になったんだ。そんな君に、私達がまず第一に出来ることは、何があってもハルを信じ抜くことだって、…そう思うんだ」
「っ」
ナナバの言葉は、ハルの悲観的になり欠けていた思考を吹き飛ばすかのように胸の奥に響き、染み渡るようで、傷口に消毒液をかけられた時のように、思わず喉の奥が鳴ってしまう。
それから、トーマは近くに置いていた麻袋をごそごそと漁り、スープ用の器を取り出しながら言った。
「俺も、…ハルを傷つけたことも、仲間を殺したことも、許せねぇけど。お互いに利用し合う関係で居る現状なら、ケニーに関してはどんな理由よりも安泰だって思う。もっと曖昧で高慢な理由だったら、俺も納得いかなかったかもしれないけど。ケニーが今更になって俺達を裏切っても、なんのメリットも無いだろうしな」
「その通り。よく分かってんじゃねぇか、トーマ」
ヒラヒラと片手を上げて調子良く言うケニーに、トーマはやれやれと腕を組んで肩を竦める。
「この鼻に付く感じは好きになれそうもないが、ハルが決めたことなら、受け入れられるさ。…正直、話して貰えなかったことは、ちょっとだけショックだったけどな?…まぁ、何事も経験だってことで。今度からは、ちゃんと相談するようにしてくれよ?」
トーマは今にでも泣き出しそうな顔をして立っているハルを、宥めるような視線を送りながら、優しく諭すような口調で言った。
「…っ、はい…!」
噛み締めるように、身に焼き付けるように、ハルは深く頷くと、ゲルガーは胸の前で腕を固く組み、胡座を掻いた状態で、剣呑な視線を幹越しのケニーへと向けながら口を開いた。
「…コイツの、夢ってのは一体何なんだ?ハルを利用しねぇと、叶えられない夢ってのは………」
「それは、」
説明しようとハルが喋り出すよりも先に、ケニーが口を開いた。
「…俺の夢は、この世界のカタチを知ることだ」
皆が、ケニーへと視線を向ける。
ケニーは顔に乗せていたハット帽を僅かに持ち上げ、日の光を浴び、煌めく紅色の葉が揺れる景色を眺めながら、今までとは違って、誠実さの滲む口調と声音で、話を始めた。
「動機は違うが、お前達の目的と同じだよ。俺はもう老い先短ぇが、死ぬ前に…俺の友人が見ていた景色を、俺も…見たい。そんでもって、その景気を見た先で、この檻に囲まれ腐り切った壁の中を、盤上ごと引っくり返してやりてぇってのが……俺の夢だ」
ケニーの言葉に、ゲルガーは「はっ」と短く息を吐き出し、皮肉を滲ませた声音で、舌を打つように言い捨てた。
「何だよっ…そりゃ。だったら鼻から中央憲兵なんかじゃなく、調査兵団に入ってれば良かっただろーがっ…!」
「俺は馬鹿で気づけなかったんだよ。コイツに、ハルに、俺自身も知り得なかった本音を言い当てられるまで……俺が本当に望んでいることが、何なのかってことを…な––––」
ケニーはゆっくりと上半身を起こすと、帽子を被り、背中を幹に寄りかけ、掌を見下ろした。
多くの命を奪い、血に濡れた、未来など語る資格もない、命とカラダ。だがその贖罪の時は、何時訪れる?それは、きっと、命を終えた、その先の魂の行き着く場所に在る。…それなら、自分は残された時間を、罪の業火に身を焼きながら、最後まで生き抜きぬいてやりたい。誰に恨まれ、憎まれようが関係ない。これは俺の命で人生なのだから、他の誰の為ではなく、俺自身の為に使い切る。最後の、最期まで。
「俺は、友人が宿していた『始祖の巨人』の力を得ることで、アイツにしか見えていなかった世界の形を、俺も同じように知ろうとした。そうして人間よりも圧倒的な力を得て、このクソったれな壁内に革命を起こしてやろうと考えていた。だが、その野望は叶わなかった。…だが、アイツと同じ世界を見るための方法は、それだけじゃなかった。『始祖の巨人』の力に頼らなくても、その夢を掴むことが出来るんだってな……」
ケニーは掌を固く握り締めると、鈍色に光る切長の瞳を、ハルへと向ける。
「だが、俺だけの力では無理だ。…だから、『ユミルの愛し子』の力を持つ、コイツを頼った。そしてコイツも、俺を利用しようと望んだ。そうして互いの利害が一致して、手を取ることに決めたんだ」
ケニーの言葉に、ゲルガーは悪態を吐く代わりに舌を打った。
それから、一度大きく深呼吸をすると、固く、低く、釘を打つような口調で言い放った。
「ハルを傷つけたら、俺はテメェを殺すからな」
その言葉に、ケニーは「けっ」と口角を上げると、大仰に両腕を広げて、揶揄うような口調に戻って言った。
「おいおい、何だぁ?結局お前は、俺がコイツと一緒にいるのが気に食わねぇってだけじゃねぇか!?…っち、本当に青臭ぇガキだな…」
「はっ、はぁ!?別にそういうわけじゃねぇよ!!」
ゲルガーは勃然と顔を真っ赤にして立ち上がると、幹の裏側に居るケニーに向かって声を上げる。
その様子を見ていたトーマとナナバは、面白げに笑いながら言った。
「ま、ゲルガーはハルが大事で仕方がないからな」
「気持ちは分からないでもないよ」
「お前らっ…!…っハル、俺は別にそんな理由で反対してるわけじゃな、」
ゲルガーは慌てふためきながら弁解をしようと、下に居るハルを見下ろした。
その時、ハルの澄んだ蒼黒の瞳と目が合って、息を呑んでしまう。
秋風に、淡く紅色に色づいた紅葉が舞い散る中、短い黒髪を揺らし、絹糸のように艶やかで柔らかな前髪の後ろで、瑞々しく黒い瞳が煌めいていた。
今まで見たどんな景色や宝石よりも綺麗で、呼吸をすることすら忘れてしまったように、自然と見開いていく瞳で、魅入ってしまう。
「私も、ゲルガーさんが大事です」
ハルは、左胸に右手を押し当て、この世界の全てを包み込むような慈愛に満ち、鈴の音のように澄み渡った声で言った。
「ナナバさんや、トーマさんが、皆が大事です……何にも代え難いほど、大切です。大好きです。…だからこそ、私が自身が信じられない、危険だと思うような人を、傍に連れて来たりなんて絶対にしません」
微笑んだハルの、情感深い言葉を受けて、ナナバ達は胸を突き上がってくる情動に、言葉を失っていた。
そうして生まれた沈黙に、ハルは段々と不安げな顔になって、首を傾げる。
「あ、…あの?皆さん、どうしたんです?私、何かおかしなこと言いましたか?」
「いや、おかしなことは言ってないよ。言ってないけど…」
「お前は良くもそんなことをサラッと言えるな」
「俺、生きてる?心臓止まってない?」
赤面して額を抑えているナナバと、肩から深く項垂れているトーマ、左胸を抑えて動揺しているゲルガーに、ハルが困惑しているのを、ケニーは引き攣らせた顔で見下ろしながら言った。成程、これがハルの、「人誑し」と呼ばれている理由か。
「お前、末恐ろしい奴だな」
「へ?」
→