第五十七話
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壁上からシグルドとダズの見送りを受け、無事壁外へと降下したハル達は、迅速にそれぞれの愛馬に跨った。
しかし、壁上を見上げたまま、中々アグロに乗ろうとしないハルへ、トーマは急かすように馬上から声をかける。
「おい、ハル?早くアグロに乗れよ。…何か忘れ物でもしたのか?いくら夜とはいえ、巨人が襲って来ないとは言い切れないんだぞ?」
「それは、その……」
ハルは何やら気掛かりがあるような表情を浮かべ、左手で首の後ろを触る。右手には、アグロの手綱と、もう一頭の黒鹿毛色の毛並みの馬の手綱が握られていた。
「その馬…予備の馬?連れてくる予定には無かったよね?」
「え、えぇ…」
ナナバが首を傾げて問いかけると、ハルは逡巡したように視線を泳がせ、口を引き結ぶ。それから少し間を開けて、「実は……」と重々しく唇を動かした時だった––––
外門の真上から、耳馴染んだ立体機動装置のワイヤー音と、ガスの噴く音が聞こえてきた。
一同はハッとして、視線を背中の壁上へと持ち上げると、人影がウォール・ローゼの壁面を駆け下り、その中腹よりも少し下部の辺りで、大きく飛び上がった。
闇の中、身軽に宙で身を翻して、ドンッ!と、ハル達に体を向けた状態で、ガスをふかし、両膝で上手く衝撃を吸収しながら着地する。
バサリと舞い上がった漆黒の外套が、ゆっくりと裾を下ろす先には、ハンジが開発した新兵器である雷装が装備され、黒いハット帽を被った男が、上体を起こしながらゆっくりと顔を上げた。
「ヨォ、お待たせ。主役は遅れてくるってもんだろ?俺様のご登場だぜ?」
操作装置を胸元のホルダーにしまいながら、口角を上げて笑う男の顔を見て、ハル以外の三人は、目を剥いて驚愕した。
「「「!?」」」
何故なら、壁上から突如現れた人物の正体が、ケニー・アッカーマンだったからだ。
「おいテメェッ!?どうしてこんな所に居やがる!?一体どういうつもりだ!!」
ゲルガーは馬を飛び降り、物凄い剣幕でケニーの胸倉に掴みかかった。
ケニーは煩わしそうに眉間に皺を寄せながら、顎の先でハルの方をしゃくって言う。
「どういうつもりも何も、俺はテメェらの班長に頼まれたから、来てやったんだぜ?」
「は!?」
ゲルガー達は驚いて、それぞれハルに視線を向けると、ハルは硬い表情を湛えて立っていた。
「ハル、これはどういうことなのか、説明してくれないか?」
ナナバが馬上から、よく通るはっきりとした声音で問いかけると、ハルは淀みなく答えた。
「ケニーが言っていることは、嘘ではありません。私がケニーに、今回の作戦支援をしてもらうよう、お願いしました」
「なっ、なんでそんなことをっ」
トーマは動揺しながら口早に理由を乞うと、ハルは視線を南へ……シガンシナ区がある方角へと向けた。
「今回の作戦では、なるべく多くの精鋭が必要です。知性を持つ巨人と対峙しても、冷静さを保ち、立体機動で対抗できる兵士が…」
「だからってなぁっ…ケニーは中央憲兵に属してやがった、それもお前を攫った張本人で、仲間を殺したクソ野郎なんだぞっ!?」
ゲルガーはケニーを突き飛ばすように胸倉から離れると、ハルの背中へ荒い足取りで歩み寄る。
「コイツに、俺達の背中を預けろって言いうのかよ!?」
ハルの右肩を掴んで、強引に振り向かせると、ゲルガーは背後のケニーを指差しながら問い詰めた。
しかし、ハルの表情は微塵も揺らぐことは無かった。
「ケニーは、仲間の命を奪いました。それは、紛れもない事実です。そして、私の命を救ってくれたということも、事実です。彼は偽装された王政の為に、中央憲兵に身を置いていたわけではありません。彼は、友人の為に…彼の、野望を叶える為に、中央憲兵に属していただけです。ですから、」
「ハル!!」
「っ!」
ゲルガーは、まるで暗記した教本でも読み上げるように論じるハルに耐えられなくなって、声を荒らげた。
頬を叩くように名を呼ばれて、ハルは息を呑む。
「俺が聞きたいのは、そんなことじゃねぇんだよっ」
語気には苛立ちが滲んでいるのに、気づかうような目をして、ゲルガーは言った。
「コイツの事情なんてのはどうだっていい!…お前は?コイツを、許せるのかっ…?俺には無理だぜっ!?大事な仲間を殺されただけじゃねぇお前をっ……お前を傷つけただろ!?」
「…ゲルガーさん…」
ハルは、自分の意思を巧く伝えられないことを歯痒く思って、下唇を噛んだ。
ゲルガーが主張していることは、人として正常の、思考と感情だ。大事なものを奪われれば、奪った相手に対して憎悪や憤怒を抱くのは当然の事で、ナナバやトーマも、きっと同じ思いである筈だし、痛いほど理解も出来る。
それでも、ハルは前に進むために、その感情を隅に追いやる事を決めたのだ。
目の前に浮かぶ感情のまま、暗闇を進んで行くだけでは、きっとこの世界の真実に辿りつくことは出来ても、同じことの繰り返しになるだけだ。拒絶し、憎しみ合い、目障りだ、危険だからと排除する。その道をぐるぐると廻り続けている限り、未来を変える事など、絶対に出来ないからだ。
そして、深い渓谷に囲まれた未来への道から逃れる為には、飛躍的手段というものが必須になる。トロスト区を奪還する為、エレンの存在が必要不可欠だった事と、同じように。ウォール・マリア奪還作戦を、被害を最小限に抑えつつ、目的を達成し終える為に、絶対的に必要となる存在。その一つが、ケニー・アッカーマンの存在だった。
ハルは、体の横の拳を握り締め、ゲルガーを強い眼差しで見据えながら言った。
「私は決して…ケニーが仲間の命を奪ったことを、許したわけではありません。…それでも、その感情に囚われることで、皆の未来に繋がる可能性を手放すのは…ただの、愚行です」
「っ」
ゲルガーは胸を衝かれたように、息を呑んだ。
決して皮肉を言っているわけではない、ただ率直で、腹立たしい程、正論であるだけだ。と、頭では理解できても、感情が伴わない。
奥歯を噛み締め、言葉を紡げずに居るゲルガーの背中で、トーマは静かでも厳しい声音で問いかけた。
「ハル、お前はケニーが裏切らないと…確信を持って言い切れるのか?」
「はい」
ハルは迷わずに首を縦に振る。
「その根拠は?」
間を開けず続けてトーマが問い詰めると、ハルは、兵服の左胸、自由の翼のエンブレムを、ドンと右手の拳で叩いて、言った。
「ケニーの抱く夢を叶える為には、私達の力が、必要不可欠だからです」
ナナバは腕を組み、神妙な声音で唸るように呟く。
「…つまり、今…私達は彼の力を利用し、彼もまた私達のことを利用しているという……相互関係にあるということ?」
「ええ、そうです」
ハルが頷くと、ゲルガーは怫然と低い声で言い放つ。
「…いつ裏切るかも分からない野郎に、背中は預けられねぇよっ」
そんなゲルガーに対して、ケニーは先程掴みかかられ、乱れた衣服を直しながら、足元の石ころを蹴るようにして言った。
「安心しろよ若造。テメェの背中をブッ刺すつもりなら、もうとっくにやってるよ」
「あぁ!?何だとテメェッ!?」
ゲルガーは顳顬に青筋を浮かべて、再びにケニーに掴み掛かった。体を大きく揺さぶられて、ケニーのハット帽が、ぱさりと乾いた地面に落ちる。
しかし、ケニーはゲルガーの腕を容易に振り解き、突き飛ばした。それから、足元に落ちたハットの端を掴んで、土埃りを払いながら面倒そうに言う。
「ったく、ギャアギャア煩ぇ奴だな?お前らの班長が、俺を必要だって言ってんだ。お前らが幾らゴタゴタ騒ごうが、俺はハルについて行く。嫌ならテメェが帰れよ、クソガキが」
「なっ、何っ!?」
ケニーの発言は、今明らかにゲルガーの虎の尾を踏んだ。
顔を真っ赤にして怒り出したゲルガーを、トーマが慌てて馬を降り、後ろから両脇を抱えるようにして仲裁に入った。
「っゲルガー、ちょっと落ち着け!こんなところで騒ぐな!…ケニー、アンタもあんまり掻き回すような言い方しないでくれ」
「俺は物分かりが悪い奴は嫌いなんだ」
ケニーはけっと悪態を吐き、帽子を被り直すと、ハルの方へと足を進めた。
「で、ハル。俺の馬はどっちだ?」
「…こっちです」
ハルは馬の手綱をケニーへと差し出すと、ケニーは馬の手綱を受け取り、ハルの耳元に口を寄せて不機嫌そうに言った。
「事前に説明くらいしとけよ、馬鹿」
それにハルは「すみません」と肩を竦めて謝罪する。ケニーは軽く舌を打つと、軽快に馬の鞍へ跨った。
ハルはトーマに取り押さえられているゲルガーの元へと歩み寄ると、落ち着いた、それでも威厳のある粛然とした声音と口調で言った。
「ゲルガーさん、先ずは出発しましょう。話は、ちゃんとします。約束します。ですが、そろそろ出ないと、日の出までに巨大樹の森に辿り着けなくなってしまいます」
「っ」
ハルの言葉に、ゲルガーは表情を歪めて、唇を噛んだ。暴れる気配がなくなって、トーマはゲルガーを解放したが、気遣いげにハルへと視線を寄越した。
ハルは静かに頷くと、トーマは複雑な表情になって首の後ろを掻きながら、自身の馬に跨る。
「すみません…ゲルガーさん」
ハルが頭を下げると、ゲルガーは不本意そうに舌を打って、顔を逸らした。頭を下げた先で、ゲルガーの両拳が固く握られ、白くなっているのが見えて、ハルは口を引き結ぶ。
「……俺は、お前が決めたことなら、何だって従うつもりだ。だが…っ…この男のことは、信用出来ねぇよっ」
舌を噛むようにして告げられた言葉に、ハルは「はい」と、息を吐くように頷いた。それから静かに片膝をつき、ゲルガーを見上げる。
「それでも構いません。……ですが、私のことは、信じてくれませんか?」
「っ」
真摯な眼差しが、自分を決して裏切りはしないのだと、確信している。それなのに、どうしても胸の突っ掛かりを、不快感を取り払うことが出来ないのは、ケニーに対する疑念だけでは、恐らくないことも自覚している。……気に食わないのだ。ハルがケニーに対して、自分達に近い信頼を、寄せているということが。
「俺は……お前のことは信じてんだよ……」
口の中だけで呟いた言葉も、ハルの耳にははっきりと届いてしまう。
「…ゲルガーさん」
良心の呵責に苛まれた顔をするハルに、ゲルガーは内圧を下げるような、深い溜息を吐いた。
ケニーが言っていた通り、自分の餓鬼さに幻滅して、酷く呆れてしまう。ハルの方がずっと大人で、きっと、トーマもナナバも、ケニーへ食ってかかろうとしないのは、自分の気持ちに、自分で折り合いをつけられているからだ。俺とは違って、こんな子供じみた感情に、乱されて、いないからだ。
そう自覚すると、胸が、ズキリと痛んだ。ずっと放置していた小さな虫歯が、いつの間にやら大きくなって、神経に触ったような、顳顬に響くような鈍い痛みだった。
「……行くぞ」
ゲルガーはそう掠れた声で呟くと、ハルに背を向け、自身の馬に乗り込んだ。
「…はい」
ハルも、ゲルガーのことが気掛かりだったが、アグロへ跨ると、悪夢の始まりの場所、シガンシナ区へと向かう為、先ずは巨大樹の森を目指し、闇の降りたウォール・マリアの大地を駆け出した。
今まで仲間に隠し事をして来たツケは、其処で胸臆を開き、払わなければならない–––––
完