第五十六話
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ウォール・マリア奪還作戦の決行日が間近に迫る中、エレンの硬質化実験から派生して作られた対巨人兵器は、兵士を直接巨人と戦わせる事なく、日中フル稼働で巨人掃討が出来るという、言葉にすればする程夢のような代物だった。
しかし、そんな非現実的ともいえる兵器の実装が見事成功し、夢が現実と変われば、兵団を問わず兵士達の士気は大いに向上した。
調査兵を志す兵士であれば、巨人と戦うことは当然、覚悟のうえだが、対面せずに済むというのならそれに越したことはない。
「勝てる!勝てるぞ!新兵器があれば、巨人なんぞ紙屑同然だ!」
トロスト区兵舎の食堂で夕食を摂っていたマルロが、水の入ったカップをダンッと景気良くテーブルに置く。それを見た、同じ長テーブルの端向かいに座っていたジャンが、やれやれと呆れた様子で肩を竦めた。
「ったくはしゃぎやがって、何が嬉しくて今更調査兵になんかなったんだか」
「っそうですよ。…気になってたんですが、ヒッチに止められたりしなかったんですか?」
マルロの隣に座っていたサシャが、ぱくりとシチューを一口食べてから、視線をやって問いかけると、マルロは僅かに身を引き、質問の意図が分からないと、怪訝になって首を傾げた。
「ヒッチが?何故だ?」
「何故って二人は…もーっ…ふふっ!じゃ、ないですかぁ?」
「ひひひっ」
サシャが言葉を含んでにやにやと笑う隣で、コニーも同様に含み笑いを浮かべる。
マルロは疑問を解消する為の答えが得られず戸惑いながらも、ヒッチに調査兵団への編入を考えていると打ち明けた時の話をした。
「よく分からないが、ヒッチには向いてないだとか、いきがるなとか散々詰られたよ。挙句にはこのまま憲兵に居ればうまい汁が吸えるとか…少しは見直してたんだけどな。見損なったって言ってやったよ」
「「……」」
質問の意図を汲み取れなかったことが仇となり、マルロの発言に対して、同じテーブルに座っていた一同は盛大に呆れかえった。…ただし、エレン一人を除いてだが。
「クソが」
ジャンが足元の小石を蹴るように舌を打ち、その隣のハルが至極残念そうに「鈍感マルロぉ…」と眉尻を下げる。
「見た目通りの、お固い野郎だな!」
そして、ハルの隣に座っていたフロックが実につまらなそうに吐き捨てるのに、コニーの隣に座っているアルミンは肩をすっかりと落として、蔑みの目をフロックへ向けた。
「マルロは馬鹿なの?」
「やっぱりマルロは、ただのおかっぱ野郎ですね」
皆の辛辣な言葉の集中砲火は、サシャの問いかけが火種となり、サシャの捨て台詞で漸く幕を閉じた。しかし、未だ何故皆から罵声を浴びせられることになったのか理解できていない様子のマルロに、ミカサが白い目を向けている中で、エレンだけが肩を持つ形となった。
「何だよ、マルロは間違ってないだろ」
「…、とにかく、はしゃいんでんのは実践経験ゼロの編入連中だけなんだよ」
恐らく、マルロ以上に朴念仁であろうエレンの発言を華麗に聞き流して、ジャンが水を一口仰ぎそう言い放ったところ、後ろのテーブルで夕食を摂っていた兵士数名が立ち上がって、唐突に声をかけてきた。
「おいおい、お前ら!すっかり歴戦の猛者か?」
「…お前らと比べられちまえばな」
軽い口調で投げかけられた言葉に、ジャンは声を低くし、顔に石のような無関心さを滲ませて応えた。煩瑣の予感に、相手にするのも面倒と言いたげな顔だ。
彼らは同じ104期の同期で、訓練兵団を卒業した後、フロックと同じウォール・ローゼ南部の駐屯兵団へ入団した者達だった。
「ひでぇな、同じ104期だろ?それに、俺達だけじゃねぇぜ?世間全体が、ウォール・マリア奪還を!って、盛り上がってんだ。なぁフロック?」
「あ、ああ…」
突然話を振られたフロックは、居心地悪そうに視線を泳がせた。
同じ104期の同期達とはいえ、巨人と対面した経験があるかないかでは、壁外へ抱く恐怖心や覚悟の其れは大きく異なる。無理も無いことだが、トロスト区奪還作戦後も、命懸けで壁外調査に臨み戦ってきたジャン達と、滅多に壁外へ出ることが無かった自分達を『同じ枠』で括るというのは、まったくのお門違いだ。とはいえ、自分もトロスト区襲撃の際にハルと行動を共にし、巨人と真っ向から戦う経験をしていなければ、彼等と同じ側に立っていたことだろう。
フロックは自身の太腿の上で拳を握りしめ、顔を上げると、重たい口を開いた。
「…確かに、世間は盛り上がってる。だけど、ジャン達は俺達とは違うだろ?この四ヶ月、コイツ等はずっと最前線で戦ってきた。俺達が固定砲台の整備や、壁の補修をしている間、巨人と命賭けで戦って…そして俺達以上に、沢山の仲間を失って…いろんな経験をしてきたんだから」
「…フロック」
ジャン達が驚いた顔をしてフロックを見ているのを、本人は気づいていないまま、鼻白む同期に話しを続ける。
「だから、同じじゃねぇよ。別に、駐屯兵団が怠けてたと言うわけじゃない。俺達だって、俺達の役目は果たして来たつもりだ。でも、ジャン達に…失礼だろ」
「あ、ああ…で、でも、たしかにお前ら変わったよな、面構えっていうか……」
日頃、砕けた雰囲気の人間が急に真面目になると、苛烈な罵声を浴びせられるよりもずっと迫力と説得力を持つもので、彼等は「わ、悪かったな…」と決まり悪そうに謝罪を述べると、足早に場を離れて行った。
それを見送って、フロックは少々気骨が折れた様子で、申し訳ないと肩を落として言った。
「…お前らが今までしてきた事、良く知らない奴らも多いんだ。俺は、ハルのこともあって、イアンさんから随時、色々聞いては居たけどさ。アイツらだって、斜に構えてるってわけじゃ無いから、気を悪くしないでくれよ?」
「…お前が謝ることじゃねぇだろ。そもそもっ、んな小さいこと、別に気にしちゃいねぇよ」
ジャンが嫌味のない軽い口調で言って肩を竦めるのに、皆も同調して頷いた。何処となく一様に、爽快な気色を表情に浮かべている。
そんな仲間達の様子を見て、フロックもほっとして相好を崩し、ふと、隣に座るハルの横顔を見た。…が、ハルは皆とは違って、固い表情をしていた。腹立っている、というわけでは無さそうだが、目元にくっきりと、緊張の色を浮かべている。
「ハル?どうかしたのか?」
「…え?」
何処か思い詰めているようにも見えるハルに、フロックが心配になって声をかけると、ハルはハッと息を呑んで、フロックに顔を向けた。
一瞬だけ、動揺したように蒼黒の瞳を震わせたが、一度の瞬きでその感情を拭い去り、頬を指先で触りながら、微苦笑を浮かべる。
「何でもないよ。ちょっと、考え事をしていたんだ」
「そうか?」
腑に落ちない顔で首を傾げ、目を細めるフロックの、心中を探るような視線から逃れるようにして、ハルはシチューをぱくぱくと口に運んだ。…これは、絶対に何かがある。フロックは半ば確信しながら、ハルの横顔を凝視していたが、不意にピリピリと頬に刺さるような視線を感じて目線をやると、小さな黒髪の頭越しに、琥珀の瞳と目が合った。
「!」
ジャンの、その視線たるや、反射的に口の中の唾をごくりと飲み下してしまう程の鋭さがあった。まるで主人を守る猟犬のような目で睨まれて、フロックは兎が林に隠れるが如く、サッと目線を手元のシチューに落とす。
「(怖ぇっ、何だよあの目っ…!)」
最近気づいたことだが、訓練兵時代とは比べ物にならない程、ジャンのハルへ向ける執着心が、強くなっているように思えた。
フロックは妙に心臓の音が速くなるのを感じながら、うっすらと顳顬に冷や汗を滲ませる。第六感が、虎の尾を踏むぞと警鐘を打ち鳴らしている。面倒事になるのは御免だと思いながらも、どこか頭の中の、冷静な部分が煮え切らないでいるのは、自分の気持ちの切り替えが、未だ上手く出来ていない所為だろうか…。
自分事ながら、感情の切り替えの下手さに呆れてしまって、下唇を軽く噛んだ時、食堂の扉が開いて、ナナバが現れた。
「失礼。ハルは居るか?」
「あ、はい!ナナバさん、此処にいます」
ハルは挙手をしながら席を立つと、ナナバは食堂へ足を踏み入れることはせずに、声を張って手短に用件を話した。
「夕食中に悪いね。エルヴィンがハルに、団長室へ来て欲しいと呼んでいたぞ」
「…エルヴィン団長が?分かりました。すぐに行きます!」
「ああ、そうしてくれ」
ナナバはそう言ってハルに手を振りながら食堂を後にした。
ハルは席に着きなおすと、いそいそと残ったシチューを口の中へ掻き込む。その様子を横目で見たジャンは、嫌な予感がしてピクリと片眉を震わせた。
「おいハル、そんなに慌てて食ったら、喉詰まらせるぞ」
「もぐっ、大丈…うぐっ!?」
言われた矢先で、ハルが大きめの人参を喉に詰まらせ、ゲホゲホと盛大に噎せ返ったのに、ジャンは「言わんこっちゃねぇ…」と呆れながらも、背中を摩ってやる。
「駄目ですよーハル!ちゃんと噛んで食べないと!」
ハルの向かいに座っていたサシャが、水の入ったコップをさり気無く差し出して言うのに、「いや、お前はほぼ飲み込んでるだろ」と、コニーが堪らずツッコミを入れた。
ハルはサシャの厚意を涙目になりながら受け取り、喉に詰まった人参を勢いで胃に流し込む。
「うぐっ……はぁ、ありがとうサシャ…助かったよ。ジャンもありがとう」
「団長、何かあったのか?」
エレンが首を傾げて問いかけると、ハルは最後の一口のシチューを、今度は慎重にごくりと飲み込み、席を立って残ったパンやら野菜などの副菜を、トレイごとサシャに差し出しながら答えた。
「うーん、分からないけど…多分、奪還作戦のことについて、なにか話があるんじゃないかな?サシャ、これあと食べていいよ」
「いっ、いいんですかぁ!?」
サシャは目を輝かせて早速食事に手を伸ばしたが、ジャンが身を乗り出し、サシャの額を片手で抑え込んで言った。
「待て待て!部屋に運んどいてやるから、話が終わったら後で食えよ。シチューだけじゃ足りないだろ」
それにミカサも釘を刺すような眼差しでハルを見上げて言う。
「ハル、ご飯はちゃんと食べて」
「ハルはただでさえ細いんだから。栄養はちゃんと摂らないと駄目だよ」
アルミンも気遣いげな視線を向けて言うのに、ハルは皆の心遣いを嬉しく思いながら、「分かった」と笑顔で頷いた。
「ありがとう。…じゃあ、ちょっと行ってくるね。皆、おやすみー」
ハルがそう言って仲間達に手を振りながらテーブルを離れるのを、ジャン達も手を振り返しながら見送った。…サシャだけは、天国から地獄に落とされたような顔をして、肩から項垂れていたが…。
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