第五十四話
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「こらぁー!待ちなさーいっ!!おやつはお手伝いが終わってからって言ったでしょ!?どうして言うこと聞かないの!?」
昼下がり、徐々に空の青さに暁色が滲み始めた空の下、ヒストリアが広大な孤児院の敷地で、おやつの盗み食いをした子供達を追いかけ回しているのを、私服姿のジャンとアルミン、そしてエレンの三人は、孤児院の敷地の周りをぐるりと取り囲む柵に寄り掛かりながら、ぼんやりと眺めていた。
何とも平和な光景だ。
調査兵団に入団してから今まで、死と隣り合わせの、精神を削られ、息苦しい嵐のような日々が、漸く、落ち着いたように思えた。とはいえ、この先にはウォール・マリア奪還作戦も控えており、束の間の安寧ということに、変わりは無いのだが。
「なんか…」
ジャンがぼそりと呟きを漏らすと、隣に立つアルミンが「うん」と頷く。
「思ってた女王と違うなぁ…」
「王冠かぶったのが二ヶ月前、か……今じゃ孤児院の院長の方が板についてきてる」
ジャンの言葉に、アルミンはふっと微笑みを浮かべながら、明るい口調で言った。
「巷で何て呼ばれてるか知ってる?『牛飼いの女神様』だって、勿論親しみを込めてね?」
「いよいよ神様になっちまったなぁ。…これじゃ、トロスト区を塞いだ奴のことなんざ、誰も覚えてねぇなおいっ?」
ジャンがアルミンの隣に居るエレンを嘲笑うようにして言ったが、エレンは珍しくジャンの煽りに反応を見せず、逃げる子供を捕まえて説教をするヒストリアを見つめながら、神妙な声音で言った。
「ヒストリアが女王をやるって決意した理由は、これをやる為だ。」
「…」
「…これって?」
ジャンが思わぬ反応に虚をつかれて居る中、アルミンはエレンの固い横顔を見つめながら、静かに問いかけた。
「地下街から壁の端まで、孤児や困窮者を集めて面倒を見る。これには地下街出身の兵長の後押しもあったらしい。困っている人がいたら、何処にいたって見つけ出して助けるって言ってた。…これがヒストリアのやりたいことなんだ」
ヒストリアの思いを代弁するエレンは、どこか遠くを見ているようで、そんなエレンに対してアルミンとジャンが言葉をかけられずに居ると、いつの間にやらヒストリアが三人の元へと寄ってきて、腰に手を当てて怒鳴った。
「ああっ!またサボってる!もう日が暮れちゃうでしょ!?」
三人は孤児院に支給された食料や衣料品などを、施設内の倉庫に運び込んでいる途中だった。早く働けとヒストリアに急かされ、ジャンとアルミンは荷物を抱えて、倉庫へと歩きながら、並べた肩をため息混じりに落とした。
「あいつ、何か俺の母ちゃんに似てきた…」
「女神様…」
気落ちしている二人と少し距離を開けて、後ろを歩くヒストリアとエレンは、腕に衣料品の入った麻袋を抱えながら、最近の近況についての話をしていた。
「硬質化の実験はうまく行ってるんだってね?」
エレンは修道院の地下で、『ヨロイ・ブラウン』と記された小瓶の中身を取り込んだことによって、硬質化の力を手にし、ウォール・マリア奪還作戦に向けて、実用化の実験が続いていた。
そして、その硬質化の力を使って、巨人を倒す為の新たな兵器を、ハンジは作っている最中だった。近日には、その実装試験が行われることになっている。
「…ああ。でも、急がねえとまた奴らが来ちまう」
実験は順調のようだが、エレンの表情は重い。それに、ヒストリアも表情を沈めた。
「エレンはどうしたいの?ライナーとベルトルトと、もう一度会うことになるとしたら…」
「奴らは殺さなきゃ…ならない」
「…」
ヒストリアは、腕に抱えている麻袋を抱える腕に、僅かに力を込めた。
ライナー達がしたことを、容易に許すことは出来ない。
彼等は多くの人を殺め、そして多くの人から故郷を奪い、その生活を壊した。
嘗ての仲間を手にかけることに、心が痛まないわけもない。苦しくないわけもない。その感情をエレンは必死に押し殺そうとしているようにも見えたし、いっそのこと感情を消してしまおうとしているようにも見えたヒストリアは、すぐになんと声をかければいいのか分からなくなって、口を噤んでしまった。
それでも、出来上がった沈黙を、終わらせたのはヒストリアだった。
世界を終焉へ向かわせることを拒んだのは自分なのだから、足踏みをする訳にはいかないのだ。
「早く分かると良いね、この世界がなんでこうなっているのか。私たちがしたこと、後悔するわけにはいかないから」
ヒストリアは、夕日が下り始めた、淡い暖かな草原を自由に駆ける子供達を見つめながら言った。
「最近は地下街にいた子達も、笑うようになったの。これが間違っているはずないよ」
エレンもまた楽しげな少年達の姿を見て、漸く微笑んだ。
「ああ、お前は立派だよ」
「そんなこと」
ヒストリアはエレンに思いがけず褒められて、つい照れくさくなり頬が赤くなる。そんなヒストリアに、エレンは揶揄うような口調で言った。
「あの時は、人類なんか滅べばいいとか言ってたのにな」
「あれは勢い余っただけだからっ…!」
ヒストリアは慌ててエレンに弁解を入れる…と、二人の前にミカサが現れた。
目の据わったミカサは、明らかに嫉妬しており、その手の感情には敏感なヒストリアはすぐに気がついて、顔を引き攣らせた。
「貸して、エレンは実験で疲れてる」
ミカサはエレンが持っている麻袋を半ば奪い取るようにして言うのに、ヒストリアは慌てて謝罪した。
「そ、そうだね。ごめんミカサ…!」
ミカサとヒストリアが二人で歩き出したのを見て、エレンはその背中に向かって「だから俺を年寄りみたいに扱うのはやめろ!」と抗議の声を上げる。
そんな中、ヒストリア達よりも前を歩いていたアルミンとジャンの元へ、孤児院の少年二人組が駆け寄って来た。
「ねぇ!ジャン、アルミン」
「ん?どうしたの?」
アルミンとジャンは足を止めて、少年達を見下ろした。
「どうして今日もハルお姉ちゃんは来てないの?」
アルミンとジャンは顔を見合わせる。それからジャンがしゃがみ込んで、寂しげな表情をして居る少年二人と目線を合わせながら言った。
「ハルは最近仕事が立て込んでて…中々、こっちに顔を出せられずに居るんだよ」
ジャンの言葉を聞いて、少年達は「えー!」と不満げな声を上げる。
「何だ。またお姉ちゃんの背中にバッタ入れて、驚かせてやろうと思ってたのにぃ!」
彼等がハルに会いたがる理由を聞いて、ジャンとアルミンは苦笑を浮かべる。
ハルは子供に好かれやすいが、どうやら遊ばれ易くもあるようだ。
「いや。それは本当にやめてあげて。下手したらショック死とかしそうだから、冗談抜きで」
アルミンは至って真面目に少年らに訴えたが、彼等から返ってきた言葉は、「だって面白いだもん!」の一言で、ケラケラと楽しげに笑いながら、施設の方へと駆けて行ってしまう。バッタ嫌いのハルは、子供にとっては絶好の揶揄い相手なのである。
施設が建って間もない頃、ハルが子供達と遊んでいた際に、背中にバッタを入れられ、パニックになって孤児院の敷地内を走り回った挙句、木の幹にぶつかって気絶したのが、子供達にとっては最高に面白かったようだ。
これではしばらく子供達に揶揄われそうだなと思いながら、アルミンは恐らく、調査兵団本部で雑務に追われて居るであろう友人に思いを馳せるように、施設に戻っていく少年達の背中を見送りながら言った。
「ハル、本当に凄いよね?調査兵団に入団してまだ一年も経っていないのに、ミケさんの代役で班長だなんてさ。全兵団歴代で、最年少だって」
ジャンは「そうだな」と溜め息を吐くように相槌を打つと、その場で立ち上がって、トロスト区の方の空を見やりながら言った。
「アイツの功績と能力を考えれば、当然なのかもしれねぇけど……ハンジさん達に良いように使われて、死にかけてねぇか心配だ。班長だとか以前に、人に頼み事されると断れねぇ性分だしな…」
ジャンの言葉に、アルミンは「確かに」と肩を竦めて苦笑する。
「…最近、部屋にも戻ってないんだよね?」
「三日前の夜に戻って来てたが、その時は着替え取りに来ただけで、すぐにまた執務室に戻って行っちまったしなぁ…部屋に戻る時間も惜しいんで、執務室で寝泊まりしてるって言ってたが…あれは徹夜してる顔だったぞ」
同期の中で一番にハルを理解しているジャンが言うならば、徹夜をしているのは間違いないだろう。…しかし、そんな話を聞いてしまうと、アルミンの懸念はより募った。ジャン程ではないが、ハルは何でも頑張りすぎる傾向にあるのは、訓練兵時代からの長い付き合いなので良く知っている。
「班長って大変なんだね…いやっ、元々大変なことだっていうのは、分かってたつもりだったけど。身近な同期が、馬車馬のように働いているのを見てたら、より顕著に感じるっていうか………心配だよ」
「…だな」
胃の痛そうな顔をして眉間に皺を寄せるジャンの顔を覗き込むようにして、アルミンは「それにさ…?」と悪戯な微笑みを浮かべて言った。
「ジャン、ハルに会えなくて、寂しいでしょ?」
「っんだよその顔…!」
自分の胸中を見透かしているようなアルミンの顔を見て、ジャンの顔が引き攣る。アルミンはにっこりと青い瞳が見えなくなる程目を線にして言う。
「だって、ヒストリアの戴冠式の日に兵団に戻って来てから、まともに二人でゆっくり過ごせて無いんじゃないかなっ?て、思って」
ジャンは適当に受け流そうと思ったが、微笑むアルミンから無言の圧力のようなものを感じて、居心地の悪さに腕の中の荷物を抱え直した。
夏の暑さはあっと言う間に過ぎ去って、いつの間にやら赤く染まっていた紅葉が、枝を離れ、ほんのりと冷たい秋風に乗って、はらりと寂しげに、ジャンの足元に落ちた。
「…それは、今に始まったことじゃねぇよ。ハルは、俺だけじゃなくて、色んな人達から求められてる。それに…ハルがナナバさん達の班長になった今、もう俺が監視役として傍に付かなきゃならねぇ理由も、無ぇだろうしな?実際、ハルは単独での外出許可も下りたって話だし、俺はアイツの班員でも無ぇから…」
足元の紅葉を見下ろしながら言うジャンに、アルミンは苦笑を浮かべて言った。
「訂正する。寂しそうじゃなくて、相当寂しそうだね?」
「うるせっ」
揶揄うようにして言ったアルミンの脇腹を、ジャンが肘でど突くと、アルミンは「いたっ」と声を上げて、危うく腕に抱えていた荷物を落としそうになる。
すると、後ろから追いついたヒストリアが、先程の二人の会話を聞いて、にんまりと微笑みながら、ジャンの背後に忍び寄って言った。
「ジャンってば、ハルのこと本っ当に!大好きだよね?」
「うわっ!?何だよヒストリア!?…って、お前らまで聞き耳立ててんじゃねぇよ!!」
突然真後ろに現れたヒストリアに、ジャンはギョッとして振り返ったが、にやにやと微笑むヒストリアの後ろには、ミカサとエレンも立っていて、恥ずかしさに声を上げる。しかし、そんなことはどうでもいい様子で、ヒストリアは深いため息を吐いた。
「はぁーっ、でも私も、ハルともうずっと顔合わせてないよ!…ミカサは?どれくらい会えてない?」
「いや、私は二日前に、夜間警備の時に兵舎の外で会った。エルヴィン団長に資料を届けなきゃいけないんだって急いでいたけれど……外灯の光だけでも分かるくらい、目の下に隈が出来ていた」
ミカサが心配げに眉を八の字にして答えると、エレンが同情の表情を浮かべながら、腕を組んで唸る。
「アイツ…本当に大丈夫か?過労で倒れたりしないか、心配だぞ」
「…そうだ!この後、ハルの顔、見に行こうか?」
アルミンがそう提案すると、「いいね!」と皆が頷く。仕事の邪魔にならない程度なら、問題ないだろう。
「だったら、サシャとコニーも厩舎当番終わってる頃だろうし、誘って皆で行こうぜ」
ジャンの言葉に、皆は孤児院での手伝いを終えると、そのままヒストリアも一緒に、トロスト区の兵舎へと向かったのだった。
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