第五十一話
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「何だ…よ、これ…」
人々の騒めきに紛れて、トーマの悲痛に震えた声が滲む。
まだ真新しい、目に痛い程に鮮やかな赤から、酷い鉄の匂いがした。
トロスト区の街には家々が所狭しと建ち並んでおり、数多の路地は昼でも建物の影が伸びて薄暗く、人々で賑わう大通りとは違った、少し冷たい風が吹き抜ける。
王政設立記念日当日ということもあって、人の出が特に多い今日、彼方此方から鳴り響いた銃声に混乱した住民達は、調査兵団の兵服を纏った二人の兵士が、煉瓦造りの建物の壁に背中を凭れ、絶命しているのを、医者を呼ぶでも憲兵を呼ぶでもなく、ただ物珍しそうに見物している中、その視線から二人を遮るように、ハル達は立ち尽くしていた。
「ニファさん…っ、アーベルさん…」
ハルはぎりっと音が鳴る程に拳を握り締め、痛苦に歪んだ顔でハンジ班に所属していたニファとアーベルの亡骸を見下ろし、未だ石張りの道に広がり続ける、大きな血溜まりの中に両膝から崩れ落ちた。
ばしゃりと水音が鳴り、膝には未だ二人の温度を孕んでいる血が、ジワジワと染み込んでくる感覚がした。
ニファとアーベル、二人の顔は血で真っ赤に染まり、その一部が惨く吹き飛んでいる。僅かに見えている肌は血の気を失い青白くなって、恐らく散弾で至近距離から撃たれたのだろう、顔だけではなく上半身にも数カ所被弾し出血している様子が二人の遺体から見受けられた。
「散弾で頭を……憲兵の仕業か?」
ナナバもハルに寄り添うように片膝をつき、二人に致命傷を負わせた傷口を、悲痛に細めた相貌で確認しながら、掠れた声で呟く。ハルは半開きになっている二人の虚な瞳を、掌でそっと撫でるように閉じながら、二人の遺体の様子から生じてくる、違和感を口にした。
「…でも、おかしいです。憲兵が使用する銃はライフル銃ですよね…?それに、銃に詳しいフロックは、銃声から小型の銃が使用されてると言っていました。散弾を撃つなら、使われるのはショットガンと考えると…フロックが聞き取ったものとは全く真逆の音がする筈です。そもそも、憲兵が立体機動装置を身につけているニファさんやアーベルさんに、こうも的確に頭部を撃ち抜けるとは思えません……きっと待ち伏せをされていたか、不意打ちを受けたか…それとも–––」
ただの憲兵ではなく、対人戦闘に優れた別の組織の人間に襲われた可能性もある。そう考えたハルに、ナナバ達は表情を剣呑に曇らせた。確かに、憲兵が一般人の目に留まる場所で、こうも明け透けに戦闘を行うとは考え難いからだ。
「兎に角、リヴァイ兵長達を探して、早々に合流をしねぇとっ…」
ゲルガーがここで考え込んでいても仕方がないと、恐らく窮地の最中に在るリヴァイ達への加勢を急き、合流しようと提案をした時だった。
バチバチバチッ!!
突如、ハル達の居る周囲から、数多の爆竹が弾けるような爆音が鳴り響いた。
その音に、集まっていた住民達が一斉に悲鳴を上げる。
「なんだっ!?」
「爆竹かっ?」
ゲルガーとトーマが身を屈め、緊迫した表情で周囲を警戒する中、ハルは両耳を手で押さえ、呻き声を上げて顎を鎖骨に押し付けるように蹲ったのに、傍に居たナナバが丸まった背に手を置き、顔を覗き込んだ。
「ハル!?大丈夫っ!?」
「っすみませ…耳がッ…」
ハルの耳は過敏だ。普通の人間が聞いて耳が痛いと感じる音には、目眩や立ちくらみを起こしてしまうくらいの強い衝撃を感じてしまう。
視界の端がちかちかと弾け、顳顬を刺すような甲高い耳鳴りに苦しむハルの額には、うっすらと汗が浮かんでいる。ハルの苦しげな表情に懸念をする中、ふと嫌な予感が胸を過ぎって、ナナバはもしやと呟いた。
「まさか、ハルの聴力を封じる為の…?」
ナナバのその呟きは、ゲルガーの耳にも届いた。ハッとしたゲルガーは、弾かれるようにして胸元のホルダーから操作装置を抜き取りながら、トーマに口早に忠告する。
「トーマ!周囲を警戒しろっ、罠かもしれねぇ!」
「っ!?」
ゲルガーの言葉に、トーマも操作装置を慌てて手にした時だった。ハル達を取り囲むようにして集まっていた住民達数名から、再び悲鳴が上がった。それから少し遅れて、その悲鳴は伝染していくように周りに広がり、野次馬達がバタバタと大きな通りの方へ、牧羊犬に吠えられた羊のごとく逃げ出して行った。
そうしてその場に残ったのは、一般人の若い男女と中年の男二人、そして彼等に見たことのない形をした拳銃を、眉間に突きつける四人の兵士、のような格好をした者達だった。
彼等の両足の太腿には、銃弾の入ったホルダーが巻き付けられており、背中には立体機動を行う為か、ガスボンベが一つだけ装備され、両手に握りしめている銃の銃倉下には、何やらワイヤーの噴射口のようなものが見えた。
自分達が扱っている立体機動装置に比べて、かなり軽装な装備であり、とても巨人と戦うには不向きに見えた。相手が人間となれば、話は別かもしれないが…
「何なんだ、コイツらはっ」
ゲルガーが戸惑ったように顔を顰めて悪態を吐くと、人質と謎の兵士達の他に、同じ装備をした長身の男と、金髪を一本に束ねた、色白の女兵士の姿が現れる。
女の方に見覚えはないが、その隣に立つ長身痩躯の、大きなハット帽を被った男を見るや、ハルとトーマは目を見開き、息を呑んだ。
「お前はっ…あの時の!」
トーマが眉間に皺を寄せ、警戒心を剥き出しにしたのに、隣に立っていたゲルガーが怪訝顔になる。
「おい、何だよ?アイツ、知り合いなのか?」
ゲルガーが問いかけると、トーマは「知り合いも何も…」と露骨に嫌な顔になる。ハルも痛む両耳から手を離し、ナナバに支えられながらもゆっくりとその場に立ち上がると、深々と被ったハットの影から、僅かに見える口元に相変わらず嫌な円弧を描いている男を睨め付けながら言った。
「私を、攫おうとした男です」
「っ何だって?」
「あの男が…」
ゲルガーとナナバが、ハルの発言に表情をぐっと険しいものにすると、男はハットのブリムくいっと親指で持ち上げ、うっそりと目を細めて笑いながら、ハルを見つめて言った。
「よお、グランバルド。久しぶりだなぁ?元気にしてたかぁ?」
薄気味悪い笑みを向けられて、ハルはホルダーから操作装置を抜き取りながら、いつもより低く感情を抑えた声音で応えた。
「ニックさんのことを中央憲兵の人間が襲っていた時点で、貴方も同じ、中央憲兵の人間だと予想はしていましたが…どうやら間違いでは無かったようですね。…納得できます。貴方のような優れた能力の持ち主を侍らせるには、それぐらい大きな組織でないと釣り合いが取れませんから」
ハルは眉間に皺を寄せ、「…それとも、ただの止まり木に過ぎないのか…知りませんが」と、操作装置を握った片手を口元に翳して吐き捨てるように呟く。そんなハルの横顔を見て、ナナバは少し驚いていた。ハルが苛立ちを表情や声に乗せるのは、とても珍しいことだったからだ。
そんなハルを他所に、男は「それはそれは」とハットのブリムを掴んで、仰々しく貴族に挨拶でもする時のように脱いだハットを肩口に押し付けて、頭を下げて見せる。
「お褒めに預かり光栄…」
「ですが」
ハルは男の軽口を遮るように口を開くと、男は背中を折り曲げたまま、顔だけを上げ、目を少々苛立ったように細めた。
ハルは操作装置を、腰に装備している鞘に寄せ、ブレードを装着すると、ガシャリと重たい金属音が鳴る。そのままブレードを引き抜くことはしなかったが、ハルの行動に倣うように、ナナバ達も操作装置にブレードを装着した。
「これで、証明されました。中央憲兵は目的を成す為ならば、一般人を危険に晒すことも厭わない組織だということが…」
ハルは人質にされてしまった恐怖に顔を引き攣らせて震えている一般人四人の顔に視線を向けた後、男を刺し貫くように睨め付け、口調は穏やかだが、有無も言わせぬ冷たい声音で言い放った。
「人質を、解放してください」
ハルがそう要求すると、男は怯むどころか、寧ろ都合が良いと云わんばかりにニヤついた表情を、面長の顔面に朗々と浮かび上がらせた。長い体の上体を起こし、ハットを被り直すと、顎をぐいっと上げ、ハルを見下ろし弾んだ口調で応える。
「勿論構わないぜぇ?解放してやるよっ!まあこっちとしても、関係の無ぇ一般人の皆様を?危険に晒すってのはなるべく避けたいんでねぇ?」
そんなことは微塵も考えていないようにしか見えないが、男はよく回る舌を持った口角を終始引き上げたまま、胸元の左右のホルダーから、片方の銃だけを右手で引き抜いて、その銃口を、人質の一人である小太りの中年の男の脳天にギュッと押しつけた。恐怖でぶるぶると震える肩に体重をかけるようにして肘を乗せ、男が寄りかかると、人質の男はひっと喉を引き攣らせて、細い悲鳴を上げた。
「ただし、意味も無くこんな面倒なことはしねぇ。人質ってのはてめぇの立場を有利に持ち込む為のもんだからなぁ……、グランバルド?お前の、いやお前らの選択肢によっては、コイツらを無傷で解放してやる。だが、間違った選択肢を選ぶってんならぁ、コイツらは全員、頭が蜂の巣になる。其処に転がってる、お仲間と同じようになぁ?」
男が鼻で笑うように言い放った言葉に、ゲルガーは仲間を侮辱され、カッと頭に血が上り、感情のまま鞘からブレードを引き抜いた。
「テメェッ!ふざけたこと言いやがって!!」
そのまま斬りかかろうと身を乗り出したゲルガーを、トーマがゲルガーの前に腕を伸ばして制止した。
「やめろゲルガーっ!今下手に動けば、人質が殺される!!」
ゲルガーはその腕を振り払おうとしたが、トーマの表情を見て、息を呑んだ。いつも冷静なトーマの顔は、必死に怒りを抑え込もうとして、酷く歪んでいた。ナナバも固く操作装置の柄を握り締め、腹の内で煮えたぎる怒りに奥歯を噛み締めて必死に冷静さを保とうとしているのが見えた。
そして、ハルも−−−
ハルは怒りの極点を遠に超えていた。怒りの炎は、最早燐のように青くなり、無表情とも見て取れる顔の内側で、見る者の喉を締め付ける程の殺気を、薄い顔の皮膚の下に押し留めている。いつもは穏やかな蒼黒の瞳が、怒りに小刻みに揺れ、研がれた刃の切っ先のような鋭さで、男を静かに睨みつけていた。
そんなハルの表情を見て、ゲルガーは下唇を噛み締め、行き場の失った怒りを、「くそっ…!」と乾いた石張りの地面に吐き出した。
男はハルから放たれる殺気に身震いをしながら、細い皺の走った顔をさらにくしゃくしゃに歪めて、人質に押し付けていた銃口をバシバシと脳天に叩きつけながら、恐怖に悲鳴を上げる人質に気を留める様子も無く、興奮した口調で言った。
「いやぁおっかねぇ顔だなグランバルド?!最高にイイ顔してんじゃねぇかぁ!?なあっ!?」
ヒッヒと喉をしゃくるように笑う男の狂気じみた様子に、絡まれている人質だけではなく、他三人の人質達も表情に恐怖を色濃く引き攣らせる。
ハルは、怒りで震える声を必死に押し殺すような、固い口調で言った。
「要求は…私ですか」
その問いに、男は笑い声をぴたりと止めると、手にしている銃の銃口を、ゲルガー、トーマ、ナナバ、そして最後にハルへと向けながら、飄々と言った。
「その通り!お前が大人しく俺達と同行すれば、人質は解放する。だが、お仲間もご一緒、とはいかねぇ。お前一人だけ連れて行く。例外は無しだ」
男の要求に、ハルは操作装置から、ブレードのジョイントを外そうとした。しかし、それをゲルガーが咎めた。
「ハル!!駄目だ!!考え直せ!!」
ハルはゲルガー達に視線を向けると、ゲルガーもトーマも必死の形相でハルを見ていた。傍に居たナナバが、ハルの左肩を掴んで、首を横に振る。
「私達はエルヴィンから、ハルを護るように命令を受けてる。敵に易々と引き渡すわけにはいかないんだ」
「冷静になれ!何か他に、この状況を切り抜ける方法がある筈だ…!」
トーマもハルへ身を乗り出すようにして訴えかける。しかし、ハルは笑みを浮かべ、首を横に振る。
「今の状況ではこれが最善の選択です。人質を確実に、安全に保護するには、私が彼らの要求を呑むのが、一番良い。ですから、ナナバさん達はこの後、兵長達と合流を…」
「ハルっ!」
ゲルガーがもう一度、ハルの名前を強く呼ぶ。それにハルは言葉を止めたが、心配げなナナバ達を安心させるように微笑み、操作装置をホルダーに戻して頭を下げる。
「必ず戻ります。ですから、皆のこと…宜しくお願いします」
ゲルガー達は、ハルの言葉に苦渋の表情を浮かべた。
一般人を人質に取られている今、兵士として優先させるべきは人命だった。此処で人質が命を落とすようなことになれば、ただでさえ存続の危機に追い込まれている調査兵団にとって決定打となってしまう可能性も大いにある。博打的な大胆な行動を取れない現状に、悔しさを露わにする。
そんなハル達に、「懸命な判断だ」と男は笑みを浮かべながらも、しっかりと手には銃を握りしめているのに、ハルは両手を顔の横に上げて言った。
「要求通り、私が同行します。ですが、その前に。人質の解放をしてください」
「ああ、勿論。お前ら」
男が人質を取った部下達に一瞥すると、彼等は人質の背中を蹴り飛ばすようにして、ゲルガー達に寄越した。悲鳴を上げて地面に倒れた四人を、ナナバ達が支え起こし、背に庇うようにして立つと、男と兵士達は人質に向けていた銃口をナナバ達に向ける。
「お前らは其処から一歩も動くなよ。ほら、グランバルド。早くしろ」
男に促され、ハルは手を上げたまま足を踏み出した。
そうして男の傍にたどり着くと、男はハルの右肩を掴み、耳元に口を寄せ、囁くような低い声で言った。
「お前、最初からこっちに来る気だったんだろ?」
「…」
ハルは何も言わない。が、そんなことはどうでもいい様子で、男は饒舌な舌を転がす。
「お前は自分の謎が知りたい。だから俺達と接触して、こっち側に来れるってのは、満更でもねぇ…むしろ好都合。そーだろ?」
すると、ハルはじろりと男を睨み上げた。
「時間が無いんでしょう?あれだけ派手に爆竹を鳴らしたんです…騒ぎを聞きつけて、兵長達が来ますよ」
「…くっくく、何だぁお見通しかよ」
男は喉を鳴らして笑い、「相変わらず可愛げがねぇな」と吐き捨てると、ハルの首の後ろに手刀を入れ意識を奪った。
膝から力が抜け、地面に倒れそうになったハルの体を腕で支え、よいしょと肩に担ぎ上げる男を見て、ゲルガーは堪らず叫んだ。
「テメェッ!ハルに何か手を出してみろっ、タダじゃおかねぇぞ!!」
それに、男は「あ?」と顔だけでゲルガーを振り返ると、肩を竦めて言い放った。
「女一人まともに守れねぇ奴が、吠えてんじゃねぇーよ」
「っ」
その言葉にゲルガーは何も言い返すことが出来ず、拳を爪が掌に食い込むほどに握りしめた。悔しげなゲルガー達を傍目に、男はやれやれと首を横に振ると、部下達を従え立体機動を取り、内地へと向かって、北の空へと飛んで行った。
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