第五十一話
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今日は年に一度の『王政設立記念日』であり、王の備蓄が解放され、住民達へ配給される。
街の彼方此方には王家の紋章が印された旗が建てられ、お祭り騒ぎとなっている大広場や市街地の喧騒から離れた、物寂しい住宅街の狭い裏路地に、兵服の上から顔が見えないよう大きな外套を頭から被った四人の兵士は、腕にライフル銃を抱え、辺りを頻繁に警戒していた。
その中の兵士の一人、元104期訓練兵団所属の新兵であるダズは、そわそわと細い十字の路地を見回しながら、隣に立つ自身の上司へ疑問を投げかけた。
ライフル銃を肩に掛け、作戦前からずっと難しい顔をして腕を組み、仁王立ちしているのは、ダズの所属する班の班長であり、駐屯兵団内で指折りの精鋭であるイアン・ディートリッヒだ。
「…あ、あの、イアン班長」
「…なんだ、ダズ」
歯切れの悪いダズに、イアンは視線だけを向け、抑えた低い声音を返した。ダズは居心地悪そうに肩を竦め、ちらりと相変わらず神妙な面持ちのイアンを見て、おどおどと口を開く。
「お、俺達、今…物凄く面倒なことに、巻き込まれていないですか?」
「…」
ダズの問いかけに、イアンは特に何も答えなかったが、眉間にぎゅっと深い皺を刻み、むっと一文字に唇を引き結んだ。その表情が何よりも肯定の答えであり、ダズは内心で「ああ、やっぱり間違っていなかったのか」と頭を抱えたが、路地に置かれた古びた木箱の上に立ち、双眼鏡を手にして四方を警戒していた、ダズの先輩に当たるシグルドが、両腕を広げ、首を横に「いいや」と振りながら言った。
「違うぞダズ。ただの面倒事じゃなくて、とんでも無くヤバィ事だ。何せ世間に指名手配されている人間を、俺らで保護しようって言うんだからな?」
「そう言う割には、なんだか…シグルドさん楽しそうじゃないですか?」
言葉と浮かべている表情があまりに裏腹で、口端を上げているシグルドに顔を引き攣らせると、シグルドは喉をくつくつと鳴らすようにして笑い、再び双眼鏡を目に押し当て、周囲の警戒を始める。
「っまさか!ビビッて顔が引き攣ってるだけだ」
「絶対に嘘だ…」
「何だよ。そう言うお前は、本気でビビッてんのかぁ?」
寡黙な上司とやけに楽観的に見える先輩に、不安げに身を縮こませたダズに、後ろから同期で同班のフロックが、ばしっと猫背になっているダズの背中を叩いた。
自分を揶揄うように笑うフロックに少々ムッとして、ダズは早口になって言った。
「そりゃそうだろ!?何で俺達がっ、人殺しの容疑掛けられてる指名手配犯の保護なんて命令されるんだよ!?おかしいだろ!?だって、俺たちの班にだけ!その上ピクシス司令から直々に命令下されてるんだぜ!?」
「おいダズ、声がデカいぞ」
イアンは錯乱し始めそうなダズの頭を鷲掴み、低い声で注意をすると、ダズはひっと肩を竦めて、「す、すみません」と蚊の鳴くような声で謝罪する。
それにイアンはやれやれと溜息を吐くと、肩に掛けていたライフル銃を腕に抱えて、再び辺りを警戒し始めた。
凄まじい握力で頭を掴まれたダズは、痛む頭を涙目でさすっていると、フロックは履いているブーツの靴底に挟まった小石を払うように、踵を乾いた石張りの地面にコツコツとぶつけながら言った。
「まぁ、おかしな話だってことは確かだけどよ、ダズ。お前、ハルが本当に強盗殺人事件なんて犯すと思ってんのか?」
その問いに、ダズは「うっ」と顔を顰める。
「そりゃあ…思わねぇけど」
口を尖らせて答えるダズに、フロックは「だろ?」と肩を竦めた。
「絶対に、アイツがそんなことする筈無ぇもんな?…俺からしてみれば、この任務よりもずっと、ハルに掛けられてる容疑の方が、おかしく思えるけどなぁ」
「う…」
フロックの言っていることは最もだった。
それこそ、ハル・グランバルドという人間を知らないならば、何の疑問を抱くことはないだろうこの事件も、彼女の同期であった二人にとっては、簡単に受け入れられる話ではなかった。
殺人事件。という四文字は、浮かんでくるハル・グランバルドという人間に全く結びつかないどころか、そこに強盗が付け加えられれば、それは尚更有り得ない事だった。
ニック司祭が所属しているウォール卿の神具は、高値で売れると有名であるらしく、それを狙っての犯行との事だったが、他人の為にあれこれ面倒事に首を突っ込むような人間が、私欲の為に殺人など犯すわけがない。
ダズも困惑していたが、少し冷静に考えれば、おかしいのは今自分達が実行している任務ではなく、世に流れている情報なのだと気づかされる。感情的になると周りが見えなくなってしまう己を反省しながら、ダズは昼なのに建物の影で薄暗い路地裏の狭い空を見上げ、ふと呟いた。
「…ハル、アイツ…元気にしてんのかな」
感傷的になるダズの隣で、フロックも同じように空を見上げ、掠れた声で言った。
「元気では…無いだろ」
その言葉に、ダズは息を詰めた。
トロスト区奪還作戦から、まだ三ヶ月程しか経っていないが、調査兵団へ行ったハル達には、あまりに多くのことが起こり過ぎていた。
壁外調査で多くの仲間が死に、そして明らかになった、同期のアニやライナー、そしてベルトルトの、正体。ハルにとっては、悪夢のような時間が、ずっと続いていた筈だ…
「…だよな」
ダズは深く息を吐くようにして呟く。–––と、双眼鏡を覗いていたシグルドが、イアン達に向かって、東側の路地を指差して言った。
「ああ、来ました。イアン班長!あのフードを被った、五人組ではないでしょうか?」
シグルドが指し示した方向を一同が見やると、麻色の外套を自分達と同じように頭から被った五人組が、此方へ駆けて来るのが見えて、急に緊張が走り、ダス達は少々身構える。
彼らはイアン達の元へ辿り着くと、先導をしていた一人の兵士が、イアンと向かい合い、姿勢を正して口を開いた。
「失礼します。駐屯兵団所属、イアン・ディートリッヒ班長ですか」
「ああ、そうだ」
イアンが頷くと、その兵士は頭に被っていたフードを脱いだ。金髪の細く短い髪が、ばさりと薄暗い路地裏の中で揺れた。
「調査兵団のナナバです。この度はご助力いただき、感謝します」
ナナバは生真面目な敬礼をイアンに向け、頭を下げるのに、イアンは早速踵を返し、予め一時的な控え場所として用意していた、路地裏の更に奥にある、今は使用されていない無人倉庫へと彼らを誘導した。
「挨拶は後だ。取り敢えず、屋内へ入ろう。詳しい事情は中で聞かせてもらう」
「はい」
外に居る時間が長ければ長い程、憲兵に見つかるリスクも上がる。イアンが促し、皆倉庫へ足を運んだ。
長く放置されていた所為か、平家の倉庫の中はかなり古びていて、空気も酷く埃っぽいが、一時的に身を隠すという点に置いてはうってつけの場所だった。
倉庫へ最後に足を踏み入れたトーマは、外の様子を少し見回し、人の姿が無いことを確認すると、扉を後ろ手に閉め、フードを脱いだ。
「ハル、誰かにつけられて無いか?」
「大丈夫です。こちらに向かってくる足音はしません」
そう言って、ハルが外套のフードを脱ぐと、ゲルガーも同様にフードを脱いで、脱力したように両肩を落として、安堵の溜め息を吐く。
「そうか。取り敢えずは上手く行ったな」
ナナバがシグルドへ、ニック司祭の受け渡しをしている中、ハルはイアンの元へと向かい、姿勢を正して敬礼をする。
「イアン班長、お久しぶりです」
「ああ、あの日以来だな…グランバルド」
イアンは生真面目な顔で言った。
「面と向かって礼も言えないまま、時間が経ってしまったが…会えて良かった。グランバルド、あの時は本当に助かった。心から感謝している」
それから、深々と頭を下げた。
「君は命の恩人だ。…あの時の恩を、今回の件で返させてほしい」
「おっ、恩なんてものは、ありませんよイアン班長!…私は、イアン班長が無事だったのなら、それでいいんです」
ハルは慌てふためきながら首を横に振るのに、イアンはゆっくりと顔を上げると、複雑そうに表情を曇らせた。
恩が無い。そんな筈がない。
ハルは今では生者だが、奇跡が起こらなければ、トロスト区の教会で死んでいたのだ。巨人に捕まった自分を助けた所為で…だ。今だって、恨まれていて当然だと思っていた。恨言の一つや二つ、甘んじて受ける気で、イアンはピクシス司令からの密命を帯びたのだ。
「…グランバルド、俺はお前にとって上官になるが、気を遣わなくていいんだぞ。思うことがある筈だ、隠さずに言ってくれて構わない」
イアンに言われ、ハルは一瞬驚いたように大きく瞬きをした。しかし、それでも「いいえ」とハルはまた、首を横に振り、今度は敬礼ではなく、頭を下げて言った。兵士としてではなく、ただ人としての気持ちで、イアンに伝える為だ。
「正直な気持ちです。イアンさんが生きていてくれて、本当に良かったです。今回は、私達の為に危険を顧みず、ご助力して下さったこと…心から感謝しています。ありがとうございます」
そして顔を上げて微笑んだハルに、イアンは面食らう。が、次には「…そうか」と苦笑を返した。
すると、ナナバからニック司祭の引き継ぎを終えたシグルドが、ハルの元へ歩み寄って来た。
「久しぶりだな、グランバルド」
「シグルドさん!お久しぶりです!足の怪我の調子は、どうですか?」
シグルドはトロスト区襲撃の際に負った右足首の怪我の状態を、埃っぽい板張りの床に踵をコツコツと当てながら、「平気だ」と見せつけた。
「ああ、おかげでもう問題なく動ける。俺も、イアン班長同様に、ハルには命を助けられた」
すると、後ろに控えていたダズとフロックもやってくる。
「それは、俺らもですよ」
ダズがにっと歯を見せて笑うと、隣のフロックは苦笑を浮かべて言った。
「イアン班は全員、ハルに命を助けられていますから」
「フロック、ダズ…!」
ハルは久しぶりに会った同期二人を、懐かしさと嬉しさを抱きながら見つめた。何年も離れていた訳でもないのに、随分と久しぶりに会った気がして、二人共少し大人っぽくなったような気もする。感慨深い気持ちで二人を見つめていると、フロックとダズは「どうしたんだよ?」と首を傾げる中、ゲルガーが胸の前で手を叩き、得意げな顔をして言った。
「ぁあっ!ってことは、此処に居る全員が、ハルに命助けて貰ってるってことになるな?」
ゲルガーの言葉に、ジグルドは少し驚いた顔をしてナナバ達に問いかけた。
「え、ナナバさん達もですか?」
「ええ、ハルの上官としてお恥ずかしい話ですが」
ナナバが苦笑して肩を竦めると、トーマも恥ずかしそうに「まぁ」と首の後ろを触る。それにゲルガーは、倉庫の木箱の上に居心地悪そうに座っていたニック司祭の肩をぐいっと無理やり組んで言う。
「俺達、ハルに頭が上がらねぇっスね。なぁ、ニック司祭?」
そう話を振られて、ニック司祭は「うっ」と眉間に皺を寄せたが、ごほんと一度咳払いをした後、ハルの方を見て、小さな声で言った。
「まぁ…君のおかげで命拾いをした。…感謝、しているよ」
ぎこちない言葉ではあったが、ハルも他の一同も、ニック司祭の感謝に驚いた顔をした。しかし、ハルはすぐに嬉しそうに破顔したので、ニック司祭は僅かに狼狽を表情に過らせたが、呆れたように溜息を吐いて、ハルから顔を逸らした。彼は礼を口にするのは不本意だったのかもしれないが、ハルはニック司祭の言葉が、素直に嬉しかった。
フロックはそんなハルの顔を見て、彼女が笑えている事に安心を抱きながら、ハルの肩を叩いた。
「他の奴らは?ジャン達は、元気にしてるのか?」
問いかけると、ハルは「うん」と頷くが、少々複雑そうな顔をした。
「皆、いろんな事があったから、精神面では本当に元気だよ、とは言えないけれど…」
その言葉に、ダズとフロックは表情を曇らせる。身体的には元気なのかもしれないが、心はそうじゃない。まだトロスト区奪還作戦時の傷も癒えていないところを、彼らは傷口を更に広げられて苦しんでいるのだ。
「…ライナー達のこと…何て言ったら、いいのか…」
ダズはそう言い淀み、懸命に言葉を選んでいた。しかしうまく言葉に出来なくて口籠っていると、ハルは首を横に振って、微笑みながら静かに言った。
「大丈夫だよ」
二人がハルの顔を見た。ハルはもう一度、「大丈夫だよ」と、フロックとダズを気遣うように言う。此方が気遣われてしまっている現状に、情けない気持ちと申し訳ない気持ちが混ざって、二人は肩を落とした。
「…そっか」
ダズはそう答えることしか出来ず、隣に立っていたフロックは思い詰めた顔になって、体の横の両拳を握り締めた。ハルが「フロック…?」と心配げに首を傾げ見つめてくるのに、重たい口を押し開く。
所属兵団を問われた、『あの日』の夜からずっと、心に抱えてきた想いを––––
「俺は…調査兵団を、選べなかったんだ」
フロックの言葉に、ダズは「え?」と戸惑いを孕んだ視線を向ける。ハルは、じっと、真っ直ぐな相貌を誠実に向けて、何も言わず、フロックの言葉を待っていた。感情が溢れてきて、わななく唇で、フロックは話しを続ける。
「理屈では分かってる…人類が壁の中に籠ってるだけじゃ、いつか壁を破ってやってくる巨人に喰い滅ぼされる。誰かを犠牲にさせないために…自分を、犠牲に出来る奴が、必要なんだってことも…」
フロックは、段々と沈痛な面持ちになって、声が震えてしまうのを、ハル達から隠すように顔を俯けた。
「でもっ…あの時の、お前を見て…怖くなっちまったんだ。あんなに強かったお前が、ああも呆気なく…教会で…っ」
今でも、鮮明に思い出すことが、出来てしまう。
トロスト区の小さな、白い教会の中で、変わり果てた姿になり、絶命していたハル。ジャンの悲痛な叫びも、むせ返りそうな程の、血の匂いも…あの時感じた、自分の途方も無い無力感も…
嗚咽しそうになるのを、奥歯をぐっと噛み締めて耐えていると、ハルがそっと、震えるフロックの肩に両手を置き、顔を覗き込むように、少しだけ屈みながら、言った。
「フロック」
鈴の音のような優しい声で名前を呼ばれる。顔を上げれば、穏やかな色を浮かべている、蒼黒の瞳と目が合った。
「駐屯兵団は、壁内の人々を護る、大切な砦なんだ。私達は巨人と最前線で戦うことが役目だけれど、フロック達は、戦う術を持たず、不安と恐怖に怯える人達の元へ、逸早く駆けつけて、守ってあげるのが役目。それはとても大切なこと…多くの人達から、必要とされる存在なんだ」
「!」
その言葉に、フロックは胸の奥の傷口に、薬を塗られたようなひりつきを感じて、ぎゅっと唇を噛み締めた。
「それに、調査兵団ばかりが命をかけているわけじゃないよ。壁が破られれば、フロック達だって同じなんだ。何も、変わらないよ…!」
フロックは、息を詰めたまま、ぎゅっと兵服の上着に印されている、薔薇のエンブレムが描かれた、切なく痛む左胸の上着を握りしめた。
「っ、お前って本当に…すごい奴だよな」
いつも、ハルには救われてしまう。身体だけでは無く、精神も。どんなに深い泥沼に足を取られていても、簡単に、彼女は地上へ引き上げてくれる。フロックはハルの頭に、ぽんと右手を乗せた。
「…昔からそうだ。俺達のことを、いつも救ってくれる……とんでもなくお人好しで、馬鹿な奴。そんでもって…」
にっと歯並びの良い、白い歯を見せて、フロックは笑った。
「俺達に、未来への希望を見せてくれる……そんな、存在なんだよな」
「未来への、希望…」
ハルが、フロックがくれた言葉を、胸に抱くように…そう呟いた時だった。
ドォン!!
外から銃声が響いた。
「銃声っ!?」
ハルが声を上げ、皆が身構える。フロックは顎に手を当て、神妙な声音で呟いた。
「ライフル銃の音じゃないな…?初めて聞く発砲音だ」
「流石っ、銃オタクのフロック!」
ダズがそう言ってフロックを褒めるのに、ハルは緊迫した表情で眉を顰め、フロックを見て首を傾げる。
「ライフル銃じゃない…?」
もしも銃を発砲したのが、今自分達と、リヴァイ達を捜索しているであろう憲兵だとしたら、ライフル銃が使用される可能性が高い。しかし使われたのがライフル銃では無いのだとすると、違う組織が憲兵に加担している可能性も出てくる。
「フロック、ライフル銃じゃないってことは、拳銃の発砲音ってこと?」
ハルの問いに、フロックは首を横に振り、難しい顔で言った。
「あーいや…どうだろうな。拳銃だとしても、音が軽すぎるし…もしかしたら小型の、俺の知らない型かもしれないな」
「フロックでも知らない…か」
フロックは銃に詳しく、知識が豊富だ。それこそ、発砲音を聞いただけでどんな銃が使われているのかまで言い当てられる程だった。
ハルは、フロックの情報を念頭に入れて、両耳を研ぎ澄ます。だが、王政設立記念日の人々の喧騒の所為で、詳しい音の発生源までは特定することが出来ない。しかし、立体機動を使用しているようなガスの噴射音が、銃声の中に混じって聞こえてくる。でもどこか違和感がある…ワイヤーの発射音も、ガスの噴射音も、どこか自分達が使用している立体機動装置のものとは違う感じがした。
「お前達は此処に居ろ。俺達が様子を見てくる」
イアンがそう言って、シグルド達と外に出ようとした時、ハルが慌ててイアンに駆け寄り、呼び止めた。
「待ってくださいイアン班長!皆さんには、ニック司祭を警護していてもらいたいんです」
「しかし、お前達が外に出る方がリスクがあるだろう…?」
渋るイアンに、今度はトーマが言う。
「ハルの言う通りです。団長が、イアン班長達にニック司祭を託すよう命令を下したのは、俺達を動けるようにする為です」
そして、ハルはトーマの言葉に付け加える。
「それに、立体機動装置の使用音と…何か、違う装置が使われている可能性があります…。変な音が…混じっているんです」
「違う装置…?」
その言葉には、イアン達だけではなくナナバ達も困惑を見せる中、ゲルガーが簡潔に情報を纏める。
「要は、今…リヴァイ兵長達と、憲兵か、或いは違う組織の連中が、戦闘状態にあるってことだよな」
「はい」
ハルが頷くと、シグルドは険しい表情になった。
「憲兵を…人間を、相手に…か?」
その言葉に、皆、固唾を呑んだ。
今、外では、人と人同士の殺し合いが行われているのだ。
巨人と人では無い。
一同が戸惑いを見せる中、ハルはイアンに向き合い、姿勢を正して言った。
「…巨人は、人間です」
イアン達は、唖然とする。
「ハルっ」
まだ調査兵団が公表していない情報を、ハルが口にしたことに、ナナバが咎めるように名前を呼んだが、ハルは言葉を続けた。
「鎧の巨人が、ライナーだったように。女型が、アニだったように…超大型巨人が、ベルトルトだったように、知性を持たない巨人も、元は人間なんです」
「それは、本当の…話なのかっ」
こんな冗談を言わないとは分かっていながらも、あまりにも信じられないことで、イアンはそう問い返す。
「ハル、この情報の共有の許可は下りてないんだぞっ!」
トーマがハルの肩を掴んで叱責する。ナナバも何とかハルを止めようとするが、ゲルガーは静かに腕を組んで、ハルを見つめていた。ハルはそんな彼等に、少しも揺らがない視線を向けた。
「今更、ですよ…」
感情的にはならず、捲し立てることもしない。知性的で、静かな声音に、ナナバ達は口を噤んだ。
「私達は巨人を…人を、殺してきた。彼等は自分達の安寧を脅かす存在だったから、仕方がない事だったとしても…それは紛れのない事実です」
ハルは、ふと、自身の立体機動装置に視線を落とした。細かな傷がついた、決して綺麗とはいえないそれ。自分の命を、仲間の命を守る為に、脅威となった命を斬り捨ててきた、凶器。それは全て、自分の意思で成してきたことだった。
「そして、その事実を知っても、私達は同じことを続けていかなければいけない」
ハルは、顔を上げ、皆の顔を見た。
その表情に、フロックは泣き出したくなる。
ハルは、優しい。
理性的で賢く、柔軟で…誰よりも視野が広い。訓練兵の頃から、それは痛い程に思い知らされている。そして、誰よりも、嘘が下手なのだ。
だからこそ、今見せているハルの揺らぎの無い表情が、彼女の本音なのだと痛烈に感じさせられて、胸が詰まった。彼女は、自分が居る場所よりも、もうずっと遠い場所を歩いて居るんだと、感じてしまった。気づいてしまった。
「イアン班長、ニックさんのこと…よろしくお願いします」
ハルは深く、イアンに頭を下げた。…敬礼ではない。
「…ああ、分かった」
イアンは少し間を置いて、頷いた。
「任せてくれ」
ハルは顔を上げ、安心したように顔を柔らげると、「ありがとうございます」と、微笑んだ。
「ハル…、行こう」
ナナバがハルに声をかけると、ハルは頷いて、倉庫の出口へと足を進める。そんなハルの背中を、フロックが呼び止めた。
「ハル!」
振り返ったハルに、フロックはドンッと、自身の左胸を拳で叩いて、言った。
「生きろよ」
その言葉に、ハルは「うん」と、自身の左胸を、フロックと同じように叩いて頷き、仲間達と共にトロスト区の街へと出て行ったのだった。
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