第四十九話
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ハルはリヴァイ達と共にトロスト区に戻り、ハンジとリヴァイの二人の同行を得て、エルヴィンの許可が下りない限り立ち入りが禁じられている、結晶体となったアニが眠る兵舎の地下室へ続く階段へと向かった。
エレンが巨人の力を掌握出来ていない一時期に幽閉されていた地下牢がある場所よりも、更に深い場所にその地下室はあるとの事だった。
「ここが、アニが居る地下室の入り口だよ」
ハンジがそう言って、地下牢の奥にある硬い鉄の扉を開けた。重く分厚い扉は、ハンジが両手でノブを掴まないと開かない程に強固なものだった。
扉が開いたその先は、傾斜が急な細い階段が続いていて、突き当たりは闇に飲まれて見えなかった。ハンジが手にしているランタンの明かりが無ければ、真っ暗で足元も見えない暗さだ。
扉を潜れば、空気が一気に変わる。
地下牢のある部屋も随分と湿気を孕んで冷え冷えとしていたが、先の見えない地下から噴き上がってくる湿った風と、カビ臭さに、ハルはぶるりと身を震わせ、埃っぽい土壁に手をつきながら、おろおろと先頭を行くハンジと、その後ろを歩くリヴァイの背中を追って階段を下っていた。
そう、ハルは暗い場所が苦手…厳密にはスピリチュアルな方面には滅法弱いのである。バッタの次の弱点なのだ。
「ハ、ハンジさんっ、な、なんだかやけに、暗く…ないですか…」
ハルはそう震えた声でさくさくと階段を下りていくハンジの背中に問うと、ハンジは階段を下りながら何てことはない口調で返す。
「まぁそりゃ、普段は人が立ち入らないし。篝火を掛けておく必要も無いしね?」
「そ、それに何だか…空気が重いようなっ…」
「此処は地下だぞ、空気が違うのは当たり前だろうが」
リヴァイは足元の石ころを蹴るように言い放つと、ハルは「で、ですよねぇ…」何て言いながら、生まれたての子鹿のように足をガクガクと震わせながら階段を下りる。
「ひぃっ!?な、なんだ蜘蛛の巣か…」
しかし明らかにいつも冷静なハルとは打って変わって、ましてやただの蜘蛛の巣に背後で悲鳴を上げて飛び上がっているハルに、ハンジとリヴァイは足を止め、互いに顔を見合わせた。
「「……」」
怪訝顔を突き合わせた二人は、もしかしてと腰が引けた状態でぶるぶると震えながら壁になぜかトカゲのように張り付いているハルを振り返る。
「ハル、もしかしてさ…暗い所苦手なの?」
「そういうやコニー達から聞いたことがあったな。昔同期で怪談話してた時に、お前が気づいたら部屋の隅で失神してたって話を…」
ハンジとリヴァイが壁に張り付いているハルに剣呑な顔になって問うと、ハルは明らかに引き攣った笑みを浮かべ、腰に手を当て胸を張って答えた。
「まっ、まさかそんなっ!私はっ、兵士ですよ!?それに来月で十八になるんですから!そんな幽霊が怖いなんてそんなことっ!」
「誰も幽霊が怖いかどうかは聞いてないがな」
そんなわけがないと笑いながら答えるハルにぼそりとリヴァイが呟き、ハンジはハルの後ろを指さして、大袈裟に声を上げて見せた。
「ああっ!!ハルの後ろに髪の長い女がっ!!」
「えぇぇえええっ!?」
明らかに芝居じみた行動だったが、ハルは何の疑いもなく蛙の如く飛び上がり物凄い勢いで背後を振り返った。そしてその際に階段を踏み外し、背中からごろごろと盛大に階段を転がり落ちていき、暗闇の中に消えたかと思えば、恐らく突き当たりの扉にぶつかったのだろう、ドン!!という鈍い衝撃音が下から響いてきた。
「おいメガネ。これからは本当に幽霊が出るかもしれねぇぞ」
「ハルってさ…時々とんでもなく馬鹿になるよね」
ハンジとリヴァイは再び顔を見合わせると、やれやれと肩を竦め、階段を下る。
案の定、階段の突き当たりには、扉の前でぐるぐると目を回して仰向けに倒れているハルが居り、リヴァイがげしっと足で軽く蹴ると、ハルは呻き声を上げながら上半身を起こした。
「うぅ、ハンジさん…!か、長い髪の女は…」
後頭部をぶつけたのか、頭の後ろを手でさすりながら問いかけてくるハルに、ハンジは「いや冗談だよ!まさかハルがあんなに驚くなんて思ってなくてさ!驚かせてごめんねぇ!」と笑いながら言うと、ハルは「え…」と目を丸くして固まる。それから「冗談…ですか…」と呟きながら、土埃がついた兵服の膝の埃を払い立ち上がると、「で、ですよねっ!いやぁ私も振り返った勢いで踏み外しちゃって!決して幽霊にビビッていたわけではないんですよ!」と早口になって今更どうにもならない弁解を始めた。
そんなハルの両頬をリヴァイはぎゅっと容赦なく抓ると、「喚いてないでさっさとそこ開けろ」と凄まれ、ハルは「ず、ずみまぜんっ」と肩を落とし、自分が先程盛大に後頭部を強打した扉を、リヴァイから手渡された鍵を使っていそいそと開けたのだった。
入り口の鉄の扉とは違って、地下広場入り口の扉は木製でそれほど分厚くは無かった。
軋む扉を開けると、目の前にはだだっ広い広間が広がり、中はぼんやりと明るい。歩いていた廊下よりも少し暖かな空気が肌に触れて、ハルは広間を淡く照らし出している明かりの方へと視線を向けた。
そこには二つの大きな篝火が立っていた。燃える二つの炎の間に、大きな菱形の結晶が木の板で作られた土台の上に置かれている。
青々と煌めく結晶の中に、アニは固く瞳を閉ざして眠っていた。
ハルは結晶体に歩み寄ると、そっと右手を伸ばし、指先でその表面に触れた。まるで冬の窓ガラスのように冷たい感触が、これがもしかしたら氷で、自分の体温で溶かせるじゃないか、何てことを考えさせて、両掌を結晶体に押し付けてみるけれど、当然ながら何の変化も起こらなかった。
ハルは声をかければ目が開きそうな、結晶体の中のアニを見つめ、ふと視線を下に落として、僅かに息を呑んだ。
「右手、見えたかい?」
隣に立っていたハンジが、ハルの横顔を見て問いかけると、ハルはこくりと頷いた。
アニの右手には、何かが握られていた。その指の隙間から、見慣れた首掛けの紐が見えていた。ハルが開拓地に居た頃に、アニへ贈ったお守りの首掛けの紐だ。
ジャンから事前に、アニが結晶体となった際に、お守りを握りしめていたと言う話は聞いていたが、実際にこの光景を目の当たりにすると、胸の奥がひりついてしまって、ハルは瞳を切なげに細めると、とんと結晶に、額を押し付けた。
「アニ……何だか、久しぶりに会った気がするね」
ハルはそう呟くと、額に触れた冷たさが、じわじわと体に広がっていくのを感じながら、目蓋を閉じた。
冷たい。こんな結晶に埋もれていたら、きっととても寒くて風邪を引いてしまう。そんな心配をしている自分に、自嘲じみた笑みが漏れる。
アニ達がしたことから目を逸らすことも、受け入れて、忘れることも出来ない。いろんな感情が胸の中を這いずり回るけれど、結局今自分は…アニの姿を見て、眠りについては居るが生きていることに安堵を覚えている。本当に、しょうがない。
「…会いたかったよ、アニ……」
そう掠れた声で、瞳を閉じたまま、結晶に身を寄せるように囁いた。
リヴァイは広間の後ろの壁に背中を預けるようにして腕を組み、ハルの背中をうかがっていたが、隣に立っていたハンジはハルの切なげな横顔を見て、複雑な心境で眉を細めた。
ハンジにとってアニは、女型の巨人の正体であり、貴重な情報源でもあり、仲間達の仇でもある。しかし、ハルにとっては幼馴染であり、仲間でもあるのだ。
自分とは抱く感情が異なることは当然だと思っているし、そんなハルを責める気にもならないが、ハルの心の全てを理解することは出来ないとも同時に感じていた。
ハルは目蓋を開けると、アニに語りかける。
「もしも聞こえているなら、答えて欲しいんだ……どんな、形でもいいから…。エレンは今、アニのように硬質化の力が使用出来ないか実験してるんだ。…ウォール・マリアの穴を、塞ぐ為に。でも、中々結果を見出せずに居る…硬質化についての情報も少ないからね。そこで、何だけど…今まで見てきたアニの巨人の能力や、ライナーやベルトルト、そして獣の巨人の能力から考えるに、私はアニが使っていた硬質化の力は、ライナーの巨人の力から得たものなんじゃないかって思ってるんだ。もしも、硬質化の能力は、力の練度ではなく、引き継がれたものだというなら…何か、反応を示して欲しい」
しかし、ハルの問いかけに、アニが何か反応を示すことも、結晶体に何らかの変化が起きることもなかった。
「反応無しか」
壁に寄りかかっていたリヴァイが、そう呟いた時だった。
ブツッ…
静寂に包まれた広間に、その音はやけにはっきりと響いた。
ハルは左手首を目の前に持ち上げて、誕生日の日に仲間達が交替で、少しずつ編んで作ってくれたブレスレットを見た。そのブレスレットは綺麗な虹色をしていて、今まで一度も解れたり切れたりしたことがなかったが、今、その中の一糸が切れたのだ。
「…切れた」
「え?」
ハンジはハルに歩み寄り、ブレスレットを見て、目を丸くした。
「茶色の糸だけ切れてる……ブラウンの…っ!?」
ハルとハンジは顔を見合わせ、驚愕した。
ブラウン。それは、ライナーのファミリーネームだ。
「たまたまって訳じゃなさそうだ。…つまりこれは、肯定を意味してる」
リヴァイはそう言いながら、ハルの方へと歩み寄り、結晶体の中にいるアニを見上げて、目を細めた。
「すごいっ、凄いよ!!これは大発見だ!アニが反応を示したってことだよね!?」
ハンジは興奮した様子で目を輝かせて、その場を飛び跳ねる中、ハルは左手首のブレスレットを、右手で包み込むように掴むと、眠るアニの顔を見上げて「…アニ…」と名前を呼ぶ。
その嘆くような声音に、ハンジとリヴァイはハルを見た。
「正直、アニにはいろんな気持ちがある…決して良いものばかりじゃないけど…それでもっ…!」
込み上げてくる。
あの時の感情。
目の前で、両親が壁の破片に押しつぶされた時の感情。
弟二人が、目の前で、巨人に喰われた時の感情。
トロスト区で、仲間達が悲鳴を上げながら踏み潰され、噛みちぎられていく光景を、見た時の感情。
壁外調査で見た、まさに地獄とも云える光景…女型の巨人の、叫び…
奪われたものが多すぎる。あまりに、多すぎる。
それでも、アニから貰ったものが、胸の奥底で、どうしようもなく優しく熱を持って、息づいている。
ハルは左胸の、心臓がある場所をぎゅっと兵服のジャケットごと握りしめて、感情の波に喘ぐように言った。
「…君に会えなくて、寂しいんだ…アニっ」
ぎゅっとつぶられた目蓋の隙間から、するりと涙が溢れ、顎を滴り、乾いた石張りの床にぽつりと落ちて、丸い染みを作る。
「ハル…」
そんなハルの背中を、傍に居たハンジは労るように撫で、寄り添い、きつく左手首を握りしめているハルの右手にそっと触れた。
「そんなに強く握ってたら痛いだろう?…やめるんだ」
そう促されて、ハルは自身の手首を締め付ける右手から力を抜いて、兵服の袖で目尻に残っている涙を拭った。
そんなハルの頭にリヴァイは手を乗せると、わしわしと髪を不器用に撫で回した後、広場の扉へ向かって歩き出しながら言った。
「…そろそろ時間だ。行くぞ」
「…っ、はい」
リヴァイはエルヴィンに硬質化実験の報告へ行き、それが済めばまた施設に戻ることになっていて、ハンジは研究室で仕事が立て込んでいる。あまり長居は出来ないことを承知していたハルは、リヴァイ達と共に地上へと戻るため、再び細い階段を登っている最中に、ハンジがそういえばと思いついたように胸の前で手を叩いて、ハルに言った。
「あ、そうそう!大事なこと忘れてたよ!ハルの立体機動装置の修理と調整が終わったんだ!このあと一回装備して、実際に使ってみて不備がないか試してくれないかな?施設には、明日の朝私と一緒に戻ることにすればいいし」
「もう直していただいたんですか!?あんなにボロボロだったのに…」
ハルの立体機動装置は獣の巨人と交戦し、ウトガルド城で巨人と戦った際に酷く損傷してしまっていた。あちこち部品も足りなくなっていて、修理をするよりも新調する方が早いとのことだったが、自分の命を預ける立体機動装置はやはり馴染んだものがいいというハルの希望に、ハンジが修理をしてくれていたのだった。
「ああ、ハルの同期の…マルコのエンブレムがついた柄は、リヴァイが崩れたウトガルド城から探してくれたから、そのまま取り付けてあるからね!」
「!?」
その言葉に、ハルは大きく目を見開いた。
それと同時に、リヴァイはハンジの胸ぐらに物凄い剣幕で掴みかかった。
「おいクソメガネっ!余計なこと言うんじゃねぇ!」
「えー?でも、言うなとは言われてないしぃ?」
しかしハンジは慄く様子もなく、ニヤニヤと笑みを浮かべて肩を竦めたのに、リヴァイの顳顬にびきりと青筋が浮かぶ。
「てめぇっ…」
「兵長!」
しかし、リヴァイはハルに呼ばれ、視線を向けて固まった。
「ありがとうございますっ…!本当に…ありがとうございます…!」
ハルは至極嬉しそうに微笑んでいて、何だかまた泣き出してしまいそうな顔をしていたからだ。
それにリヴァイはのろのろとハンジの胸倉を掴んでいた手を離すと、「…はぁ」と深く溜息を吐いて、一人そそくさと階段を登って行ってしまったのである。
「あ、あれ…?行ってしまいました…」
そんなリヴァイにハルは何か悪いことを言ってしまったかと不安げに首を傾げると、ハンジは「大丈夫だよ」と何やらとても楽しそうな顔で言った。
「あれは照れてるだけだからね!ブフッ」
「照れて……兵長がですか?」
それはリヴァイにはあまり結びつかない言葉で、ハルは今度は逆に首を傾げたのだった。
完