第四十九話
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「どうしたエレン!立て!!人類の未来が君にかかっているんだ!!立ってくれぇぇええ!!」
今日も渓谷に、ハンジの魂の叫びが轟く−−−−
エレンの硬質化実験が行われてから早五日が経過したが、エレンやハンジ達の懸命な努力も虚しく、未だ結果を出せていなかった。
そのうえ、エレンは度重なる巨人化の副作用で体力を大きく消耗し、身体の形成も十分に出来なくなり始めていた。
「眼鏡、今度は様子が違うようだが?もう十メートルも無ぇし、所々肉も足りて無ぇ。そしてエレンの尻が出ている」
人里離れた施設の傍にある、低山の西側には、小さな渓谷があった。
一般人の出入りは殆ど無いとはいえ、万が一にもエレンの巨人化した姿が人目に触れぬように、その渓谷内でエレンの硬質化実験は行われていて、正午過ぎから夕方頃までを目安に、施設に移動してきた翌日から、毎日欠かす事なく実施されていた。
ハンジとリヴァイは崖の上から、渓谷を覗き込んでエレンの様子を見守っていた。
何度も巨人化を繰り返した所為で巨人化がまともに出来なくなってしまったエレンは、骨格は形成出来てはいるものの、体の肉は彼方此方足りておらず骨が見えている状況の巨人体の頸部分から、腰から下が露わになっている状態で、俯けに倒れ込んでいた。
ハンジは地面に四つん這いになって、渓谷を覗き込みエレンに声をかけたが、隣に腕を組んで立つリヴァイの指摘に、少々苛立ったように「分かってるよ!」とリヴァイに言うと、再び渓谷を覗いて、エレンに呼びかけた。
「エレン!まだ動かせそうか!何かしら合図を送ってくれ!」
「エレン!」
「あ、おいミカサ!」
しかし、ハンジの呼びかけにエレンの反応は無く、傍で様子を見守っていたミカサが馬を飛び降りたのを、ジャンが咎めるように呼んだが、ミカサは巨人の頸から出ているエレンの元へと駆け、蒸気の上がる体をよじ登っていた。
「おい、また単独行動だぞ。あの根暗野郎、処分も検討しておくか」
リヴァイはミカサの行動に眉間に眉先を寄せたが、「いいや」とハンジは首を横に振って、腰元から操作装置を取り出して崖下へと飛び降りた。それに続いて後ろに控えていたモブリットも同行する。
「いや、合図がない。ここまでだ!」
ハンジはミカサとエレンの元へ駆け寄ると、エレンの両脇に何とか腕を入れ、一気に巨人の体から引き離そうとする。
「エレン!アッツ!?熱いな君本当にぃっ!!」
「ハンジさん待って!エレンから血が出ています!」
蒸気の上がる巨人の体と融合していたエレンの体も酷く熱く焼け石のようだった。そして、無理矢理巨人の体からエレンを引き剥がしたため、巨人の体と同化していたエレンの皮膚や目がベリベリと剥がれて出血してしまったのだ。
それをミカサが慌てて止めるが、ハンジは巨人の体を間近に見て接している現状に興奮状態になっていた。
「見ろぉモブリットぉ!?エレンの顔がっ…早くスケッチしろ!!」
「分隊長!!貴方に人の心はありますかぁ!?」
ハンジの奇行にモブリットは堪らず声を張り上げる。人徳から外れた行動を取り始めるハンジに、このままではエレンの首まで落ちかねないと見兼ねたミカサは、意を決してエレンの体と巨人の体が繋がっている太い筋繊維を、ブレードで切り離す。
するとエレンの体はそれ以上負傷することなく巨人の体から離れ、エレンを引っ張っていたハンジは後ろに尻餅をついた。巨人の体も蒸発を強め、ゆっくりと消え始めていく。
「ご、ごめん…取り乱した」
ハンジはそこで漸く正気に戻ったように、意識が今あるのかどうかは分からないが、エレンに対して謝罪を述べたのだった。
そんなハンジ達の様子を崖の上から見ていたリヴァイは、後ろに立ち神妙な顔でエレンの実験を見守っていたアルミンに言った。
「道のりは長そうだな。巨人の硬質化の力を使って壁を塞ぐってのは…」
「はい、自分でも最初から雲を掴むような話だとは…」
「作戦としては悪くない。大量の資材のかわりに、エレンを独り連れて行けば良いんだからな。雲を雲じゃないものにするには、エレン次第だ…」
「…」
アルミンはエレンに重い責任を背負わせてしまったことを申し訳無く思っていた。だからこそ実験の度に、エレンが疲弊して行く姿を見るのは辛かったし、罪悪感も抱えていた。しかし、他にウォール・マリアの穴を塞ぐ為の有効な手段が無い中では、エレンの可能性に賭ける他無い。
胸の中で拮抗する思いに、アルミンが表情を曇らせる傍で、ハルは真剣な面持ちで、エレンを見下ろしていた。それは睨んでいると言っても良いほどに。
「アルミン。アニは…硬質化の力をどうやって手に入れたんだと思う?」
ハルの横顔を見つめながら、アルミンは答えた。
「それは、巨人の力の熟練度をあげて、得た力なんじゃ…?」
アルミンの答えに、ハルは僅かに瞳を細めると、アルミンを見た。
「可能性としてはそれもある。でも、そうじゃないとしたら?違う方法で得た力だと、考えることも出来るんじゃないかな?」
「その違う可能性って…?」
アルミンは機知に富んだハルの瞳に、無意識に姿勢を正し、向き直って固く問いかけると、ハルは右手の人差し指を一つ立てて見せた。
「まず最初に、女型の巨人の特性。体の一部を硬質化させて強度を上げる。叫びの力で巨人を呼び寄せる。そして、自分自身を結晶化させ、外敵から身を守る」
次は中指と薬指、そして小指の順番に折られた指が立つ。
「次に鎧の巨人。体全身を硬い鎧…硬い皮膚で覆っていて、屈強な力を持っている。そして、超大型巨人。名の通り大型の巨人で、皮膚に覆われていない体から灼熱の蒸気を放出する。…獣の巨人は、長い手足で全身が体毛に覆われていて、言語をはっきりと話すことが出来る。厄介な事に、巨人を操る能力もあって、巨人を作り上げる能力がある…のかもしれない」
「うん…僕たちの持っているデータとしては、それくらいだ」
「でも、分かることがある。女型の巨人以外には、共通する能力が備わっていないってことだ」
ハルが再び人差し指だけを立てて見せたのに、アルミンははっと息を呑んだ。
「女型の硬質化は、鎧の巨人と繋がり、巨人を呼び寄せる力は、獣の巨人と重なる。これは偶然なのかな…?」
アルミンは顎に手を添え、喉を唸らせる。
「成程…確かにそうだ。つまり、ハルが言いたいのは、女型の巨人の特性は、他の巨人の能力を身につけることが出来るものなんじゃないかってことだよね?だから、体の一部を硬質化させた力は…」
「鎧の巨人…の、力なんじゃないかな」
その言葉には、傍で話を聞いていたリヴァイも、目を見張った。アルミンもハルの見解が正しければ、エレンの硬質化実験というものは無意味なものになってしまうと眉を寄せた。
「もしも、ハルの考えが正解だったとしたら…エレンが今やってることは…」
アルミンがその先の言葉を紡ぐ前に、ハルがアルミンの左肩に手を置いて言った。
「…だとしても、ハッキリとした打開策が見つからない今は、出来る限りのことはしなきゃいけない。だからって、エレンばかりに無茶をさせるわけにはいかない。ただの感情論じゃなく、私達もあらゆる可能性を考え出して、出来ることはやっていかないと…硬質化成功への道はいつまでも近づかない。そう、私は思うよ」
ハルの言葉に、アルミンも世界の為に、夢の為に、そしてエレンの為にも、自分に出来る精一杯のことをやろうと、意を決して頷いた。
「うん。ハルの言う通りだ…僕ももっと色々な可能性を考えてみるよ!」
アルミンがぐっと体の横の手を握って、気迫のこもった口調で言うのに、ハルも改めて気持ちを入れるように、「頑張ろう」と頷いた。
すると、渓谷からハンジの声が響いた。
「総員撤収!!目撃者が居ないか捜索!!」
その命令に、アルミンが自分の馬に向かって駆け出すと、ハルは馬に乗ろうと歩き始めていたリヴァイの背中を呼び止めた。
「兵長」
「何だ。ハンジの命令が聞こえなかったのか」
リヴァイは踵を返してハルを振り返る。
ハルはリヴァイの前まで駆け寄ると、少し言いにくそうに口を開いた。
「あの、兵長…私を、アニのところへ連れて行ってくれませんか?」
「は?」
リヴァイの顔が一気に険しくなったのに、ハルは内心で予想通りの反応だと思いながらも、首の後ろを触りながら口早になって言った。
「兵長、きょ、今日はハンジさん達と兵舎に戻るんですよね?同乗、させてもらえませんか…?」
「…理由は」
リヴァイは両腕を胸の前に組んで、鋭い瞳をさらに細くして問いかけて来たので、ハルはどう説明しようかと少し考え込む素振りを見せたが、すぐに姿勢を正してリヴァイと向き合い、真面目な顔になって答えた。
「何となく…なんです。アニに会いたいと言いますか…会っておかなきゃいけない気がしていて。言葉を交わすことは出来なくても、接触を測ってみれば何か、分かるかもしれない…そんな気がして。期待は出来ませんけど、エレンが必死にやれることをやっているなら、私も、あらゆる可能性を検証して、仲間の力になりたいんです…」
「…」
「駄目、ですかね」
不安げな顔で首を傾げられて、リヴァイはややあって深い溜息を吐いた。
駄目だと言ったところで、ハルが何を仕出かすか分かったものでは無いからだ。
真面目な優等生、のようで、誰よりも問題ごとを作って拾ってくるのは、間違いなく104期の新兵の中で抜きん出てトップに立つ。
「また勝手に単独行動取られてもこっちが面倒だからな。…許可する」
「っ兵長!ありがとうございます!」
ハルは両目を輝かせて、勢いよくリヴァイに礼を言って頭を下げる。
そんなハルの旋毛を、リヴァイは顰めっ面で見つめながら、組んでいた腕を腰に当て、息を吐くように言った。
「…あの時は、悪かった」
「え?」
ハルはきょとんとした顔で、下げていた顔を上げる。
「お前をタコ殴りにしただろ。…俺を、恨んでるか」
リヴァイは顔を上げたハルの視線から顔を逸らしながら、言いにくそうに口を動かす。
「あ…」
ハルはリヴァイの言っているあの時のことが、女型の巨人がアニだと分かった壁外調査直後に、リヴァイがアニに単独で会いに行こうとし自分を止めようとしてくれた時のことを言っているんだと分かった。
ハルは姿勢を正し、両手を横に振る。
「謝らないでください!寧ろ、ああでもして頂かないと…私は私を、止められなかった」
アニが女型の巨人の正体だと知ってしまったあの時は本当に、冷静では無かった。自分が感情のままに勝手な行動を取っていたら、今頃どうなっていたか…自分だけではなく、仲間達だって危険な目に遭っていたかもしれない。それは、想像するだけでも恐ろしい事だった。
ハルは徹底的にリヴァイに教訓を植え付けられたが、あれは自分の為でもあり、仲間達の為の行動であったということは承知していたし、勿論怒るなんてことは絶対に無く、ましてやリヴァイの言うように恨んでもいない。
「感謝してます。兵長。あの時は、ありがとうございました」
ハルはリヴァイに向かって敬礼の姿勢を取り、丁寧にまた頭を下げた。
リヴァイは息を吐くように、それでもどこか安堵しているように、呟いた。
「……そうか…」
そんなリヴァイの逸らされた横顔に、ハルは顔を上げると、ふっと微笑みを浮かべる。
「兵長って、やっぱり優しいですよね」
「あ゛?」
ハルの言葉に、リヴァイの顔が再び顰めっ面になるが、ハルは生真面目な顔で言った。
「いつも…迷惑かけてすみません」
「…」
リヴァイは文句を言おうと開いた口を、引き結んだ。
乾いた少し肌寒い風が、森の木々の間を吹き抜け、秋の香りを乗せて吹き抜けていく。
その風に、ハルの黒い前髪が揺れ、澄んだ黒の瞳が真っ直ぐに、自分を見つめている。
家族を失い、故郷を奪われ、信じていた友人が、己の全てを奪った存在だったと知っても、ハルの瞳に淀みはない。
黒白の翼を背中に背負い、エレンと同じように、数奇な運命に呪われた彼女が、負の感情の奴隷とならずに自分を保っていられるのは、彼女自身が何を信じ、何を守りたいのか、はっきりと見出しているからなのだろう。
それを崩してしまわない為にも、ハルは無茶を通そうと、この世界に抗うように生きているのだとすれば、自分がハルに対してしてられることは何なのか。
リヴァイはハルの頭に手を伸ばし、柔らかな髪の上に、掌を置いた。
「これからも、腐るほどかけるんだろう。…だったら一々、謝らなくていい」
そういうと、リヴァイは僅かに口角を上げて、それから踵を返すと、「行くぞ」と言って馬の方へと歩いて行く。
ハルはリヴァイに触れられた頭を触って、大きく一度瞬きをしてから呟いた。
「…兵長が、また笑った…」
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