第四十六話
名前変換設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ウォール・ローゼ内に巨人が突如出現した日から一週間後、内地へと避難を余儀なくされた人々の不安が解消される間も無くして、王政は食料不足や治安問題が悪化することを恐れ、ウォール・ローゼ内の安全宣言を時期尚早ながら住民達に発表した翌日––––
ハルとナナバ、そしてゲルガーとトーマの四人は、トロスト区内の総合病院に入院しているミケの病室を尋ねていた。
ハルが訓練兵の頃に大きな足の怪我をして入院していた病院と同じ、兵団とも提携しているトロスト区内では一番大きな病院で、ミケの他にも今回の戦いで負傷した兵士達が何十名と入院している。その中にナナバとゲルガーの二人も含まれている為、三人は患者衣を纏っていた。
兵舎から病院まで左程距離も無く、トーマとハルの二人は午前の訓練を終えると午後からは非番であった為、私服に着替えミケの入院生活で足りなそうな必需品等を持って見舞いに来ていたのだった。
ミケの両脚の怪我は重く、肋等にも骨折が看られ回復には時間を要するとのことだったが、傷が完治しリハビリテーションを重ねれば元通り脚も動かせるようになると先生から診断が下り、ナナバとゲルガーも間も無く退院の許可が下りるとのことで、ハルは一先ず安堵しながら、「ミケの見舞いに行くなら持っていけ」と兵舎を出る時にリヴァイから渡された紅茶を淹れていた。茶葉を受け取った時、「兵長も一緒にどうですか」と誘いをかけてみたが、案の定「俺は忙しいんだ」と断られてしまった。しかし、ぶっきら棒でもリヴァイが仲間思いである事を知っているハルとトーマは、背を向けて去っていくリヴァイに素直じゃ無いと顔を見合わせ肩を竦め合ったのだった。
頭に包帯を巻き付けているゲルガーは、いつも綺麗に整えていたリーゼントを治療の妨げになると担当の看護師に崩されていて、まるで別人と化しており、ハルも最初リーゼントを下ろしたゲルガーと会った時は、声を聞くまで誰だか判断が付かなかった。今はやっと見慣れてきたが、違和感はやはり拭えない。ゲルガー本人も落ち着かない様子で、垂れている顔の横の髪を頻繁に指で弄りながら、ミケが上半身を起こして座っているベッド横の椅子に座り、喜びと安堵を滲ませた声色で言った。
「本当に良かったですね、ミケさん!リハリビすれば、元通り歩けるようになるみたいで。退院も、三ヶ月後ですか?」
「ああ…一時は自力で歩行も難しいかと思ったが、杞憂で済んだようだ。まぁ、退院出来てもしばらくは通院しなければいけないみたいだがな」
ミケもまさに朝の診断で退院時期を知らされたとのことで、一先ず安堵した様子で口端を僅かに上げて言うのに、ゲルガーの隣の椅子に腰掛けていたナナバが肩を竦めて、ミケのベッドから少し離れた円卓の上で紅茶を淹れているハルを見遣った。
「本当に、ハルには感謝しないといけないね」
「ああ、お前がミケさんの傍に居てくれたお陰だよ。ありがとうな?」
ミケのベッドを挟んでゲルガーの向かいに座っていたトーマも、ナナバの言葉に胸の前で腕を組み頷きながら礼を言うと、ハルはティーカップに紅茶を注いでいた手を止めて、首を横に振った。
「い、いえっ、自分は何も…!…ゲルガーさん達の力になりたいなんて言っておいて、壁穴の捜索に同行した癖に、私はエレン奪還まで殆ど寝ていたんです。…その所為で、大勢の仲間が命を落とすことにも繋がって……リーネさんや、ヘニングさんだって…」
二人の名前を口にして、ハルはその唇を糸を張るように引き結ぶ。仲間を守ることが出来なかった、ティーポットを握る自身の手に視線を落とし、悔恨を滲ませるようにその両手に力が込められるのを見て、ベッドに座っていたミケが、それを咎めるように「ハル」、と名前を呼んだ。出会って最初こそ負の感情を表に出さず内に閉じ込めてしまいがちなハルの、感情の機微というものを察するのが難しいと内心感じていたミケだったが、今ではハルの思考や感情の行く先が何処からやって来て、そして何処に行き着こうとしているのかが、手に取るように分かるようになっていた。
ハルは名前を呼ばれ、俯けていた顔をゆっくりと上げて、視線をミケへ向ける。自責を眉間に刻み浮かべているハルの表情を目にすると、ミケは真摯な眼差しを向けて言った。
「リーネとヘニングのことは、お前が責任を感じることじゃない。それに、お前が居なければナナバやゲルガーだって、ウトガルド城で命を落としていたかもしれないんだぞ?」
ミケの言葉に、傍に居たゲルガーも同調するように頷き、椅子に座ったまま体をハルの方へ向けると、太腿の上に両手を置いて、腰を折るように深く頭を下げて言った。
「ミケさんの言う通り、俺達はお前に命を繋いでもらったんだ。寧ろ、新兵のお前に負担ばかり掛けちまって、本当に申し訳なかったと思ってる……悪かった」
「私も、君と同じ班員であり、そして上官としても頼りなかったんじゃないかって…反省しているんだ。本当に沢山、…沢山辛い思いをさせて申し訳なかったよ…ハル」
ナナバもゲルガーと同じようにしてハルに向き合い頭を下げて謝罪をするのに、謝罪を受けた当人は「やめてください」とティーポットを慌てて円卓の上に置き、両手を胸の前に出して首を大きく横に振った。さりとて頭を一向に上げようとしない二人に、ハルはオロオロとまろぶように床に両膝をついて正座する。兎に角、上官二人よりも頭を高くしている状況が落ち着かなかったからだ。
「そんなこと絶対にありません!わ、私は自分の至らなさでっ、力尽くで状況を打開する方法しか、見出すことが出来なかったんです…」
それから、ハルは今までの自分の行動を振り返るように真率な顔つきになると、顎に右手で軽く握った拳をトントンと当てながら、頭の中の思考を暗誦するように、ぶつぶつとやや口早に呟き始める。
「もっと兵法や戦略についても学んでおくべきでした。最近はずっと立体機動術ばかりに熱を注いでいましたから。それに、現場では完璧に冷静さを欠いていました。あんな状況下だからこそ、心を鎮め、冷静に状況を判断し行動すべきなのだと、何度も教官に教えて頂いたのに実行には至らず……まだまだ実践の経験不足と心の未熟さが否めません。次何か予期せぬ事態が発生した時、冷静に物事を判断する能力を身に付けておかないと…ただでさえ壁外では…」
呪文のようにブツブツと独り言を連ね始めたハルに、ミケ達は笑いそうになるのを口の中を奥歯で嚙むようにして堪えていた。そんな彼等に気がついて、ハルははて?と首を傾げる。
「え、えーっと…皆さん、どうされました…?」
自分が笑われているんだと自覚がないハルに対して、ナナバは声を上げて笑いたいのを両手でお腹を押さえ堪えながら言った。
「いっ、いやぁ、ハルは本当に真面目だなぁと、思ってさぁっ…ぶふっ」
「ああ、真面目だ。ハンジが言っていた、お前がエルヴィンに似てるって言葉が、何となく分かってきた気がするぞ」
「へぇ、ハンジさんそんなこと言ってたんですねぇ。確かに…」
ミケは正座をしたままキョトンとしているハルに向かって肩を竦め、にやにやと笑いながら言うのに、トーマが「なるほど」と顎に生えた無精髭を触りながら、ハルを興味深そうに見つめる。
ゲルガーはトーマの観察眼に居心地が悪そうに身を捩るハルの頭に腕を伸ばし、まるで大型犬でも愛でるような手付きで、わしわしと柔らかな黒髪を撫で回しながら言った。
「まぁっ、ちっと真面目過ぎるんだけどなぁ?…んでもって、変なところで抜けてるしよっ?」
「え、ぇぇ…?」
ハルはゲルガーに髪を乱されながらも、抗議する猫のように長い前髪の下で目を細める中、トーマはハルを研究する学者のように眇めていた目を一度大きく瞬き、ころりと表情を人当たりのいい笑みへと変えて、パンッと軽く胸の前で手を叩いた。
「まぁ、何わともあれっ!お前が巨人の出現に逸早く気づいてくれたから、住民の避難誘導も、兵士への情報伝達も円滑に行うことが出来たってのは、間違い無いんだ。お手柄だったよ、ハル。本当に、沢山頑張ってくれてありがとうな」
トーマの言葉とミケ達の笑顔に、ハルは胸の中に漂っていた重たい雲が晴れるような救われた気持ちになって、「…ありがとうございます」と噛み締めるような声色で、生真面目に深く頭を下げた。
そんなハルの両脇に、ナナバは両手を差し込んで、床に座していた体をぐいと持ち上げ立ち上がらせる。
「っじゃ、折角淹れてくれた紅茶が冷めてしまう前に頂こうかな?」
「あっ!はい!是非っ」
ハルははっとして、ティーポットに残った紅茶をカップに注ぎ、ミケ達に紅茶を配った。折角のリヴァイ兵長から頂いた紅茶が冷めてしまっては勿体無い。
「うーんっ!やっぱりハルが淹れてくれる紅茶は格別だなぁ〜」
「ああ、癒される」
ナナバが紅茶を一口飲んで、幸せそうに微笑み、ミケは表情を和らげる。
「あんま紅茶飲む習慣無かったけど、お前の紅茶飲むようになってから、たまに自分でも淹れるようになったんだよなぁ…」
「ああ、本当に上等な味だ。香りも良いし、最高だよ」
ゲルガーとトーマの二人も笑顔になってくれている様子を見て、ハルも自然と顔が綻んでくるのを感じながら、円卓の側に置いてあった丸椅子をミケ達の元へ移動して腰掛け、自身も紅茶を口に運ぶ。相変わらず味覚は戻らないままで味はしないが、リヴァイ好みのアールグレイの華やかな香りが心を和やかにしてくれるようだったし、とても満たされた気分だった。
ハルは紅茶を二口程飲んでから、ふうと一息吐いて隣に座っているナナバへ視線を向ける。
「ナナバさんは、明日退院なんですよね?」
「うん。私は打撲はあるけど、そこまで酷い怪我は無かったからね。ゲルガーは、明後日…だったか?」
ナナバは相変わらず爽やかな笑みを浮かべて頷き、次にゲルガーへ視線を向けて首を傾げると、ゲルガーはティーカップの中の紅茶を溢さないよう器用に両肩をぐるぐると回しながら言った。
「ああ、俺は頭打ってるから様子見でな…?ま、俺は今日退院しても良いくらいなんだけどよ。寝てばっかじゃ体、鈍っちまうし」
そんなゲルガーに、トーマが呆れ顔になって両肩を竦める。
「いいや、お前の場合はそれ以前に病院から出したら真っ先に酒飲み始めそうだから駄目だ。しばらく病院に閉じ込めておかねぇとな?」
すると、ゲルガーはぐいっとティーカップの中の紅茶を一気に飲み干し、「っおいトーマっ!てめっ、酒の話すんな我慢してんだからよぉっ!!」と若干椅子から中腰になってトーマに声を上げた。すると、ゲルガーの隣に座っていたナナバが迷惑そうに眉間に皺を寄せ、「病室で大声出さないでよ」とゲルガーの脇腹を肘で小突いた。それにゲルガーは「あ、すんませんミケさん!」と慌てた様子でミケに頭を下げ椅子に座り直すが、ミケは賑やかな部下達の様子を見られて何処か嬉しそうにも見える。
ハルは紅茶を飲み終えると、椅子から立ち上がり円卓の上にティーカップを置く。その際ふと円卓の端に置かれていた卓上カレンダーが目に入り、そういえばと口を開いた。
「ミケさんが退院したらお祝いしましょう。ゲルガーさん行きつけの『髭男』で……その頃には、私も十八ですから、お酒も飲めるようになっているでしょうし…!」
すると、ゲルガーは爛々と目を輝かせて、患者衣の袖を捲りながら意気揚々と声を弾ませた。因みに『髭男』とはゲルガー行きつけのトロスト区にある居酒屋で、ハルがハンジに連れられ初めて入った居酒屋だ。
「ぉぉおおお!?そっかお前来月誕生日だもんなぁ!?そりゃぁいいっ!お前がどれだけ酒が飲めるか検証しねぇとなぁ!」
それにトーマが渋い顔になり、胸の前に腕を組む。
「おいゲルガー、どれだけ飲ます気でいるんだよ?」
「どれだけって、そりゃ飲めるだけだろ」
「いや、こいつ絶対ハルが死にかけるまで飲ますぞ…なんっつーパワーハラスメント」
しれっと答えたゲルガーに対して、「うぇっ、最低だ」とトーマが苦虫を噛んだような顔をして言うと、ミケが「何?」と喉を唸らせ、手にしていたティーカップのハンドルをぎりっと握り、眉間に深い皺を作ってゲルガーを睨め付ける。
「ゲルガー、お前まさか酔っ払ったハルに手を出すつもりか。そんな事したら死刑だぞ。即刻」
「いや、ミケさん。俺をなんだと思ってるんですかそんなことしませんよ!」
「ハル、ゲルガーには金輪際近づかない方がいい。汚れるから」
ナナバはハルをぎゅっと抱き寄せてゲルガーから距離を取るように身を引く。それにゲルガーは堪らず椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がると、じっとりと自分を軽蔑した目で見上げてくるナナバに向かってビシッと人差し指を突き出して声を上げた。
「おいナナバっ!!人をばい菌みたいに扱うんじゃねぇ!!」
そんなゲルガーに対して、ナナバは片手を口の横に当て、まるで山彦でも聞こうとする時のような仕草で、「やーい、こっちに来るなー、ばいばいきーん!」と煽って見せれば、それに同調してミケとトーマ、そしてハルの三人も口の横に手を当て、まるで裏で示し合わせたかのように声を揃えて言った。
「「「ばいばいきーん!」」」」
「ちょっ、お前ら!?ミケさんまで酷いっスよぉ!?」
自分を揶揄う為見事な連携と団結力を見せつけてきたミケ達に、ゲルガーは若干傷付いた顔になって頭を抱えると、病院内に面会時間終了を告げる鐘の音が響き渡った。
リーン、ゴーン
「五時の鐘だ、私達もそろそろ病室に戻らないと」
ナナバがそう言って抱き寄せていたハルを解放し椅子から立ち上がると、ゲルガーは憂鬱な顔になって頭の後ろで腕を組んだ。
「飯の時間に部屋に居ねぇと、物凄い剣幕で怒られるからな…俺の担当の看護師、確かお前が怪我してた時の看護師と一緒だったよな?」
そう問いかけられハルは頷いたが、ゲルガーの口から語られる人柄は、ハルが見知っている人物像とはかなりかけ離れているように感じられて、ハルはナナバ達から空になったティーカップをトレイの上に回収しながら首を傾げた。
「マールさん、ですよね?おかしいな…マールさん、そんなに怖い人の印象はないですけど…?」
「それは毎度ウロウロしているゲルガーが悪いんだよ。じっとして居られないから。ハルはそんなことなかっただろうけどさ」
「あんまり看護師さんに迷惑かけないでよ」とナナバが座っていた丸椅子を病室の所定の位置に戻しながら言うと、ゲルガーは渋い顔になって「へいへい」と適当に返事をするのに、ハルが苦笑しながらティーポットやティーカップをトレイに集め終えて、病室の外にある給湯場へ洗いに向かおうとすると、ミケがハルの背中を呼び止めた。
「ハル、ちょっと待て」
ハルは足を止め、ミケを振り返ると、ミケはベットサイドの小さな箪笥の引き出しから、一冊の本を取り出し、それをハルに差し出した。
「これをお前に渡しておく」
ハルは円卓にトレイを置き、ミケの元へと歩み寄って、差し出された分厚い本を受け取った。燕脂の表紙は色褪せ、紙は朽葉色に日焼けしている。相当読み込まれた、古い本だった。
「これは…戦術書ですか?」
ハルは本の表紙に印字されている、僅かに滲んでいる文字を、そっと指先でなぞりながら問いかけると、ミケは「ああ」と頷いた。
「戦法や兵学、いろいろ事細かに記載されているものだ。俺が班長になってから読み始めたものだが…お前に、託そうと思ってな」
「かなり読み込まれています。……これは、ミケさんにとっての座右の書、なのでは…?」
ハルは本から視線を逸らし、その持ち主へと少々気後れした様子で見つめると、ミケは首をゆったりと横に振り、穏やかな口調で言う。
「今は俺よりも、お前に必要な物だ。それに、お前の言う通り、コイツは飽きる程読み込んだからな、内容は全部頭に入っている。だから、もう俺が持っていても仕方がないんだよ」
「……」
ミケの言葉に、ハルは口を生真面目に引き結んで、徐に表紙を開いた。目次には、兵士の動かし方や育成、指導方法等、様々な事象に対応する為の内容が記されていることを表記されている。その知識のどれもが、まだ今の自分に納められる程の器が無いように感じられてしまって、すわりの悪い感覚が喉に燻り、ハルは戸惑いを含んだ目を再びミケに向けた。
そんなハルの不安げな視線を受け止めるように、ミケは黄土色の瞳で真っ直ぐにハルの顔を見据えた。ミケのベッドのすぐ側にある、大きめのガラス窓から差し込んでくる西日が眩しくて、ハルは少し目を眇めながらも、その力強い視線に無意識に姿勢を正していた。
「ハル、お前には不思議と人を惹きつけ、そして導く力がある。お前の中に宿る『未知の力』がそうさせているんじゃなく、お前の今までの弛まぬ努力が実を結んだもの……お前自身の力なんだと、俺は思っている。だが、そういった才覚は、誰しもが持ち合わせているものではない。ならば、持つ者は持たざる者を導かなくてはならない。そして、その立場を得た者は、それと同時に己の未来を掴む力を得ることが出来る。それは何故か…?自分一人だけではなく、多くの人間から助力を得られるようになるからだ」
「多くの人間からの…助力…」
息を吐くように小さく呟いたハルの左胸の辺り…心臓がある場所を指差して、ミケは問いかけた。
「お前が望む未来は、お前一人だけで叶えられるものじゃない。…そうだろう?」
ハルは指し示された心臓の上に、本を手にしていない右手の掌を押し当てた。相変わらず鼓動は感じられないが、この掌の下に心臓が無いわけでも、全く動いていない、というわけでもない。ちゃんと自分の体には、心臓は存在している。しかし、自分の望む願いを成就させることは、この弱々しい心臓一つでは、ミケの言う通り不可能だろう。
「…はい。私の望む未来は、仲間の未来を得た先に…ありますから」
ハルは左胸を着ていた白いシャツごとぎゅっと握りしめ、静かに口にすると、ミケはハルの肩に、大きな手を置いた。相変わらず華奢な肩だとは思うが、ハルの強さはその身体の中に抱いている魂、心に在るのだとミケは考えていた。そうでなければ、獣の巨人と相対した時のような絶望的な状況下でも、臆する事なく、一刀のブレードだけで立ち向かおうとなど出来ないだろう。
「この本は、お前の望む未来を切り開く為に、必要な知識が詰まっている。…俺が、言いたいことは、分かるな?」
利発なハルならば、ミケははっきりと言葉にせずとも伝わると確信していた。ハルはミケの瞳から意図を感じ取り、ゆっくりと頷き、答える。
「分かります」
ミケはハルに、立ち止まっているなと言いたいのだ。
叶えたい未来がはっきりと見えているのなら、その未来に触れる為に、勝ち取るために、努力を惜しむなと––––
ハルは心の中で苦笑を浮かべた。どうやらミケには、自分が今何を考え、そして悩んでいるのかが筒抜けのようだったからだ。
「研鑽を積め、ハル」
「…はいっ…!」
ハルはミケから託された本を胸に抱き、蒼黒の瞳に窓から差し込む西日を湛えて、志気と至心溢れる返事をしたのだった。
→
1/4ページ