嫉妬心
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一体いつからこんなことになったのかは知らないが、ハルには良く尋ね人がやって来る。それも殆どがジャンの知らない訓練兵であり、男だった。
そしてその男達は、103期の後輩だったり、105期の先輩だったりもするわけで、先程も午後の座学終わりで、今回は後者の訓練兵がハルに声をかけ兵舎の裏に連れ出して行ったところだった。
「ジャン、お前すげぇ顔してるぞ…?」
「ああ、何故なら頗る気分が悪ぃからだ」
コニーが言うように、自分が如何に不機嫌な顔になっているのか、自覚はしている。
こうやってハルが自分の知らない男に呼び出されれて行く度に、俺はいつも淀んだ重々しい嫉妬心を抱えて、一日を送る羽目になるのだ。
コニーはそんな俺の脇腹を肘で小突き、眉を非対称に吊り上げると、また何か企んでいるのが見え見えな笑みを浮かべて言った。
「なぁ、ちょっと覗きに行かねー?」
「はぁ!?何でそんなことしなきゃいけねぇんだよっ…!」
『覗く』という後ろめたい単語に過剰に反応してしまい、座っていた椅子をガタンと鳴らしてコニーを仰ぐと、コニーは何をそんなに慌てているのかと訝しげに腰に手を当てて首を傾げた。
「何でって…気になるからに決まってんだろ?ジャンは気にならねぇーの?」
気にならないかと問われれば、気になって仕方がない。というのが本音だ。
とはいえ、ハルが左程会話もしたことがないような男に言い包められ、容易に首を縦に振るような奴ではないということも、人の恋路には敏感な癖に自分のことには壊滅的に鈍チンであることもよく知っているため、万が一なことが起こるとは思ってはいないが…。万が一の、一があると思うだけで、情けないことに万、不安になるのだ。
「気にならねぇ訳じゃねーけどよっ…こういうのは、盗み見されたくないだろ…っ」
「そーいうもんか?」
それでも自分の本音は抑え込んで、ハルのプライベートに関しては極力関与し過ぎないように努める。
しかし、
「ジャン、コニー」
「うおっ、なんだよサシャ…!?」
ふと、突然サシャが傍にやってきて、コニーと一緒に顔を向けたが、その顔を見て二人共顔を引き攣らせた。
何故ならサシャは鬼のような形相で殺気を外にダダ洩らしながら、手にしていたリンゴ(また厨房から盗んできた)を素手で握り潰したからだ。
「ちょっとツラ、貸してください」
「「…はい」」
その際リンゴの汁が二人の顔に飛び散ったが、それを指摘すればサシャの容赦ない肘鉄をお見舞いされるのは必須で、二人はただ首を機械のように縦に振った。
嫉妬に塗れたサシャはなるべく刺激しないのが身の為だ。改めて考えてみると、自分よりもサシャの方が、重症なのかもしれない。
「あの先輩、一体どこでハルと知り合ったんだ?」
「それが、食堂に先輩が忘れ物をしていて、ハルが寮まで届けたんですよ。名前が刺繍されていたので。そしたらその時に、先輩が一目惚れを…」
「…なるほどなぁ。ハルも罪な奴だぜ。…おいジャン、見ねぇの?」
「帰る」
「は?」
「帰るってんだよ?!何が悲しくて、ハルが告白されてる現場をコソコソ聞き耳立てて見物しなきゃいけねぇんだっ!!」
サシャに言われてハルの後を尾けることになってしまったが、それだけでは終わらず、ハルが兵舎の裏で先輩の告白を受けている様子を、結局最初にコニーが提案してきたように物陰から窺う羽目になった。
コニーは元々そのつもりであったため乗り気な様子だったが、俺は兎に角この場から離れたくて仕方がなかった。
ハルは寛容過ぎて盗み見をされたことを知っても怒るようなことはしないだろうが、それ以前に自分が耐えられなかった。
見たところ先輩は背も高く、清潔感のある顔立ちをしている。まあ内面がどーかまでは知らないが、外見は自分とは全く正反対なタイプで、女子受けが良さそうだった。
パッと見ればあの二人はお似合いに見える…かもしれない。そこまで考えてしまって、虚しい思いが胸に広がり、深いため息と共に項垂れる。
そんなジャンを見て、サシャはまるで探偵が事件の始まりを告げるように、口火を切った。
「ジャン、これは盗み聞きでも盗み見でもありませんよ」
「じゃあ何だってんだ?物陰に隠れて聞き耳立ててんのが盗み聞きでも盗み見でもねぇー筈ないだろうがっ…」
「だから違うって言ってるじゃないですか!ジャン、あの先輩は女子の中では噂の曲者なんですよ!」
「…曲者?」
穏やかではない響きに反応して、ジャンは項垂れていた顔をゆっくりと上げた。
「ええ。何でもあの先輩は、そこそこの顔と身長があるのを利用して、数々の女訓練兵を誘惑してきたとか!彼女も取っ替え引っ替えで、女遊びが激しいって有名なんですよ!」
その言葉に俺は片眉をピクリと震わせて、視線をハルの前に立つ先輩の横顔に向ける。
ハルは誰に対しても態度が分け隔てなく平等であり、先輩に対しては腰も低く礼儀も正しい。何よりも人と話す時は必ず相手の目を、東洋人特有の綺麗な黒い双眼で見つめている。そういう所に、自分は気を持たれているのではと勘違いを起こす男も多いが、先輩はハルの何処に惹かれて声を掛けたのだろうか。
それを探るようにじっと先輩の顔を見つめていると、その爽やかな風貌に馴染まない、灰色の瞳の輝きに、背中を這い上がる嫌悪感を覚えた。
彼は常に人当たりの良さそうな笑みをハルに見せては居るが、目は笑っていない。
灰色の瞳は薄淀んで、その底には酷くやらしい輝きがある。
ーー見るな。
そんな邪な視線を、ハルに向けるな。
荒々しく沸き立つ熱湯のような感情が、胸を突き上げて来る。
「それで今回は、標的がハルになったってことか…」
「そうです!クリスタも先月、声を掛けられていたんですよ…!」
「うぇ、すげえな……っあ」
コニーとサシャは二人の方を見ながら先輩の動向を窺っていたが、ハルが先輩に頭を下げ、その場を離れようとした時、彼が荒々しくハルの手首を掴んだ。
それから傍にある木の幹にハルの背中を押しつけるようにして詰め寄ると、逃げ道を塞ぐようにその高身長を利用して、ハルに覆い被さるようにして頭上にドンと手を付いた。
「なんだか嫌な予感がっ…!?」
それにサシャが立ち上がろうとしたよりも早く、俺は考えるよりも先に体が動いて、その場から飛び出していた。
「ジャン!?おい!!」
背後でコニーが呼び止める声が聞こえたが、そんなことはどうでも良かった。
俺はハルと先輩の間に無理矢理体を割り入れ、ハルの腰に腕を回すと、頭上に押し当てられていた先輩の腕を払い退けた。
「!?…ジャ、ン?」
それに驚いたハルが目を丸くして、腕の中で顔を見上げてくる視線を感じたが、怒りを隠せていない自分の顔を見せたくなくて、ハルの腰に回していた腕を彼女の後頭部に回し、自身の胸元に押し当てて隠す。
「なっ、何だよお前っ…急に割り込んできて!」
先輩は先程まで被っていた温厚な男の仮面を脱ぎ捨て、苛立ちを露わにして声を上げた。
「君はハルの彼氏でもなんでも無いんだろ!?」
ああ、そうだ。
自分はハルにとってはただの同期で、友人留まりなのだということは痛いほど自覚している。
それでも、目の前にいるアンタよりはよっぽどハルのことを大事に思っているし、大事にする自身もある。ハルの外見ばかりに囚われ、邪な思いに溺れたアンタよりはずっと。
そう思いながら口を出てきた声は、自分でもぞっとする程低く冷淡だった。
「 失 せ ろ、 ゲ ス 野 郎 」
『嫉妬心』
「ひっ…!」
俺は突然、目の前に現れた後輩の訓練兵に、喉を引き攣らせて震え上がった。
未だ嘗て、こんなにハッキリと人から敵意や殺意を向けられたことはなかったからだ。
彼の声は獣の唸り声のようでもあり、その顔には怒りが漲っていた。これ以上何かを言おうものなら喉元に噛み付かれると本能が警鐘を鳴らし、額に冷や汗が浮かのを感じて、思わず後ずさる。
すると彼は急に理性的になって、自分に落ち着けと言い聞かせるように深く息を吐き出すと、俺を一瞥して胸に抱き寄せていたハルの手を引き、足早に目の前から去って行く。
二人の背中が離れて行くのを、俺はほっと胸を撫で下ろしながら見送った。
そして、それと同時に心に決めた。
もう二度と、彼女には近づくまいと。
完
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