第三話
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男の亡骸を背負ったフードの子は森に入りると、15分程歩み進み、開けた場所に出てようやく足を止めた。
「…ここは…?」
ライナーもまた其処で足を止めると、辺りを見回して息を呑んだ。
その場所には、沢山の墓があった。
墓といってもそれはどれも粗末な物ばかりで、立派な墓石があるわけではなく、簡易的に少し大きめの石を墓石と見立てて作られたものばかりだった。
フードの子は背負っていた男の亡骸を雪原に静かに横たえると、休む間もなく雪に埋もれていた鍬を手に取って、穴を掘り始めた。
もう何度も同じことを繰り返しているような動きに、ライナーは開拓地の憲兵達が何時かしていた会話を、ふと思い出した。
此処だけに限らず、開拓地で亡くなった者の大半は、家族を失った者や、身寄りのない者達が殆どであるため、誰も墓を建て埋葬してくれない。そのため、開拓地で亡くなった人の墓を掘る仕事を、宿泊舎内の人間に任せようという話をしていたのだ。
此処の宿泊舎で暮らす人は、病に罹っても治療を受けられるほどの財産がない。日々生活をしていくだけで精一杯で、病を拗らせ亡くなった人達は今までにたくさん居る。そして、首を吊った男と同様に、自ら命を絶った者も多い。
今まで知らなかったが、その墓掘の役目を、このフードの子が今まで一人で担ってきたようだった。
事の経緯は分からないが、あんな華奢な体で、一人穴を掘り人を地に埋めるなど…かなり体力的にも、精神的にも辛いはずだ。その他にも、生産者としての日々の重労働も熟さなければいけないのだ。
ライナーは少しでも手伝いが出来ないかと、その子に歩み寄り声をかけようとした。
…が、余りに一心不乱に穴を掘る姿に、ライナーは声をかけようと吸い込んだ息を詰めた。
古ぼけた鍬の柄はささくれ立っていて、手袋も嵌めず素手でその鍬を扱うその子は、自身の手が傷つくことなど厭わない様子で、振り上げては下ろしを繰り返して、鍬の刃先を地に叩きつけている。
その姿が、ライナーは故郷にいた時の…戦士候補生だった頃の自分と重なった。
自分もあの頃は、一心不乱だった。
『名誉マーレ人』となり、世界から認められるために…
それでも、自分の思いばかりが先走り、身体はいつも置いていかれていた。マルセルのように、アニのように、ベルトルトのように…そしてポルコのように…自分はなれなかった。長距離走も銃の扱いも、格闘術も何時もドベだった。ただ抜きん出ていたのは、マーレへの忠誠心だけだった。
母はいつも自分に期待してくれていたが、それも全ては
『名誉マーレ人』として認められてもらうためで…。
今思えば、自分はいつだって、孤独だった。
そして、目の前にいるフードの子も…自分と同じく孤独で、何かに夢中になっていなければ、走り続けていなければ、自分の存在を保っていられないのだとライナーは感じ、放っておくことはできなかった。
フードの子の両手から、鍬を振り上げ振り下ろす度に、血が滲んでいくのを、ライナーは堪らなくなって、声を上げた。
「おいお前っ、そんな乱暴な振り方じゃあ、手が傷ついちまうぞ…!」
しかし、その子は止まらない。
「っおい…!」
ガッ ガッ
「…っ」
ライナーは何かに取り憑かれたように穴を掘り続けるその子に、降り積もった雪を蹴るようにして早足で歩み寄り、華奢なその肩を掴んだ。
「やめろっ!」
バキッ!!
その時、振り下ろした鍬の柄が、甲高い音を立ててへし折れた。鍬の頭だけが土に抉り込んだまま残り、折れた柄の木片が弾き飛んだ。
そうしてやっとその子は動きを止めたが、フードから覗いている白い小さな顎から、真っ赤な血が滴り落ちて行くのが見えて、ライナーははっと息を呑んだ。
どうやら先ほどの木片の一部が、顔に当たってしまったようだった。
「っ血が出てるっ…、ちょっと見せてみろ」
ライナーはその子の両肩を掴み、自身の方へと向かせると、深々と被っているフードの端を掴んで、傷の状態を確認するためにそっと脱がせた。
「…!?」
そしてフードの下から現れた、細く柔らかそうな黒髪と、黒曜石のような双眼に、ライナーは目を見開き、息を呑んだ。
その子は、『あの日』…自分が助けた少女だったからだ。
彼女が見たのは、自分の鎧の巨人としての姿だけで、バレる可能性はないだろうが、間近でその透き通った瞳を見ていると、自分のすべてを見透かされてしまいそうな気がして、怖気付いてしまう。
ライナーは呼吸をするのを忘れて息を詰めていると、彼女はその澄んだ瞳をライナーから逸らし、地面に抉り込んでいる鍬の刃へと体を向けると、手にしていた折れた柄を足元に落として、膝を折り、血の滲んだ両手でその刃を掴んだ。
それにライナーははっとして、慌てて彼女の両肩を掴んで引き止める。
「…おいよせっ!何やってる危ないだろっ!?」
「!!」
しかし、彼女は鍬の刃をぎゅっと掴み、あろうことか力ずくで引き抜こうとし始めたので、ライナーはやむ追えず彼女の折れそうな細い両手首を掴んで鍬の刃から引き剥がす。
それでも暴れる彼女を雪の降り積もった地面に押しつけ馬乗りになると、白い雪に埋もれたその両掌には、柄のささくれが彼方此方に刺さり、切り傷だらけになっているのが見えた。そして、フードの下から露わになった白い左頬には、木片があたった切り傷から、真っ赤な血が滲み出している。
目の下には隈が浮かんでおり、『あの日』出会った時よりもすっかり痩せてしまっている様子に、ライナーは胸が痛んだ。
「…なんでっ、なんでそうやって自分を傷みつけるんだよ!?もっと自分を大切にしろ…!お前は、生き残ったんだからっ」
抗う華奢な体を押さえつけながら、ライナーが吐き出した言葉に、彼女は両目を見開いた。
「…は…っ」
それから、短く発作を起こす前のように息を吐き出して、下唇を噛み締めると、血が滲んだ両手を、爪が皮膚に食い込む音が聞こえる程強く握りしめた。
見開かれた瞳から涙が滔々と溢れ、唇からは音もなく血が流れ落ちていく。
その表情はまるで自分自身を責め立て、憎み、恨んでいるかのようで、ライナーは自分の胸の内を、切れ味の悪いナイフで何度も刺されているような気持ちになった。
そんな彼女の頬に手を伸ばし、親指で流れる涙を拭う。
こんなに彼女が苦しんでいるのは自分の所為なのに。
それなのに、どうにかして彼女の苦しみを和らげたいと思ってしまうのは、おかしなことだと理解している。
それでも、彼女の涙を、止めてあげたかった。
「…こんなことしか…してやれなくて…すまない…」
『あの日』、自分に優しく触れてくれたように、ライナーは隈の浮かんだ彼女の目元を、そっと親指の腹で撫でる。
そうすると、見開かれた双眼から僅かに力が抜け、噛み締められていた唇が開き、そこからふっと、弱々しく息が漏れた。
言葉にならない声が、その震えた唇から、溢れてくる。
「ぁ…っ…ぅ……ぃ…っ…!」
彼女は何かを言おうとしているようだった。否…何かを、嘆いているようだった。しかし…それが、言葉になって聞こえてこない。喉の奥で言葉だけが苦しげに震えて、その先からはただ空気だけが漏れるばかりで……、涙に溺れた瞳が水面のように、戸惑ったライナーの顔を映していた。
ライナーは彼女の白い喉に、指先でそっと触れる。喉は忙しなく震えているのに、言葉が音になっていない。
そう、彼女は……
「お前…もしかして声が…出せないのか…?」
彼女は『あの日』、自分に向けた鈴の音のような声を、失ってしまっていた。
第三話 魂が、震える
完