第三話
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「俺の村は…ウォール・マリア南東の山奥にあった…
川沿いの栄えた街とは違って、壁が壊されてもすぐには連絡が来なかった。なにせ連絡より先に巨人が来たからな…
明け方だった。
やけに家畜が騒がしくて、耳慣れない地響きが次第に大きくなって、それが足音だと気づいて急いで窓を開けたら…
その後は覚えていない…馬に乗って逃げたんだ。ちょうど、お前らぐらいの子供を三人、残してな…」
薄らと雪が降り積もった開拓地に夕日が差す頃、痩せこけた名も知らない男が、突然俺達三人を呼びとめると、宿泊舎の傍にある切り株の上に腰を落として、『あの日』の話を始めた。
俺達はただその男の話を聞くだけで、慰めの言葉を掛けるわけでもなく、相槌を返すこともしなかった。…返すことなど、出来やしないからだ。
この開拓地に居る人達だけでは無い、もっと多くの人達から大切なものを奪い取ったのは…紛れもなく自分達だった。
しかし、加害者の自分達が、被害者の彼に謝罪を述べることも出来ない。
罪悪感が無いわけでは無い。
毎日…自分が犯した罪の重さに押し潰されてしまいそうだった。…しかし、それでも…俺達はまた壁を壊し、『始祖奪還作戦』を遂行しなければ、世界を救うことは愚か、何の成果も挙げられず、『顎の巨人』を失って故郷にただ帰還したとなれば、その罪を問われて巨人の力を剥奪されてしまう可能性もあった。それは俺達の、死を意味することだった。
俺達は選ばれた戦士として使命を果たすために、前に進むしかない。
故郷にいる母の為、自分と同じ境遇に立たされ、苦しめられている人々の為…一緒にこの罪を背負ったベルトルトやアニ、壁へと向かう最中、志半ばで自分を巨人から助ける為に死んでしまった、マルセルの為にも…。
そして、そのマルセルが自分に、突然現れた巨人に食べられる前、「すまない」と泣きながら謝った…その理由を知る為に。
しかし、俺はシガンシナ区に侵入し、内門を破壊しに向かう途中で、一人の少女が巨人の前で座り込んでいるのを目の当たりにして……自分が為さなければならない使命と大きく矛盾した行動を起こしてしまった。
彼女は両腕にまだ幼い少年の首を二つ抱えて地面に座り込んだまま、巨人に捕まれそうになっても、恐怖に声を上げることもなく、ピクリとも動かなかった。
怪我をして、動けなかったのではない。
彼女自身が生きることに絶望し、全てを終わらせようとしていたのだ。
そんな彼女が、自分が内門へと向かう足音を聞いて、ゆっくりとこちらを振り返り、その顔を上げた。
『!?』
彼女の暗く輝く黒い双眼を見た瞬間、心臓が一度大きく鼓動して、駆けていた足が地面に釘を打たれたかのように止まる。
地面にへたり込んだ、自分と同じくらいの年の少女に、視線も意識も全てが奪われて、辺りの喧騒が聞こえなくなる程に、自分は彼女に魅入られていた。
まるで、長年会いたいと願い続けてきた…想い人に出会えたかのような感動が胸を熱く突き上げてきて、目尻には涙まで迫り上がってくる。
その感覚に、俺は戸惑っていた。
心だけではなく魂まで歓喜するような感覚を、今まで一度として味わったことはなかったからだ。
しかし、そんな彼女は、華奢な体をいとも簡単に巨人に持ち上げられ、そのまま口へと運ばれて行く。
その様を見て、全身の血が沸き立つような激情に見舞われて、俺は巨人の頭を踵で跳ね飛ばし、人の血に濡れた手から地面へ落ちて行く彼女の体を掌で受け止めた。
巨人の姿で居る時は感覚が鈍くなるため、彼女を掌に乗せていても、殆ど重さは感じない。しかし、不思議と彼女に触れている掌が、じんわりと温かくなるのを感じた。巨人の体は人の体温よりもかなり高温なため、それは不思議な感覚で、俺はじっと彼女のことを見つめていると、彼女は臆する様子もなく、ただ悲し気な瞳をこちらへ向けていた。
その表情は、今自分が取っている行動と同じように…彼女も又、矛盾していた。
彼女にとって巨人という存在は今日、恨むべき、恐怖すべき存在となったはずだ。それなのに、彼女は巨人である自分のことを、まるで人に向ける瞳で見つめ…あろうことか、慰めるような、気遣うような色を浮かべて、こちらに向かって手を伸ばしてくる。
「…何で…君は…」
『…っ』
その声は、潰れた喉と涙で酷く掠れていたが、血が滲む傷口に薬を塗るような優しさと安堵感を与えてくれるようで……俺の鼓膜を、優しく震わせた。
その声と視線に、鼻の奥がツンとして、目の端に溜まっていた涙が、滔々瞳から溢れ落ちてしまう。
自分は今まで、誰かにこんな目を向けられたことが、一度だってあっただろうか?
期待、執着、偽善、羨望、そんな感情を孕んだ瞳で見つめられたことはあっても、こんなに手放しに、自分の存在だけに、ただ優しさだけを滲ませて見つめられたことなどなかった。
彼女は涙で濡れた瑞々しい瞳を細めて、そっと俺の目元に、細い指先で触れた。
そうすると、ゆっくりと瞬きをする彼女の頬から、透明な涙がするりと流れ落ちる。
俺はその様子を、陶然として、見つめていた。
こんなことを彼女に対して思うのは不謹慎極まりないが…本当に、綺麗…だったのだ。
「…どうしてそんなに…悲しい目を、しているの…?」
そう俺に問いかけた声は、まるで鈴の音のように…柔らかく優しく…そして途方もない程、悲しげで…。
そうして静かに気を失ってしまった彼女に、俺は彼女の体を乗せている手が、ずっしりと重くなったような錯覚を覚えた。
今思えばそれは、命の重みを…あの時感じていたのかもしれない。
俺は結局、彼女のことを手放すことができず、内門を破った後、壁上で披露し気を失っていたベルトルトとアニを回収した後、人目につかないよう巨人化を解いて、ローゼ内の避難所に紛れ込んだ。
彼女は自分達とは少し離れた場所の、簡易的な布団の上に寝かせて、俺は其処から離れた。
その話はベルトルトとアニにはせず、俺も彼女にはそれっきり会おうとしなかった。
何故なら彼女を助ける行為は、自分が背負う戦士としての使命に、酷く矛盾した行為だったからだ。
そうして半月が経ち…、俺達は送られた開拓地で生活をしながら、壁内の情報収集に努めていた。
生産者としての仕事も、訓練の代わりだと思いながら日々こなしていると、『あの日』出会った黒髪の少女のことを、思い出すことも無くなっていた。
そして俺達に『あの日』の話をした男は、次の日の朝…、一晩で雪が降り積もった宿泊所の外で、木に首を吊って死んでいた。
その男の死顔は、声無くして『あの日』を過ぎた時の流れでも、こうして人の心を蝕み続けているのだと俺達に訴えかけているかのようにも見えた。
「彼は…あの村の唯一の生き残りじゃなかったか?」
「あの村って…何だっけ?」
「地図にも載ってないあの小さな集落だろ?」
同じ開拓地の男達が、木に吊るされた男を見上げながら、話しているのが聞こえた。彼は誰にも名前を覚えていてもらうこともなく、生まれた場所すら曖昧のまま…人々の記憶から忘れ去れて行くのだろう。
「どこでもいい…早く降ろしてやるぞ」
そう言って一人の男が、足を踏み出した時だった。
「!?」
黒い薄汚れたフードを頭から被った人物が、首を吊る時に男が使ったであろう倒れていた椅子を彼の傍に置き、その椅子に上がって、ポケットからナイフを取り出し縄を切った。
男の体が、どさりと雪の降り積もった地面に落ちる。
その様子を、周りの大人達は少し薄気味悪そうな顔で見つめていたが、フードの子はそれを気にする素振りもなく、小さな体で男の体を肩に負って、ズルズルと亡骸を引きずるようにして歩き出した。
「お、おい…何処に行くんだ?」
最初に男を木から降ろそうとしていた、中年の男が声をかけたが、フードの子は何も答えず、ただ開拓地を取り囲んでいる森の方へと歩いて行ってしまう。
それ以上、その子を引き留めようとする者は誰もいなかった。
「あの子…こんな雪の中、一人で大丈夫かな…」
ベルトルトは、雪が降り頻る中を歩いて行くその子の背中を見つめながら静かに溢したが、アニは首を横に振った。
「…大丈夫じゃなかったとしても、私達が気にすることじゃないでしょ」
それは最もな言葉だった。
アニは元々真っ直ぐな性格だ、矛盾を生む行動は絶対にしようとはしない。ベルトルトも、優しい性格から無関心では居られないのだろう。
…だが、マルセルなら…。
そう考えて、ライナーはすっと息を吸い込んだ。
冷たい空気が肺に入り、体がぶるりと震え上がるが、すっと頭の中が冴えたような気がした。
「(…そうだ。マルセルならきっと、あの子のことを追いかけるはずだ)」
例えそれが使命と矛盾している行動だと、分かっていたとしてもだ…。
「!?ライナー…、何処に行くの…?」
「…お前らは、宿泊舎に戻ってろ」
その返答に、ライナーがしようとしていることを理解したベルトルトは、止めようと口を開いたが、言葉が出ず、静かに口を閉じて、視線を足元に落とした。
アニはそんなベルトルトの横で、はあと深く溜息を吐くと、ライナーに背を向け「そんなことをしても、誰も許してなんかくれないよ」と、白い息を吐き出しながら言った。
「…分かってる」
ライナーはそう短く答えて、身体の横の両手を固く握りしめ、雪に埋もれた足を上げた。
確かにアニの言う通り、自分は心のどこかで許しを乞おうとしているのかもしれない。どんなに罪滅ぼしをしても、許してもらえるはずなどないが…自分はこの苦しみから無意識に逃れようとしていて…そのために、雪の中に消えて行くあの子を追いかけようとしているのかもしれない。
そう思いながらも、ライナーはフードの子を放っては置けず、その姿を追ったのだった。
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