第二話
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まるで、悪夢でも見ているようだった。
走っても、走っても、消えることのない沢山の人々の亡骸や、真っ赤な血溜まり。辺りには鉄の臭いのようなものが充満していて、息を吸う度むせ返ってしまいそうだった。
それでも足だけは止めず、懸命に内門を目指す。
そうしてどれだけの間、走り続けていただろうか…。やっとウォール・ローゼまで続いている連絡船の乗り場が見えてきた。その直ぐ傍にある内門前には、駐屯兵団が砲台を配備し、砲弾を込めている様子も見えた。
しかし、連絡船の乗り口には大勢の人たちで溢れ返っており、二隻の連絡船上はもうほぼ満杯になってしまっているようだった。
あの様子では、連絡船に乗り込むことはできないだろう。
ならば直接内門から出してもらう他、シガンシナ区から出る方法はない。
ハルは足が向かう先を、連絡船の方ではなく内門の方へと向けた時だった。
「うわぁ!?」
「っ!?ユウキ!!」
ユウキが地面の凹みに足を取られてしまい、転んでしまう。手を引いていたヒロが直ぐ様駆け寄って、地面に手を付いているユウキを立ち上がらせたが、細い足の両膝からは、痛々しく血が溢れ出していた。
ハルはそんなユウキを背負い、再び走り出そうとした時だった。
ドン!ドォン!!
地面が激しく揺れ始め、ふと顔を上げれば、100メートル先には多勢の巨人が此方へ迫って来ていた。
その光景に、三人が息を呑んだ時、内門の方から轟音が響いた。そうして飛んできたのは、先程内門前に配備されていた砲台から放たれた砲弾だった。
向こうからは巨人の姿は捉えられているが、三人の姿は見えていないようで、砲撃を開始してしまったようだった。
激しい爆音を立てて飛び交う砲弾に、背ではユウキが両耳を塞ぎ、ヒロは恐怖で地面に蹲ってしまう。
それに、ハルはヒロの腕を掴み立ち上がらせると、一度内門へ向かうのを諦め、砲弾が飛び交う内門へと続く街道を逸れた。
ああなってしまっては、内門を目指すことは不可能だ。もうダメ元でも、連絡船の方に向かうしかない。万が一乗せて貰えなかったとしても、どんな手を使ってでもユウキとヒロだけは出航前に船に乗せる。
ハルはそう決断し、路地を駆けていたが…
砲撃の音が荒々しく街道の方から、先程の四つ這いの巨人が、こちらへと迫ってきていることに気づく。家々の屋根の上を手足で蹴りながら、物凄いスピードで後ろから追い駆けてくる。
「うわぁぁああ!!」
「っヒロ!!ユウキを連れてこのまま走って!!」
このままでは追いつかれ、三人とも喰われてしまう。ハルは背負っていたユウキを降ろすと、ヒロにユウキの手を握らせる。それにヒロとユウキは嫌だと首を振りながら、ハルの体に縋り付いた。
「そんなのっ嫌だ!!姉ちゃんもっ、姉ちゃんも一緒に行くんだよ!!」
「そうだよっ!!離れたくないっ、僕たちと一緒にいてよ!!姉ちゃん!!」
泣きながら懇願する二人に、ハルは大丈夫だと笑いかけ、小さな二人の頭を撫でる。
可愛い弟の為なら、命だって幾らでも賭けられる。怖くないわけではないけれど、本当に心の底からそう思えた。
「ヒロ、ユウキ……大丈夫だよ。後から必ず追い駆けるからっ、…だから今は、行って…!」
「姉ちゃんっ!!」
「っ行け!!!」
「!?」
今まで一度も聞いたことがない、姉の激しい叱責に、ヒロは頬を叩かれたように息を呑み、目を見開いた。
ハルはそんなヒロのことを、至極愛おし気に見下ろして、囁くようにして言った。
「ヒロ、ユウキのこと…頼んだよ」
「…っ!!」
ハルの言葉に、ヒロは両拳を握りしめ、ギュッと唇を噛み締める。それから、ユウキの腕を掴んで、走り出した。
「っ嫌だよっ!姉ちゃん!!」
ヒロに腕を引かれたユウキは、ハルのことを振り返ったまま泣きながら手を伸ばしていた。それでも、ヒロは振り返らずに、走っていく。
「…いい子だね」
そんな二人の姿が遠のいて行くのを見送って、ハルはほっと息を吐き出すと、踵を返し、弓に矢を番て、巨人に向かって引き絞る。
こちらに向かって一直線にやってくる巨人の目には、もはや矢が刺さっていた形跡は一切残っていなかった。
それでも、この弓矢で出来ることは、やはり巨人の両目を潰すくらいが限界だ。しかし、両目に矢を命中させられれば、二人が連絡船まで辿くための時間稼ぎにはなる。
ハルは自分の中で恐怖に立ち向かいながら、限界まで弦を引き絞る。今回の標的は立ち止まっているわけではなく、動いている為、狙いをつけるのに時間が掛かってしまうが、焦らないよう息を詰め、最初の矢を放つ。
「ギャアアアアア」
「っ…次っ!」
矢は巨人の右目を捉えたが、こちらへ向かってくる手足を止める様子はない。
ハルは気を緩めずもう一本の矢を番えて放つ。が、二本目は巨人の目を僅かに捉えることが出来ず、顔の皮膚に当たり弾き飛ばされてしまう。巨人の皮膚はかなり厚く固いのか、少しの傷もついてはいなかった。
ハルはまだ片目の視界を頼りに襲いかかってくる巨人に、再び矢を番たが、巨人は既に間近に迫っている。
「(駄目だっ、もう間に合わない!)」
ハルが死を覚悟した、その時だった。
ドゴン!!!
「!?」
内門の方から飛んできた砲弾が、四つん這いの巨人の脇腹に抉り込んだ。
四つん這いの巨人を狙って打ったわけではなさそうだが、偶然にも巨人を捉えたようだった。
それはなんとも奇跡的な出来事だった。しかし、それに呆けている場合では無いと、巨人が家にえぐり込んで身動きが取れなくなっている間に、ハルはヒロ達の後を追って走り出した。
そして、路地の角を曲がった時だったーーー
「!?」
目の前に広がったその光景に、ハルはひっと喉を引き攣らせ、黒い双眼をこれ以上ない程に見開いて、足の先から震え上がった。
「ねぇ…ちゃん…」
「嫌、だ…助けて…ったすけて…」
「ヒ…ロ…?…ユウ、キ…っ…!!!」
震え上がった喉で、二人の名前を呼ぶ。
其処には、5メートル級程の巨人が、ヒロとユウキの体を両手で掴み上げて、今まさに口に運ぼうとしていた。
二人は恐怖で歪んだ顔で、ハルの顔を見つめ、助けを求めている。
「やめ、ろ…っ、やめて…っ!!っやめろぉぉぉおおおおお!!!!!」
ハルは悲鳴を上げながら、手にした弓を投げ捨てて、二人に両手を伸ばして駆け寄った。
それでも巨人はハルの言葉など聞いてはくれず、最愛の弟二人を口に運んで行く様が、やけにゆっくりに見えた。
誰とも分からない赤黒い血で汚れた歯が、二人の胴体を、噛み、砕くーーーー
そうして夕暮れの空に、鮮血が吹き上がり、ゴロンと音を立てて地面に二つの頭が落ちハルの足元に転がった。
いつも太陽の光を浴びて、宝石のように輝いていた青い瞳が、暗く光を失って…自分を見上げている。
「ぁぁぁあああっ!!!嫌だぁぁあっ、嫌だああああ!!!」
ハルは喉が引き裂けんばかりに悲鳴を上げて、地面にがくりと両膝をつき、ヒロとユウキの頭を両腕に引き寄せ胸に抱き寄せる。
「っそん、なっ…嘘だっ…こんなの嘘に決まってる…こんなっ、…ヒロ…ユウキっ…」
つい先ほどまで背負っていた、腕を引いていた。温かかった二人が、どうしてか今、体を失って、冷たく氷のように冷え切った、頭だけになっているのを、現実と受け止めることなどできるわけが無い。…ああ、そうだ。父と母が岩の下敷きになったあの時から、いや…きっと朝目覚めた時からずっと自分は悪夢を見ているんだ。そうに違いない。
ハルは現実を受け入れられず、生気を失った顔を緩慢に上げ、ごりごりと口の中で弟たちの体を噛み砕きながらこちらへ近づいてくる巨人を、ぼんやりと見つめた。
そうだ、悪夢ならきっと、自分はこの巨人に喰われれば、目覚められるはずだ。もしも、…これが悪夢ではなく現実だったのだとしても、…私も此処で死ねな、みんなと、同じ所へ行ける。こんな地獄から、逃れられる。
ハルはそう思いながら、自分に向かって巨人が手を伸ばすのを見て、内心で安堵していた。
早く、目覚めたい。目覚めさせて…っ、神様。
ハルはぎゅっと、胸元にある、幼い頃母からもらったお守りを握りしめた。
その時だった。
何かがこちらへ向かって駆けてくる、巨人の足音がした。
地面が激しく揺れて、その音は頭の中の脳まで揺らすようだった。
ハルは地に座り込んだまま、後ろを振り返った。
こちらへと向かってくる巨人は、今自分の体を掴もうとしている巨人とも、四つん這いの巨人とも違い、黄金の鎧のようなものに皮膚が覆われており、体格も良く見える。
その、鎧を纏った巨人は、ハルの近くで足を止め、じっとハルのことを見下ろす。
その瞳は、なんの感情も感じられない、空虚な巨人の瞳とは違い……、人間のそれのように、感情が見えるような気がした。
その巨人の瞳は…何故か、とても悲しげだった。
「…どうして…」
巨人は人を喰う生き物なのに、なぜ目の前の巨人は、そんな目で自分を見下ろしているのだろう。
そう疑問に思うが、考える間も与えられず、弟を喰った巨人が座り込んでいるハルの体を掴み上げた。
自分を掴む巨人の手は酷く熱く、体が圧迫され、腕に抱えていた二人の頭が地面に落ちる。
両足が地面から離れ、体が巨人の口の中へと吸い込まれて行く。
ああ、これで終わる。
解放される。
ハルは、そのときを待って、瞳を閉じた。
もう疲労とショックで、指先一つさえピクリとも動かすことが出来なかった。
しかし、次の瞬間ーーーその鎧の巨人は、ハルを喰らおうとしていた巨人の頭部を、踵で蹴り飛ばした。
「!」
それは、ハルには信じられない行動だった。否、ハルだけではなく人類皆が目を疑う筈だ。巨人は巨人同士で争わないものだと、ハルは幼い頃から教えられていたからだった。
しかし驚くべきことにそれだけではなく、頭を跳ね飛ばされた巨人は、ハルの体をずるりと手から落とし、地面に叩きつけられそうになったハルを、すっと鎧の巨人が手を差し出して受け止め、倒れた巨人の頸を、固く屈強な足で踏み潰したのだ。
ハルは朦朧とした意識の中で、鎧の巨人が、黄金の双眼でじっと…自分のことを静かに見下ろしているのが見えた。
やはり間近で見たその瞳の中には、濃い悲しみの色が浮かんでいて、流れる涙はないものの、泣いているようだった。
「…何で…君、は…」
ハルはその瞳に向かって、手を伸ばした。
その瞳は、いつも怖い夢を見て、眠れないとやってくるユウキや、父さんの修行で怪我をして、痛いと泣きそうになっていたヒロの瞳のそれと…そっくりだった。
それが酷く、ハルの胸を切なく、悲しく締め付けた。夢だと思い込もうと必死になって、心の奥底に埋めた悲しみが、その瞳に胸の中を容赦なく掘り返されてしまう。そしてそれは、目と喉に迫り上がってきて、一度溢してしまえば止められなくなってしまった。
「…そんなに…悲しい目を…している…の……?」
指先が巨人の目元に触れると、黄金の瞳が、僅かに細められたような気がしたが、視界は涙で歪み、はっきりとは見えなかった。
そして酷く目蓋が重くなって、ハルはそのまま逃れられない闇へと誘われ、…意識を手放したのだった。
第二話 「さようなら」も言えずに
完