第一話
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「釣れねぇ…全くもって釣れんっ!!」
川のほとりに腰を下ろし眉間に深い皺を刻みながらごちる金髪で青い瞳を携えた少年が釣り竿を垂らしている上流では、打って変わって楽しげに川の中で遊んでいる少年の弟が、バシャバシャと川面を両足で蹴り上げながら遊んでいる。
「あはは!冷たーいっ!!まだちょっと冷たいね川の水ー!!」
間延びするようなのんびりとした口調の弟のユウキに、兄であるヒロは堪らなくなった様子で、釣り針を川面から荒々しく引き上げると、肩に竿をかけて、魚ではなく眉を釣り上げた。
「おいユウキ!ちょっと静かにしろよ!!?お前がそこで騒いでるからっ、魚が逃げちまうんだよーっ!!」
声を上げるヒロに対し、ユウキは愛嬌のある丸い目をじっとりと細めて、口を尖らせる。
「だってさあ、僕魚嫌いなんだもん…」
二つ年下の弟は、生まれつき体が丈夫な方ではなく、三姉弟の中でも過保護に育てられた所為もあってか、少々我儘で甘えん坊な面がある。それに対し兄であるヒロはいつも気を揉んでいた。
…が、しかし、それは弟に対してだけではかった。
「お前なあ…。なんか言ってやってくれよ姉ちゃん?あいつ全然やる気がねぇぜっ」
ヒロは頭を抱えて傍で自分と同じく釣り糸を垂らしていた姉に視線を向けた。
この二人の姉であるハルは、母親似である弟二人の金髪と青い目の風貌とは違って、父親似の黒い髪と黒い瞳を携えていて、口元にある黒子の位置までがそっくり同じだった。
ハルは柔らかそうな毛質の黒髪を短く整えていて、見た目は少女というよりは少年のようだった。纏っている服も動きやすような麻のズボンと白いノーカラーシャツで、胸元には母親から貰った『御守り』が揺れている。この三人が集まっているのを見れば、皆男の子だと勘違いされてしまいそうだった。
そんなハルの性格は、弟であり長男の神経質なヒロよりも、のんびりとマイペースな末っ子のユウキの性格に近く、長女であるにも関わらずいつもヒロが抜けている姉をフォローしている。いざと言う時は頼りになる姉なのだが、普段は省エネモードでぼんやりしている事のほうが多く、今も後者の方であった。
「まぁ、いいじゃない?季節の変わり目は体調が悪くて殆ど外では遊べないんだし、こういう元気な日は、名一杯遊んだ方がいいよ…多めに見てあげよう……っ!?」
そう言って朗らかな様子で微笑むハルの顔面に、突然バッタがへばり付いた。割と大きめの、トノサマバッタだ。
「あ」
ヒロはそれに顔を引きつらせると、その刹那にハルは釣竿を川に放り投げて悲鳴を上げ、盛大に取り乱し始めた。
「ぎゃぁぁぁあああああ!!!バッタだばぁぁぁああ!!!」
ハルは錯乱しながら川に駆け込み、上流で遊んでいたユウキの方へと助けを求めるが、ユウキは顔にバッタを貼り付けたまま恐ろしい剣幕で駆け寄ってくる姉に慄いて逃げ惑う。
「うわあ!?何!?お姉ちゃん!?」
「ユウキぃぃぃい!!取って!!!!これ取って!!!」
そうしている内にハルが川の中の石に躓き、逃げていたユウキの背中に覆い被さる。姉の重みでそのままユウキは川の中へと倒れ込み、二人一緒になって派手に水飛沫を上げてべしょ濡れになる。
バッシャーーーン!!
「うわぁ…さいあくだぁ」
「あ、バッタ居なくなってる…はぁ、良かった」
川の水を滴らせて、ユウキは失念した様子でため息を吐く中、ハルはバッタが居なくなったことにホッと胸を撫で下ろしている。そんな二人の様子にヒロはほとほと呆れ果て、片手を額に押し当てると、もう片方の手を腰に当てて、深々とため息を吐いた。
「…まったく、仕方のない姉と弟だな」
それから一時間程して帰路についた三人だったが、結局ハルが持っていた釣竿は流されて何処かへ行ってしまい、魚を釣ったのはヒロ一人だけであった。
べしょ濡れの二人は服を乾かすと言って近くの土手で走り回っていただけで何の役にも立たず、不機嫌な様子で帰ってきたヒロに、街の外れに佇んでいる他の家々の造りとは違った、東洋風の家の縁側で洗濯物を干し終え、休憩をしていた母のミーシェが気づき、側に歩み寄って首を傾げた。
「あらヒロ?ムッとした顔をして…二人と喧嘩でもしたの?」
「…いや、喧嘩はしてねぇけど、弟と姉の使えなさに呆れているだけだよ」
「「うっ」」
ヒロの辛辣な言葉に、ユウキとハルは思わず胸が痛み言葉を詰まらせる。
ヒロの持っている木造のバケツには、魚が五匹静かに泳いでいる。丁度家族五人分釣って帰ってきたわけなのだが、これも全てヒロの功績であり、二人は何をしていたかというと、ほぼ遊んでいただけであった。
ハルとユウキの服と髪が何やら濡れていることに気づいたミーシェは、そのことをなんとなく察して、「あらあら」と苦笑を浮かべながら膨れっ面のヒロの頭を撫でる。
「偉いじゃないヒロ!ヒロはやっぱり釣りが上手なのね?」
「姉ちゃんだって上手いくせにっ、バッタにビビって釣り竿川に放り投げちまったんだよ!?」
「え。そうなの?」
ミーシェが優しげな青い瞳を目を丸くしてハルの方を見ると、ハルは申し訳なさそうに頭の後ろを触りながら、「め、面目ない」と肩を落とす。
そんなハルにヒロはじっとりとした視線を向けると、その視線を受けたハルが困ったように眉をハの字にして、目をウヨウヨと泳がせる。
「い、いやぁ立派な弟が居て、姉として本当に誇らしいよ…!ねっ?ユウキもそう思うよね?」
「うん!弟としてもほこらしーよっ!」
「ははっ!流石私の弟!可愛い!!」
ユウキは純粋な笑顔を顔いっぱいに浮かべて頷くのに、弟馬鹿なハルは堪らないと言った様子でぎゅっと抱きしめる。それにユウキは嬉しそうにしているが、ヒロはびしっとハルの眼前に指を指して、容赦なく叱責する。
「お前はもっと姉らしくしろよ!!」
それに、うっと表情を濁らせたハルは、ユウキから体を離し、頬を指先で触りながら小声で呟く。
「いや、バッタさえでなければ私もそれなりには…」
「 な ん だ っ て ?」
「いや、なんでもありません」
しかしヒロの言い訳は許さないといった厳しい口調と表情に、肩を落として即座に頭を下げるハルには、最早姉としての威厳は一切無かった。
そんな二人のいつものやりとりを見て、微笑ましいとミーシェは穏やかな笑みを浮かべて眺めていると、ユウキが辺りを見回しながら首を傾げた。
「あれ?お父さんは今日はお仕事?いつ頃帰ってくるの?」
「今日は夕方頃になりそうね。荷運びがトロスト区までと言っていたから」
家族の大黒柱であり、東洋人でハル達の父親のアキシゲ・グランバルドは、普段は荷運びの仕事をしているが、それ以外の時間は、息子と娘に東洋の伝統を教えたり、剣術や武術を教えたりしている。
見た目は強面だが心優しく穏やかな父のことをハル達は大好きだったが、最近は荷運びの仕事が忙しくなかなか共に過ごせていないので、少々寂しく思っても居た。
「そっかー、残念」
ユウキが表情を曇らせて肩を落とすのを見て、ヒロは足元に魚の入ったバケツを置くと、弟の肩に腕を回して、明るい口調でミーシェに問いかける。
「じゃあさ!俺、ヒロと一緒に街に出てきてもいい?!」
兄の言葉に、一度曇ったユウキの表情が明るくなる。弟思いのヒロに心を和ませながら、ミーシェは笑顔で頷いた。
「あんまり遅くならないようにね?夕飯前には戻ってくるのよ?」
「「はーい!」」
二人は元気に手を上げて返事をすると、街に向かって家の正門を潜り駆けて行く。二人の背中を見送りながら、元気なものだとハルは思いながら、ミーシェを振り返ると、ヒロが置いて行ったバケツを拾い上げた。
「母さん、夕食作り手伝うよ?」
「あら本当?それは助かるわ。…でも、いいのよ?ハルも街で遊んできても…」
「いいからいいから!取り敢えず…まずは、井戸で魚洗ってくるね?」
そう言って家の裏側の井戸の方へと笑顔で駆けて行く娘の背中を、ミーシェは見送りながら目元を綻ばせた。
長女として生まれたハルは、本当に思いやりに溢れた子に育ってくれた。そうしてそんなハルの背中を見て、弟二人も心優しい子に育ってくれている。
ミーシェは縁側を離れ、台所へと向かい、まな板と包丁を準備していると、早速魚を洗ってきたハルがやってくる。最近ミーシェに魚の捌き方を教えてもらったハルは、少しワクワクとした様子で魚をまな板に乗せ、鱗を剥ぎ始める。
「さあハル、今回は一人で捌けるかしら?」
ミーシェがそう問いかけると、ハルは「任せてよ」とニッと歯並びの良い白い歯を見せて笑い、早速エラに包丁を入れる。
ハルが手際良くスラスラと魚を捌いて行く様子を、ミーシェは感心しながら隣で眺めていた。
「ハルは本当に覚えがいいわね…?一度教えただけでもう出来てしまうなんて…」
「お母さんの教え方が、上手だからだよ」
ハルはそう言って肩を竦めて笑う。
生まれ物心つく頃から、何事も覚えが良かったハルは、長女とはいえまだ幼いというのに、字はもう大人並みに読み書きできるようになっているし、料理だけではなく父親から教えてもらった東洋の武術や剣術もしっかりと指南を受け、その精神を受け継いでいる。
母親からしてみれば非の打ちどころもない、親として誇らしい長女に育ってくれているが、そんなハルのことが、ミーシェは心配でならなかった。
それは、ハルがこれから先、父親と同じように担わなければいけない宿命に、翻弄されてしまわないかということだった。
「ハル…まだ夢は…見ているの?」
ミーシェは魚を捌き、三昧に器用に下ろしているハルにそう問いかけると、ハルは腕は止めずにこくりと頷く。
「うん。…まあね。でも、悪い夢じゃないよ…」
ハルが毎晩見る夢の内容をミーシェは知っていたが、その夢は謂わば宿命を科せられた者である証だった。
ミーシェは東洋人ではなかったが、アキシゲと出会い所帯を持つことを決めた時、事前に話はされていた。
アキシゲには子に代々受け継がれている宿命があり、また生まれてきた子にもそれは科されたいくものなのだということだった。
ミーシェはハルを生んだ時、その黒い髪と黒い双眼、そしてアキシゲと同じく口元にある黒子を見た瞬間から、この子はその宿命を負わねばならないのだと確信した。それはアキシゲも同じだった。
しかし、その宿命が一体どういうものなのかということは、その来たるべき時が来なければ分からないという。
その話を、アキシゲは今日、ハルに伝えようとしていた。
「ハル、今日はアキシゲさんが貴方に話しておきたいことがあるらしいの。アキシゲさんが帰ってきたら、部屋を訪ねてくれる?」
「?うん…それはいいけど…何?改まって…」
ハルは首を傾げて、ミーシェに顔を向けた。その父親に良く似た愛おしい娘を、ミーシェは両腕で強く抱きしめる。
それに、ハルは手にしていた包丁を慌ててまな板の上に置く。一体突然どうしたのかと戸惑ったが、自分を包み込む母の温もりに、胸の中がほっと温まるような安心感を覚えて、そっと瞳を閉じ、華奢な母の背中に腕を回す。
「母さん…あったかい…」
「貴方もよ、ハル…大好きよ…」
抱きしめた最愛の娘には、ずっと幸せで、そして穏やかであって欲しい。
しかしそれを、宿命はきっと、許してくれない。
それが分かっていて…それでも、誰よりも優しさで溢れた娘が健やかであることを願わずには、居られなかった。
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