第五話
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その日の午後から、ベルトルトは二人一組で炭作りの仕事に割り振られていた。
しかし、午後の仕事が始まる直前で、一緒に炭作りをする筈だった無精髭を生やした中年の男が、酷く青白い顔をしてベルトルトに声をかけてきた。
「坊主…すまねぇな…炭作りなんだが、体の調子が、あまり良くなくてよ…」
風邪を引いている。というよりは、精神的な理由からくる不調なのだろう。きっと、朝に配られたあの赤紙の所為なんだと、べルトルトは察して、頷いた。–––厳密に言えば、赤紙の所為…ではなく、自分達の所為、なのだが……
「大丈夫です。僕一人でも平気ですよ」
「そうか…そう言ってくれると助かるよ…」
中年の男は申し訳なさそうにベルトルトに頭を下げると、自身の寝室の方へと歩いて行く。
その足取りはふらついていて、猫背になって折れ曲がっている背中には力も無く、ベルトルトは胸に重たい罪悪感が込み上げてきて、体の横の拳を握り締めた。
自分の精神が、錆びた剃刀のようなモノで、少しずつ削り落とされていく……
早くこの壁の中から出て、故郷に帰りたい…と–−––ベルトルトは心の中で、歯を食いしばるように強く願った。
でなければ、この途方もない罪の意識に苛まれて、頭がおかしくなってしまいそうだった。
※
ベルトルトは今まで、一度も炭作りというものをしたことがなかった。
実は今日が初めての炭作り当番で、一人で大丈夫だと言ったものの、炭の正しい作り方は知らなかった。
ただ何となく、薪を燃やせば炭になるような気がして、安易に焚き火の上に網を設置し、その上に薪を積んで燃やしてみる。
しかし、積み上げた薪は激しく煙を上げ、跡形もなく燃え切ってしまい、二度目の挑戦では、燃え始めた木に水をかけてみたが、結局炭としては使えなくなってしまった。どうやら炭を作るというのは、思っていたよりも簡単ではないらしい…
「…炭を作るのって、意外と難しいんだな」
ベルトルトは網の上で灰になった薪をトングで取り除きながら、独り言を呟き、肩を落として溜息を吐いた。
どうしたものか。
このままではノルマの炭を作る前に、薪が無くなってしまう。
一度宿舎に戻って、炭の作り方を知っている大人に教えてもらうべきかと、焚き火の前で屈み込み、悩んでいたベルトルトの右肩を、トンと誰かが軽く叩いた。
後ろを振り返り顔を上げれば、其処にはハルが立っていた。
「…あ、ハル。どうしたの?こんな所で…」
ベルトルトは少し驚きながら、その場に立ち上がり、ハルと向き合った。
ハルは背中に薪を背負っており、左手にはチタン製の大きめの鍋の取っ手を持って、右手には太めの杭と金槌を握っていた。
ハルはそれらの荷物を足元に置くと、ベルトルトが炭を作るために用意していた薪を持ってきた鍋の中に入れ、耐熱性の薄い蓋のようなもの乗せた。そして、その蓋に杭を当てがい、金槌を使って空気穴を打ちあけた。
その様子を眺めながら、ベルトルトはハルに首を傾げて問いかける。
「もしかして、これで燃やすの?」
ハルはベルトルトの方は見ず、こくりと頷きだけを返すと、薪の入った鍋を網の上に置き、手慣れた様子で火を起こした。
ベルトルトはそんなハルのことを感心した様子で見ていると、やがて鍋の蓋に開けた穴から、激しく黒い煙が上がり始めた。
すると、ハルは防寒着からメモ帳を取り出し、何やらペンで書き始めると、そのページを破いて、鍋から煙が上がる様子を見ていたベルトルトを見上げながら手渡した。
ベルトルトが受け取ったメモには、『煙が出なくなったら、鍋を網からあげて、冷ましてから開けてみて』と、簡単な手順が書き記されていた。
「うん!分かった。ありがとうハル、とても助かったよ」
ベルトルトがハルにお礼を言うと、ハルは無表情のまま首を左右に振って、メモ帳とペンを防寒着にしまい込み、そそくさと地面に置いていた薪を背負いなおして、歩いて行ってしまった。
ハルはあまり口数が多くない。
声が出せず話せないからという理由が大きいのかもしれないが、それでもハルから自分に声を掛けてくることは珍しいことだった。
ハルと出会ってからそれ程日も経ってはいないが、ハルは基本的に一人で居ることが多く、人混みを避けている印象があった。
ただ黙々と与えられた仕事を熟し、声を掛けられなければ基本的に他人と関わろうとはせず、仕事がない時はいつも広間の隅で本を読んでいたり、天気が良い日は農耕具の整備をしていたり、木の棒で素振りをしていたりする。
物静かなハルの傍が居心地良いのか、アニは時々ハルの傍で同じく本を読んでいたり、素振りをしているハルを、特に会話もせずぼーっと眺めて居たりもする。
大人達やこの開拓地を担当している憲兵達はそんなハルのことを少し気味悪がっているようだが、危害を与えてくる訳ではないので、距離を取るだけに留まっている。
「…ハルって、物知りだよね…」
ベルトルトは、鍋から上がる黒い煙が目にしみて、浮かんできた涙を防寒着の袖で拭いながら呟いた。
ハルはどうやらライナーと同い年らしく、自分とは一つだけしか違わないが、纏う雰囲気も、浮かべる表情も、全てがそれ以上に大人びているように感じられた。人生を一度終えて、二週目でも周っているかのような落ち着きさえ見える程に…
「不思議な子だな」
ベルトルトは黒い煙が黙々と、青い空に立ち上っていくのを見上げ、独り言を溢す。
今やハルに始めて会った時に感じていた漠然とした不安は、時が流れ、ハルのことを少しずつ知っていくうちに徐々に薄れて、ベルトルトの中で消え始めて居た。
モクモクと上がっていた黒い煙が、徐々に灰色になり、やがて途切れ途切れになり始めたことに気がついて、ベルトルトはトングを手に取り、空気穴から煙が出なくなったのを確認すると、メモにある通り鍋を網の上から外した。
ハルは冷めてから蓋を開けてと書き記していたが、ベルトルトはどうしても中が気になって、トングで鍋の蓋を掴みほんの少しだけ持ち上げて中を覗いてみる。
「…わ、ちゃんと炭だ…!」
そこには、灰ではなく、ちゃんと形を残したままの炭が出来上がって居て、胸が少し躍った。知らないことを知って、出来るようになった時の瞬間は、やはり嬉しいものがある。
ベルトルトは指定されていた分の炭を、ハルから教わった要領で作り終えると、出来上がった炭をカゴに詰め込み、背中に背負って宿泊舎へと戻る。…気がつけば、青かった空は夕陽に染まっていた。
その途中で、両手に水の入った木製のバケツを運んでいるハルの後ろ姿を見つけて、ベルトルトは「おーい」と大きく手を振って呼び止めた。
「ハル!」
名前を呼ばれ、ハルは足を止めると、ベルトルトを相変わらずの無表情で振り返った。
ベルトルトはハルの元へ駆け寄ると、背中の籠の中を見せるようにして少し屈みながら、明るい口調で言った。
「これ、見てよ!炭!ハルのおかげでちゃんと出来たんだ。あのままだったら、僕、全部薪を燃やし尽くしちゃうところだった。本当に助かったよ、ありがとう」
ベルトルトが微笑みながらお礼を言うと、ハルは徐に足元へと手にしていたバケツを置いて、防寒着のポケットから、手帳とペン…ではなく、白いハンカチを取り出し、ベルトルトの左頬を、ゴシゴシと吹いた。
「!」
ハルの幼いながらに整った顔が近づき、ベルトルトは気恥ずかしくなって、両頬に熱が上がってくるのを感じた。
ハルの長いまつ毛と、柔らかく細い絹糸のような黒い前髪が、冷たい冬の微風に揺れている。その下の黒い双眼には、熱心な色が浮かんでいた。
「あ…」
ベルトルトが眼前に広がる景色に少し見惚れている間に、ハルは納得した様子でベルトルトの頬を確認して頷くと、手にしていた白いハンカチには、黒い汚れが付いていた。どうやら、頬に炭の煤が付いてしまっていたようだ。
「あ、…ありがとう」
ベルトルトはハルを見下ろし、どぎまぎして少し口籠もりながらお礼を言うと、ハルはハンカチをポケットにしまいながら、ほんの僅かだけ目元を緩めた。
「えーっと…そ、それ…手伝うよ!一つ貸して」
ベルトルトは妙にソワソワして、首の後ろを手で触りながら、泳がせた視線がハルの足元に置かれていたバケツを捉えて、その一つを掴み上げた。
すると、ハルが申し訳なさそうに眉を八の字にして、首を横に振った。
そんなハルにベルトルトは「いいから」と笑って、宿泊所の方へと歩き出す。
「これくらい、お礼はさせてよ。さっ、行こう」
ハルは少し躊躇っていたが、歩き出したベルトルトに促され、もう一つの木のバケツを手にすると、ベルトルトの少し後ろについて、再び歩き出したのだった。
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