第四話
名前変換設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ハルと出会ってから数日経った、晴天の朝の薪割りの最中で、ライナーが割った薪についた雪をほろい、麻紐を使って慣れた手つきで括っていたベルトルトが、ふと視線ある人物へと向けて言った。
「ねぇ、ライナー…。アニ、なんかあの子…ハルと日増しに仲良くなってないかな?」
ライナーは切り株に立てていた薪を、もうすっかり体に馴染んだ斧を振り下ろして、綺麗に真っ二つに割ると、気持ちが良い乾いた音が、辺りにパコンと響いた。
切り株に斧の刃が抉り込み、それを引き抜いたライナーは、額に滲んだ汗を首掛けていた手拭いで拭いながら斧を肩に乗せて、ベルトルトの視線の先を追う。
アニはいつも通り、気怠げに地面に転がった薪を集めて、ノロノロと麻紐で薪を纏めていた。全くやる気を感じられないアニに対して、傍で一心不乱に薪を割っているのは、ハルだった。
細い腕と小枝のような体で、大きな斧を振り上げる様は見ていて不安にさせられるが、力の扱いが上手いのか、しなやかな動作で斧を振り下ろし、上手く薪を割っていく。
「あぁ…だが、なんて言うか…特に話してる所は見たこと無いんだよな。だだ、近くにいるだけで…。しかし、『私は関与しない』って言い切ってたわりには、俺よりも仲良くなってるんじゃないのか、あれは」
ライナーが腰に手を当てて肩を竦めると、ベルトルトは苦笑を浮かべた。
「そーだね。……あ、」
しかしその時、憲兵の二人がハルの元へと向かって行くのが見えた。
彼らは雪の上をズルズルと重そうに
中身を確認するまでもなく、見慣れたその麻袋に、中には何が詰められているのか、ライナーとベルトルトだけに限らず、この開拓地に居る者なら誰でも分かってしまう。
「…また、か」
ライナーは物憂げにそう呟き、眉間に深い皺を刻んで、斧の柄を無意識に固く握り締めていた。
「おい、グランバルド、仕事だぞ」
感情のない淡々とした声で名前を呼ばれて、ハルは薪を割ろうと振り上げた斧をゆっくりとおろし、斧腹を足元に押し付けて、憲兵二人を振り返った。
そして、憲兵が引いてきた橇の上に乗せられている麻袋を見て、僅かに双眼を目を細める。
「……」
「いつも通り、片付けておけよ」
髭面の憲兵は橇の上の麻袋を顎をしゃくって示すと、橇を引いていた色じろの憲兵が、手にしていた橇の紐を足元に放り出して、ハルに背中を向けて早々に歩き出した。
それに、アニは胸に苛立ちが込み上げてきて、唸るような声で言った。
「それ、アンタらがやればいいでしょ」
「あ?」
この場から立ち去ろうとしていた憲兵二人は、屈んで集めていた薪を足元に放って立ち上がったアニの言葉に足を止め振り返ると、忌々しそうに顔を顰めた。
「何だこのガキ…」
「これは俺たちの管轄外の仕事なんだよ、お嬢さん」
二人の憲兵はアニを冷たい目で見下しながら言うが、アニはそんな二人を恐れる様子もなく、胸の前に両腕を組み、目を細めて睨み上げる。
「それは、アンタらの怠慢でしょ?」
その言葉に、憲兵二人の顔に血が上り、アニの元へと荒々しい足取りで向かってくる。
「お前っ!」
しかし、その時、アニに掴み掛かろうとした憲兵二人とアニの間に、ハルが割って入った。
「!?アンタ…」
ハルはアニを背に庇うように立ち、右手に斧の柄を握りしめたまま、静かに憲兵二人を見上げた。
ハルが憲兵に斧を構えることはなく、傷つけようとする意思は感じなかったが、兵士を見上げている黒い双眸が、背中に冷たい氷の刃を突き立てられるかのような威圧感と恐怖を憲兵二人に与えた。
ハルの暗い瞳に見つめられて、憲兵二人は嫌な汗が額に滲み固唾を飲むと、舌を打って足速にハルの前から立ち去って行った。
「っ、クソ!」
「……」
ハルは憲兵二人の背中が遠のいて行くと、ゆっくりと驚いた顔をしているアニを振り返った。
先程の氷のような冷たさを孕んでいた瞳は、一つのゆっくりとした瞬きによって払い落とされたように消えて無くなり、再び開かれた目蓋の裏の黒い双眼には、穏やかな色が浮かんでいた。
ハルは斧の柄を握っていない方の手を、アニの頭にそっと置くと、わしゃわしゃと柔らかな金髪を軽く撫でて、僅かに口端を上げた。
それから、口を動かす。
『ありがとう』
「!?」
声は無くても、不思議とアニにはハルの声が聞こえたような気がした。
「(ハルの笑った顔……初めて見た)」
それが嬉しいと感じている自分が居ることに戸惑って、アニは左腕の肘を右手で掴むと、ハルは徐にアニの頭から手を離し、握りしめていた斧を切り株の上に置いて、憲兵達がご丁寧に残して行った橇の上の麻袋を見下ろした。
ハルは静かに橇の傍に膝をつくと、両手を合わせ、瞳を閉じた。麻袋に詰められた、見知らぬ誰かの、冥福を祈るハルの背中を、アニはただ見つめていると、耳馴染んだ声が名前を呼んだ。
「おいアニ、ハル。大丈夫か?さっき憲兵と揉めてただろう?」
憲兵達との騒動を見て傍に駆け寄ってきたライナーとベルトルトに、アニは首を軽く横に振った。
「別に、なんともないけど」
「本当に…?怪我とかしてない?」
「なんともないよ」
「そっか…良かったよ」
ベルトルトはアニの返答にほっと胸を撫で下ろす中、ハルは瞳を開けると、足元の橇の紐を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がり、紐を肩に担ぐようにして、二人の遺体を乗せた橇を引き始めた。
「ちょっと待って」
それに、アニはハルの肩を掴んで引き留める。
「アンタ、もうそれ、辞めな。アンタみたいなへなちょこが、やるような仕事じゃないんだよ」
アニの言葉に、ライナーも同調して、ハルの傍に歩み寄りながら言った。
「…アニの言う通りだ。ハル、死体を埋めるなんて力仕事は、大人に任せるべきだっ」
「…」
それでもハルは、橇を引くのを辞めない。
小さな体で、麻袋の大きさからして大人二体の死体を運び、その上雪の降り積もった地面を掘り起こして、穴に埋める等、小さな少女が一人でやるようなことではない。
ベルトルトは、橇の紐を掴んでいる、ハルのささくれ立った傷だらけの手を見つめ、胸が痛むのを感じながら、掠れた声で問い掛けた。
「どうしてそこまで…するの?…そんなに手だってボロボロなのに、どうして誰にも頼らないで、一人でやろうと、するの…?」
「……」
ベルトルトの問い掛けに、ハルは足を止め、漸く紐を手放した。
それから、ライナー達に背を向けたまま、防寒着のポケットから手帳とペンを取り出し、文字を書き連ねて振り返り、三人に手帳を見せた。
『罪を償う、唯一の方法』
「罪って…アンタにどんな罪があるって言うの…っ」
アニは、酷く困惑しながら問い掛ける。
一体彼女に、何の罪があるというのだろうか––––
罪があるとすれば彼女にではなく、自分達である筈なのに…?
すると、ハルは再び文字を書いて見せる。
『今、生きていること』
「「!?」」
雪原に染み込むような白いメモ帳の中に記された、その細い文字が眼球に焼きつけられるようで、三人は大きく目を見開き、息を呑んだ。
立ち尽くす三人の顔を見て、ハルは目を伏せると、静かにメモ帳とペンを防寒着のポケットの中にしまって、再び橇の紐を拾い上げ、歩き出す。
水気の含んだ雪の上を滑る橇の、紙を擦るような音が、悲しげに響く。
白に埋め尽くされた世界を、傷だらけの背中が、歩いて行く。
一人、孤独に、悲しく、段々と小さくなって行く––––
「僕たちの所為…だね。そんなこと、分かり切っていたこと…だったけど…」
ベルトルトが、ハルの背中を見つめながら掠れた声で呟いて、体の横の拳を握りしめた時、アニは喉の奥から熱い塊が競り上がってくるのを感じ、それを飲み下そうと空を振り仰いで、やけに澄んだ青が眩しくて、目を眇める。
ライナーは、ベルトルトの言葉に、舌を噛み切るような口調で言った。
「違う。お前らの、所為じゃない…」
「え?」
「?」
その声が酷く苦しげで、ベルトルトとアニはふとライナーの横顔を見た。
ライナーは白い世界に消えていくハルの背中を見つめながら、悲痛な面持ちを浮かべて、呟いた。
「俺の、所為だ」
第四話
『孤独な背中』
–––あの時、俺がお前を助けなければ…
お前はこんなに、苦しむ事も、なかったのか…
完