第四話

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 この開拓地では、頻繁に自ら命を断つ人間が出る。

 とはいえ、他の開拓地も此処と然程変わりないだろうが…。

 毎日、顔も知らない他人の為に地を耕し作物を植え、代わり映えのしない粗末な飯を朝と夜の二度だけ支給される。寝床は狭い部屋に四人、五人と押し込まれて、固いベットと薄い布団で四季の夜を越さなければならない。

 まるで奴隷の様な生活と、終わりの見えない繰り返される日々に、彼等の肉体と精神はゆっくりと壊れていって、やがて生きる理由を見出せなくなり、苦しみしか得られなくなるからだ。

 そんな地獄のような日々の中で…、否…元々この世界は最初から地獄だったが、ライナーが何処からか自分達と歳の近そうな、この島の悪魔の末裔である少女を背中に背負って、開拓地の宿泊所に連れて来た。

 酷く痩せ、躓いて転べば、体の骨がパッキリと折れてしまいそうな程に頼りなさそうな、短い黒髪の少女は、早朝に首を吊っていた男性を見上げていた子だと、アニにはすぐに分かった。

「ライナー…その子…」

 ライナーは宿泊所内の広間の一角に置かれている粗末なクッションに、少女の頭を慎重に置いて寝かしつけるのを見て、ベルトルトは不安げな顔をライナーに向けた。

「ああ…多分、疲れて眠っちまってるだけだ。心配ない」

 それにライナーは少女の傍に片膝を付いて、白い額に張り付いた前髪を、無骨な指先で梳きながら、少女を気遣うような顔と声音で言ったのに、アニは胸の前で腕を組んだ。

「ベルトルトが聞きたいことは、そーいうことじゃないんじゃないの?」

 いつもより低い声で言ったアニに、ライナーは少女の傍で片膝をついたまま、顔だけをアニへ向け、ほんの僅かに目を細めた。

「…何だ、アニ」

 その返事こそ、どうなってるの。

 アニは心の中でそう悪態を吐きながら、苛立ちを隠せない口調で、少し口早になりながら言った。

「どうして、連れ来てたの。こんなことをする意味なんて、私達には無いはずだけど」

 射抜くようなアニの鋭い視線を受けて、ライナーは細い眉を眉間に寄せ、アニから目を逸らすと、喉の奥を鳴らすように「…分かってる」と呟いた。

 そんなライナーの矛盾と行動を看過出来ず、アニはライナーに一歩詰め寄り、苦悩を浮かべた横顔を冷めた目で見下ろす。

「それが分かっていて、この子を助けたってことは、何か意図があるってこと?じゃなきゃ、アンタがやってることは、私たちの使命を果たす目的に何の関係もない無意味なことだ」

 アニの言っていることは何処までも正論で、ライナーには反論の余地もなかった。

 それでも、ライナーには少女を放っておくようなことは出来なかった。
 例え彼女と出会ったのが自分じゃ無くマルセルだったとしても…きっと、…アイツならこうした筈だろう。

 しかし、自分達にはそんな私情を捨ててでも成さなければならない使命がある。

 ライナーはアニ達を納得させる為に、そして自分にとっての逃げ場所を探す為に、必死になって頭を回した。

「––––コイツに恩を着せて、うまく利用すれば、何か俺たちの計画に役立つかもしれないだろ」

 なるべく冷たく響くように、感情を無くした口調でアニを見上げて言う。
 しかし、勘の鋭いベルトルトもアニも、ライナーの真意が其処に無いのだという事を察したように、表情を曇らせた。

「……」

 ベルトルトが睨み合うアニとライナーの顔を焦った様子で交互に見つめる中、その沈黙を破ったのはアニの方で、アニはライナーに呆れた様子で腰に手を当て溜息を吐くと、舌を打つようにして言い放った。

「……勝手にすれば。私は関与しない」

 アニはそれだけ言い残して、踵を返しその場から足早に立ち去る。

「ア、アニ!ちょっと待って…!」

 後ろでベルトルトが呼び止める声が聞こえたが、アニは足を止める気には全くなれず、苛立ち熱くなった頭を冷やそうと宿泊所を出た。

 本当に、人間という生き物は身勝手だ。勝手に同情して、勝手に救いの手を差し伸べて、勝手に自分を肯定しようとする。
 
 私達が、此処に居る人間を地獄の底に突き落とした。

 それなのにどうして今更、彼女を助けようとする?そんなの、矛盾も甚だしい。例えそれが、ほんの小さなものだったとしても、私たちが使命を全うして故郷へ帰る道を憚る大きな要因となり得る可能性だって、あるかもしれないのに。

 そして、何より…

「そんな資格、私たちにはない…」

 アニはそう小さく足元に呟くと、傍に転がっていた松ぼっくりを足先で蹴飛ばし、冬の目に刺さる青い空を振り仰いで、深々と溜息を吐いたのだった。









 その日の夜、アニはどうにも寝付きが悪く、ベットを出て宿泊所の広間に出た。

 夜の静けさが漂う、薄暗く肌寒い広場のランタンに火を灯す。

 すると、ふと人の気配がして、アニは火が消えた暖炉の方へと顔を向けた。

 そこには、少女が居た。
 あの黒髪の少女で、どうやらやっと目が覚めたらしい。

 少女は粗末なシーツの上に上半身だけを起こして、アニへぼんやりと虚な目を向けていた。

 彼女の瞳は暗闇もよりも深く暗い黒を浮かべていて、アニはそのまま身体が吸い込まれてしまいそうな気がして目が眩み、息を呑んだ。

 二人の間に、石のような固い沈黙が降りる。

 自分の息遣いだけが鼓膜に触れ、アニは居心地の悪さに耐えられなくなって、どうしようかと迷った挙句、声を掛けることを選んだ。

「…目、覚めたの」

「……」

 しかし、彼女は何も答えなかった。

 ただ、暗く光の無い黒の瞳を、ゆっくりと瞬きしただけだった。

 それでも、アニは不思議と、温もりのないその瞳に、妙に惹きつけられた。

 まるで視線を固い糸で縫いとめられてしまったかのように離せなくなって、アニはゆっくりと足を踏み出し、その度に古ぼけた板張りの床が軋む音を聴きながら、彼女の傍へと歩み寄った。

「半日以上眠ったままだったよ」

「…」

 やはり何も答えない少女に、アニは怪訝になって眉間に皺を作ったが、ふとライナーが言っていたことを思い出し、急に居心地が悪くなって首の後ろを触った。

「…アンタ、声が出ないだったね…」

 決まり悪そうに小さな声で言ったアニに、彼女はゆっくりと履いていたズボンのポケットから、小さな手帳とペンを取り出し、サラサラと何やら書き始めると、それをアニに見せた。

「何っ…?」

 アニは怪訝な顔になって、その手帳に書かれた文字を見た。手早く書いていた割には綺麗な字で、『君の名前は?』とだけ、書かれている。

 アニは名乗る気はなかったが、じっと自分を見上げてくる瞳に誘われるように、「アニ・レオンハート」と息を吐くように、殆ど無意識に答えていた。

 すると、名前を聞いた彼女は初めて、人らしい表情を浮かべた。

 暗い双眸に、僅かに優しげな色を浮かべて、そっと目を細める。
 自分と同い年ぐらいであろう少女の表情は、酷く大人びていて、再び手帳に文字を書き始めると、アニへ見せた。

『素敵な、名前だね』

「っ、どーも…」

 自分の名前に対して何かを言われたことが無かったので、アニは妙に照れ臭くなって、気持ちが乱れると触る癖がある左腕の肘を右手で掴みながら、彼女から目を逸らし少々ぶっきらぼうになって言うと、彼女は僅かに口元を緩めた気配がした。

 それに、アニはまた、無意識に口が動いていた。

「アンタの名前は……っ、」

 そう口にして、心の中でしまったと息を呑む。

 島の中の人間に介入し過ぎて、繋がりを作ることは、今後使命を果たす上で悪い影響を及ぼし兼ねないと避けていたからだ。

 ライナーに自分で朝指摘をしておきながら、同じ轍を踏んでいることにアニは後悔を滲ませ表情を曇らせる。

 そんなアニの表情を見た少女は、何かを察したように瞬きをして、手帳にペンを入れると、アニへ見せた。

『無理に聞かなくても、いいんだよ』

「!?」


 その文章に、アニは目を見開いた。

 少女は怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ静かに、アニのことを見つめている。

 声になって聞こえてこなくても、その短い文章の中には、少女の痛くらいに温かな優しさが込められていて、アニは傷だらけの心が消毒液でも掛けられたかのように痛んで、息を呑み、下唇を噛み締めた。

 それと同時に、ある予感がした。
 

「…私だけ答えるのは、不公平でしょ」


 自分はきっと、今目の前に居る少女から、この先、離れることが出来ないと––––そう、自分の中の本能が警鐘を鳴らしていた。

 アニの言葉を聞いた少女は、問われた通り、自分の名前をメモ帳に書いて差し出した。

ハルグランバルド

 その文字は、アニに向けられ書かれた文字よりも、随分雑に書かれていて、アニはふと彼女の……ハルの顔を見た。

 ハルの顔はまた、無表情で冷たいものに戻っていた。

 アニは彼女が、自分自身を酷く嫌悪し、卑下しているように映った。

 そしてそれが、何故かとても悲しいことだと感じた。

 アニは胸に浮かんでくる感情に戸惑い、纏っていたパーカーの上から、波立つ左胸に掌を押し当てて、呟くようにして言った。

「…そう。いい名前だね」

 すると、彼女はゆっくりと手にしていた手帳をズボンに仕舞い込むと、首を小さく左右に振った。

 伏せられた目の長いまつ毛の下で、黒い瞳が悲しげに揺れていたのを、アニは見逃さなかった。




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