雨宿り
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「…これ、降り止むのかな…?」
ハルは兵服の上着に付着した雨を払いながら少し不安げに首を傾げるのに、ジャンも同じように兵服に付いた雨水を払い、頭を振って前髪の水気も払う。雨風に当たったのはほんの一瞬だったが、軽く髪先から滴が落ちる程には二人とも濡れてしまっていた。
「さあな…気の利く奴が傘持ってきてくれりゃあ、助かんだけどな…」
「そうだね…、…へくしっ!」
ハルは下を向いて軽くくしゃみをすると、ぶるっと小さく身震いした。寒さが苦手と言っていたのはどうやら本当らしい。
ジャンは自分の兵服の上着を脱いで、バサリと一度水気を払ってから、ハルの肩にそれを掛ける。雨に少し濡れては居るが、内側までは濡れていない。何もないよりは幾分か寒さもマシになるだろう。
「羽織っとけよ。…さみぃだろ?」
「っだ、大丈夫だよジャン!君が寒くなってしまうから…っ」
それにハルは慌てた様子で、上着を返そうとする。ジャンはそんなハルの頭の上に手を置いて、柔らかな黒髪に付着した雨水を払うように撫でながら首を振った。
「いいんだよ俺は。そんなに寒くねぇし…お前は女なんだから、体冷やすんじゃねーよ」
「…ありがとう」
ハルはジャンの掌から、不器用な優しさが伝わってくるようで、自然と目元が綻んでいくのを感じながら、ジャンが掛けてくれた自分よりも一回り以上大きな上着をぎゅっと握ってお礼を言う。
「お、おう…」
ジャンはハルのお礼を素直に受け取ったが、ハルが自分の上着をまるで宝物のように大事そうに抱きしめて、顔を埋めるようにしているのを見ていると、まるでハルに甘えられているような気分になってしまう。それが物凄く気恥ずかしかったが、顔に出てしまわないよう懸命に堪える。
小さな窓の外はもうすっかりと暗くなってしまい、倉庫の中は尚更暗くなっていて、ハルは薄暗い中倉庫の端の棚に置かれているランタンに視線をやると、その側に常備されているマッチ箱を見つけて、ジャンの上着に埋めていた顔を上げた。
「…明かりをつけようか。暗くなってきたし…」
「…そうだな。気休めでも多少は寒くなくなるかもしれねぇしな?」
ジャンは頷いて、ハルの頭から手を離すと、ランタンの傍へと足を進めた。年季の入った少し大ぶりのランタンを持ち上げると、中にオイルが入っている音が小さく鳴り、ジャンはマッチ箱に手を伸ばした。マッチはかなり湿気っていて着火に手間取るが、何とか点火に成功する。その小さな炎をランタンに移せば、淡い光が倉庫の中に広がって、視覚的な効果に過ぎないが、少しだけ体が温まるような気がした。
すると、背後で倉庫の床がギシリと小さく軋む音がして、ジャンは後ろを振り返る。
其処には倉庫の角に置かれている長椅子に腰を落とし、自身の兵服の内ポケットから、訓練兵団に入団した時に支給された手帳を取り出して、隣に座るよう手招きするハルが居た。
「ジャン、これ見てよ」
「…なんだ、それ?落書きか…?」
ジャンはランタンを手に取って、ハルに誘われるよう長椅子の隣に腰を落とし、側の棚にランタンを置いて、その手帳を覗き込んだ。
その手帳には、幼い子供が描く典型的な落書きが描かれていて、ジャンは首を傾げる。
「これ、この間病院に行った時フィンとパルシェが描いたものなんだけど…。この二人、誰だか分かる?」
フィンとパルシェとは、ハルが怪我をして入院していた際に、知り合った幼い兄妹だった。生まれつき体が弱い二人は、長く病院生活を強いられていて、その二人と病室が近かったハルは、たまたま病室前を通りかかった二人にちょっかいをかけられたのがキッカケで、ハルはすっかりフィンとパルシェから懐かれていた。ハルも病院を退院したものの、怪我をした右足の通院はまだ定期的に続いていて、その時は欠かさずフィンとパルシェには会いに行っているらしい。
その二人が描いたという絵(落書き?)は、ジャンには人というよりは動物のように見えて、うーんと唸りながら顔を顰めた。
「…二人って、これはそもそも人間なのか…?俺にはリスと子猿にしか見えねぇけどな」
「おお、流石ジャン!当たりだよ」
「…は?」
「これ、サシャとコニーの似顔絵なんだって」
「…っ、なるほどなっ。そう考えりゃあ上手く描けてるじゃねーか」
ジャンはハルの言葉に妙に納得して、思わず吹き出してしまう。それに釣られるようにしてハルもくすりと笑い、感心したように頷いた。
「二人には芸術家としての才能があるかもしれないね」
「っだな」
ハルとジャンは、同じ小さな手帳を覗き込みながら笑っていると、不意にランタンの炎が小さくパチリと音を立てて揺れた。
「「!」」
その時、二人は無意識のうちに、いつの間にか肩が触れ合うほど近くで寄り添っていたことに気が付いて、はっと顔を見合わせ、体を離した。ランタンの明かりだけを頼りにして、小さな手帳を見ていたのもあるが、段々と夜気に冷えてきた倉庫の中で無意識にお互いの温もりを求めていたのかもしれない。
オレンジ色の淡い光が、ジャンのはっきりとした輪郭を撫でるように照らし、またハルの色白の、整った目鼻立ちを照らしている。その顔は、ジャンにとっても、そしてハルにとっても新鮮に思えたのは、二人の髪が雨水に濡れ、額や顳顬に張り付いて、普段とは違う印象を与えていたからだった。
「…なんだか、ジャン。…雨に濡れてると、別人みたいだね…」
それを最初に口にしたのは、ハルだった。
ハルはジャンの色素の薄い茶髪の細い髪が、いつもは見えている彼の眉を覆い隠して、普段と変わって随分と柔らかな印象になっているのを見つめながら、囁くようにして言うと、ジャンは怪訝そうに目を細めて、首を傾げた。
「…なんだよ、急に」
「あ、いや…何時もと雰囲気が違うというか…、大人っぽいなって思ったから、つい…。突然変なこと言って、ごめん…っ」
何だと問われれば口に出して言うようなことではなかったのかもしれないと急に恥ずかしくなって、ハルはジャンから視線を逸らし、足元に視線を落とした。
すると、ハルの前髪からポタリと雨水が落ちた。
ジャンはその横顔に、もう何度目かも分からないが、目を奪われる。
出会った時のハルは、少女というよりは少年のようだった。
体つきも酷く華奢で、腕も足も細く、転んだら折れてしまいそうな程だった。開拓地で過ごしていた為、十分に食事も取れず重労働を熟していた所為もあるかもしれないが、同じ開拓地から来たアニ達と比べるとかなり頼り無さげだった。
しかし、しばらく寮生活をしているうちに、筋力もつき、質はともかく食事も三食取れるようになって、手足も健康的になった。中性的な顔立ちに変わりにはないが、この一年と六ヶ月で、少し大人びたようにも見え、元々端正な顔立ちではあったが、更に清廉さが増した気がする。
「ーーそりゃこっちの台詞だ」
ジャンはまるで「降参だ」と言うかのような響きで、白旗を振るように呟くと、ハルは顔を上げてジャンと視線を合わせた。そして…後悔した。
「綺麗だ」
「!」
それはとても短い言葉だったが、ハルを赤面させるには十分過ぎた。
いつもよりも低い声で囁やかれたその言葉は、ハルの心臓を容赦なく跳ね上げて、思わず息を呑んでしまう。
「…ハル?」
「…あ、いやっ…」
顔を俯けたハルを怪訝に思ったジャンが、わずかに身を乗り出すようにしてハルの顔を覗き込もうとする。ハルは顔が酷く熱いのを自覚していて、この顔をジャンには見せられないと思った。
しかし、顔を覗き込んできたジャンには、自分の顔が見えてしまったようで、僅かに息を詰まらせたような気配がした。
「ごめ…っ…何か…びっくり、して…」
「…」
「この顔、見なかったことに、してくれないかな……っ、」
ハルは真っ赤になった顔の半面を片手で覆って、おずおずとジャンを見上げた。しかし、ジャンの顔も同様に赤面していることに気がついて、ハルは目を丸くした。そんなハルに、ジャンは口元を手で覆い隠して、視線を逸らしながら言った。
「なら…お互い様ってことにしてくれ」
「わ、分かったよ…」
「…おう」
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