皆が紡いだ絆

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 ハルが意識を取り戻したのは、馬車に乗り始めて三十分程経過した頃だった。目を覚ましたハルにサシャ達は土下座する勢いで謝っていたが、あまりその時の事をよく覚えていないハルは軽く笑い飛ばしていた。

 馬車に揺られている間は皆で輪を作るようにして座り、話に花を咲かせ、ゲームをしたりもして遊んで過ごしていたが、そうしていると時間はあっという間に過ぎていってしまった。…しかし、何度乗っても馬車移動というものは腰に来る。

 馬車から降りた直後は、皆体をううんと伸ばして凝り固まった体を解していた。

 それからはシャミアさんに予め聞いていた白い花の絨毯がある場所まで、アルミンが描いた地図を頼りに林道を北西に向かってしばらく歩いて行くと、明るく日が差し込んでいる場所が草木の間から見えて、其方へと足を運ぶ。すると開けた場所に出て、其処にはシャミアさんが言っていた通りの絶景が広がっており、皆思わず感嘆のため息を溢した。


「…すごいっ、本当に白い花の絨毯だよ!」
 
 木々に取り囲まれるようにして、白い花がびっしりと敷き詰められたように咲き誇っている様子は、まるで白い雪が降り積もった雪原のようだった。昼時で南の空に高々と昇っている太陽が、小さな花の花弁を宝石のように煌めかせていて、少し奥には澄んだ大きな川が流れ、その周りには様々な種類の水鳥が集まっている。

 アルミンが名一杯に開いた瞳をキラキラと輝かせている中、ジャンは足元に咲いている白い花を覗き込むようにして地面に片膝をついた。

「この小さい白い花が、『スイートアリッサム』なんだな?…本当に、数え切れねぇ程咲いてるな…」

「あっ、奥の方には川が見えますよ!?」

「本当に綺麗だね…っ!…ユミルもっ、早く行こうよ!」

 サシャが川の方を指差すと、スイートアリッサムが咲き乱れている中へと飛び込んで行く。それにクリスタも続いて振り返ると、ユミルの方へと手を伸ばした。

「あぁ、そーだな…」

 そんなクリスタをユミルは眩しそうに見つめながら、こくりと頷いてその手を取る。
 
 しかし、皆がサシャを筆頭にして白い絨毯へと飛び込んで行く中、エレンだけがその場にじっと立ち尽くしたまま、目の前に広がる景色を眺めていた。それを不思議に思ったハルが、そっと声を掛ける。

「…エレン?どうか、した…?」

「いや…なんか。驚いてて…」

 エレンは景色をぼんやりと見つめたまま、独り言のように小さく呟いた。

「壁の中にも…こんな綺麗な場所があるんだな…」

 エレンの瞳の中には、白い花々が雪のように映り込んで輝いている。その瞳の輝きは、何処か切なげで、ハルは黒い双眼をそっと細めると、白い絨毯の中で駆け回るサシャ達の姿を眺めながら、静かに頷いた。

「…そうだね」

 エレンはいつも、強い意志の籠もった双眼で、壁の外の世界を見つめていた。

 自分達を取り囲み、高々と聳える壁の向こうにある、今まで見たことのない壮大な景色と自由を求めて…そしてその世界をアルミンやミカサと一緒に旅することを夢見ている。

 だからこそ、自分が今囚われている壁の中の世界で、美しいと心を打たれるものは無いのだと、何処かで思っていたのかもしれない。

 いつもと変わり映えのない世界、生活、見上げた空でさえも見たことのある姿ばかりしていて、目に映る景色に心躍らせたことなど、もうずっと長いこと無かったような気がする。

 まるで寝起きの夢心地でいるかのように、ぼんやりとしているエレンをちらりと見たハルは、再び視線をサシャ達へと向けると、ゆったりとした口調で話を始めた。

「…私達が生きてる壁内の世界っていうのは…アルミンが言う通り、とても狭いのかもしれないけど。…此処には、こうやって沢山の花や生き物が息づいてる…。…私達人間と一緒に…」

 ハルはそう言って、南の空に高々と昇っている太陽に、右手を翳す。

「きっとこの空と比べてしまえば……壁の中の世界なんて、ちっぽけなものなのかもしれないけれどーー」

「…」

 ハルの端正な顔に、翳した手の隙間から溢れた太陽の光が落ちている。そんなハルの横顔を、エレンは静かに見つめながら問いかける。

「お前は…こんな狭い世界の中で、自由を奪われたまま生きていくことに、何の抵抗も…感じないのか?」

 何故か自分の意とは反して、少し口調が固いものになってしまって、エレンは体の横にある両手を、ギュッと握り締めた。
 ハルは太陽に翳していた手をそっと握りしめると、その拳を、胸の前で再びゆっくりと開いた。

 もちろん、その手の中には何も無かったが、ハルの瞳には何か大切な物が見えているかのようだった。

「私はこの壁内で、エレンと同じ…多くのものを失ったけど。…得たものも、沢山あったんだ。奪われるばかりじゃなくて…与えてもらったものも確かに、あるから…」

「…この世界がお前に与えてくれたものって、何なんだよ?」

 エレンは太陽の熱を孕んだ微風に短い黒髪を揺らすハルに向き直ると、その先の言葉を、少しだけ急かすようにして問い返した。

 すると、ハルは自身の掌から視線を逸らし、エレンの方へと顔を向けた。

 その時彼女が浮かべた笑顔に、エレンは足元に咲き誇る白い花とは別の花が咲くのを見る。
 どこを取っても作られたもの一欠片も無い、自然で、捻った布が解けるように花が咲くような、そんな笑顔だったーーー。


「自分の何を賭けたって、惜しく無いって思えるほど大切な存在。…『エレン達』だよ」

「!?」

 その言葉に、エレンは自分の中に流れる血が泡立ち、心臓が一度大きく脈打つ…そんな感覚に見舞われて、息を呑んだ。

「私の世界は……皆の存在、そのものだから」
 
 その言葉が、やけに頭の中で大きく響く。

 不思議と目の前で微笑むハルが、酷く尊い存在のように思えてくる。しかしその感情は自分の心から生まれたものではなく、まるで自分の中にもう一人、知らない『誰か』が息づいていて、その存在がハルを焦がれ、息を呑んだような感覚だった。そしてその存在に突き動かされるようにして、エレンは唇を動かした。


「『 会 い た か っ た 』」

「!?」



 そしてその刹那ーーー



 突然草木の間を駆け抜け、辺りに強い風が吹き荒れて、足元に咲いていた白花の花弁が舞い上がった。

 それにサシャ達が驚いた声がやけに遠くに聞こえる。

 ハルは花吹雪の間から覗くエレン姿が、違う人の姿を象っているように錯覚して、考える前に体が勝手に動いていた。

 地面を蹴り、エレンの両肩を掴んで、ハルは本能に突き動かされるがままに口を開く。 


「やっと…見つけたっ…」


 ハルが見たのは、ハルが知っている少女の姿だった。

 もうすっかり、見なくなってしまったが、幼い頃は毎晩、夢の中で出会っていた、少女だった。

 しかし、次にはエレンははっとした様子で大きく瞬きをすると、自分の口元に手を当てて困惑した様子で呟いた。

「あれ今…俺…、なんて…?」

「っ」

 そんなエレンの様子を見て、ハルは自分の頭の中が急に冴えていくのを感じた。

 目の前に居るエレンはエレンであって、他の誰かである筈がない。そんな当たり前のことに気づいて、ハルはエレンの肩を掴んでいた手から、込めていた力を抜いた。

 それにエレンはふとハルへ視線を向けると、一度目を見開いた後、心配げにその目を細めた。

ハル…?」

「…」

「なんでそんな顔、してるんだ…?」

「…え?」

 そう問われて、ハルはふと自分の頬が濡れていることに気がつく。

 自分はいつの間にか、泣いていたのだ。

 余りにも無自覚で流れていた涙に、ハルは動揺しながらブラウスの袖で拭う。

「あれ…なんで、泣いてるんだろう。…おかしいな…」

「…俺も、そういう時が…あった気がする。もう何年も前の話だけど」

 エレンは慌てているハルを見つめながら、そう言った。

「…気付いたら泣いてて、でも、その理由が分からないんだ。ーーー不思議、だよな」

「…そう、だね」

 ハルはそう頷いて、ずっと鼻を啜る。それにエレンがにっと歯を見せて笑ったので、ハルも同じく肩を竦めて笑みを返した。 

 そうしていると、川の方からサシャの声が聞こえてきた。

「エレン!ハルー!何やってるんですか!?早くこっちに来て、お昼ご飯にしましょーっ!」

「あっ、ああ!いま行く!… ハル、もう大丈夫そうか?」

「うんっ…ありがとうエレン。…行こっか…!」

 二人は自身に起こった不思議な出来事に困惑していたが、余りにも現実離れしたことだったので、気のせいだったかもしれないと思いながら、サシャ達の居る方へと向かったのだった。


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