第四十五話
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ハルはあまりの眩しさに腕を目に翳して、ぎゅっと目蓋を閉じた。
そして、突然騒がしかった辺りがしんと静まり返っていることに気が付いて目を開けると、其処には今まで見ていた景色とは全く違う景色が広がっていた。
その場所は、とても広大な銀色の砂漠が何処までも広がっており、空を見上げれば、無数の星の瞬きで出来た大きな川が浮かんでいた。砂漠のずっと奥の方には、白銀に輝く大きな大樹が、佇んでいるのも見える。
「…ここは…何処だ……っ」
ハルは呆然としながら呟くと、ふと後ろから少女の声がした。
「ハルキ……?」
それはとても小さくか細い声だったが、何故かとても懐かしい感じがして、ハルは後ろを振り返った。
其処には、使い古された木のバケツを両手で持ち、自分を見上げる、金髪で青い瞳を携えた、一人の少女の姿があった。
その少女の事を、ハルは知っていた。
もう何度も、夢の中で出会って来た少女だったからだ。
「君は……、ユミル…?」
ハルは少女の名前を呼び、ユミルの元へと歩み寄ると、彼女の前で片膝を付いて首を傾げた。
すると、ユミルは青い瞳を何処か寂しげに細めて、手にしていたバケツを足元に置くと、小さな両手をハルの左胸に押し当てた。
「?」
ハルはユミルの行動に戸惑いながらも、少女の手に自分の手を重ねた。触れたユミルの手は、あまり手が大きい方ではないハルの手にすっぽりと収まってしまう程小さく、そして赤切れだらけでとても冷たかった。
それが痛々しくて、悲しくて、ハルはユミルの顔を目を細めて見つめると、ユミルはそんなハルの顔を見て、肩を竦めて笑った。
そして、ハルの額に自分の額をとんと押し当て、まるで鈴の音のような澄んだ声で、祈るように言った。
「……待ってる。ずっと、待ってるから」
ユミルがそう口にすると、左胸の中にあるハルの心臓が、ドクンと大きく鼓動した。
「!?」
その瞬間、ハルの目の前に広がっていた景色が、再び真っ白に発光して消え、次に広がったのは、エレンを喰らおうとしていた金髪の巨人が、複数の巨人に押し倒されて、体を食い散らかされている光景だった。
「なっ、一体何が…っ」
ハルは状況が理解出来ず唖然として立ち尽くしていると、「何であいつが…食べられてるの?」と、ミカサも地面にへたり込みながら、呆然とその光景を眺めながら呟いた。
「おいお前等っ!兎に角其処から離れろ!!」
すると、ジャンの切羽詰まった声がしてエレン達は振り返ると、ジャンとアルミンが馬に乗り、他二頭の馬を引き連れて此方に駆け寄って来ていた。
しかし、ライナー達は体に張り付いていた巨人を振り払って、エレンの元へ向かって迫って来ていた。
先程の雷のような電流が体を駆け巡ったのは、ハルとエレンの二人だけではなく、ライナーとベルトルト、そしてユミルも同じ感覚を共有していた。
そして、その電流がどんな意味を持つのか、エレンとハルとは違って、ライナー達の方は理解していた。
「(最悪だっ、よりによって座標が、最悪な奴の手に渡っちまった。間違いねぇ、断言できる!この世で一番それを持っちゃいけねぇのは、エレン!!お前だ!!!)」
ライナーは必死にエレンに向かって駆けていたが、エレンは迫って来るライナーに向かって声を張り上げる。
「来るんじゃねぇ!!てめぇらっ、ぶっ殺してやる!!」
すると、再び強い電流がハルと巨人の力を持つライナー達に駆け巡り、次の瞬間、金髪の巨人に喰らい付いていた巨人達が、ライナー達の方を見るや否や、一斉に飛び掛かったのだ。
「なんだっ…巨人が…」
エレンはまるで巨人が自分の望み通りに行動しているように思えて困惑していたが、アルミンがエレンを涙目になりながら馬に乗るよう急かすのに、ミカサを背中に捕まらせて、エレンは馬に乗り込んだ。
「この機を逃すな、撤退せよ!!」
エルヴィンが声を振り絞り、兵士達に撤退の命令を再び下す中、ジャンは巨人達に群がられ、ベルトルトが必死に巨人の攻撃から逃れようとしている姿を、馬に乗らず見つめているハルの後ろ姿に不安と焦燥を抱いた。
そして、ベルトルトを助けようとしたのか、或いは別の何か理由があったのか、巨人化したユミルがベルトルト達の元へと向かって行くのを見て、ハルが息を呑み、足をライナー達の方へと踏み出そうとした。
そんなハルの左腕を、ジャンは馬上から掴んで引き止める。
「行くな」
それは胸が締め付けられるほどに、切実な声だった。
ハルはゆっくりと振り返り、馬上のジャンを見上げた。
「行くなよ…ハル」
再び紡がれた言葉には、縋るような響きが滲んでいて、ハルはジャンの今にでも頽れそうな琥珀色の瞳を見つめたまま、蒼黒の瞳を静かに細めた。
「ジャン…」
ハルが名前を呼ぶと、ジャンがハルの腕を掴む手に力が籠る。
「頼む。俺を…俺を置いて、行かないでくれ」
ジャンは、とても耐えられないと思った。
ハルと離れ、生きて行くことも。ハルが自分の傍に居ない未来を、想像することすらも…––––
ハルは俺の所為で臆病者になったと言っていたけれど、それは自分も同じなんだということを、今この瞬間に、ジャンは痛感させられていた。
ハルは僅かに震えているジャンの手に、そっと自分の手を重ねると、血の匂いを抱えた生温い風に伸びた前髪を揺らしながら、黒曜石のように瑞々しく輝く瞳を柔らかく細めて、囁くように言った。
「…何処にも行かない。私は、君の傍に居るよ」
「!」
ジャンはその時、ハルの冷たかった手に温もりが戻っていることに気がついた。些か、青白かった顔色も、血色が戻っているようだった。ハルの言葉と顔色に安堵し、ジャンがハルの掴んでいた手を離すと、ハルはジャンの乗っている馬の鞍に取り付けられているポシェットから、煙弾銃を取り出し、赤の信煙弾を装填しながら言った。
「でも、どうしても…これは私情で我儘でしかないんだけどっ…ライナー達にどうしても直接伝えたい事があるんだ。だから…っ、これだけはどうか許して、欲しい」
ハルは左手に煙弾銃を持ち、右手のブレードを自身の右目に当てがう。
「おいっ、ハル…?お前っ、何するつもりだ!?」
ジャンははっとしてハルを止めようと名前を呼んだが、ハルは右目をブレードで傷つけると、体を黄金色に発光させ、そして未知の力を、解放した。
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「何だっ…巨人が…っ」
ベルトルトと巨人化したユミルは、ライナーの肩口で群がる巨人と戦っていたが、急に巨人が動かなくなり、地面に倒れた事に困惑した。
すると、前方からドンと何かが撃ち上げられた音と共に、真っ赤な煙弾が南の空に向かって立ち昇っていくのが見えた。
煙弾が撃ち上げられた場所には、ハルの姿がある。
そしてハルの背中には、黒白の翼が生えていて、ベルトルト達に向かって吹き付けてきた乾いた風には、白銀の羽と漆黒の羽が紛れていた。
「ハル…」
今のベルトルト達には、最早ハルを連れ去る余裕は残されていなかった。
そして、ハルが未知の力を使い、信煙弾を態々南に向かって撃って見せたのには意図があるのだとも感じた。
ハルはきっと、言葉で伝えられない代わりに、行動で伝えようとしてくれたのだろう。
僕達とは一緒に行かず壁内に残るつもりだということ。そして、もう自分の事は振り返らずに、僕達が決めた道を進んで行け…ということも–––
「……行こう、ライナー」
ベルトルトがハルの気持ちを汲んで、呟くように言うと、ライナーは少し間を開けて、やがてこくりと頷き、ベルトルトとユミルを連れて、南へと向かって走り出した。
「…ハル、さようなら」
ベルトルトは目尻に浮かんできた涙を拭い、胸元に揺れる御守り手にすると、其れを額に押し当て、静かに呟いた。
本当は、強引にでも連れ去ってしまいたい。
でも、それをハルが望まないのなら、ハルを生きる事よりも苦しめる事になってしまうのなら、散々ハルを傷つけて来た僕達ができることは、せめてハルの意思を尊重することなのだと…そう自分に言い聞かせる。
ベルトルトは額に押し当てた御守りを、次は胸に押し当てて、ハルに気持ちが伝わるよう願いながら、静かに呟いた。
「…僕達の事を見つけてくれて、ありがとう…っ」
第四十五話
未来への「座標」
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平地を這う風が、ハルの黒白の翼を、撫でるように揺らしている。
華奢な体には不釣り合いな程に、立派で大きな翼は、雲間を抜けて地上に落ちる光の柱に照らされて、小さな宝石でも散りばめているかのように、きらきらと淡く光り輝いている。
美しく、神々しいとさえ感じさせる黒白の翼は、ハルを何処か手の届かない遠い場所まで連れ去ってしまいそうで…
「ハル」
何だかどうしようもなく不安な気持ちになって、名前を呼んだ。
すると、空に掲げていた煙弾銃をゆっくりと体の横に下ろして、ハルは振り返る。
ハルは、笑っていた。
それでも、目の端からはするりと涙が頬を滑って、小さな顎から音も無く、丸い雫になって滴り落ちて行くのが見えた。
嗚咽一つ漏らさず、静かに涙を流すハルの姿に、心を直接指で撫でられるような切なさが胸に詰まって、もう一度名前を呼ぶ。
「ハル…」
「っ…」
すると、ハルは泣き顔を見られたくないのか、顔を俯けてしまった。細い頸と肩が、捨てられた子犬のように寂しげに震えているのを、俺はただ見ていることなんて出来なくて…馬上から小さな頭に触れて、そのまま柔らかな髪を撫で、涙に濡れた頬を掌で包み込む。
ハルはゆっくりと顔を上げた。
瞳が、涙に溺れ喘ぐように、弱々しく震えている。
ずっと後生大事に抱えて来たものを失って、途方もない不安にどうしたら良いのか分からず、まるで迷子の子供のような顔をしているハルの頬に触れたまま、ジャンは自分の心に誓いを立てるように、言葉を噛み締めるようにして言った。
「俺は、お前を一人になんてしない。悲しませたり、寂しい思いをさせたりなんてしないっ……絶対に」
そしてハルに触れていた手を離し、その手をハルの前に差し出す。
「ずっと傍に居る。約束する。だから…俺の手を、掴んでくれ……ハル」
ハルは、強い。
そして優しくて、とても弱い。
どんなに強い風にも、雨にも、嵐にも、決してめげたりする事なく立ち向かう強い芯を持っている。しかし、それ故に、ふと限界を迎えた時、その木は根ごと抉れて倒れてしまうような、そんな危うさもハルには同様に存在している。
だからこそハルには、傍で支えになる存在が必要で…、そしてその役目を担うのは、何者でもない、自分で在りたいと思う。他の誰にも譲りたくない。…譲ってなんか、やらない。
「お前の手を引くのは、いつだって俺で在りたい。この先も、ずっと…ずっと、お前と一緒に、生きていきたいから」
ハルがいつも、俺の心を支えていてくれたように、寄り添っていてくれたように、今度は俺も、ハルの心の支えになりたい。寄り添っていたい。ただ、単純に、傍に居て…一緒に生きていきたい。
「…っ」
ハルは、琥珀色の瞳を穏やかに細めて、優しい微笑みを向けてくれるジャンに、胸に空いた大きな穴が、温かな熱で満たされるのを感じた。
ハルは目に滲んだ涙をシャツの袖で拭うと、差し出されたジャンの手に、そっと指先を乗せた。
豆が潰れて、硬くなった皮膚の感触と、温かなジャンの体温を指先から感じて、ハルは少し怯えたような表情になる。
そんなハルの心中はお見通しだと言うかのように、ジャンは「しょうがねぇな…」と苦笑すると、「え?」と戸惑いを見せたハルの手首を掴んで、腰にもう片方の腕を回して強引に馬上に引き上げると、そのまま胸元にぎゅっと抱き寄せた。
「これからは俺が傍に居る。離れないし、離してもやらねぇから……だから、もう泣くな。俺は、何処にも行かないから。お前を置いて、死んだりなんて、絶対にしねぇから…」
まるで涙を拭ってくれるような優しい声で、心の風穴を埋めて安らぎを与えてくれる力強さと温もりが籠った腕で抱きしめてくれるジャンに、ハルは彼の背中に腕を回して、肩口に額を押し当てた。
「っ、 」
そして、ハルが耳元で小さく、それでもとても大切に、思いを込めて紡いでくれた言葉に、ジャンは息を呑む。
それから、ふっと口元に笑みを浮かべると、ハルの後頭部に手を回して、柔らかな黒髪を撫でながら、腰に回した腕で兵士らしく無い華奢な体を強く抱き寄せると、ハルの痣が浮かんでいる右の顳顬に、そっと口元を寄せる。
それから、ジャンは囁いた。
ハルの心に、吹き込むように、染み入るように。ゆっくりと、丁寧に、大切に––––
「俺も、お前を愛してる」
:
ウォール・ローゼが突破された可能性があるという一報で、ローゼの住民は、シーナ内にある旧地下都市への避難を余儀なくされた。
だが、残された人類の半数以上を食わせることの出来る食料の備蓄は、一週間が限界だった。
それを越えれば、人間同士の奪い合い、殺し合いになるのは必至である。
そのため当局は、問題発生の一週間後に、ウォール・ローゼの安全宣言をするより無かった−−−−
– 黒白の翼 season2 完結 –
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