第四十五話
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エレンは微睡の中で、ブレードが弾ける甲高い音と、立体機動装置の忙しなく鳴り続けるワイヤー音に目を覚ました。
自分の体は、ベルトルトの背中に紐で固く括り付けられており、舌を噛んで巨人化することを防止する為か、口には布が噛まされている状態だった。自分は身動き一つ取れない状態だが、耳の横では風を切る音と大きな地響きのような足音が鳴り響いていて、自分は今ベルトルトの背に捕まった状態で、いつの間にやら巨大樹の森を抜け平地を走る鎧の巨人、ライナーの肩に居ることを認識した。そして、激しいワイヤー音とガスを吹かす音が近づいてきて視線を向けると、ブレードを構えたミカサが、立体機動で向かってくる姿が見えた。
「ライナー守ってくれ!!」
ベルトルトは飛びかかって来たミカサに反応し、ライナーの耳元で声を張り上げると、ライナーは掌でベルトルトを覆い隠した。それにより、ミカサの斬撃は堅い鎧の皮膚に弾かれてしまう。
「っち!」
ミカサは大きく舌を打ったが、その刹那、ライナーの背中に捕まっていたユミルが、鋭い爪の生えた手をミカサに向かって振り下ろす。ミカサはユミルの攻撃を空中で身を翻して俊敏に避けながら、巨人化したユミルを睨み付けた。
「(やはり先にっ、ユミルを殺さなければ!!)」
「待ってミカサ!!ユミルを殺さないで!!」
「!?」
しかし、ユミルに斬りかかろうとしたミカサを、連れ去られたヒストリアがユミルの頭の上によじ登り、必死に声を張り上げて止めに入った。
それにミカサは一旦攻撃を止め、鎧の巨人の後頭部に張り付くと、ヒストリアを切羽詰まった顔で見下ろした。
「それはユミル次第でしょ!?どうするっ、私は邪魔するものを殺すだけ。選んでっ!」
しかし、切羽が詰まっているのはヒストリアも同じだった。決断を急かすミカサに、ヒストリアは焦りで上擦った声を上げる。
「待ってよ!ユミルだってライナー達に従わないと殺されるの!選択肢なんてないんだって!!」
「私が尊重できる命には限りがある。そして、その相手は六年前から決まっている。ので、私に情けを求めるのは間違っている。なぜならっ、今は心の余裕とっ、時間が無い…!クリスタ、貴方はエレンとハル、それともユミル、どっち?貴方も邪魔をするのっ!?」
エレンを奪還出来る一歩手前まで漸く来られたミカサは、それを邪魔する者に対して構わず殺気を露わにするのに、ユミルはミカサを追い払おうとする。
「グァア!」
「やめてユミル!抵抗しないで!死んじゃう!!」
しかし、そんなユミルをヒストリアが慌てて止めた。いくらユミルも俊敏とはいえ、ライナーのように硬い鎧があるわけではない。ミカサが相手では、勝てる確率はかなり低いだろう。そう判断したユミルは、ミカサを攻撃しようと振り上げた手を力無く下ろした。
「…っ」
ヒストリアの言葉を聞き入れ従ったユミルに、ミカサは攻撃対象を変えて背後を振り返ると、鎧の巨人の掌の中に隠れているベルトルトの元へと向かった。
ライナーの掌の中で、意識を取り戻したエレンは、ライナーの掌を激しく蹴って暴れた。ベルトルトはハルを片腕に抱え、もう片方の腕で体が押し潰されないよう必死に抵抗する。
「ぅぅうう!!」
「やめろエレン!暴れるなっ!!」
「そりゃ無理があるぜ、ベルトルト」
すると、耳馴染んだ声がすぐ傍で聞こえて、ベルトルトははっとして視線を上げた。
ライナーの手の指の隙間から見えたのは、こちらを覗き込むジャンの顔だった。
そして、周りにはミカサだけではなく、コニーやサシャ、そしてアルミンの姿もあることに気が付き、ベルトルトは突然胸の中に冷水を流し込まれたかのように身を強張らせて、息を呑んだ。
ジャンはライナーの手の隙間から僅かに見えるベルトルトに向かって、なるべくいつもと変わらないよう努めた口調で話し掛けた。
「そいつをあやしつけるなんて不可能だろ?五月蝿くてしょうがねぇ奴だよなぁ!?よーく分かるぜ!俺もそいつ、嫌いだからな。一緒にシメてやろうぜっ、なぁ…出て来いよ」
「ベルトルトッ!返して!」
ミカサはベルトルトの背中にいるエレンと、腕の中にいる意識の無いハルの姿が指の隙間から見えて、針のように尖らせた語気で言い放つ。
コニーとサシャは未だ二人が敵だったという事実を受け入れられずに、信じられないと狼狽え、声を震わせながら問い掛ける。
「なぁ、嘘だろ?…ベルトルト、ライナー。今までずっと俺達のこと騙してたのかよ…?そんなの酷ぇよっ?!」
「二人共、嘘だって言ってくださいよっ!」
「っ……」
ベルトルトは何も答えず、唇を噛み締めて押し黙るのに、ジャンは焦燥と怒りを押し殺そうとして声を上擦らせながらも、説得を試みようとする。
「おいおいおいっ…お前等このまま逃げ通す気か?!そりゃねぇよお前等…!三年間、一つ屋根の下で、苦楽を共にして来た仲じゃねぇか!?……ベルトルト、お前の寝相の悪さは芸術的だったな?いつからか、皆毎朝お前が生み出す作品を楽しみにして、その日の天気を占ったりした。…っけどよお前っ…」
しかし、言葉を連ねている途中で、ジャンは感情を制することが出来なくなってしまった。
今までベルトルトやライナーと過ごしてきた時間を思い起こして行く過程で、彼等に対する怒りの感情が、留まることを知らないように沸々と込み上げてきて、喉が引き攣り喘ぐような響きが、声に滲み始める。
「あんなことした加害者がっ、被害者達の前でよくっ、ぐっすり眠れたもんだなっ!?」
感情の枷が外れかけて、手にしているブレードの柄が苦しげに軋む程強く握りしめるジャンが、顔を顰めて奥歯を噛む隣で、コニーは目の下にショックを浮かべながら、彼等の裏切りに詠嘆的な口調で言った。
「全部嘘だったのかよ…?どうしたら皆で生き残れるか話したのも、おっさんになるまで生きて、いつか皆で酒飲もうって話したのも全部っ、嘘だったのか?なぁお前等っ、お前等は今までっ、何考えてたんだ…!?」
「そんなもの分からなくていいっ…!」
「え…?」
ライナー達の正体と行動に震撼する同期達に、ミカサは冷たい声でぴしゃりと言い放った。
「こいつ等の首を刎ねる事だけに集中してっ!一瞬でも躊躇すれば、もうエレンもハルも取り返せないっ!こいつ等は人類の害、それで十分!」
ミカサのように、心を割り切ることが、今は重要な事なのかもしれない。ほんの少しの迷いが、今後の人類の命運を大きく左右することに繋がってしまうかもしれない。ジャンにはそれが、理解出来た。しかし、理解は出来るが、ジャンはライナー達に対して納得出来ない事が多過ぎて、それを看過することも、放置し続けることも出来ないと、冷たくなった肺に大きく息を吸い込んで、その息を深く吐き出す。
「十分じゃねぇよ、ミカサ…っ」
憤りや悲痛を入り混ぜた溜息を吐くようにして呟やかれたジョンの言葉に、ミカサは視線をジャンへ向け、瞳を細めて見つめ返した。
ジャンは左手に握っているブレードの柄に縫い付けているマルコのエンブレムを見下ろしながら顔を歪め、喉を押し潰すような低い声で言った。
「こいつ等から、聞いておかなきゃなんねぇことが、まだあんだろっ…!」
「っ、ジャン…」
そう口にしたジャンの横顔には、燃える炎のような憤怒が滲み揺らいでいて、それに気づいたコニーが、今まで一度も見たことがないようなジャンの物々しい形相に、思わず怖気付いたように名前を呟いた。
ジャンはライナーの手の甲に額を押し当て、指の隙間の向こうにいるベルトルトの頸の横に僅かに見える、ハルの青白い首筋を見つめながら、飢えた獣のように荒ぶる怒りに震えた声で問い質す。
「おいベルトルト、ライナー……ハルは、無事なのか?っ其処に、居るんだよな…?意識は、一度でも戻ったのか……なぁ…っ、教えてくれよっ…!」
「…っ」
ベルトルトは何も答えない。
ただ、僅かに見えるベルトルトの後ろ姿が震え、両肩に力が籠ったのが見えて、ベルトルトが腕に抱いているハルを胸に抱き寄せたのが分かり、ジャンは己の心が一層ささくれ立って、荒んで行くのが手に取るように分かった。
彼等の裏切りに対しての怒りに、酷く私情めき澱んだ感情が入り混じって、喉が詰まり噎せ返りそうになりながらも言葉を連ねる。
「ハルを、こっちに渡せ……っ…お前等に、ハルを連れて行く資格なんてもんはっ、無ぇんだよっ…!そんなことお前等がっ…お前等が一番っ、分かってるんじゃねぇのかよ!?」
ハルの心の、一番近い場所にいつも居座っていた癖に。
自分よりもずっと長い間、彼女の傍にいた癖に。
誰よりも、何よりも、彼女に大切にされていた癖に。愛されていた癖に––––
そんな彼等を妬ましいと思う感情ばかりが、胸に込み上げてくるのを、ジャンは最早自制することが出来なかった。
ライナー達の事を知り、ハルがどれだけ苦しんでいたか、嘆いていたのか…そして、彼等を必要としていたのか。その姿と声を、一番近くで、見て、聞いていたジャンには、彼等の行動と選択を許す事など、とても出来ることでは無かった。
「何とか言えよっ…ハルがどれだけっ、苦しんだと思ってる…!?どんだけ傷ついたと思っていやがる!?お前等の身勝手な都合で、感情でっ…ハルを散々利用しやがって…っ、ハルをこんなっ…!二度も地獄に突き落としておいてよぉっ!!?なんだって未だっ、自分達の傍に置いておこうなんて思えんだよ?!!」
ジャンは右手のブレードをライナーの手の甲に激しく突き立てるが、傷一つ付く事も無く、刃だけが弾けて虚しく地に落ちて行った。冷静さを欠いて、感情のまま無駄に刃を消耗するのを止めようと、コニーはジャンの肩を掴んだ。
「ジャン!落ち着けっ!!」
しかし、ジャンはコニーの手を激しく振り払った。
「放せよコニーッ!!落ち着いてなんかいられる訳ねぇだろっ!?」
「っお前…」
ジャンの目には涙が滲んでいて、コニーは息を呑んだ。
その涙と、ジャンの苦悩に満ちた表情には、ハルのことを思う直向きな強い思いが現れていて、コニー達はそれ以上ジャンを止めようとはしなかった。
コニー達は、ライナー達に対し一番傷ついているのも、苦しんでいるも、悲しんでいるのも、彼等と共に過ごして来た時間がここに居る誰よりも長く、そして彼等を信じ続けて来たハルなのだということに、今更になってジャンに気付かされたような気がしてしまった。
そして、そのハルの気持ちを一番に理解しているのも、寄り添うことが出来るのも、ジャンしか居ないのだと確信した。
ジャンは団長室でアニ達のことを聞かされた時の、ハルの姿を思い起こしながら、ライナーの掌の中の、薄暗い闇の中に浮かんでいるベルトルトの後ろ姿を睨め付けながら、血を吐くようにして言い放った。
「ハルはっ…っそれでも…そんなクソみてぇなお前等でもっ…!お前等のことを、信じていようって必死にもがき苦しんでたんだぜっ…?お前等と過ごして来た時間を、絆を信じて……両手の骨が砕けちまう程っ、何度も何度も地面に叩きつけながら、お前等の名前をっ…ずっと、ずっと泣き叫んでたんだぞ!?」
「…っ、ハル…っ」
そこで漸く、ずっと口を閉じたまま無言を貫いていたベルトルトの苦しげな声が、ライナーの掌の中から聞こえた。
ベルトルトは罪悪に喘いでいるようだったが、ジャンにはそんなことはどうでも良い事だった。
ハルの全てを奪った彼等が、ハルを未だ苦しめようとする行為を、決して許すことなど出来ない。散々仲間の命を奪いこの世界を地獄に変えた加害者が、今更何を懺悔したところで、罪悪に苛まれたところで、同情の余地もない。
「俺はずっと、お前等が羨ましかったよ。ハルと強い絆を持ってるお前等がっ、こいつの心の一番近い場所に居られるお前等が…っだってのに、…なんでこんなことがっ、出来た…!?お前等はこの世界で、誰よりもテメェを信じてくれる一番の味方を裏切ったんだ!!そんなお前等が、今までもこれからもっ、ハルの傍に居る資格なんか無ぇんだよっ!!」
肥大化した怒りが口を押し開けて、煮え上がった感情が耐え切れず爆破したように叫んだジャンに、ベルトルトは癇癪玉が破裂したように声を上げた。
「そんなことは分かってる!!」
ベルトルトは自身の腕の中で、ぐったりとしているハルの顔を見下ろしながら、悲痛に顔を歪め、掠れた声で言い連ねる。
「…もう…ずっと前から分かってたさ…。僕達がハルの全てを奪った……家族も、故郷も……希望も、夢も、全部。でも、それでも…僕達はハルから、離れられなかった。ハルと築いてきた絆も、時間も、思い出もっ……何一つ、手放せなくてっ…本当は、ハルと関係を持つことで、この壁の中を知る手段が増えると思ってたけどっ……ジャンの言う通り、僕達は結局、何も出来ないまま…ハルのことを、ただの友人として、僕達の罪の意識を和らげるための心の拠り所にして、利用して来たんだっ…」
そして、ハルの体を抱き寄せ、ジャンをライナーの指の隙間から見上げながら言い放った。
「でも僕達はっ、もう心はずっと前から、決めている。ハルに憎まれても、どんなにこの選択が罪深いことだと分かっていてもっ……!ハルをこの壁の中から連れ出すって、そう決めたんだ!…この気持ちは、何があろうと絶対に変わらない…何があってもだ。だから、ジャン…僕達は君に、ハルを渡さない。他の誰にも、僕達からハルを、奪わせない。絶対にだっ…!」
「っ」
ジャンは薄暗い闇の中に浮かんでいる二つの目が、挑発的に光り自分を睨め付けてくるのに、顳顬が辺りが疼いて、胸の中がすっと冷め広がっていくのを感じた。
その冷たさに、ジャンははっと震えた息を唇の隙間から短く吐き出して、額に張り付いた前髪を掻き上げた。
「…ははっ…そー、かよっ……っ!…だったら取り返すだけだ」
ジャンの眼には明瞭に、激しい怒りの炎が揺らいでおり、周りにいた同期達は彼から放たれる針のような殺気に、思わず固唾を呑んでしまう。
ジャンは前髪を掻き上げたまま頤を上げ、眼差しに氷の刃のような敵愾心を孕み、ベルトルトを見下ろす。
「ベルトルト、ライナー。ハルをこの世界の地獄から救い出せるのは、自分達しか居ねぇんだって思ってんなら、そりゃ大きな間違いだってこと…お前等からハルを取り返すことで証明してやるよっ…!」
ジャンは打ち据えるような語気で言い放つと、ベルトルトはジャンの胸倉に掴みかかるような口調で言った。
「…何も知らないだろ、ジャン。君は、僕達のことも、この世界がどうなっているのかもっ…何が本当に、君たちにとっての敵なのかってことも!!…それなのに、どうしてそんなことが、言えるんだよ!?」
感情を昂らせるべルトルトに、一同は口を噤んだ。
「誰が、人なんか殺したいと思うんだ…!!誰が好きでこんなことをしたいと思うんだよ!?人から恨まれて殺されても当然のことをした、取り返しのつかないことを…でも…僕らは罪を受け入れきれなかった。兵士を演じている間だけは少しだけ、楽だった。…嘘じゃないんだ、コニー、ジャン!確かにみんな騙したけど、全てが嘘じゃない。本当に仲間だと思ってたよ!僕等に、謝る資格なんてあるわけないけどっ、誰か!お願いだっ……誰か僕らをっ、見つけてくれっ…!!」
ベルトルトの魂から滲み出るような救済を求める叫び声を、言葉の意味を理解することが出来たのは、ライナーと、そしてユミルの二人だけであった。
この地獄のような世界から、どうか救い出して欲しい。
もう、終わりにして欲しい。もう、どうか赦してほしい。
血で染まり切った手を洗い流すことは出来なくても、もうこれ以上、本当は汚したくないんだと……。
ベルトルトの叫びが作り上げた静寂を破ったのは、ミカサだった。
「……ベルトルト、エレンとハルを、返して」
「…駄目だ、出来ない。誰かがやらなくちゃいけないんだっ。誰かが…自分の手を血で染めないと」
「っ」
ベルトルトの返答に、ミカサの双眼の瞳孔が大きく開くのを、アルミンは剣呑な表情で見つめていた。ベルトルトの言葉が、アルミンには酷く胸に引っ掛かった。
彼等は自分意思では無く、ベルトルトの言葉には強い柵のような存在を感じ、何か大きな宿命に囚われ、その生贄にされているような…不自由さを感じたからだ。
すると、不意に地上から馬で駆けるハンネスの声が飛んできた。
「お前ら、其処から離れろ!!信じられねぇっ、巨人を引き連れてきやがった!!」
その言葉に、ジャン達はハンネスが指差した方へと顔を向けると、エルヴィンが率いる部隊が正面からライナー達の元へ馬で駆けてくる見えた。そして、彼等の背中には大量の巨人の姿があったのだ。
このままでは、巨人の群れに衝突してしまう。
「お前ら今すぐ飛べっ!!」
ハンネスの声に、ジャン達は立体機動でライナー達から離れた。
「総員散開っ!!巨人から距離を取れ!!」
エルヴィンの指示で、巨人を率いてきた兵士達もライナーを避けるように左右に散開すると、追い駆けて来ていた巨人達がライナーの鎧の巨人に激しく衝突した。
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