第四十四話
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それから何時間かが経過経したが、太陽は段々と落ち始めているというのに、気温も高く湿度が高いのか蒸していて、エレンとユミルはそれに加えて体の修復で傷口から蒸気を上げている所為もあるのか、ひどく喉も乾いていた。
「ライナー、水は無いのか?どうにかしねぇと、体が干からびて死ぬぞ…」
ユミルは手で汗ばんだ顔をぱたぱたと煽ぎながら、愈々我慢出来なくなってライナーに問い掛けた。
「確かにそれは死活問題だが、この状況じゃ手に入れるのは無理だ」
辺りに給水できるような場所はもちろんないし、巨人が群がっている状況で、下手に動くことも出来ない。それに、一見したところライナー達も食料や飲水を所持している様子はない。
「おっしゃる通り、状況はクソったれだな、全く…」
元々どうにかなると思って聞いた訳ではなかったユミルだったが、やれやれと肩を竦め、舌を打つようにして言った。
そんな中、ハルが苦しげな呻き声を上げ身じろぐと、ずるりと木の幹に預けていた身体が滑り、危うく地上へ落ちそうになるのを、傍に居たベルトルトが慌てて支えに入る。
「っ、ハル…しっかりして…」
ベルトルトはハルの前に片膝をつき、ハルが被っているフードを外した。夕陽の所為ではっきりとは分からないが、青白い顔をしているということは、離れているエレンやユミルからも分かった。
そしてハルの右頬に、見覚えのない痣のようなものが浮かんでいることにも気が付く。巨人化した後に出る巨人痕とはまた違うようで、何かを模しているような、紋章のようにも見える。
壁上でハルを見た時は、あんな痣は無かった筈だ。エレンはちらりと隣にいるユミルを見ると、ユミルもハルの顔の痣を初めて目にした様子だった。
「おい、ハルの…その顔に浮かんでる痣は…なんだ?」
ユミルが怪訝顔で問いかけると、ベルトルトは首を横に振った。
「分からない。ただ、此処に連れてくる最中に、突然ハルの顔に浮かび上がってきたんだ。何かを…模しているのようにも見えるけど、何なのかは僕らにも分からないんだ」
ベルトルトはハルの右頬に浮かんでいる痣を、指先でなぞるように触れる。指先が少し触れただけでも、ハルの体温が少し前よりも下がってしまっていることがはっきりと分かった。口元に耳を寄せれば、微かに聞こえる呼吸も、小刻みに震えている。
「震えてる…。こんなに暑いのに、どうしてハルの身体は冷たいままなんだろう…」
ベルトルトが不安げに呟くと、ライナーもベルトルトとハルの居る木の枝へと移動し、ベルトルトの頭上からハルの顔を覗き込むようにして屈むと、ハルの白い顔にそっと手を伸ばして触れた。
「本当に冷たいな……これも力の副作用なんだろうが…早くなんとかしてやらねぇと…せめてちゃんとした場所で、休ませてやりたいんだが…」
それから、ライナーはハルに触れていた手を引いて、胸の前に腕を組むと、はあと疲労を滲ませた溜息を深々と吐き出した。
「こいつだけじゃない。昨日の午後からだったか…俺達も巨人が沸いてからずっと働き詰めじゃねぇか?ろくに飲まず食わずで、何より寝てねぇ…、まあ幸い壁は壊されてなかったんだから、一先ずは休ませてもらいてぇもんだ。昇格の話は、その後でいい」
「…っライナー」
突然、人が変わったように話し出したライナーに、ベルトルトはライナーを振り仰ぎ、顔を顰めて咎めるように名前を呼んだ。
それに、ライナーは何だよと肩を竦めて見せる。
「いや、そんくらいの働きはしたと思うぜ俺たちは…?あの訳の分からねぇ状況でよく動けたもんだぜ。兵士としてそれぐらいの評価と待遇があっても、いいと思うんだがなぁ」
「ライナーさんよ、何言ってんだ」
ユミルは怪訝な顔を更に顰めて、低い声で問い掛けた。
それに、ライナーは戸惑った様子で首を傾げる。
「ああ?なんだよ、別に今すぐ隊長に昇格させろなんて言ってないだろ?」
「…そうではなくてだな」
ユミルは自分がおかしな事を口にしているということを自覚していないライナーに表情を曇らせる隣で、エレンは激しい怒りに身体を震わせていた。
「ああ、そういや、お前らあの大砲どっから持ってきたんだよ?あの時は本当に助かったぜ、そんでもってその後のハルなんだが、腕の応急処置をしてくれてな…」
「おい」
エレンは、激しい怒りの感情が体の底から突き上げてくるのを、懸命に咬み殺そうとして震えた声を、喉の奥で唸らせた。
「あいつ、本当に成長したよ。昔は不器用でまともに包帯も巻けなかったってのに、本当に変わっ」
「おい!!」
しかし、凶悪なその感情を抑えることが出来ず、エレンは喉から血を吐くような大声で叫び立ち上がった。ライナーの言葉を易々と掻き消し、激昂したエレンの声は、辺りの空気を引き裂くように響き渡った。
「てめぇっ…!ふざけてんのか…!?」
憤激の色を顔に滾らせ、殺気さえ漲らせて顔を歪ませながら自分を睨み上げてくるエレンに、ライナーは狼狽え、声を上擦らせて口早に言う。
「は?何怒ってんだよエレン。俺が何か不味いこと言ったか?」
「殺されてぇなら普通にそう言えっ!!」
エレンは怒りに身体を震わせ、頭を振り乱しながら、自分が恰も兵士であるように振る舞い始めたライナーに怒鳴り声を上げると、ユミルは立ち上がって、エレンを制するように肩を掴む。そして、困惑顔のライナーの隣で、複雑な表情を浮かべているベルトルトに言った。
「待てよエレン、あれはどう見ても普通じゃねぇよ。…そうだろ、ベルトルさんよ。何か知ってんなら良い加減黙ってねぇで何とかしてやれよ…!」
「は…?」
ユミルの言葉に、ライナーは困惑した顔で隣に立つベルトルトを見た。そんなライナーの顔を一瞥して、ベルトルトは重々しく開いた口で静かに言った。
「ライナー、君は『兵士』じゃないだろ。僕らは、『戦士』なんだから」
「!?」
ベルトルトの言葉を耳にしたライナーは、目蓋が破れそうな程に眼を瞠った。
それから、頭の中にフラッシュバックした景色と、甲高い叫び声に悲鳴を上げてしまいそうになるのを、奥歯を噛み締め頭を両腕で抱え込むことで耐えた。
発作を起こす寸前のように、呼吸が乱れ顳顬に脂汗が滲む。
『ラッ、ライナー!!?なっ、何を?!』
地獄だ。
そして自分が引き起こし、犯した罪だ。
『あぁぁぁぁあああああっ!!!!』
彼の悲鳴が鼓膜に張り付いて、眼球と脳裏には、その体から真っ赤な血が噴き出す光景が、刻み込まれている。
それは、巨人に鷲掴まれ、身体の半分を噛みちぎられた、マルコの姿だ。
本当に、自分は、中途半端な糞野郎だった。
自分がマルコを殺した。巨人に食わせた。だというのに、俺は自分が犯した罪を、受け入れ切れなくて…耐えれなくて、俺の心は真っ二つに割れて、壊れてしまったんだ。
「ああ…そう…だったな…」
ライナーは眉間に掌を押し付け、ひどく掠れた声で息を吐き出すように溢すと、その場に座り込み項垂れる。
「ああ、なんだそりゃ…?」
エレンは急に潮らしくなったライナーに顔を顰める中、ユミルは今までのライナーの行動に抱いていた違和感の理由を見つけ、皮肉を含んだ嘲笑を浮かべながら言った。
「何となくだが、分かった気がする。おかしいと思った、壁を破壊した奴が命懸けでコニーを助けたりするなんてな…自分が矛盾したことやってんのに、無自覚だったんだよ。なんでそんなことになったのかは知らんが、恐らく、本来は壁の破壊を目的とする戦士だったが、兵士を演じているうちにどちらが本来の自分か分からなくなった。いや、もしくは罪の意識に耐えられず、心の均衡を保つために無意識に自分は壁を守る兵士と逃避し、そう思い込むようになったんだ。その結果、心が分裂し、記憶の改竄、話が噛み合わなくなることが多々あったって様子だな?…いや、それともずっと前から、その矛盾に気が付いてはいたんじゃないのか?ハルと開拓地で出会った頃から、いや…それとも、もっと前から…ベルトルさんの呆れ顔を見るに。すげぇな、お前の実直すぎる性格じゃそうなってもっ」
「黙れ!!口を閉じろぉっ…!!」
「!」
ライナーは鬼のような剣幕で声を張り上げた。
今にでも此方に飛びかかり喉元を噛み千切られそうな、激しい怒りに揺れ、殺気立った眼を向けられて、ユミルは息を呑んだ。
「わ、悪かったよ、詮索が過ぎた…」
ユミルはそれに気圧されたように謝罪すると、顳顬に冷や汗を浮かべて、再びその場に座り込んだ。
しかし、エレンにはライナーの怒りなど、どうでもいい事だった。
ライナーとベルトルトは、自分の家族を奪い、故郷を奪った張本人だ。そして多くの罪もない人達を殺し、そして仲間達を騙し続けてきた殺戮者だ。…その癖に、だというのに、何が罪の意識で、心を痛めて苦しんでいるだなんて、そんな事は……そんな感情を二人が抱くなんてことは、エレンには許せない事だった。
「ふざけんじゃねぇよ…なんで被害者面してんだよ…!?どういうつもりだ?…あの日、どういうつもりで俺達の話を聞いてたんだ、なあ、ベルトルト。お前だよ腰ぎんちゃきうやろう。俺は話したよな、お前らの目の前で、俺の母さんが食われた時の話を…。したよな?お前が蹴り破った壁の破片が俺の家に直撃したから、母さんは逃げらんなかったんだって…知ってんだろ話したもんなぁ?どう思った…あの時、どう思ったんだ!?その時だけじゃねぇよっ、ハルのっ、家族のことを知った時だって、お前はどう思ったんだよっ!!!?」
エレンは激しい怒りに地団駄を踏みながら、ハルのことを見つめている、ベルトルトに向かって叫んだ。
それに、ベルトルトは感情を押し殺した、蒼白な顔で、呟くようにして答えた。
「…あの時は––––、気の毒だと……思ったよ」
「!?」
エレンは、ベルトルトの答えを聞かずとも、納得も…ましてや許す事など出来ないことは分かっていた。どんな答えを聞いても、決して自分は、彼等の事を許すことは、永遠に出来ないんだと……
ただ、ベルトルトの言葉は、エレンに燃え盛る炎のような憎悪と殺意を生み出した。そんな短い言葉だけで、まるで他人事のように、自分達がその加害者であるというのに、簡単に片付けようと足蹴にされたようで、体が身震いする。
そしてその瞬間に、自分の中に微かに残っていた、ライナー達に裏切られたことへの悲しさも、虚しさも、もう何も消えて無くなった。
「ああ…そうか…お前な…お前等は兵士でも戦士でもねぇよ、ただの人殺しだ。なんの罪もない人を殺した、大量殺人鬼だっ!」
「そんなことは分かってんだよ!!お前にわざわざ教えてもらわなくてもなぁっ?!」
ライナーは感情的になって声を張り上げ、苦悩に大きく歪んだ顔でエレンを睨みつけた。
「じゃあ一丁前に人らしく悩んだりしてんじゃねぇよ!?っもう人間じゃねぇんだぞお前らは!?この世界を地獄に変えたのはお前らなんだぞ!?分かってんのか人殺しがっ!!」
「その人殺しに何を求めてんだよお前は!?反省して欲しいのか、謝って欲しいのか、それでお前は満足かよ!?もうお前が知る俺達はいねぇんだよ、泣き喚いて済むならっ、そのまま喚き続けてろぉっ!!」
ライナーの激昂が、落雷のように辺りに轟いた。
それから、厚い壁のように手に触れられそうな沈黙が広がる。
その壁に、爪を突き立てるように、エレンは咽喉から渦捲く煙のように怒りが洩れて出るような声で言った。
「そうだな…俺がまだ、甘かったんだ。俺は、頑張るしかねぇっ、頑張って…お前等ができるだけ苦しんで死ぬように、努力するよ…!」
翠色の双眼を大きく見開き、その瞳一杯に怒りと憎しみを孕ませているエレンに、ユミルはやれやれと額を左手で抑え、呆れた口調で言った。
「そうじゃねぇだろ…。頼むぜエレン、そんなガキみてぇなこと言ってるようじゃ期待できねぇよ」
「はあ!?」
エレンは条件反射のように声を上げて、ユミルに向き合い見下ろすと、ユミルはそんなエレンを一瞥して、冷静な面持ちで再びライナーを見やった。
「なあ、ライナー、あの猿はなんだ…」
「猿?…何のことだ?」
目一杯叫んで落ち着いたのか、ライナーは先程の癇癪をすっかりと押し留め、冷静さを取り戻したようだった。
「知らなかったのか?その割には、あの猿を見た時、お前等二人共、ガキみてぇに目を輝かせて見てたよな?」
ユミルは見逃してはいなかった。
ウトガルド城で、馬を突然塔に向かって投げ付けてきた、腕の長い獣のような体毛に覆われた大型の巨人を目の当たりにした時、二人はまるで探し人を漸く見つけた時のような、それは嬉しそうな顔をして居たことをだ。
「その猿って獣の巨人が、今回の騒ぎの元凶なんだろ。壁の中に巨人を発生させたんだ。目的は威力偵察ってところか、お前等が目指してんのも、そいつのところだ。そいつを目指せば、お前らの故郷に帰れるんだろ?」
エレンも、ユミルが言う猿というのは、ミケが状況を報告をしに来た際に口にしていた知性のある巨人の事だということは理解出来ていたが、ユミルが何故其処までの考察を立てられるのか、それはエレンは知らず、ユミルは知っている情報があるという事なのだろう。
「お前、何を知ってんだよ?!知ってること全部話せ!」
エレンは焦燥してユミルに問い詰めるが、ユミルは首を横に振った。
「待てよ、私にもいろいろ都合があるんだ」
「なんだよ、都合って!?」
ユミルは大きく一度瞬きをすると、神妙に細めた目でエレンを見上げた。
「エレン、あの二人をやっつけて終わりだと思ってるなら、それは大きな勘違いだ」
「はあ?敵は何だっ!?」
「敵?それは言っちまえば…せ、」
しかし、ユミルがその先の言葉を紡ごうとした時、ライナーがそれを制するように口を開いた。
「ユミル。お前はこの世界に先があると思うか?そこまで分かってるなら身の振り方考えろよ?お前次第ではこっちの味方になることも考えられるだろ」
ライナーの言葉を、ユミルは「はっ」と肩を竦めて鼻で笑い飛ばす。
「信用しろって?無理だろ。そっちは私を信用出来ない」
「いいや、信用できる。お前の目的は、クリスタとハルを守ることだろ?」
ライナーの言葉に、ユミルが小さく息を呑んだ。
ライナーはちらりとハルを見やった後、ユミルを見据えて話を続ける。
「それだけに関して言えば、信頼し合える筈だ。冗談言ってるように聞こえるかもしれないが、クリスタとハルをどうにかしたいという思いを、俺達が受け入れられないと思うか?それよりも、エレンの力の方が、頼りになるっていうのか」
ユミルはちらりとエレンの顔を見た。まるで品定めをしているような視線を向けられて、エレンは眉を顰める。
「お前はエレンを利用して此処から逃れる事を考えてたようだな。俺達に連れ去られても助からないと思ったからだ。…正直に言うとその通りだ。俺達についてもお前の身の安全は保証されない。だが、クリスタとハルの二人だけなら、俺達で何とか出来るかもしれない。自分の僅かな命か、クリスタとハルの未来か……選ぶのはお前だ」
ライナーは腕を組み、硬い口調でユミルに言い放つ。
エレンは自身の身の振り方に迷っている様子のユミルに、詰め寄るように身を乗り出した。
「この世界の未来って何だよ…敵は何だ…?どういうことだっ!?おい、言えよ!敵の正体はっ…ユミル!!」
しかし、ユミルはエレンから視線を逸らして、息を吐くように短く答えた。
「……さあな」
「!?」
その言葉に、エレンはユミルが自分ではなくライナー達につくことを選んだと直感した。
「決まりだ。残念だったなエレン」
ライナー達も同じくそれを理解して、エレンに皮肉を言い放った時だ–––
北方の上空に、緑色の信煙弾が撃ち上げられるのを、ライナー達は目撃した。
エレンやユミルの場所からは見えないが、少し高い位置に居るライナーとベルトルトにはハッキリと確認することが出来た。
「(調査兵団が、もうあの場所まで来てるのか!?)」
ベルトルトは悲壮的な表情を浮かべる中、ライナーは苦虫を噛んだように顔を顰めて、拳を体の横で忌々しげに握り締めた。自分達が故郷に帰れるまで、もう一歩の所まで来ているというのに、調査兵団は最後の最後まで、諦め悪く自分達を追い詰めようと追い駆けてくる。
恐らくこの短時間で此処まで進んで来たということは、エルヴィンが兵士達を率いている可能性が高い。
そうなると、ライナー達がエレン達を連れて逃げ切るのは容易な事では無くなる。
「くそっ!」
あと一時間もすれば日没だというのに、かなり嫌なタイミングで、彼等は着実にこの巨大樹の森へと迫って来ている。もう日没をこの場所で待っている余裕は無くなってしまったと、ライナーは胸元のホルダーから操作装置を取り出した時、ベルトルトは神妙な面持ちでライナーの肩を掴んだ。
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