第四十四話
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エレンは青っぽい香りが鼻腔を掠め、葉が風に揺れて互いにさらさらと擦れ合う音が鼓膜を撫でるように触れるのに、ゆっくりと重たい目蓋を押し上げた。
「おうエレン。起きたか…」
霧がかかったように霞む視界の中にぼんやりと浮かんだのは、二つの人影と、日が傾き始めているのか疎らに雲を浮かべて、微かに朱を含み始めた夕焼け空だった。
ぼやけている視界は微睡む頭が覚醒していくと共に、徐々に輪郭を取り戻し始め、二人の人影がライナーとベルトルトであるということを漸く認識したエレンを、少し離れやや高い位置にある太い木の枝の上で、ライナーとベルトルトは石のように固い表情を湛えながら見下ろしていた。二人の立つ木の枝がやけに太いので、まるで二人が小人にでもなったかのような錯覚をしてしまいそうになるが、エレンやライナー達が居る場所は巨大樹の木上だった。
エレンは座している状態から立ち上がろうと体に力を込めるが、上手く身動きが取れず怪訝に思い自分の体を見下ろすと、調査兵団仕様のローブで上半身がキツく縛られ拘束されていることに気がつく。
「…っ」
エレンが慌てて身を捩り拘束を解こうとするのを、ライナーやベルトルト二人の他に、エレンが座っている同じ巨大樹の枝に腰を落として、神妙な面持ちで何も言わずに眺めているユミルの姿もあった。
何とか自力でローブの拘束を解いたエレンだったが、上半身の自由が効くようになり、解放された腕をローブの下から取り出すと、両腕の肘から下が無くなっていて、切断部の腕の先から激しく蒸気が上がっていることに気が付き、思わず動揺してしまう。
「なっ…何で!?う、腕がっ!!」
「エレン、見ろよ…私もこの通りだ。お互い今日は辛い日だな?」
取り乱してしまいそうになっているエレンに、隣に居たユミルが漸く口を開いた。
エレンと同じく腕を失い蒸気が上がっている右腕と、足首から下を失っている右足をふらふらと動かし、見せつけるようにして言うユミルに、エレンは冷静になるよう努めたことで少し上擦った声で問い掛けた。
「なっ、なぁユミル。何で、俺の腕が無ぇんだ…?」
「そりゃあ、すまん。俺がやったんだ」
ライナーの淡々とした声がして、エレンはユミルの手足から視線を逸らし、正面を向いた。
エレンとユミルが居る巨大樹とは違う木上の、少し高い場所にある枝に立っているライナーは、胸の前に両腕を組み、鋭く小さな瞳を細めた。
ベルトルトはライナーと同じ木上ではあるが、違う枝の上に膝を折って太腿と脹脛をくっつけるようにして座り、エレンの様子を少し緊張した顔で見下ろしていた。
「何せ急いでいたからな、慌てて頸に噛み付いたら、お前の両腕を蔑ろにしちまったんだ」
ライナーの体温を感じさせない平坦な声と言葉に、エレンはウトガルド城に居た同期達を救出したローゼの壁で、巨人化したライナーとベルトルトと交戦した時の記憶をやや微睡みが残っていた頭の中に思い出した。
ライナーとエレンは巨人化した状態で激しく衝突していたが、壁上で上半身だけを巨人化したベルトルトが、戦うライナーとエレンの元へ落下してきた事によって、激しい衝撃と熱風に巻き込まれてから、エレンは意識を失ってしまっていたようだった。恐らく、ライナーは鎧の巨人の硬い装甲に守られ、無事で済んだのだろう。それを踏まえての、ベルトルトの作戦だったのだ。
それから、ローゼの壁から離れた場所にある、マリアの領域内にある巨大樹の森に、ユミルと共に連れ去られてしまったのが、今の現状に繋がる経緯なのだろう。
「そうか…俺は負けたのか…」
エレンは自分の無力さが招いてしまった結果に、肩が落ちるような口惜しさを感じながら呟いた。
しかし、決してまだ、諦めては居なかった。
一度負けても、生きているのなら、まだ戦える。
「っ」
エレンはライナーとベルトルトを睨め付けながら、がぶりと未だ修復が終わっていない右腕に噛み付いた。
「エレンやめろっ!」
巨人化しようとするエレンに、ベルトルトは焦燥した様子で身構えるようにその場に立ち上がった。
「まぁ待てよ。エレン」
しかし、腕に齧り付いたエレンを宥めるようにユミルはエレンの右肩に手を置くと、冷静な物言いで現状を説明し始める。
「よく周りを見てみろ。此処はウォール・マリア内にある巨大樹の森だ……壁から大分、離れた場所にあるらしい。当然、巨人さん方の敷地内なわけだ。…下を見ろよ」
ユミルに顎で促され、エレンは目覚めて初めて、自分の周りの様子を見回した。
エレン達がいる巨大樹の周りには、多くの巨人達が集まっていて、四人のことを相変わらず不気味な目で見上げている。ユミルは巨大樹の幹に異様に張り出した腹部を擦り付けて、両腕を伸ばしている巨人ではなく、巨大樹の下で寛いでいるかのように寝転がっている巨人を見下ろしながら、落ち着きを加えた説明口調で言う。
「あれも奇行種って言うんだろうか…寛いでいるようにも見えるが、目だけはしっかりと此方を向いているな?…周りに細かい奴らもいるが、あれも十分脅威だ」
そして、次には少し離れた巨大樹の後ろに身を隠すようにして立っている十二メートル級の巨人へと視線を向ける。
「あっちにも、デカいのがいるぞ、見てるだけで近づいて来ない。繊細なんだろうなきっと……そんで、奴等だ」
奴等、という言葉に、エレンはライナーとベルトルトへ再び視線を向けた。
ライナーとベルトルトは、立体機動装置の装着が許可されていなかったため、装備を身に付けて居なかったが、今は二人共誰かから奪い取ったのか立体機動装置を身につけている。鞘の中のブレードも、全て補充されている状態のものだった。
「セコい奴らめ、二人だけ立体機動装置を着けてやがる。…ライナーのはお前が着けてたやつだよ。闇雲に今、巨人化するのは得策とは思えない。あいつらも同じことが出来る上に、木の高いところに逃げることも出来る。そうじゃなくても、周りは巨人だらけなんだ。この巨人が居る領域内を生き延びるには、巨人の力を持っていても困難だ。分かるだろ?暴れてる余裕は無いんだって…?」
ユミルの言っていることは尤であり、エレンは歯痒さを感じながらも下唇を噛んだ。
先ずは現状を把握し、しっかりと作戦を立てなければ、この厳しい状況から脱する事は困難だろう。
しかし、ライナーは相変わらず淡白な口振りで言う。
「いや、そもそもお前らは巨人にはなれない。そんな都合の良い代物でもねぇのさ。体力は限られている。今はお前等の体を修復するので手一杯のようだ」
「馬鹿がっ…誰がてめぇの言葉なんか信用するかっ!?」
エレンはライナーを睨み上げながら、敵意を露わにして声を張り上げた時だった。
「っ…」
小さな呻き声がして、エレンははっとベルトルトの立っている木の枝の根元へ視線を向けた。
其処には、背中を木の幹に預けるようにして座り込み、気を失っている兵士の姿があった。その兵士は調査兵団のフードを頭に被っている状態で、エレンやユミルの位置から顔を窺うことは出来なかったが、ベルトルトが心配げに歩み寄り、傍に片膝をついて顔を覗き込む仕草と、ライナーも能面のように無表情だった顔に懸念を浮かべるのを見て、意識なく座り込んでいる兵士がハルだということを、エレンは容易に察することが出来た。
「ベルトルト…どうだ?」
「ああ、…呼吸も弱いし…体も冷たいままだ。相変わらずだよ」
ベルトルトはフードの中のハルの頬に指先で触れ、首を横に振る。それに、「そうか…」とライナーは肩を落とし息を吐くようにして言うと、眉間に皺を刻んだ。
「おいっ、其処に居るのはハルなんだよな?…っお前ら、ハルから離れろよ…っ!」
エレンはライナー達に向かって、獣が威嚇する時のように喉を唸らせるような低い声で言うが、ライナーはハルに向けていた表情を引き剥がして再び無表情になると、胸元で組んでいた両腕を腰に当てがい、エレンを冷たい目で見下ろした。
「ハルは今危険な状態なんだ。俺達が見ていてやらないといけないんだよ」
「危険…って…」
エレンは隣にいるユミルを見やり、おかしいと眉先を眉間に寄せて、意識がないままのハルを見上げた。
内臓がぐちゃぐちゃにされて、明らかにハルよりも重体だったユミルは既に目を覚ましているというのに、特に目立った外傷がなかったハルが未だ目を覚まして居ないというのは、一体どういうことなのだろうか。
「なんでっ、ハルにだって傷を修復する力がある筈だ。ユミルだってあんだけ重症で、今意識が戻ってるってのに、どうしてハルの意識は戻らないんだよ…!?」
エレンの疑問に、ライナーは意識が戻らないハルへと再び視線を向け、表情を曇らせて考えあぐねたように顎に手を添えた。
「…俺にも良く分からん。ハルの力は一概に、俺達にある巨人の力と言えるものなのかどうかもな。…だが、この状態を見るにだが、ハルは力を使い過ぎて、体力を著しく消耗し衰弱しちまってるんじゃねぇか…。現に、左頬にある小さな切り傷も、修復出来ていないところを見ると、傷を治す力も今のハルには残っていない…もしくは、もっと優先すべき別の場所に、力を使ってるってことに、なる」
「…別の、場所?そりゃ一体…なんだ?」
エレンは困惑顔になって問うと、ライナーはゆっくりと一度瞬きをした後、顎に添えていた手を離し、胸の前で腕を組み直しながらエレンとユミルを見下ろした。
「–––お前らは、おかしいと思わなかったか。ハルのことを…」
そう口にしたライナーの声は何時もより一層低く、緊迫した響きをしていて、辺りの空気が突然凍りついたように冷たく張り詰めるような感覚に、エレンとユミルは無意識で息を詰めた。
「ハルは俺やベルトルト、ミカサのように特段体格に恵まれているわけでもない。足も腕も細ぇ、本人が幾ら体を鍛えても、体格は目立って変わることも無かった。だってのに、いざという時には凄まじい力を発揮出来たり、最近じゃ妙に耳が効くようにもなっただろう?…まさに人間離れした力だ。それに、思い出してみろ…訓練兵の時もだ。初めての長距離行軍の日、崖から落ちた時だって……あんな高い場所から落ちて、普通じゃ無事でいられる筈がねぇんだよ……例え落下の途中に木に背嚢が引っかかったのが緩衝材になったんだとしてもだ。…それだけで助かるような高さじゃなかった」
今まで、ハルの身体能力や傷の回復力に驚かされる場面は、訓練兵時代から何度もあった。
しかし、それはハルの不断の努力の賜物だと思って、特に気に留めたことは無かった。傷の治りが早いのも、そういう体質なんだろうと軽く流していた。
だが、ライナーの言うように、ミカサのように背丈があり筋肉がついているわけでもない華奢な体では決して出来ることでは無い動きや力を、ハルは度々見せることがあった。常人では出来ないようなことを、ハルは『未知の力』に目覚める以前から、既に発揮していたのだ。
そして、崖から落ちて大怪我を負った時も、普通ならば半年かけて治す大怪我を、ハルはその半分の時間で完治し、リハビリも早々に終えて、訓練に復帰したのだ。
「それは…確かに、そうだな」
エレンの隣で、ユミルは息を吐くように呟いた。
エレンもユミルも、これまでハルが見せてきた行動や能力に明確な説明が付けられなかったが、ライナーが言わんとしていることを考えれば、全て説明付けられるのだということに気づく。
「こいつは、無意識に……ずっと前から、巨人の力を限りなく抑制した状態で、発動して居たとは考えられないか?そうだと、考えた上でだ……エレン」
「?」
「お前は知ってるんだろ。こいつが力を覚醒させた時の事を…」
「!」
ライナーの話を聞いている内に、エレンは奇妙な不安感のようなものが胸に鎌首を擡げるのを感じていて、その内心を槍で無遠慮に突かれたような気がして、エレンは思わずごくりと固唾を呑んだ。
何やら物知り顔のエレンに、ライナーは蛇のように目を鋭く細めて問い掛ける。
「…ハルがあの『未知の力』を使ったのは、今日が初めてじゃない。俺達が開けた、門の穴をお前が塞いだ後、調査兵団が駆けつけた直後のことだ…巨人の挙動が一時、おかしくなった瞬間があった。短い時間ではあったが、巨人がその場から動かなくなって、突然地面に平伏した。それと同じ現象が、ウトガルド城でも起きた。…ということは、ハルはあの時に、力を覚醒させたんじゃないのか?」
「なんで、その話をお前にする必要があるんだよっ…!今、この状況でっ!」
「この状況だからだ。エレン。…ハルが死んでもいいのか?」
「あぁ!?」
エレンはライナーの言葉に眼光を鋭くして声を張り上げるが、怒りを露わにするエレンに対して、ライナーは細めていた目を一度瞬くと、平静な表情とやけに落ち着いた口振りで言う。
「お前が今知っている情報をくれれば、俺達が知っている知識と合わせて、ハルを助けてやれるかもしれないだろう」
「…っ」
確かに、自分には巨人の力があるが、巨人の力について詳しい情報を知っている訳では無い。ハルの事を考えるならば、今ハルの力について自分が知っていることを話し、打開策を見出す為にも二人に情報を与えるべきだということは理解出来る。しかし、エレンには自分達を裏切った人間に情報を渡す事に、どうしても抵抗があった。
しかし、答えあぐねているエレンを、ユミルが説得する。
「エレン、アイツ等を信用できない気持ちは分かるが、話してくれ。ハルが心配だ……あのままじゃ、マジで危険だってことは、お前も分かるだろ?」
そうユミルに促されて、エレンはハルが力に目覚めた時の話を、ライナー達にすることを決め、ゆっくりと口を開いた。
「……俺はその場に居合わせたわけじゃない。ただ、ハンジさん達が話していた経緯は…」
エレンは巨人の力を使い大石で穴を塞いだ後、間も無く気を失い、気が付いた時には裁判所の地下室に居た。なので実際にハルが力を覚醒させた時の光景を見たわけではない。
ただ、ハルが自分と同じく、何かしらの力を保有していて、それを発動するための実験をハンジ達と行っているという話は聞かされていた。その頃は同期達と会うことは愚か、単独行動も禁止されていた為、もちろんハルと会って詳しく話をしたわけでもなく、人伝いで聞いた話でしか知らないのだが……エレンはハルの『未知の力』についての情報を一切知らされていなかった同期達より、ジャンの次くらいにはハンジからも情報を開示されていて、今この場に居る三人の中で一番詳しい立場であることは確かだった。
エレンは気を失ったまま動かないハルを見上げながら、話し始めた。
「ハルは、俺が穴を塞ぐ直前に、巨人に拘束されて、投げ飛ばされた。…そして、トロスト区の教会に衝突して…そこで、死んでいたらしい」
「!?」
「え…?
「な、に…?」
エレンの言葉に、ユミルは驚愕し、ベルトルトは一気に顔を蒼白にして唇の隙間から震えた息を吐いた。そして、冷静さ維持し続けていたライナーも、此処に来て始めて、大きく感情を波立たせたのがエレンには分かった。
「後頭部が潰れて、手足は折れ曲がって…出血も酷かった。心臓も止まっていて、駆けつけたジャンが蘇生術を施したけど、駄目だった。とても助かるような状況じゃなかった。…それなのに、ハルは助かった。…背中に突然、翼が生えて…満身創痍の体があっという間治っちまったって。だが、それから心音が…しなくなった。正確には動いてるけど、限りなくゆっくりで、人の聴力では聞き取れなくなっちまった。それからだ、ハルの耳が、人並み以上に過敏になったのも…、味覚が、無くなっちまったのもな」
エレンは、ハルのことを口にして話していると、胸が酷く締め付けられていくのを感じた。自分と同じように突然身体が変化して、周りの環境も大きく変わってしまった…人生の歯車が、大きく狂ってしまったような感覚を、同じく味わって居ただろう。一緒に歩いていた仲間達と同じ場所を向いて歩いている筈なのに、歩いている道は違ってしまったような孤独も、きっと感じていた筈だ。
だからこそ、エレンはハル達に兵服が支給された日、ジャンに『頼むぞ』と仲間の命の責任を託された日に、ハルが言ってくれた、「一緒に歩いて行こう」という言葉が、エレンにとってとても救いになり、心の拠り所になっていた。疑心暗鬼に陥っていたあの時期の自分にとって、唯一ハルの言葉だけは、疑いなく信じられていたような気がした。
そして、今になって痛感させられる。
嘘を吐くのが下手で大の苦手なハルが、大切な仲間達に嘘を重ねながら過ごして行くことを強いられることになってしまった、その悲しみと苦悩は、計り知れない程大きなものだったのだろうと––––
「……は、何だよ…それ…」
ユミルはエレンの隣で、無傷の左手で前髪を掻き上げるようにして額を抑えた。それから、大きな溜息を吐いた後、物憂げに細めた瞳で、ハルを見上げる。
「じゃあ、何だ…?本来なら死んでたハルは、巨人の力で蘇って、巨人の力で今、生きながらえているってことなのか?…じゃあ、巨人の力が弱まれば…ハルは…っ死んじまうってこと、なんじゃねぇのか…っ」
ユミルは最後の言葉を口にするのを少し躊躇したように言うと、ライナーとベルトルトは大きく息を呑んだ。
それから、ベルトルトは悲しげに目を伏せ、胸元で揺れている御守りを握りしめる。ライナーも顔の反面を手で覆って項垂れ、打ちひしがれた様子で黙り込んだ。そんな二人に、エレンは急いたように叫んだ。
「おいっ、ライナー!俺は話したぞっ…何か、何か手段はあるのかよ!?ハルを助けられるんだろ!?」
「…ライナー、あの人なら何か分かるかもしれない。巨人学を研究していたクサヴァーさんから、獣を受け継いだあの人なら」
「…ああ。だったら尚更、ハルは連れて行かなきゃならなくなった」
ベルトルトとライナーが二人だけにしか聞こえないよう会話を始めたのに、エレンは苛立ち「おい!」と声を張り上げると、ライナーはエレンを見下ろした。先程浮かべていた動揺は、彼の顔からはすっかり無くなっていた。
「エレン。ハルは必ず助ける、心配するな」
「はあ!?助けるってどうやってだよ…っ!!」
具体的な事は話さず突き放すような言い方に精神を逆撫でられて、エレンは立ち上がり、ライナー達を睨み上げる。そんなエレンの隣で、ユミルはがしがしと頭を左手で触りながら胡座を掻き、いつもより低くなった声で問い掛けた。
「まあ、巨人の力について詳しく知ってる訳じゃねぇから、その辺の複雑な仕組みはアンタ等と違ってよう知らん。が、ライナー。エレンが目覚めたら話すって言ってたよな?アンタ達はこれから私私等をどうするつもりなんだ?」
ユミルの問いに、ライナーは足元に蔓延る巨人達を見下ろしながら、教科書でも読むような口調で淡々と言い聞かせるように言った。
「俺達の故郷に来てもらう。大人しくしろって言って従う訳がないことくらい分かってる。だが、ユミルが言う通り、此処は巨人の巣窟だ。此処で俺等が殺し合ったって、弱ったところを巨人に食われるだけだ。…つまり巨人が動かなくなる夜まで、俺達は此処に居るしかねぇのさ。お前等が俺達を出し抜くにしろ、俺達がお前等を連れ去るにしろ。夜まで待つしかない」
「鎧の巨人のまま走って故郷に帰らず、こんなところに立ち寄った理由はなんだ。疲れたから休憩してんのか」
「お前の想像に任せる」
「っち…単純に夜になるまで待ってるってことか」
「それもあるがな」
全てを話す気はさらさら無い様子のライナーに、ユミルが戯れたように小さく舌を打つ。
そんな中で、エレンは再び座り込み、今後どう行動すべきか考えを巡らせていた。
ライナー達の隙を見て巨人化したところで、此処から走り去るのはそんなに難しいことではないように思える。
だが、そもそも自分がまともに巨人化出来るかどうか、定かではない。ライナーが言っていた今は傷を治すのに手一杯だという言葉も、今のハルの状態を考えれば、嘘では無い可能性が高い。何より、先程腕に噛み付いて巨人化しようと考えたが、いつものように体に電流が駆け巡るような感覚も手応えも、一切しなかった。
そして、心配なのは、未だ目が覚めないハルと、そして一緒に戦っていた仲間達のことだ。
自分は巨人化していた為致命傷にはならなかったが、超大型巨人が壁から落下した時の激しい熱風と衝撃に、壁の下で戦っていたミカサやハンジ達が無事なのか、気がかりでならない。
「(あの後、皆どうなった…?まさかこっちに向かってねぇよな?そんなことしたら、みんな無事じゃ済まないぞっ…)」
エレンが内心でひどく焦燥している中、ユミルはライナー達から情報を得ようと質問攻めを続けていた。
「つーか、あの城の巨人は夜なのに平気で動いてたな?此処の巨人はどうだ?」
「此処の巨人は夜には動けない。そんなことお前なら分かってるだろユミル」
お前なら。というライナーの言葉に、エレンは引っかかりユミルに訝しげな視線を向ける。
「(そういや、ユミルは何故巨人になれる?俺と同じで何も知らないってわけじゃなさそうだが…味方、なのか?こいつの目的も良く分からない。元々よく分からない奴ではあったが…)」
エレンは元々、ユミルとはそれ程付き合いがあるわけではなく、クリスタ…否、ヒストリアにいつもくっ付いている奴、という認識くらいしか持っていなかった。
それに、巨人になれるということをずっとひた隠しにして居たのに、ウトガルド城では仲間を守る為、身を挺して巨人と戦かっていた。一体、ユミルはどちらの味方であるのか、それすら明確に分かっていない。
「(決めたぞ。…兎に角だ、情報を集める。まずは出来るだけこいつ等から情報を聞き出して、この状況を切り抜ける。その為にも今は感情を噛み殺せっ…体を、修復しろ!)」
エレンは分からないことばかりのこの現状をどうにかしない限り、作戦を立てることも出来ないと、一旦私情を抑え込み、冷静に情報収集に専念することを決めた。
「(タイムリミットは日が落ちるまでだ…っ)」
エレンは意を決し、ぎりっと奥歯を噛み締めて、オレンジに染まった空を仰いだのだ。
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