第四十三話
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朝日を迎える時間にしては、嵐が来る前のように暗い空だった。
鼠色の分厚い雲が重々しく広がって、パタパタと細かな雨が降り始めると、灰色の壁面が段々と明度を失って行く––––
「ゆっくり、慎重に上げろ!」
モブリットのやや神経質になった声が響くと、壁上の調査兵達の緊張感がより一層増した。
トーマやミケの報告により、エルミハ区からウトガルド城へと駆けつけたハンジ率いる調査兵達に見守られながら、ハルとユミルの二人は、ウォール・ローゼの壁上へとリフトで引き上げられていた。
ハンジ達がウトガルド城に到着した時、城は激しい音を立て土埃を上げながら倒壊した。
巨人化したユミルが仲間達を頭部に乗せたことで、倒壊した瓦礫に押し潰されることは皆免れたが、城を取り囲んでいた巨人達に襲われ、ユミルはクリスタ達を守る為に身を挺して戦い、体の彼方此方を食い千切られてしまった。頸を食われる瀬戸際でハンジ達の加勢が入り、幸いユミルが命を落とすことはなかったが、ミケ班のリーネとヘニングは、この戦いで殉職し、ナナバとゲルガー、そしてライナーは負傷、ユミルと、そして仲間を守ろうと奮闘していたハルも重症を負っていた。
「ユミル…、ハル…っ」
トロスト区から少し離れた南西の壁上に引き上げられる意識の無いハルとユミルの姿を、先に壁上へと引き上げられていたクリスタは心配げに見守っていた。
エレンも壁上に片膝をついて、意識の無い二人の様子を見下ろしながら、傍にいたハンジ班の一人であるケイジに問いかけた。
「ユミルとハルは、一体どういう状況なんですか…?」
刈り上げ頭の厳つい顔つきをしたケイジは、左右のアンカーを壁上に固定し、104期の新兵を壁上へ上げる補助をするために降下する準備を取りながら、神妙な声音で答えた。
「ユミルは右側の手足が食い千切られ、内臓はスクランブルエッグにされちまったようだ。グランバルドに至っては、目立った外傷は無いものの、体温が異常に低くなっちまって、呼吸も弱い…。それに、心臓の方も相変わらずだ。普通なら二人とも死んでるってよ」
そう言い終えると共に、ケイジは地上へと慣れた様子で操作装置を扱い、地上へと降下して行く。
「…普通、なら…か…」
エレンはハルとユミルの目元に残っている波打つ縦縞の巨人痕を見つめながら、一人重々しく呟いた。ケイジの言葉は自分自身にも当てはまるものであり、他人事と捉えることは出来なかった。
ハルの未知の力については、ハンジ達から話は幾分聞いてはいたが、まさかユミルまで巨人の力を使うことが出来るとは予想もしていなかった。それも、エレンの知る鎧や超大型巨人ではなく、全く別の巨人の姿をしていた。一体この世界に、知性を持つ巨人はどれだけ存在しているのだろうかと考えていると、すぐ側で男の呻き声が聞こえ、エレンはふとして立ち上がった。
地上からリフトで引き上げられたライナーが、右腕を負傷しているため壁上へ上がるのに苦戦している姿が目に入り、エレンはライナーの元へと駆け寄ると、屈み込んで手を差し出した。
「ライナー、捕まれ」
「おうっ」
ライナーはエレンが伸ばした手を迷いなく掴むと、リフトから壁上へと移った。
その後ろで、クリスタは必死にハンジへウトガルド城での状況報告を混えながら、今後のユミルの身を案じ訴えかけていた。
「どうか、信じてください!本当なんです!ユミルは私たちを助けるために、正体を表し巨人と戦いました!自分の命を顧みない行動が示すものは、我々同士に対する忠誠です。これまでの彼女の判断はとても罪深いのも事実です。人類にとって最も重要な情報をずっと黙っていました。おそらく、それまでは自分の身を案じて居たのでしょうが…っしかし、彼女は変わりました。ユミルは我々人類の味方です。彼女をよく知る私からすれば、彼女は見た目よりずっと単純なんです!」
巨人の力をひた隠しにしてきたユミルが、人類にとっての敵ではないということを懸命に証明しようとするクリスタに、ハンジは固い表情を向けた。
「そうか…もちろん、彼女とは友好的な関係を築きたいと…これまではどうであれ、彼女が持つ情報は我々人類の宝だ。仲良くしたい。ただね、彼女自身は単純でも、この世界の状況は複雑すぎるみたいなんだよ…」
ハンジは深刻に眉先を眉間に寄せながらクリスタにそう告げると、壁上へと無事引き上げられたユミルの元へと足を進める。
「…本名は、ヒストリア・レイスって言うんだって?」
「はい。そうです」
クリスタ、否…ヒストリアも、ハンジの少し後ろをついて歩きながら頷いた。
「レイスって、あの貴族家の?」
「…はい」
その問いに、ヒストリアは明らかに表情を曇らせて顔を俯けた。それにハンジは足を止めると、ヒストリアを振り返る。
「そう…」
そして、複雑そうな表情を浮かべながら、ヒストリアの肩に手を置いた。
「よろしくね…?ヒストリア」
「は、はい…」
クリスタは何やら訳知り顔のハンジに、戸惑いを感じながらも頷きを返した。
ハンジはユミルの様子を確認していた班員の明るい赤毛の女兵士であるニファと、モブリットに声を掛けた。
「ユミルはどう?」
「以前昏睡したままです。出血が止まって、傷口から蒸気のようなものが出ていますが…エレンやハルと同じですね…」
モブリットは体に調査兵団のローブを掛けられ、担架の上で意識無く眠っているユミルの傷口から微かに蒸気が上がっている様子を見下ろしながら、ハンジに報告をする。
ヒストリアはユミルの傍に膝をついて座り込んだ。雨で額に張り付いている長い前髪を、気遣いげにそっと指先で梳くと、出血の所為かひどく顔色が悪いことに気が付いて、不安げに表情を曇らせる。
「先ずはトロスト区まで運んで、まともな医療を受けてもらわないとね。ユミルは任せたよ、二ファ」
「了解です」
ニファはハンジの指示にきびきびと返事をした。幼く見える顔立ちは少しアルミンと似ていて、ヒストリアともそう年も変わらないように見受けられるが、話口調や仕草には落ち着きがあり、大人びた印象を受けた。
ハンジはユミルを二ファとヒストリアに任せ踵を返すと、次はモブリットと共にハルの元へと向かった。
「ハルっ、しっかりしろ…!!しっかりしろよ!!」
ユミルと同様に担架に乗せられ意識を失っているハルの傍には、負傷していたナナバとゲルガーの二人が応急処置を終え寄り添い、頭部に包帯を巻いたゲルガーがハルに声を掛け続けていた。
「ゲルガー、ナナバ」
ハンジはハルの傍に座り込んでいる二人に声を掛けると、二人はハンジを振り仰ぎ、それから悔しげに顔を顰めた。
「ハンジ…っ、すまねぇ」
「私達がついて居ながら、こんなことになってしまって…」
膝の上で握りしめられているゲルガーとナナバの手の中には、この戦いで命を落とした、ヘニングとリーネの土で汚れたエンブレムがあった。
自分を責めるように唇を噛む二人の肩に、ハンジはそっと手を置いた。
「ナナバ達の所為じゃ無いよ。それよりも、二人が生きて居てくれて本当に良かった。そして良く戦ってくれたよ…。リーネと、ヘニングもだ」
その言葉にナナバは首を横に振り、ユミルと、そしてハルの顔を見やりながら言った。
「…ハルやユミルが戦ってくれなければ、私たちは確実に死んでいた。その言葉は、二人にかけてやって…」
「…ああ、分かった」
ハンジは頷くと、ゲルガーは徐に兵服の上着を脱ぎ、ハルの体にそっと掛け、悲痛に目を細めた。
「なぁハル、俺達の命拾っておいて、置いて逝きやがるんなんてこと、絶対に許さねぇぞっ…!」
ハンジもゲルガーの横に片膝をつき、血の気を失った青白い顔で眠っているハルの頬を指先で撫でる。
「…ハル、君は本当に無茶ばかりだね。…だけど、ありがとう。仲間の命を救ってくれて…本当に、ありがとうっ」
「分隊長…、!」
感極まって言葉の最後を震わせたハンジに、モブリットもハルの顔を見下ろした。
すると、ハルの左頬についている細い切り傷を見つけて、はっと息を呑んだ。それに気がついたハンジはモブリットを見上げて首を傾げる。
「モブリット、どうかしたの?」
「ハルの左頬の、切り傷を見てください」
ハンジはモブリットがハルの右頬を指差したのを目で追うと、小さな切り傷を見つけて眉を寄せた。
「傷から蒸気が上がってない…?どうして…」
ハルならば、エレンに比べて治癒速度は遅いが、傷を受ければそこから蒸気が上がり、細胞が再生を始めているはずだった。しかし、傷口から蒸気が上がっていないということは、何らかの理由で治癒が出来ていないということになる。
そう考えると、重症だが確実に傷口が治癒しているユミルに比べて、ハルの方が危険な状況にあるということになる。
「と、兎に角、ハルにも迅速な治療が必要だ。二人とも悪いが、ハルをトロスト区の病院まで付き添ってやってくれ。そのあとは、二人もそのまま治療を受けて」
「ああ、分かった」
「任せてくれ」
ゲルガーとナナバは立ち上がったハンジの命令にこくりと頷いた。
ハンジはハルやユミルの状態が心配でならなかったが、優先し行うべきことは他にあると、ウォール・ローゼの西側の方へ顔を向けた。
「さて、我々は…穴を塞ぎに来たんだった」
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