第四十二話
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エルヴィンとエレン両名が王都へと召喚される当日、ウォール・シーナのストヘス区で決行された、調査兵団による『女型の巨人捕獲作戦』は、兵士のみならず、ストヘス区に住まう多くの一般人から犠牲者を出しながらも、成功とは決して言えない形で幕を下ろすこととなった。
今回の作戦は、王都へ召喚されるエレンの影武者として、ジャンが憲兵達の監視を受けながら護送される馬車へ乗り込み、ストヘス区へその一行が入る頃合いで、女型の巨人である疑いを持つアニを捕縛する為、アルミンとミカサ、そしてエレンの三人で彼女を一先ず地下道へと誘導することから始まる手筈であった。
しかし、アニを地下道の入り口まで引き寄せることに成功したものの、中へ連れ込む際に、アニは地下道に入ることを拒んだ。エレン達の懸命な説得も虚しく、付近に待機していた調査兵がアニを取り押さえたが、兵士に拘束されながらも指に嵌めていた細工指輪で傷を作り、ストへス区の街中でアニの巨人化を許してしまう。
エレンは、アニが女型の巨人の正体だということが精神的ブレーキとなってしまい、上手く巨人化することが出来ずに居ると、地下道に逃げ込んだエレンが死なないと賭けたアニが地面を踏み抜いたことにより、エレンは瓦礫の下敷きになってしまう。それによって身動きが取れなくなり、女型を取り抑えるのに時間を要する状況を作る事となったのだ。
そこでハンジ達が巨大樹の森で使用した巨人捕縛装置を使用して、一時的に女型の巨人の拘束に成功したものの、設置出来る罠の数が少なく振り解かれてしまい、再び自由を許してしまう。その頃、エレンはアニと戦う覚悟を決め、巨人化することに成功する。
エレンは最初こそ力を自制し、己を保っていたが、アニと交戦を続けるに連れ感情が昂り、意識が暴走を始め、エレンはウォール・シーナの壁を上り逃げようと試みたアニを捕らえると、その頸ごとアニを食殺してしまいそうになるが、頸の肉を食い破った際に見えた、アニの泣き顔を目の当たりにして、エレンは正気を取り戻し––––ぎりぎりの所で踏み止まった。
しかし、その僅かな時間に、アニは自身の体を結晶の塊で覆い尽くし始め、その中で深い眠りについてしまった。……結局、アニからは何の情報も引き出すことが出来ないまま、今作戦は幕を下ろすことになってしまったのだった。
––––カンッ…カンッ!
ジャンは青く輝く結晶の中で眠りについているアニを目覚めさせようと、手にしている右手のブレードを何度も結晶へ振り下ろした。
アニの体を覆っている結晶はとても分厚く、ブレードでは傷一つ付けられない程に頑丈で、ジャンが結晶にブレードを突き立てる度に刃が少しずつ削れ、破片が地面にカランと乾いた音を立てて落ちて行く。
「クソッ…!何なんだよっ!?此処まで来て黙りかよっ!?アニ…、っ出てこい!出て来てこの落とし前をつけろよっ!?」
ジャンは目蓋を固く閉じたままのアニに向かって、怒りに眉を吊り上げながら声を荒ら立てる。自身とアニを隔てる結晶が無ければ、間違いなく胸倉に掴み掛かっていただろう。
––––また、多勢の人が、死んだ。
今回は、壁外調査の時とは違い兵士だけではなく、多くの一般人も犠牲となってしまった。恐らく、その中には幼い子供も居たことだろう…
これまで、数えればもう途方も無い程、アニはこの壁内人類の命を奪って来た。そして、多くの仲間の命を奪った。恐らく、マルコのことも––––
「…クソッ!!」
その加害者が目の前に居るというのに、何一つ聞き出すことも、罪を償わせることも出来ない。筆舌し難い歯痒さと苛立ちの行き場は、ジャンは無駄だと分かって居ながらも、強固な青く光る結晶に向け、打つける他無かった。
そして何よりも、今のアニの姿を見て、ハルはどんな顔をするのか…どんな思いを、するのか。それを考えただけで、酷く重たく悲しい感情が、胸に鎌首を擡げてくる。
ジャンは奥歯を軋むほど強く噛み締めて、もはや刃も残っていない操作装置を高々と振り上げた。
しかし、腕を振り下ろす前に、誰かがその腕を力強く掴んで止めた。
「よせ…無駄だ」
「…っ」
背後から聞こえてきたリヴァイの声は、煮え立った頭に冷水を浴びせるような響きをしていて、ジャンは振り上げた腕を、ゆっくりと体の横に下ろした。
「ワイヤーでネットを作れ!これを縛って地下に運ぶ!」
ハンジは周りの調査兵達へ冷静な指示を下しながらも、内心では今の状況に不安を抱かずには居られなかった。
「(このまま、アニから何の情報も聞き出せなかったら、一体何が残る?多くの死者を出し、その人生を失い、謎ばかり残して…それで…何が…)」
多大な犠牲を払っても尚、結果を残すことが出来なかった調査兵団は、今後存続すら危ぶまれる可能性があった。今回の『女型の巨人捕獲作戦』は、調査兵団独断で行ったものだ。全ての罪は、調査兵団が負わねばならない。そしてその責任を取ることになるのは、当然団長であるエルヴィンだ。
「…作戦成功とは言えないな」
リヴァイは、憲兵に取り囲まれ、銃口を向けられているエルヴィンに肩を並べ、重たく息を吐き出すように言った。
しかし、エルヴィンは真っ直ぐに結晶化した女型の巨人の正体である、アニ・レオンハートを見つめながら、傍に立つリヴァイにしか聞こえないよう低く固い声で言った。
「いや、我々調査兵団の首は繋がった。…恐らく、首の皮一枚だ」
「だといいがな…」
リヴァイはエルヴィンの返答に、ゆっくりと瞬きをしながら、この後に待ち受けているであろう波乱に憂鬱な溜息を吐きながら言った。
「おい!あれっ…見ろよ!?」
そんな時、何処かの兵士が悲鳴じみた声を上げて、壁の上部の方を指差した。
「は…?な、なんだよアレ!?」
「きょっ、巨人…なのか?」
兵士達に次々と、動揺とざわめきが広がっていく。
その原因は、ウォール・ローゼの壁にあった。
女型の巨人が壁を乗り越えようとして、硬質化させた手で壁をよじ登った際に崩れた壁の中––––其処に、顔があった。
皮膚を持たない、真っ赤な顔をした、巨人の顔だ。
「ぶ、分隊長…指示をっ…」
モブリットは周りの兵士たち同様に壁の中の巨人の顔を慄き見上げながら、動揺を隠せない震えた声でハンジに指示を仰ぐ。
しかし、それはハンジも例に漏れることは無かった。
「えっ…指示って…?そんな…ア、アレは、偶々彼処にだけ居たの?それとも、もしそうじゃなきゃっ…」
ハンジは体からすっと血の気が失せていくを感じた。
壁の中に居る巨人は、激しく動こうとする様子はないが、虚な目をギョロリと不気味に動かして、地上から己を見上げてくるハンジ達を見下ろした。
辺りの兵士達と同じく、唖然として立ち尽くしていたハンジの肩を、突然荒々しく後ろから、誰かが掴んだ。
「!?」
「はぁっ、はぁっ」
ハッと我に返ったように驚き振り向けば、息を切らし、青褪めた顔をした、ウォール卿の信者であるニック司祭の姿があった。
「ニック司祭…?」
「当てるなっ…あの巨人に、日光を当てるなぁ!!」
ニック司祭は危機迫る顔で、ハンジにそう言い放った。
「え?」
その剣幕はハンジが僅かに慄いてしまう程のもので、一刻を争う事態なのだと判断したハンジは、壁の穴から顔を出している巨人に日光を当てないよう布を掻き集め、即席で作ったシートで覆う手段を取ることにし、直ちに行動に移るよう兵士達に指示を下した。
一方、エルヴィンはストヘス区区長の屋敷へと連れられ、今作戦に参加した調査兵一同も、ストヘス区の兵舎で待機を命じられて、順次憲兵団から『女型の巨人捕獲作戦』についての事情徴収を受ける事となった。
巨人化の後遺症で意識を失っていたエレンが、ストへス区兵舎の狭い一室のベッドの上で目覚めたのは、すっかり空が夕焼けに染まった頃だった。
エレンが眠っているベッドサイドの椅子には、ミカサが座り、狭い部屋の空気を入れ替えようと開けていた窓の横には、ジャンが壁に背を預け、腕を組んで立っていた。アルミンは、ミカサの隣で、目が覚めたエレンを心配げな顔で見下ろしている。
「––––エレン、体は大丈夫…?」
ミカサは穏やかな囁き声で、エレンを気遣い声をかける。
エレンはぼんやりと外から狭い部屋に流れ込んでくる微風に、薄いレースのカーテンが靡く景色の中で、黒く艶のある髪をふわりと揺らし自分を見下ろすミカサの顔を見つめながら、枕の上でこくりと頷いた。
「あぁ…気持ち悪いくらいに元通りだ…」
それから、上半身をゆっくりと起こすと、静かな部屋にぎしりとベットが軋む音が鳴る。
「…アニは、固まったままだってな」
「うん」
エレンの問いにミカサが頷くと、壁に寄り掛かっていたジャンは悔しげに舌を打った。
「クソっ…!あれだけ大掛かりな作戦して、収穫なしかよっ…」
「そこまでして情報を守ったんだ…アニは」
アルミンが木の葉をざわつかせる風のような掠れ声で零すと、ジャンは「…ああ。まんまと逃げられた…」と、力なく息に近い声を発して肩を落とした。
「逃したのは、エレンだ」
アルミンが珍しくエレンに対して厳しい言葉を投げかけたので、ジャンとミカサは少し驚いた顔でアルミンを見た。
「そうでしょ…エレン。あの一瞬が無ければ…」
アルミンの言葉に、エレンは膝の上の薄い掛け布団を握りしめて、女型の巨人の頸を噛み破り、現れたアニの姿を思い出しながら、掠れ声で答えた。
「…アルミンの言う通りだ。俺はやり損なった。アニを見たら、動けなくなっちまった。…それに、」
エレンは、翠色の瞳を目蓋の裏に覆い隠して、アニが結晶に身を覆う直前に口にした言葉と行動を、暗闇の中に蘇らせる。
「…アニの奴、「ハル」って名前呼んで……手に…握りしめたんだよ…『御守り』を––––」
「っ」
エレンの言葉を聞いて、ジャンはハッと息を呑んだ。確かに、結晶の中のアニは、胸の前で何かを握りしめているような姿のまま、眠りについていた。
胸に握っていたものが、ハルから貰った御守りなのだとすれば、アニが最後に何を思い浮かべ、誰を思って居たのか……それは、ハルのことを考えていたということになる。
しかし、ジャンはどうしても釈然としなかった。
いつ目覚めるとも知れない長い眠りにつく前に、ハルを思うというなら、何故ハルを裏切るような行動を取ったのか−−−その矛盾をどうしても理解することが出来なかったからだ。
ジャン達が口を噤む中、部屋の風通しを良くする為、開けたままにしていた部屋の扉の外の廊下から、足音が聞こえてきた。
現れたのは、憲兵団の兵服を着た中年で小太りの兵士だった。
「アルミン・アルレルト。ジャン・キルシュタイン。事情聴取だ」
「!…はい」
「俺達からか…」
今、兵舎では憲兵団によって調査兵達の事情聴取が行われており、漸くアルミン達へと順番が回って来たようだった。
アルミンが憲兵に返事をし、ジャンは壁から背中を離すと、隣の棟の事情聴取が行われている別室へ向かうようだけ伝えた兵士は、そそくさと部屋の前から去って行く。案内をしてくれるのかと思ったが、どうやら其処まで暇では無いらしい。
「じゃあ、また後で…」
アルミンはエレンに一声かけると、エレンは頷きを返し、部屋を出て行くアルミンとジャンを見送る。
「ああ…」
二人が部屋を後にすると、辺りはすっかり静寂に包まれた。
ただ、薄いレースのカーテンが風に靡いて、指と指を擦り合わせるような音と、カーテンレールがカラカラと鳴る音だけが部屋に響いている。
その静けさを破ったのは、ミカサでは無くエレンの方だった。
「あの時…気持ちいと思った」
エレンの声は、独り言を呟くような小さなものだった。
そして、手にしていた大切なものが何処か遠くへ行ってしまったような物憂げな響きを孕んでいて、ミカサは椅子に座り、膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめて、息を呑んだ。
エレンは自身の胸元に視線を落とし、まるで微睡みの中にいる時のような、抑揚のない口調で言った。
「体が壊れるのなんか、清々するくらいだった。…なんならこのまま、死んでもいいってくらい…」
「エレンっ!!」
ミカサは何かに取り憑かれているようなエレンを呼び戻そうと身を乗り出して、名前を呼んだ。
ミカサの焦りで上擦った声に、エレンは我に返ったように肩を震わせると、不安げに自分を見つめるミカサに苦笑した。
「今は思ってねぇよ…?」
そんなエレンに、ミカサは下唇を噛み締めて、エレンの左手を包み込むように両手で触れた。
いつも、エレンは傍に居るようで、そうではない。
ただ一人で突っ走って行ってしまうエレンを、ミカサは離されないように、必死に追いかけているのだ。いつも、いつも。ずっと、昔から。
「…戻ってきてくれて、よかった」
ミカサは、自分の手の中にあるエレンの温もりを、もう一生離したくないと、祈るように心の中で思っていた。
ずっと、許されるのなら、この手の中に握りしめて居たかった。
「……」
エレンは、自分の手を額に押し付けるようにして、必死に握りしめているミカサの、微風に揺れる黒い前髪の合間から見える寂しげな顔を、静かに見つめて居た。
そうして、気付かされる。
ミカサが今浮かべている表情と、最後に見たアニの表情は、限りなく同じで、ピッタリと重なり合うのだということに––––
ミカサも、アニも、掌からこぼれ落ちていく大切なものを、必死で守ろうと、繋ぎ止めようとしていた。
それが、ミカサにとっては…『自分』で。
アニにとっては、『ハル』だったのだと––––
もしもそれが自分の思い違いでわ無いのだとしたら、ハルも、今自分がミカサに対して抱いている思いを、同じくアニへ向けるんだろうか…
『ごめん』と、『ありがとう』。
この、何とも単純で、それでも重い、二つの感情を。
でもきっと、思うことは同じでも、その二つの割合は、きっと自分とハルとでは、違うんだろう…
そんな気もしながら、エレンは俯いてしまっているミカサへ、口を開いた。
「…ありがとな、ミカサ」
「っ」
その声は、ミカサを慰撫するような、優しく柔らかな声で––––
エレンからはあまり聞いた事がないような声音で、ハルを思わせるような穏やかさを感じながら、ミカサは徐に俯けていた顔を上げた。
さらりとミカサの黒髪が、耳の後ろを滑って、白い頬の傍で揺れる。
ミカサは、ただ嬉しかった。なんだかエレンの新しい一面に触れられたような、でも、彼の中に昔からある不器用な優しさも感じられて、黒い双眸を細めて笑った。
エレンは、こうしてミカサに面と向かって礼を言ったのは、随分久しぶりのような気がした。普段は何となく照れ臭くて言い難いが、今は不思議と、自然と口から言葉が出てきた。
無意識な行動ではあったが、いつもの大人びたものとは違い、少女らしく嬉しそうに微笑んだミカサの笑顔を、久しぶりに見れたような気がして、偶にはハルのように素直になるのも悪くない。…なんて、そんな事を考えていたのだった––––
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