第四十話
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「手間、掛けさせるな……すまん」
巨人の歯形状に破れたシャツの袖を肩まで捲り上げ、生々しい傷の状態を真剣に確認しているハルに向かって、ライナーは疲労を滲ませた声音で小さく謝罪をすると、ハルは「謝らないで」と首を横に振り、ミケの上着の下に纏っている自身の上着の内ポケットから、携帯用の医療キットを取り出した。
ミケに使ったものは鞍に常備していたものだったので、ハルが持参していた携帯用の医療キットはまだ手付かずのままだった。
「…ライナーが咄嗟に動いてくれなかったら、コニーが危なかった。それに、手間だなんて…そんなこと、ないよ」
ハルはそう言いながら、ライナーの傷口を医療キットの小さな袋の中に入っている小瓶の中の消毒液で洗い流し、ガーゼを患部に押し当てて、手際良く包帯を巻いて行くのを、ライナーは感慨深く見つめながら言った。
「ミケさんの応急処置も、お前がしたんだってな?訓練兵に入りたての頃は、ろくに包帯も巻けていなかったのに……随分器用になったもんだ」
「基本的な止血しか出来ないよ。それに、訓練兵を入団した頃って、もう三年も前の話だよ?」
ハルは包帯を巻きながら肩を竦めるのに、ライナーは「いや」と生真面目な顔で、ハルのことをじっと見つめたまま目を細めた。
「そう謙遜するな。お前は、立派だよ。元々覚えも早くて才能もあるが、お前はそれに甘んじることなく、誰よりも努力を積み重ねて、こうやって身につけたことを実戦に活かしてるだろ…?それは、誰もが出来ることじゃない」
ライナーの真摯な眼差しと言葉に、ハルはなんと答えたらいいのか困ってしまい、包帯の端を処理しながら「褒めすぎだよ」と首を振る。
「私は立派じゃない…臆病なだけだよ、ライナー。ちゃんと、皆のような兵士じゃ…いられないんだ、私は」
ハルの言葉は、自分を卑下するもので、その声音はとても悲しげだった。
ライナーは、包帯を巻き終えた腕を見下ろし、項垂れてしまったハルの顔を覗き込む。
前髪に隠されたハルの顔は、唇を噛み締めて、長い睫毛の下の瞳が苦しげに揺れていた。それは何かに迷っているようにも、自分を責めているようにも見えて、ライナーは困惑しながら怪我をしていない左手でハルの頬に触れる。
「ハルっ…お前、どうしたんだよ?な、なんでそんな、泣きそうな顔してる?…っすまん!もしかして俺が、何かお前を傷つけるようなことを言っちまったのか?」
ライナーは慌てふためきながらそう問いかけると、ハルは唇を噛み締めたまま顔を上げた。
「……っ」
「ハル?」
祈るような、縋るような、そんな必死な目を向けられて、ライナーは思わず息を呑んでしまう。
「ラ、ライナーはっ…」
じわりと、僅かに涙を滲ませて、ハルが噛み締めていた唇を開いた時だ。
「ハル!添木見つけたよ!」
上階から、クリスタが添え木を持って螺旋階段を駆け降りてきた。それにハルは言葉を止めて、慌てて目尻に滲んでいた涙を、ミケに借りているぶかぶかの兵服の上着の袖でぐいと拭って振り返った。
「…ありがとう!クリスタ!」
ハルは立ち上がって駆け寄ってきたクリスタから添え木を受け取ると、クリスタはライナーの包帯が巻かれた腕をちらりと見て、それから自身のスカートの裾を掴んだ。
「後は、腕を釣る布が必要だよね?ちょっと待ってね…!」
ビリビリビリッ!!
「「!」」
クリスタは自分のロングスカートの裾を膝上まで破り取ったのに、ハルとライナーは目を丸くして驚いた。
「ハル、これ使って!汚い布しかなくて…ごめん」
そう言って申し訳なさそうに破り取ったスカートの布をハルに差し出したクリスタに、ハルは「そんなことないよ!」と大きく首を横に振って、クリスタの小さな手に自分の手をそっと重ねるようにして、布を受け取った。
「全然、汚くなんかない!…本当にありがとう、クリスタ!」
「ああ、助かる。すまんな、クリスタ」
ハルが微笑みながらお礼を言うのに続いて、ライナーも目のやり場に困りながらも礼を言う。そんな二人にクリスタはほっとした様子で「良かった」と笑みを返した。
ハルは早速クリスタから受け取った布と添え木を使い、ライナーの恐らく折れているであろう右腕を固定し、腕を吊る。腕に違和感がないか確認すると、ライナーは「大丈夫だ」と頷いたのに、ハルは一先ず安堵のため息を吐くと、再び側にいたクリスタを振り返った。
「クリスタ、良かったらこれ……少し穴が空いてるけど、腰に巻いておいて。無いよりはマシだろうから」
ハルはミケから預かっていた上着を脱いで足元に置く。
すると、クリスタとライナーはハルの背中を見てギョッと目を見開いた。
「ハル、その背中!?どうしたの!?」
「お前っ、な、なっ何が」
背中に大きな二つの穴が空いて、肌が露わになっているハルに、二人は思わず赤面して慌てた。
しかし当本人は然程気にしている様子もなく、自分の上着を脱いで白いボタンシャツ姿になると、脱いだ上着をクリスタの側にしゃがみ込んで、腰に巻きながら言った。
「ミケさんと巨人と交戦した時に、いろいろあって穴が空いちゃってさ。気にしないで」
「いや…っ、気にするなと、言われてもな…」
ライナーはハルの白い背中が目に毒で、軽く頭痛がする眉間を左手で抓りながら、背中を向けて唸る。
しかし、クリスタは腰に上着を巻いてくれたハルの優しさが嬉しくて、少し照れ臭そうに肩を竦め笑いながら言った。
「ありがとうハル…!ハルってとっても優しいよね?」
「い、いや、別にそんなことは」
ハルは苦笑を浮かべて、ミケの上着を纏いながら立ち上がった。
しかし、次の瞬間、クリスタの行動に今度はハルがギョッとする羽目になる。
「すーっは、すーっは」
クリスタがハルの上着の匂いを突然嗅ぎ始めたのである。
「(かっ、嗅いでる!?)ちょ、く、クリスタ?一体、何をっ!?」
ハルがひっと顔を引き攣らせてクリスタを止めようとした時、扉のバリケードを作り終えたユミル達がやって来た。
「あのさ、クリスタ。私も手、擦りむいちゃってさ」
「あ?そんくらい唾でも付けとけ」
ユミルはクリスタに向かって自分の指先を見つめながら言うと、コニーが隣で眉間に皺を寄せる。いやそれ以前にクリスタの行動について誰も突っ込まないのかとハルは思っていたのだが、ハル以外クリスタの行動に特段驚くこともしなかった。何故ならクリスタのハルに対する溺愛振りはハルを除いて同期全員が承知済みであり、今更驚くことでもなかったからだ。
コニーは、応急処置を終えたライナーを見下ろして、申し訳ないと眉を八の字にして言った。
「ライナー、さっきはすまなかった。俺、お前に助けられてばっかだよな?そういやアニにも、命張って助けられたよな。いつか、借りを返さないと」
「別にそれは普通のことだろ、兵士なんだからよ」
肩を落とすコニーから、ライナーは少しだけ視線を逸らして答えるのに、コニーは傍に居たベルトルトの顔を見上げた。
「なあ、ベルトルト、ライナーって昔から、こうなのかよ?」
コニーの問いに、ベルトルトは双眸を細めて、ライナーを見下ろした。
ベルトルトの瞳は、近くに居るライナーを、遠くに見ているかのようだった。
「いや、昔のライナーは、『戦士』だった」
「!?」
その、聴き慣れない『戦士』という言葉に、ハルは、頭の中に獣の巨人が口にしていた言葉を思い出した。
『随分と威勢がいいね?…それに、こんな状況下でも、頭を回せる冷静さも持ち合わせている。君はきっと、良い『戦士』になれるだろうね』
戦士という言葉を、ハル達は使う習慣がない。
しかし、ベルトルトは、確かに戦士と口にした。獣の巨人と同じく、兵士のことを、戦士と言ったのだ。
ハルは、自分の中で必死に倒れないように支えていた心の柱が、根本から折れて地に転がってしまったような絶望感と虚脱感に見舞われて、ベルトルトから後ずさる。
「べ…ベルトルト……」
ベルトルトは、名前を呼ばれてハルの顔を見た。
そして、ハルの浮かべている青ざめた表情と、大きく震える瞳に、ハッと息を呑む。
ハルは、『兵士』と『戦士』の違いを、理解している。
そう、ベルトルトは直感したのだ。
「ハルっ…まさか、」
早鐘を打ち始めた鼓動の音を聞きながら、ベルトルトはハルに駆け寄ろうとした。何故、そのことを知っているのか。知って、しまったのか。それを問う必要が、ベルトルトにはあったからだ。
しかし、ベルトルトはその途中で足を止めた。
塔の外から、何かが高速で飛んでくるような、空を切るような音が響いて来たからだ。
ヒュオォォォォオオオオ!!!
そして、塔に何かが勢いよくぶつかり、激しく揺れ、皆は驚いて声を上げた。
「「うわぁっ!?」」
「何か…投げつけられたのか!?…馬っ?」
一番塔の窓に近かったユミルは、外の様子を確認しようと窓から身を乗り出すと、塔の下には、自分たちが乗ってきた馬の無惨な死骸が転がっていた。
「っ上に行こう!ナナバさん達が心配だよ!」
クリスタは只事ではないと皆に声を掛け、一同は塔の屋上へと駆け上がったのだった。
第四十話 『兵士』と『戦士』
完