第二十六話
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サシャはそう言って飛び上がるように立ち上がると、それに続いてコニーも立ち上がり、腰に手を当てハルに向かってニッと歯並びの良い白い歯を見せびらかすようにして笑った。
「食堂の人に頼んで、お前の分ストックしてもらってたんだよ!やっとサシャの腹じゃなくてお前の腹に入る時が来たな!」
「うぅ、私の夜食が…」
「馬鹿。お前は食い過ぎなんだよ」
サシャが複雑そうな顔になって肩を落とすと、そんなサシャの頭をバシンとユミルが後ろから叩いた。
そんな二人を笑いながら、クリスタはハルの腕を掴んで、食堂の方へと引っ張った。
「ふふ、さっ、行こうハル!」
「う、うん…!」
ハルはクリスタ達に促されて、食堂へと向かった。皆が先ほど出てきた扉の中へと入ると、其処には南駐屯地の訓練兵団食堂よりも、一回り広く天井も高い食堂が広がった。
そして食堂に入ってすぐ傍の壁に、背中を寄りかけ、腕を組んで立っているジャンの姿を見つけて、ハルはハッとして名前を呼んだ。
「!…ジャン、」
ジャンは足先に落としていた視線をゆっくりと持ち上げると、ハルの顔を見た。
そして切れ長の双眸を、静かに細める。
「……」
ジャンはただハルの顔をじっと射抜くような視線で見つめるだけで、何も言わなかった。
ハルは声をかけようと開いた口を、ジャンの刺すような視線を受けて、閉じてしまう。何と声をかけようとしたのか、かけるべきなのか、分からなくなってしまったからだ。
「っ……」
「ハル!ここに座りなよ!」
そんな二人の間の静寂を、アルミンの呼び声が打ち消して、ハルはジャンの視線から免れるように踵を返し、アルミン達の元へと向かった。
「これ、メニューはあんまり訓練兵団の時と変わらないんだけど、量は増えたんだよ?」
ベルトルトがハルの分の夕食トレイに乗せて、ハルの座ったテーブルの上に置いた。そしてそのテーブルの近くの長椅子には、意識を失って口から魂が抜けかけているライナーが寝転がっていた。その姿を見てハルはライナーを気の毒に思いながらも、夕食を用意してくれたベルトルト達に礼を言う。
「ありがとう、ベルトルト。皆もっ……じゃあ、頂きますっ」
今までそれを自覚する余裕が無かったせいか、目が覚めてから何も口にしていなかった為、お腹が空いていることに気がついたハルは、トレイに乗ったスプーンを手に取って、訓練兵時代にもメニューに出ていた、カボチャのスープを掬って口に運ぶ。
「…っ」
そしてハルは、一瞬スプーンを口にしたまま固まった。それから、何かを確かめるように、もう一度スープを口に運んで、顔を俯ける。
「… ハル?どうかした…?」
なんだか様子のおかしいハルに、ミカサが怪訝な顔になって、ハルの背中に触れて顔を覗き込もうとする。
「ううん、何でもないよ…」
それに、ハルは顔を上げて、笑った。
「美味しいよ…すごくっ、お腹が減ってたから。それにやっぱり甘いもの食べると、疲れが和らぐよね」
「え?…でも、それは––––」
ハルの言葉に、ミカサが眉を顰めて、困惑した顔になり何かを言おうとした時だった。
「っおい新兵共ー!とっくに消灯時間は過ぎているんだぞ!部屋に戻れ!!そしてとっとと寝ろ!!」
「「りょっ、了解」」
調査兵団の先輩兵士が、食堂の明かりが点いていることに気がついて、見回りにやって来てしまったようだった。
それに皆慌てて返事をして、アタフタと部屋に戻り始める。
「ハルごめんっ、まだ食べ始めたばかりなのに」
ベルトルトが申し訳なさそうにして言うのに、ハルは大丈夫と笑って首を振る。
「いいんだよ。さっ、ベルトルトも早く部屋に戻って。私はこれ、厨房に下げてくるから」
「あっ、ああ」
ベルトルトは肩を落としながら頷くと、椅子に伸びているライナーを肩に担いで、東棟の男子寮の方へと向かっていった。
ハルは夕食のトレイを手に取って椅子から立ち上がると、早足で厨房の方へと向かう。すると、その途中でひょいと手にしていたトレイが誰かに奪われた。ふとして視線を向けると、其処には険しい顔をした、ジャンが立っていた。
「ジャ、ジャン…大丈夫、自分で片付け」
「お前の部屋は東棟だ。案内する、ついて来い」
ジャンはハルの言葉を遮るようにして、淡々とした口調で言った。
そしてハルの返事を聞くこともなくトレイを厨房に下げると、言っていた通り東棟へと向かって歩き出す。
「(…ジャンは、私が皆に隠し事があることを知っていて、それが何なのかも理解している。だからこそ、いつもと変わらずに話ができる…訳がないんだ。出来る訳が、ない)」
ハルはジャンと少し離れた後ろを歩きながら、落胆した。そしてきっと、サシャ達も同じなのだと、そう思った。自分の秘密を知ってしまったら、もうそれ以前の関係に戻ることはできない。言葉なくても、ジャンの背中がそう自分に言っている気がした。
ハルはジャンの背中を見ていられなくなって、視線を落とし自分自身にしか聞こえない程の小さな声で呟いた。
「……ごめん、なさい…」
寒い。
胸に空いた穴に、冷たい風が吹き抜けていく。
なんて空虚で、虚しいことだろう。
まるで私は、血の通った人の仮面を被った、ツギハギだらけの人形のようだと、それが酷く滑稽に思えて、口元から笑みが溢れた。
悲しくて、孤独で、いっそ泣き出してしまえたら楽だとも思ったが、涙なんてものは少しも、己の瞳に浮かんでは来なかった……
:
三階建てになっている男子寮の東棟を最上階まで上がり、廊下の奥へと進んで行く。三階には宿泊部屋は無いようで、有るのは小会議室や物置部屋、そして書斎といった普段はあまり使用されないような部屋ばかりだった。
勿論この夜更けに人の気配は無く、静まり返った廊下には、ハルとジャンの歩く足音だけが、コツコツと響いていた。
ジャンはハルを部屋へと案内している間、何も話そうとはしなかった。そしてハルも、ジャンの後ろをついて歩くだけで、ただ無言の時が過ぎて行く。
やがてジャンは廊下の突き当たりにある部屋の前で足を止めると、ドアノブを掴んで扉を開く。そこで漸く、ジャンは口を開いた。
「–––入れ、此処がお前の部屋だ」
そう言ったジャンの声は如何にも事務的で、ハルはこくりと頷くと、促されるまま部屋へと足を踏み入れた。
中は暗くよく見えなかったが、10畳ほどの広さがある部屋で、カーテンで締め切られているが、僅かに月光を縁から溢している窓も一つあった。部屋の一角には一人用のベットとデスクも置かれているようで、一兵士が持つには十分過ぎる部屋だった。そして、部屋の中には入ってきた扉以外にもう一つ、扉があることに気がつく。そちらに視線を向けると、ジャンが後ろで静かに扉を閉めた音がして、中は一度真っ暗になる。
「そこの扉は、隣の部屋に繋がってる。俺の部屋だ。…普段は鍵を掛けておくが、何かあればすぐに対処できるように、鍵は俺が所持するようエルヴィン団長から言われてる」
ジャンはそう言いながら、入り口近くの質素な棚の上に置かれていた、使い古しのランプに火をつけた。そうすると暗がりでぼんやりとしていた部屋の全貌が、よく見えるようになった。
「落ち着かねぇーだろうが、…我慢してくれ」
ジャンは兵服のポケットから、続き部屋の鍵を取り出すと、それをハルに見せる。
ハルはジャンの掌に乗った、錆びかけの鍵を見て、静かに頷いた。
今の自分は未知の力を掌握できていない。どのような時に、その力が使えるようになるのかも、全く分かって居ない。そして、自分が本当に人類に対して害を与える存在ではないのかということも、ハッキリと示すことが出来ていないのだ。
そのため、自分の意と反して何か問題を起こしてしまった時、監視役であるジャンがすぐに駆けつけられるような環境をエルヴィン団長が用意したことに対して、ハルに異論は無かった。
「うん。大丈夫……ごめん、迷惑かけて…」
ハルは暗がりでは見えなかったが、続き扉に鍵穴が付いていることに気が付き、そちらへ視線をちらりと向けた後、ジャンに向かって頭を下げた。
そんなハルの旋毛をジャンは目を細めて見下ろし、鍵を兵服の内ポケットにしまいながら、低い平な声で問いかける。
「…お前の身体のことがある程度分かるまでは、隣の部屋で生活することになってる。…俺の任務については、エルヴィン団長から知らされているんだよな…?」
「…うん。ジャンは、私が力を掌握出来るようになるまで、問題を起こさないよう監視する役目があるって…そう聞いてる。後は、何か行動や体に変化があれば、逐一団長に報告することにも、なっているって…」
ハルはゆっくりと頭を上げると、自嘲染みた力無い笑みを浮かべて、肩を竦めた。
そんなハルの表情を見て、ジャンは「そうか…」と溜息のように声を溢すと、ある壁の方を顎でしゃくった。
「お前の兵服は、そこに掛けてある」
「!」
ハルは部屋の入り口横の壁に掛けられている、真新しい訓練兵団の兵服を見て、そちらへと歩み寄った。
今まで自分が着ていた、くたびれたものではない真っ新な状態のこの兵服を着るのは、もう片手で数える程しかないのだろう。
ジャンは兵服を見上げ、指先で壊物に触れるかのように、胸ポケットのエンブレムを撫でるハルの背中を見つめながら、ゆっくりと歩み寄る。ランプの淡い光を受けたその背中は、壁上で同期達を率い指揮をしていた者の背中とは到底思えない程に、ジャンには小さく、そして頼り無く見えた。
「…お前がいつも着てた黒のハイネックも、ボロボロになっちまってたから、配給で其処の白シャツ、取り敢えず貰っておいた。しばらくはそれを着てくれ…」
「––––うん、ありが…」
ハルは兵服の横に並べて掛けられていたシンプルな白い襟付きのシャツを見て、ジャンに礼を言うため振り返ろうとした時だった。
ドンッ…!
「!」
背に、鍛えられた胸板が打つかる感触と、頭の少し右上の壁を、骨張った手が叩いた音がして、ハルは身を強張らせた。
ランプの小さな灯が、自分の身体よりも一回り大きな影を壁に写して、ゆらゆらと揺れている。
ジャンはハルの体を背後から覆い被さるように、右手を壁に付き、追い詰めていた。
そしてハルの左耳に口を寄せると、唸るような低い声で言った。
「ハル。…お前此処に来てから、吐かなくていい嘘、いくつ俺達に吐いたんだ?」
「っ!?」
その言葉は、ハルの胸に空いた穴の中に、膿のように溜まっていた不安や罪悪を入りまぜた水面を、掌で無遠慮に叩きつけるようだった。
「…え…?」
ハルはジャンの吐息が耳元に触れ、動揺し引き攣った喉から、酷く上擦り掠れた声を、隙間風のように鳴らしたのだった。
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