第三十九話
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「…一体どうしちまったんだ…ハル」
ライナーは胡座をかいた状態からゆっくりと立ち上がると、クリスタと眠っているハルを挟んで向かい合うようにして片膝をつき、青白い顔をしているハルの額に張り付いている長い前髪を、小さな耳にかけるようにして、無骨な指先で撫でた。
すると、ハルの眉間に苦しげに眉先が寄せられているのが見えて、ライナーは胸が痛み、ハルと同じように眉間に皺を寄せた。
「お前…今…、どんな夢…見てるんだ…」
ライナーは低く、それでも気遣いげな響きのある声音で、ハルの頭をそっと撫でながら呟くのを、クリスタはじっと見つめながら問いかけた。
「…前から思っていたんだけど…ライナーって、ハルの傍に居る時、何時もと雰囲気が変わるよね?」
「…そうか?」
ライナーはハルからクリスタへと視線を向け首を僅かに捻るのに、クリスタは「うん」と頷き、ハルに掛けていた毛布の乱れを直しながら、遠慮がちに言葉を考えながら言う。
「いつもは何ていうか…気を張ってる?っていうか…気分悪くしたらごめん。…なんだか、自分を取り繕ってる感じがするけど……ハルのこと見てるライナーは、自然…って、いうか…私たちと同じ感じがして」
「…同じ?」
ライナーが少し身構えるようにして背筋を伸ばすと、クリスタは口元に小さく笑みを浮かべながら、ハルの冷え切っている右手を両手で温めるようにして握る。
「ハルの傍に居ると、他人に対して無意識に装備しちゃってる、いろんな見栄とか…虚勢とか、そういうものが簡単に剥がされちゃうっていうか……不思議な感じがするっていうのかな…?ハルだったら、どんな自分でも受け入れてくれるって…そんな、気がしちゃうから」
クリスタの言葉に、ライナーは「どんな、自分でも…か…」と、自分にしか聞こえない小さな声で呟いて、ハルの顔を見下ろした。
クリスタの言う通り、なのかもしれない。
ハルは、初めて出会った時から、自分のことを受け入れてくれていたように思える。
人の姿をしていない自分の目を真っ直ぐに見つめて、血だらけの小さな手を伸ばしてくれたハルの姿は、今でもハッキリと覚えているし、出来ることならずっと、これからも覚えて居たいと…忘れたくないと思っている。そう遠くない未来に、必ず訪れる己の終焉の日までは…
クリスタは、切なげにハルのことを見下ろしているライナーに、穏やかな微笑みを浮かべた。
「早く目覚めるといいね…?」
しかし、ライナーの口から返ってきた言葉は、予想していたものとは大きく違ったものだった。
「…俺は、目覚めなくていいって、思ってる」
「え…?」
クリスタは綺麗なターコイズブルーの瞳を丸くして、ライナーを見つめた。
ライナーはそっと、苦しげに目を閉じているハルの薄い目蓋の上に右掌を添えると、ゆっくり、心の奥の感情から言葉を絞り出すようにして言った。
「俺はこのまま、コイツが眠ったままでいいって、心の何処かで思ってる。…そうすりゃハルはもう、傷付かなくて、済むんじゃねぇかってな…。仲間の死に胸を痛めることも、自分じゃない誰かを守ろうとして、自己犠牲を重ねる事もない。…過去の記憶に、苦しめられることもないんじゃねぇかっ、て……」
焚き火の爆ぜる音だけが静かに響く広間に、ライナーの声は酷く悲しげに響いた。
ハルの顔を見下ろすライナーの瞳の中には、焚き火の灯が、静かに揺れている。それはまるでライナーの複雑な心情を表しているようにも見えて、クリスタはその瞳の中の光を見つめた。
「俺はずっと…こいつに対して矛盾を重ね続けてる。ハルには、笑っていて欲しい…幸せでいて欲しいと願ってるのに、それを…叶えてやることが出来ない。…だからってこんな酷い事を、考えるような奴なんだよ、俺は…」
ライナーはハルの目元から掌を離し、クリスタを見ると、自嘲じみた笑みを浮かべる。
「俺は、お前らとは違うんだよ」
そんなライナーが痛々しく、クリスタは目を細めて、一息に続く言葉で静かに問いかけた。
「…どうしてライナーは叶えられないって思うの?」
すると、ライナーは自身の胸元にある御守りを掌に乗せ、見下ろした。
「『思う』、じゃない。出来ないんだ。クリスタ」
「え?」
「俺にはその資格が、ない…」
ライナーは掠れた、遠いものでも追うような低い声で言葉を溢し、御守りを握りしめた拳を、額に押し当てた。
「俺はっ……!」
「……ィ…、…」
「「!」」
しかし、ライナーが言葉を口にする前に、ふとハルが震えた唇から呻き声を漏らした。
ライナーとクリスタはそれにはっとしてハルの顔を見たが、目蓋は固く閉じられたままで起きている様子はなく、どうやら寝言のようだった。夢を見ているのか、白い目蓋の下で瞳が震えている。
「…ラ…イナ……ベルト…ルト……ア…、二……」
ハルはまるで追い縋るような、呼び止めるような、弱々しい声で三人の名前を呼ぶと、目蓋の隙間にじんわりと涙を滲ませた。
それはハルの両目の端から、顳顬を音もなく滑り落ちて、毛布にじんわりと染み込んでいく。
「ハルっ、泣いて……っ」
クリスタはハルの涙を拭おうと、手を差し伸ばしたが、ふとライナーの息を詰まらせる喉の震えを感じて、視線をライナーへと向け、驚いて目を見張った。
「!」
何故なら、ライナーも泣いていたからだ。
泣くという行為からは酷く掛け離れているように思えてしまうライナーは、嗚咽しないよう奥歯を噛み締めた口元を片手で覆い隠して、目元と眉先を震わせながら、ハルの顔を懸命に見つめていた。
そんなライナーの表情を見て、ライナーがハルに親愛や友愛だけではなく、もっと深い愛情を抱いているのだということを、クリスタは察した。
そしてその気持ちを、何時も必死に胸の内に隠していたのだということも。ハルに愛情を抱いてしまうことに対して、強い罪悪感のようなものを感じている。ということも…––––
「…っ、ライ…」
クリスタはライナーに何か声をかけようとして口を開いた途端、広間の上階へと続く螺旋階段の突き当たりにある扉が、ギィッと音を立てて開いた。
「ライナー、クリスタ!見つけたぞ!毛布があった!」
現れたのは、毛布を数枚腕に抱えているコニーとベルトルトだった。
ライナーは二人に顔を向ける前に、はっと我に返った様子で目元をシャツの袖で拭い、大きく深呼吸をしてから立ち上がって、階段を下りてくるコニーとベルトルトを振り仰いだ。
「っああ、助かった。ありがとうなコニー、ベルトルト」
涙を隠したライナーのことを、クリスタは心配げに見上げていると、ライナーはクリスタを見下ろし、コニーとベルトルトには聞こえないよう小さな声で言った。
「クリスタ。今話したことは忘れてくれ…頼む」
「……うん」
自責の念に駆られたような顔をしているライナーにそう言われ、クリスタは気がかりではあったが、頷きを返した。ライナーは「すまない」と呟くと、コニー達が降りてきた螺旋階段の方へと歩き出す。
「ライナー…?何処に行くんだ?」
ベルトルトはライナーとすれ違いざまに、怪訝な顔をして問いかけると、ライナーはベルトルトを振り返らず、背中を向けたまま片手を上げ、「頭、冷やしてくる」と言い階段を登って行く。
そんなライナーの背中を、ベルトルトは心配げに見上げていた。
※
「はぁ……やっちまった」
ライナーは螺旋階段を上がりながら、溜息混じりに呟き、ややあって徐に足を止めた。
ハルに対して抱いている感情。
それは、自分の胸の中に一生留めておいて、誰にも話すつもりはなかったというのに、ハルの苦し気な姿を見て、そしてクリスタが持つ穏やかな雰囲気に引っ張られて、思わず気持ちが溢れてしまった。
ライナーは涙の熱が残る目元に、ハルに触れた時の冷たさが残る掌を押し当て、深々と後悔を乗せた溜息を再び足元に吐き出した。
––––その時だった。
ガサゴソと何かを漁るような物音が、傍の扉から聞こえて来て、ライナーは扉のノブを掴んで開けた。
其処は物置のような小さな部屋で、その部屋の隅の木箱の中を、燭台の蝋燭の明かりを頼りに熱心に物色して居るユミルの後ろ姿があった。
「ユミル?」
ライナーが声を掛けると、ユミルは少し驚いた様子で顔を上げたが、相手がライナーだと分かると、にやりと口端を上げて肩を竦めて見せた。
「なんだライナー…夜這いか?驚いたな。お前はハル以外の女に興味があるようには見えなかったが?」
「…お前こそ、男に興味があるようには見えんがな?」
いつもの調子で揶揄って来るユミルに対して、ライナーは苦笑を浮かべながら答えると、ユミルは面白くなさそうにフンと鼻を鳴らすと、再び木箱の中を漁り始める。
「お前は一体何をやってるんだ」
「食いもんがないか探ってんのさ。きっと今日が最後の晩餐になるぜ?」
そう言うユミルに、ライナーは先程広場でコニーとユミルの会話を思い出して、開けたままの扉を少し締めて、言った。
「…さっきの、コニーの村の件だが、お前わざとはぐらかしたよな?出来ればその調子で続けて欲しい。あいつが家族のことで、余計な心配をしねぇように…」
「何のことだ…?…っち、ニシンか…あんまり好みじゃねぇが…」
ユミルは木箱の中から漸く食べられるものを見つけたが、缶詰に貼られたラベルを見て少し不満げに言うのに、ライナーは踵を返す。
「何だそれ…見せてみろ」
ライナーに言われて、ユミルにはライナーに手にしていた缶詰を放った。
ライナーはそれを受け取り、缶詰に貼られているラベルに書かれた文字を読もうとして––––息を、呑んだ。
「これは缶詰か…?…っ!?」
その文字は、ライナーには理解することが出来た。
だが、ユミルには、理解出来る文字ではない筈だった。
「これ、ニシンって書いてあるのか?俺には、読めないぞっ」
「!?」
ライナーの言葉に、ユミルが大きく息を呑んだのが、静かな小部屋の中ではハッキリと分かった。
「っユミル…、お前っ」
ライナーはユミルが文字を読めたことを追求しようと、口を開いたその時だった。
「全員起きろっ!屋上に来てくれ!すぐにだっ!!」
リーネの切羽詰まった声が、上階から響いてきた。
一同はウトガルド城の屋上へと上がり、眼下に広がった光景に驚愕し、そして絶望した。
「おい、ふざけんじゃねぇぞ?!酒も飲めねえじゃねぇか!?テメェらの為によぉ!?」
ゲルガーが怒りに体を震え上がらせ、荒々しく鞘からブレードを引き抜いて、満月の青白い光に照らされた大地を歩く巨人の群れに向かって咆哮する。
城は完全に、巨人達によって包囲されてしまっていたのだった。
第三十九話 ウトガルド城
完