第三十九話
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一同はラガコ村を出て、ローゼの壁沿いを西に向かって進みながら、巨人に開けられた穴の捜索を始めて暫くが経ち、分厚い雲が出始めたことで月明かりが遮られてしまって、辺りには重く体に纏わりついてくるような生温い闇が広がっていた。
各々が手にしている松明の光は、周囲3メートルくらい先をぼんやりと照らす程で頼りなく、見通しはかなり悪い。
風も無く平地である所為か、動物や虫の鳴き声さえも聞こえてこない、奇妙な静寂に世界は支配されている中で、鼓膜に触れるのは各々の乗る馬の蹄が地を蹴る音と、己の息遣い。そして、手にしている松明が燃える音くらいだった。
日光を浴びていない巨人は動きが鈍る習性がある為、夜ということもあり巨人が機敏に動くことはない筈だが、巨人が暗闇の中から飛び出して来ないと言い切れる訳ではない。
視界が効かない中で巨人に破られているであろう壁沿いを進むという行為には、息が詰まるような緊張感と恐怖感を伴い、ゲルガー達の精神を削りつつあった。
しかし、高精度の聴力を持っているハルが同行していることによって、それらの心的負担は視界の悪い暗闇の中でもかなり緩和されていた。
「…ハル、どうだ?巨人の足音は、まだしないか?」
先導しているゲルガーが背後を僅かに振り返って、右斜め後ろについているハルに問いかけると、ハルは瞳を閉じ、周囲の音により一層集中しながら、頷きを返した。
「はい、巨人の足音や息遣いのようなものは聞こえて来ません…。日が落ちて、動きが鈍っている所為なのかもしれませんが…」
ハルの言葉に、隣に馬の肩を並べるようにして歩いていたリーネは、ホッとしたように緊張を浮かべていた頬を僅かに緩めた。
「しかし、本当にハルが居てくれて助かったよ。この視界が効かない暗闇の中を、松明の灯だけを頼りに歩き廻るのは、精神的に辛いものがあるからね…」
「ああ、そうだな。不幸中の幸いって、ヤツだ。お前が残ってくれて本当に助かったぜ、ハル」
リーネの言葉にゲルガーも同調してハルに礼を言うと、ハルは閉じていた瞳を開けて笑みを返した。
「お役に立てているなら嬉しいです。…が、…少し妙です」
しかし、ハルはすぐに表情を固くすると、松明を握っていない左手を口元に添えた。
「妙っていうのは…何なんだ?ハル…?」
ゲルガーが怪訝な顔になって首を傾げると、ハルは側に聳え立つローゼの壁を見やりながら、神妙な面持ちと声音で言う。
「…本当に壁が壊されているとすれば、穴を通ってウォール・マリアからローゼへ吹き込む風の音がする筈です。…しかし、そういう風の音が、一切聞こえて来ないんですよ」
巨人が襲来してきた方角から考えても、そろそろ壁の穴が見つかっても良い頃合いであり、寧ろこれ以上西或いは東、北から巨人が侵入して来たとすれば、ハル達よりも先に各区に配備されている兵士達が発見している筈だろう。
それに、おかしな点はまだ有る。
壁の穴がある場所には確実に近づいている筈なのに、巨人の姿が一体も見つかっていないということだ。
「…ってことは、まだずっと、遠い場所に穴があるってことか…?」
ゲルガーは神妙な声音で、眉間に皺を寄せるのに、ハルは視線を壁から前を歩くゲルガーへと向けた。
「そうかもしれませんが…もしかしたら…、そもそも穴は…開けられていないの…では…っ」
ハルはゲルガーと話している最中、不意に鼓膜を震わせる音に気がついて、馬の手綱引き脚を止めて、口を引き結んだ。
ハルの異変に気がついたゲルガー達も、少し遅れて馬の歩みを止める。
「っハル?どうかしたの?」
リーネが僅かに焦りを滲ませた声音で問いかけると、ハルは自分たちが進んでいる方向の先を指差しながら言った。
「この先から、馬の蹄の音がします…!松明が燃えてる音も……もしかして、ナナバさん達ではないでしょうか?」
ハルの言葉に、ゲルガーはとりあえず巨人の接近ではなかったことに安堵した様子で深い溜息を吐くと、「そうか。アイツらも壁の穴を探してたんだな」と仲間の無事と合流出来ることに心強そうにして肩に張っていた緊張の糸を緩めた。
「っ…は…」
しかし、リーネはふとハルが震えた息を吐き出しながら項垂れたのを見て、馬をハルの傍へと寄せ、心配げに声をかけた。
「…ねぇ、ハル。ちょっと顔を見せてくれる?」
リーネに促され、ハルは俯いていた顔を、ゆっくりと重そうに持ち上げる。
リーネは松明のオレンジの光を浴びていても尚、青白いと分かってしまうハルの右頬に指先で触れて、顔を思い切り顰めた。
「凄く冷たい…っ、まるで氷みたいじゃないか!?」
「っ、リーネさんの手…あったかいです…ね…」
触れたハルの頬は氷のように冷たく、驚いて声を荒立てるリーネの手の温もりに、ハルは吹雪の中焚き火の炎でも見つけたような安堵の溜息を吐きながら言う。
それにリーネは「アンタが冷た過ぎるんだよ!」とハルの背中を松明を持っていない方の手で摩ると、ゲルガーやライナー、そしてベルトルトとコニーは、ハルを心配して傍へ馬を寄せ集まって、リーネと一緒にハルの顔を覗き込んだ。
「そんなに気温も低くは無い筈だが…体調が悪いのか?ハル?」
「確かに、ラガコ村に来た時からずっと、顔色が悪いと思ってたんだ。暗がりと松明で気づくのが遅れたけど、もっと悪くなってる…!」
ゲルガーとリーネに、ハルは心配かけまいと笑顔を作るが、途端に激しい目眩に見舞われて、身体が大きくグラついた。
「…いぇ、大丈夫です。心配、ありま、せ…っ…」
「ハル!?」
ハルは顳顬に太い杭でも打たれたかのような頭痛を感じて頭を抱え、手にしていた松明を地面に落としてしまう。そのままハルも危うく馬から落ちそうになったところを、リーネが慌てて支えに入った。
「ハル!?」
「おいっ、大丈夫かよ!?」
傍に居たベルトルトとコニーが心配げに眉を八の字にして、リーネの肩に額を乗せて寄りかかるハルに声を掛ける中で、ライナーは焦りを顔に走らせ、口早になってリーネとゲルガーの二人に進言した。
「っゲルガーさん、リーネさん。何処かで休む場所を見つけませんかっ…コイツが心配ですっ!」
ゲルガー達もそうしたいのはやまやまだったのだが、近くに身を隠して休める場所があるという記憶が無かった。この辺りは壁に近い為、人も住んで居らず、建物も無い場所だったからだ。
「そうしてやりたいが視界が悪すぎる…。それに、闇雲に動き回るのも危険だっ」
ゲルガー達がこの先の行動を決めあぐねて居ると、暗闇の中にぼんやりとオレンジ色の光が浮かび上がったのを見つけたコニーが、そちらへと指を差して声を上げた。
「!あれっ見てください!松明の火じゃないですか!?」
それに一同はコニーの指先を追うと、暗闇の中に四つの炎が浮かび上がって、やがてナナバとヘニング、そしてユミルとクリスタの四人が現れた。
ナナバ達はゲルガー達の姿を確認すると、緊張と恐怖で引き攣っていた顔を綻ばせた。
「ゲルガー!リーネ!君達も壁に沿って来たの?」
「ナナバ、ヘニング!…俺たちは南から壁に沿って来たんだ。いや無事で良かったぜ」
「そうだったんだね…!で、穴は何処に?」
「…は?」
「ここから西に異常は見当たらなかった。そっちが見つけたんじゃないの?」
ナナバの問いかけに、ゲルガー達は唖然として表情を引き攣らせたまま、暫く声を出すことが出来なかったが、その静寂をゲルガーの困惑を滲ませた声が破った。
「いや、こちらは穴など見てない」
すると、ゲルガー達と同じ反応を今度はナナバ達が鏡に映しでもしたかのように見せる。
「「…」」
ゲルガー達、そしてナナバ達の間に、石のような沈黙が下りる。
ややあって「…見落としている可能性は?」とリーネが口を開いたが、ヘニングは首を横に振った。
「それは有り得ない。巨人が通れるほどの破壊痕だぞ?」
ヘニングが言う通り、巨人が通り抜けられるような大きな穴を暗がりとはいえ見逃す筈もなく、又穴が空いていたとしたら付近には壁の残骸が散乱している筈だ。
そう考えると見落としたという可能性は限りなく低かった。
「もう一度確認してみるべきなんだろうが、それよりも今はハルを休ませないと…」
ゲルガーは奇妙なこの状況に嫌な胸騒ぎを感じながらも、リーネの方に寄りかかり震えているハルを見やりながら言うと、ナナバ達はハルを見て血相を変えた。
「ハル!?一体どうしたんだっ」
「体が冷え切ってるんだよっ…それに、酷く震えてるっ」
ハルの傍に馬を寄せたナナバにリーネがそう言うと、ナナバはハルの顔を覗き込む。
明らかに血の気が失せ、奥歯をガチガチと音を立てて震わせているハルの苦し気な姿に、ナナバは逼迫した表情になって、暗い雲に覆われた空を仰いだ。
「ハルだけじゃなく、馬も我々も疲労が限界に来てる。せめて月明かりでも出てくれれば…」
すると、まるでナナバの言葉に答えるようにして、雲の切れ間からゆっくりと月明かりが溢れ始めた。
月を覆い隠していた雲が晴れ、姿を表した青白く光る満月が闇に覆われていた世界を淡く照らし出すと、西側の方角に古城のような建物が見えた。
「あ…あれはっ城跡か?」
ゲルガーが驚きながら、城というよりも塔が二つ連なっているような建物を見やりながら言う。
こんな壁に近い場所に建物があったとは誰も知らなかったが、巨人から逃れられる高さもあり体を休めるには打って付けの場所だと、一同は古城へと向かったのだった。
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