第三十八話
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ラガコ村にハルとミケが到着したのは、空が夕陽に染まり始めた頃だった。
村の周辺を見回っていたゲルガーとリーネの姿が目に入り、ミケはハルの背中から、二人に向かって声を掛けた。
「ゲルガー!リーネ!」
ミケの声に、ゲルガーとリーネははっと顔を向けると、アグロに乗って駆けてくるミケとハルの姿を見て、ほっとしたように表情を緩ませ、傍に駆け寄って来た。見たところ、戦闘を行なった様子は無いので、巨人と遭遇してはいないようだ。
「ミケさん!ハル!無事だったんですね!?って…ミケさん!その怪我っ、両足をやられたんですか!?」
「大変だ!ハルも…随分顔色が悪いんじゃないか…っ?」
ゲルガーとリーネは、馬上のハルとミケを見上げて、焦燥した様子で言うのに、ミケは周りに104期の新兵がいないことを確認すると、表情を固くし、少し声量を落とした低い声で言った。
「ぁあ、厄介な巨人と遭遇してな…。お前達に、話しておくべきことがある。少し、新兵抜きで話せるか?」
「は、はい」
「分かりました」
ミケの表情から察して、二人は顔に緊張を走らせて頷くと、ハルは手綱をミケに手渡し、鞍から降りた。
「ミケさん、私は皆と合流します」
ハルはミケにそう言うと、ミケは「ああ」と頷く。
それに、ゲルガーはラガコ村の奥の方へと顎をしゃくって言った。
「ハル、皆お前のことを心配していたぞ。村の奥の方で松明を集めてるから、先ずは同期達に顔を見せてやれ」
ハルは「はい」と頷くと、アグロの首をひと撫でして、ラガコ村の中へと足を進めた。
村の中の建物は、殆どが派手に壊され、道には家具や木片が散らばり、騒然としていた。
巨人の仕業というのは間違いないだろうが、ハルはラガコ村の状態に、違和感を抱かずにはいられなかった。
ハルは彼方此方の巨人に突き破られたような家々の中を何軒か覗いたが、家の中どころか、何処にも血痕が見当たらなかった。
巨人の襲撃を受けたのなら、人が食われた痕跡が、必ず残っている筈だった。
そして何より、村の厩には、馬が多く残っていた。
人が巨人に襲われて、走って逃げようとするとは考えにくい。恐怖のあまり馬に乗ろうという思考にならなかったという可能性もあるが、肩身狭そうに厩に詰められている馬達を見ると、一頭も連れ出されていない様子だった。
「(何かがおかしい…)」
ハルは村の異様な様子に、辺りを注意深く観察しながら、村の奥の方へと足を進めていくと、ライナーとベルトルトが松明を集めている姿が目に留まった。
それに、ハルは足を止めると、ライナーとベルトルトはハルに気がつき、腕に抱えていた松明を足元に置いて、一目散に傍へ駆け寄って来た。
「ハル!無事だったんだな?怪我はないのか!?」
「巨人と交戦したんでしょ?…なんだか、顔色が悪いよ?どこか、怪我してるの?」
ライナーとベルトルトが、心配げに自分の顔を覗き込んで問い掛けてくるのに、ハルは胸が切なく締め付けられて、二人の顔から目を逸らしながら、体の横の拳をぎゅっと握りしめて、懸命にいつも通りの表情を作ろうと努めた。
「うん、ありがとう、ライナー、ベルトルト。私は平気だよ」
そう言いつつ、内心では口の中の舌を噛み切りたくなる。
怒りや憎しみ、そんな感情からではなく、ただ只管、悲しくてならなかった。
「あ、ぁあ…なら、いいんだが」
「……?」
ハルの逸らされた目と表情に、ライナーとベルトルトは違和感を覚え、少し顔を曇らせた気配がして、ハルは痛む胸に気づかないふりをする。
「此処、コニーの故郷、だったよね…?コニーは、何処に来ているの?」
ハルは辺りを見回しながら問いかけると、ライナーは「ああ」と頷き、村の西側を指差した。
「アイツも来てる。今は、向こうに居ると思うぞ…」
「ハル、顔を見せてあげて。少しはコニーも、落ち着くだろうし」
ベルトルトに促されて、ハルは「分かったよ」と頷くと、ライナーが指し示した方へと駆け足で向かった。
細い路地を瓦礫を跨ぎながら通り抜けた先に、コニーの背中が見えた。
そして、その奥には、大きく倒壊した家と…一体の巨人が居た。
「!?」
ハルは巨人の姿を見て息を呑んだが、その巨人は家に仰向けになって倒れ込んでいて、手足は木の枝のように細かった。
大きな体と頭を支え、自立するのが可能な体の構造を、全くしていなかった。あれでは、起き上がる事さえ困難だろう。
しかし、動けるような状態には見えないあの巨人は、一体どうやって此処までやって来たのだろうか?
ハルはそう疑問を抱きながらも、壊れた家の上に寝そべっている巨人を、広い集めた松明を腕に数本抱えて、見上げているコニーの背中に駆け寄った。
「コニー!」
コニーは、ハルに名前を呼ばれ、僅かに肩を震わせると、ゆっくりとハルの方を振り返った。
「ハルっ…」
「!」
コニーの梔子色の瞳は、絶望に打ち拉がれ、悲しげに揺れていた。
そんなコニーの表情から、ハルは全てを察して、傍で足を止めると、涙を堪えて震えているコニーの両肩を掴んだ。
「コニー…此処が、君の家なの?」
「あぁ…そうだよっ、此処が俺の家だ」
ハルの問いに、コニーは掠れ、震えた声で答えると、手にしていた松明をギュッと胸に強く抱え込んで頷いた。
「ハル…どうしたらいい?俺の故郷が…なくなっちまった…っ」
「…っ」
力なく両肩を落として、絶望と悲しみが滲んだ声で嘆くコニーに、ハルは胸にナイフを幾度も突き立てられるかのような痛みを感じ、喉の奥が熱くなって、コニーの肩を掴んでいた手に力が篭り、下唇を噛んだ。
「お前も、こんな気持ち、だったんだよな…?」
コニーはそう言うと、両目から涙を流しながら、ハルのことを見つめる。
「突然、故郷も、家族も失うってのは…こんなに、…辛いことだったんだなっ…ハル。俺、全然分かってなかったよ…お前の気持ち…っ」
「っコニー…!」
ハルの肩に額を凭れかけて、嗚咽を必死で噛み殺そうと引き攣る喉で、コニーは嘆く。
「こんなに寂しくて、怖くて…辛くて…悲しいんだな…っ…」
耳元で響いたコニーの悲痛な声と言葉に、ハルは堪らなく悲しくなって、コニーの震える体を両腕で抱きしめ、コニーの肩口で首を横に振った。
ハルも、家族と故郷を、突然現れた巨人によって奪われた。その悲しみも、痛みも、絶望も、恐怖も、今になっても手に取るように思い出すことが出来る。だからこそ、コニーの気持ちは痛い程理解出来ていたし、何よりも、コニーが一番辛いはずなのに、自分の気持ちを案じてくれたその優しさに、涙が出そうになるほど胸が締めつけられた。
「いいんだ…私のことは、気にしなくていいからっ……それに、コニー…っまだ、諦めるには早いよ」
「え?」
コニーは、戸惑った顔をハルに向けた。
それに、ハルは村の様子を見回しながら言う。
「さっきから村の様子を見ていて、思ったんだけど…あまりに、穏やかすぎる。何処にも血痕がないし、それに…腐敗臭が…しないんだ。この、巨人からも、周りの空気からも」
「どういうことだよ?」
コニーは困惑した顔で首を傾げるのに、ハルは思案顔で顎に手を添え、言葉を続けた。
「マリアの領域を徘徊していた巨人は、人を食べていて、そういう…特有の腐敗臭みたいなものが体に染み付いてる。それは、何となくコニーも、分かるでしょう?」
「あ、ああ…確かに、そうだよな。…確かに、周りからも、この巨人からも、腐敗臭はして来ないよな…」
ハルの言葉にコニーも辺りを見回し、それから少し冷静さを取り戻した様子で、絶望に打ち拉がれていた瞳に僅かな希望を見出して、頷いた。
それにハルはコニーの両肩を再び掴んで、真っ直ぐにコニーの顔を見つめて言った。
「もしかしたら、運よく知らせが早く届いて、皆避難をしているのかもしれない。だから、まだ…下は向いちゃ駄目だ」
ハルの瞳には、自分を励まそうという強い光が宿っていて、コニーは背中を押されるような気持ちになり、「ああ」とハルに頷きを返した。
コニーの表情が前向きなものに変わり始め、ハルはほっとした様子で笑みを返したが、コニーは両肩に触れているハルの手が異様に冷え切っていることに気がついて心配になり、ハルの顔を覗き込み問いかけようとした。
「ハル…お前の手、やけに冷た…」
しかし、ミケと話を終えたゲルガー達やライナー達が、アグロとコニーの馬も連れて此方へとやって来て、コニーは口を噤んだ。
「コニー、ハル!そろそろ此処から移動するぞ!ミケさんは怪我が酷いから、アグロも連れてこれから帰還してもらうことになったんだが……ハル。お前も、戻った方がいいんじゃないか?」
馬上のゲルガーから、村の厩に居た馬に、アグロの鞍を取り付けた状態の茶色い毛並みの馬の手綱を手渡され、ハルはその馬の首を撫でながら「いいえ」と首を横に振った。
「私は残ります。立体機動装置は故障して使えませんが、日が落ちた後の壁穴の捜索時には、私の耳を役立てられるかもしれませんし」
ハルはアグロの手綱を握り、村の馬に跨っているミケを見上げると、ミケは少し考え込んだ後、致し方無いといった様子で溜息混じりに言った。
「…まあ、お前ならそう言うと思ってはいたが……ハル。くれぐれも、無茶だけはするなよ?」
「はい。ミケさんも、道中は気をつけてください」
「ああ、俺のことは気にするな。ゲルガー、リーネ、頼んだぞ」
ミケの言葉に、「任せてくださいよ!」とゲルガーは威勢良くにっと口端を上げて笑うと、リーネも微笑んで深く頷きを返した。
それから、ゲルガーはハル達に向かって次の指示を下す。
「お前達、松明は大体揃ったな?これより壁の破壊箇所を特定しに行くぞ!馬に乗れ!」
「「はい!」」
その言葉に、ハル達は其々馬に跨り、コニーもハルの隣で馬に跨った、その…時だった––––
『ォ……ァエリ…』
ふと、背中から…声がした。
それは、コニーの家から…
正確には、コニーの家に横たわっていた巨人の口から放たれた声だった。
「ぇ…?」
「っ今……」
ハルとコニーは息を呑んで、ゆっくりと背後の巨人を振り返った。
巨人は大きな丸い瞳で、コニーの事をじっと食い入るように見つめている。
コニーの瞳と同じ、梔子色の瞳の中には、歓喜の光が輝いているように、ハルには見えた。
ハルは、嫌な予感が胸を駆け抜けて、息を詰めならコニーの顔を見た。
コニーは、唖然と巨人の顔を見つめ、見開いた目を小刻みに震わせながら、青褪めていた。
すると、そんなコニーの傍に馬に乗ったライナーが駆け寄ってきて、コニーの頬を平手で叩くような厳しい声音で言った。
「おいコニー急げッ!!ゲルガー達に遅れちまうぞっ!?」
それに、コニーは動揺から歯切れの悪くなった口調で言った。
「ラ、ライナー…今何か、聞こえなかったか?」
「俺には何も聞こえてない!!」
しかし、コニーの問いかけに、ライナーは断ち切るような口調でハッキリとそう言い切り、頭を大きく横に振った。
「あのさ……あ、有り得ないんだけどっ…何かこの巨人…母ちゃんに似てる気が、」
「コニー!!お前は今がどんな状況か分かってんのかっ!?」
「!?」
ライナーが珍しく感情的になり、激しく声を荒らげたのに、コニーは頬を平手で叩かれたようにはっと息を呑んだ。
「俺達の働きが何十万人の命に直接影響してるんだぞ!?考えるなら今避難している家族のことだろ!?兵士なら最善を尽くせッ!!」
ライナーは圧の掛かった声で、頬と眉間を強張らせながら、コニーに捲し立てるようにして言い放つと、馬の腹の横を強く蹴り、ゲルガー達の後を追って馬を走らせた。
まるで何かの雑念を振り払おうとしているような、或いは自分自身にも言い聞かせるような響き残し、駆けて行くライナーの背中を、ハルは目を細めて見つめていた。
あんなに激しく取り乱しているライナーの姿を、ハルは初めて見たからだ。
「…ああ…そうだなっ!その通りだ…!」
ライナーの言葉に、コニーも動揺した心を持ち直すように馬の手綱を握りしめて、ゲルガー達の後を追う。
「……」
離れて行くコニーの背中を、家に横たわっていた巨人は、見開いた大きな目で追いかけていた。
ハルはそんな巨人の顔を見つめながら、コニーが言おうとしていた言葉が、世迷言などでは無いのだと、頭の片隅で確信してしまっていた。
…何故なら、この村の住民が馬にも乗らず巨人から逃げ、もぬけの空になっている建物を、巨人が意味もなく壊し廻ったと考えるよりもずっと自然で、説明がついてしまうからだ。
自力では動けない筈の巨人が、コニーの家で仰向けに寝そべったままでいることも…
村の厩に馬が、多く残っているということも…
血の一滴も、見当たらず、鉄の匂いもしないということも全て…そう考えれば合点がいく。
「ハル!!おい!!お前も早くしろよ!!」
コニーの声が聞こえて、ハルは巨人の顔を見つめたまま、物憂げに息を吐き、顳顬を針で刺されるような頭痛を感じて、黒い双眸を細めて呟く。
「…今、行くよ」
第三十八話 胸騒ぎ
ハルは遠くにいるコニーを見つめている巨人に、小さく頭を下げると、馬の腹の横をとんと蹴って、ゲルガー達の後を追いながら、奥歯を噛み締め、馬の手綱を自分の爪が掌に食い込む程強く握り締めた。
「(ここの人達は…っ、巨人に…されたんじゃないか…っ?)」
完