第三十六話
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「……、っ朝…か…––––」
ジャンは小さく呻きながら、昨日の夜から続いていた雨が降り止んで、レースのカーテンの隙間から溢れてくる朝日に右手を翳し、鳥の囀りに誘われながら目を覚ました。
今や見なれた自室の天井の板目が、段々と輪郭をはっきりしてくるに連れ、微睡んでいる頭がゆっくりと覚醒を始める。
「…すげぇ…長い夢、見てた気がする…」
ジャンはぼんやりと呟きながら、額に張り付いた前髪を払おうとした左腕にふと重みを感じ、枕に頭の後ろを擦りながら横を向いた。
「!」
其処には自分の腕枕で、身を丸く疼くめるようにして、ぐっすりと眠っているハルの顔があった。
ジャンは眼前に広がった光景に、一瞬狼狽え声を上げそうになってしまったが、昨晩のことを思い出して、喉から飛び出す既のところで押し留めた。
「…っ、そう…だよな。昨日の夜は一緒に、寝たんだよな…」
穏やかな規則正しい寝息を立てているハルの寝顔を、感慨深くまじまじと見つめながら、ジャンは夢見心地で呟いた。
昨晩のことは、互いに感情が昂り求め合うことに必死過ぎて、あまり鮮明に思い出すことは出来なかった。
何せそういう行為自体が、二人共初めてだった訳で…ジャンの方は知識こそは有るものの、実践したことは無かったし、ハルに至っては全てにおいて手探りだった。
正直スマートとはとても言えなかったが、それでも二人は満足していたし、触れ合っていられるだけで心が満たされていたことも確かで、互いの体温や存在を確かめるように体を重ねている内に、気が付いたら眠ってしまったようだった。
ハルとジャンが纏っていた服はベットの下に散らばったままの状態で、今は二人とも裸の状態で身を寄せ合っている。
自分の肌に直接触れているハルの柔らかな肌が、昨日とは比べて温かさを取り戻し、悲嘆に暮れ、涙で腫れ上がっていた目元が、穏やかになっているのを見て、ジャンは安堵の溜息を吐きながら、ハルの目元に人差し指の背で触れる。
見たところ悪い夢に魘されている様子もなく、穏やかに眠ることが出来ているようだ。
「(…ただ寝顔を見てるだけだってのに…、こんなに満ち足りた気分に、なれるもんなんだな…)」
「ん…、」
「…!」
すると、不意にハルは僅かに身を捩って、ジャンの肩口に頬を寄せて来た。
柔らかな黒髪が首元に触れて、ジャンは擽ったさに息を呑むが、間近になったハルの寝顔が無防備で愛らしく、自然と表情が綻び、ほぼ無意識に言葉が口から漏れる。
「…す、げ…可愛い…」
こんなふうに、体を寄せ合って、ハルに触れられる日が来ることを、正直夢見ていたものの…叶えられる望みだとは思っていなかった。
ハルは南駐屯地の104期の中に限らず、先輩後輩達から見ても、高嶺の花のような存在だった。
ミカサのように特別美人というわけでもなく、クリスタのように特段可愛らしいというわけでもないが、二人のちょうど間を取ったような中性的ながら端正な顔立ちと、細身の身体、のくせに出るところはそれなりに出ている体つきに、人当たりがよく温厚で、後輩に対しては面倒見が良く、先輩には礼儀を弁えている。その上頭も良く運動神経も飛び抜けて良いとなれば、まさに言うこと無しの才色兼備だった。
ジャンもそんなハルに対して、出会った時から憧れのような感情を抱いていたと思っていたのだが、今思えば完璧に一目惚れだった。
ハルに惹かれ、いつも目で追っていると、ふとした瞬間に目が合う度、ハルは微笑みを返してくれる。その笑顔と優しさに、ジャンは幾度も救われてきた。
そうしてハルと共に過ごしている内に、彼女の中に巣食う弱さや、過去の深い傷を知り、己の才能に甘んじることなく誰よりも努力を重ね、大切なものを守るために強くなろうと奔走するハルのことが、生きていく上で無くてはならない存在へと変わっていったのだ。
ハルを想い続けて、三年目で漸く大きな一歩を踏み出すことが出来た気がする。
随分遠周りをしていたような気もするが、その道のりも振り返れば、まあ悪くは無い時間だったとも思える。
「…なんか、幸せを通り越して…感動、だな…」
ジャンはなるべく起こさないように、それでも何か愛情を示したくて、ハルの柔らかな黒髪に手を差し入れ後頭部を撫でると、白い額にそっとキスを落とす。
「…っ…ジャ…ン…?」
…すると、ハルは目を瞑ったまま小さく呟いた。
「悪い。起こしちまったな…」
「ふぁ…っ…おは、よー…」
「っああ…おはよ、ハル」
ハルは寝起きの間延びした声で朝の挨拶をする。目元を指の背で擦りながら、くあっと猫のように欠伸をする姿が可愛らしくて、ジャンは思わずくつりと喉を鳴らして笑いながら挨拶を返した。
「…何だか、すごく長い夢…見てた気がするんだ」
「…あぁ、俺もだ。奇遇だな」
ジャンは眠気の残るハルの動作が新鮮で、愛らしいと想いながら微笑んで見せると、ハルは擦っていた目を開いてジャンの顔を見るや否や、微睡んでいた頭が漸く覚醒を始めたのか、今の状況を理解した途端、ジャンの腕に折角開いた目元を押し付けるようにして顔を逸らした。
「…ぅ、」
それに、ジャンは片眉を眉間に寄せ、怪訝な顔になって問い掛ける。
「…おい、何してんだよ」
「…っきゅ、急に、は…恥ずかしくなってしまって…っ」
上擦った声でそう言ったハルは、紅潮する頬を隠せては居ても、黒髪から覗く赤く染まった耳は隠せて居らず、そんないじらしいハルにジャンは笑った。なんだか朝から、終始ニヤけているような気がする。
「恥ずかしいってなぁ…そんなの、今更だろーが?」
「っでも…!い、今は夜と違って明るいし……雨も上がっているから…君の顔がよく見えて眩しい…というか、何と言うかっ…う、上手く言えないけど、…やっぱり、恥ずかしいんだ…」
ハルの物言いは、いつも若木のように真っ直ぐで嘘がない。
その為、心情を明け透けに話をされると、何だかこちらまで擽ったくなってしまうことが多々あったが、今がまさにそれだ。
しかし、言葉の中に嘘がないのだと分かっている分、ジャンはハルに対しての好意を包み隠す必要もないと考えて、ハルの赤く染まった左耳を右手の指で挟むように掴むと、その形の良い小さな耳の輪郭を指先でなぞりながら、意識的に甘く囁き掛ける。
「恥ずかしがってるお前の顔、俺は近くで良く見てぇんだ。…だから、そうやって隠してないで、こっちを見てくれよ。それに、折角傍に居るってのに、何か寂しーだろ…?」
琥珀色の瞳を細めて耳に吐息を掛けるように囁くジャンに、ハルはおずおずと顔の反面だけをジャンに向けて言った。
「…だって、緊張、する、ので」
「なんでカタコトで敬語なんだよ」
「それはっ…恥ずかしいから」
ハルはそう言うと、再び顔をジャンの腕に埋めて、「とても、恥ずかしいからだよ…」と、今度は小さな声で呟き、自身の胸元でギュッと両手を握った。
「……」
ジャンは少し揶揄ってやるくらいの気持ちだったのだが、ハルの純粋で直向きさ極まった反応と言葉に、愛おしさが怒涛のように胸に突き上げて来て、堪らずハルの耳に触れていた手を細く白い肩に回し、もう片方の腕で小さな頭を胸元に抱き寄せるようにして抱擁した。
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