第三十五話
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ハルの柔らかな微笑みに、ジャンは身体から強張った力が抜け落ち、頭に冷静さ取り戻しながら、自分の情けない顔をこれ以上ハルに晒してしまわないよう、ハルの左の肩口の冷たいシーツの上に額を押し付けた。
「…何か、俺…すげぇ格好悪ぃ…」
不本意そうに言ったジャンに、ハルはふっと笑みを浮かべると、ジャンの逞しい背中に腕を回し、そっと撫でながら首を小さく横に振る。
「…格好悪くなんか、ないよ」
ハルは、ジャンの右耳に向かって、切実な声音で、ゆっくりと語りかけるようにして言う。
「君は優しくて、あったかくて…とても素敵だ」
その言葉が、右の鼓膜から、陽だまりのような熱に変わって、乾いた地面に雨水が染み入るようにじんわりと、胸に広がって行く。
ジャンはゆっくりとシーツから額を浮かせて、すぐ傍のハルの顔を見た。
鼻先が触れてしまいそうな程近くで、ハルはまるで朝露に濡れた花のように柔らかく、微笑んでいた。
「ジャンはいつも、格好良い。…私はそう、思っているから」
「っ」
その顔があまりに綺麗で、儚くて、ジャンは思わず目を眇める。
ハルは嘘を吐くのが下手な分、人に思いを伝える時の言葉は、何処までも直向きで、偽りがなかった。だからこそ、自分だけではなく、他の仲間達も、ハルのことを深く信頼し、慕っているのだろう。
ジャンはハルの身体に両腕を回して胸元に押し付けるように抱き寄せると、彼女の存在を確かめるように、爽やかな石鹸の香りが残る黒髪に口元を埋めた。
その時、ハルの身体が先ほど頬に触れていた指先同様に、酷く冷え切っていることに気づかされる。
「…お前の身体、すげぇ冷てぇ…」
すると、ハルは徐に自身の首を指先でなぞるようにして触れながら、寂し気に言った。
「…ちょっと寒くて。気持ちの問題、なんだろうけれど…。…ずっと、傍にあったものが無くなるっていうのは……こんな、感じなんだね。…君に御守りを預けていた時は、こんな不安な気持ちに…ならなかったのに…」
不思議だね。ハルはそう侘気に呟く。
ジャンはベットの端に転がっている御守りへと視線を向け、ハルを抱いたまま問いかけた。
「御守り、捨てちまうのか…?」
ハルはジャンの胸元から少し離れ、御守りを見つめながら、悲し気な影を瞳に漂わせ、複雑そうな面持ちになる。
「…どうだろ。…まだ、決められていないんだ。…母さんの形見でも…あるから…」
ハルの身体から体温を奪い去ってしまったのは、迷いに揺れた黒い双眸が見つめている、あの御守りなのかもしれない。
だとすれば、ただ単純に身体を温めたところで、ハルの熱は戻って来ないように思えた。
「お前の寒さは、掛け布団増やした所で、どうこうなるもんじゃ無さそうだな…?」
ジャンはハルの両頬を両手の掌で包み込んで、御守りから視線を逸らされるように自身の方へと向かせると、眉を八の字にして、寂しさを滲ませているハルにそっと囁きかける。
すると、ハルは一度大きく瞬きをした後、黒い瞳を細めて、ジャンに問い返した。
「…そう、思う…?」
ジャンは、心細そうなその瞳を見つめ返しながら頷く。
「…ああ、そう思う」
「…私も、そう思うよ… 」
困ったな、どうしたらいいのか、分からないや。
ハルは自嘲じみた笑みを口元に浮かべて、降り続いている雨の音に紛れてしまう程小さく言葉を溢した。
ハルの寂しさが、彼女の両頬に触れている掌を伝わって、自身の胸に入り込んでくるようで、ジャンはそんなハルのことを真っ直ぐに見つめながら問いかけた。
「…なぁ、ハル。俺の部屋、来いよ…?」
「!」
ジャンは、今のハルに独りにしておけば雪のように溶けて消えてしまいそうな危うさがあるのを感じていた。
淡い月明かりに照らされ、白いシーツに埋もれているハルの儚げな姿が、それを強く示唆しているようにも思える。
「此処のベッドより、俺の部屋のベッドの方がデケェんだよ。…向こうでなら、一緒に寝てやれる。…それに、」
ジャンはハルの細い肩に腕を回し、もう片方の手の指先で、ハルの柔らかな下唇をなぞりながら、琥珀色の目を細めた。
「そーして欲しかったから、さっき俺を…呼び止めたんだろ?」
低く甘く響く声と、慈しむような瞳の中に揺れる熱っぽい輝きを放つ視線に、ハルは胸が疼いて、澄んだ黒く丸い瞳を、身震いするようにぶるりと大きく震わせた。
それから、ハルはジャンの視線から自身の顔を覆い隠すように、シーツに顔を埋め、くぐもった声で呟いた。
「…何だか私…子供みたい…だ…」
間近にあった黒い瞳がシーツに隠れ、代わりに黒髪から覗く形のいい耳が現れた。
そこは紅葉し初めの葉の先のような赤みが差していて、ジャンは愛おし気に目を細めると、眼前に晒された無防備な左耳に口を寄せ、意識的に低くした声で、吐息を吹きかけるように囁きかけた。
「んな事ねぇよ…。一緒に居れば、少しは寒くなくなるかもしれねぇし。もし悪い夢見ちまっても、すぐに起こしてやれるだろ?…お互いに、な…?」
「っ」
すると、ハルは小さく息を呑んで、両手をぎゅっと握り締めた。それによってシングルベットのマットレスを覆い尽くしたシーツが、風に吹かれた川面のような皺を形作る。
ジャンは愛らしく耳の赤みを増して、柔らかな水の触れない川面につけられたままのハルの顔へ、するりと骨張った手を滑り込ませると、シーツに埋もれている小さな顎を掴んだ。
「…ハル。こっち、向けよ」
そうして、軽く自分の方へと誘うように顔を動かしてやると、首を縦に振ることが恥ずかしいのか、頬をほんのりと赤らめ、答えを迷っているハルの濡れた黒い瞳が、ジャンを見つめた。
「…っ」
どうやら、ハルはジャンに甘えてしまうことを躊躇しているようだった。それでも、「行かない」とは口にせず、口を引き結んで何か言いたげにじっと見つめてくるハルに、ジャンは肩を竦める。
「やめとくか?」
それに、ハルは少し慌てた様子で小さく首を横に振ると、シーツを握る手に更にぎゅっと力を込め、恥ずかし気に潤ませた瑞々しい瞳で、ジャンを縋るように見つめながら、遠慮がちに問いかけてきた。
「…っぃ、…行っても…いぃ…の…?」
「っ」
その顔があまりに可愛らしく、ジャンは動悸と軽い眩暈を覚えながらも、必死に平常心を保ち、ハルの柔らかな髪を撫でながら頷いた。
「…ああ、来いよ」
ジャンはハルがシーツを握りしめている手を掴んで引くと、ベットの上から起き上がらせ、相変わらず冷たいままの細い腕を引いて、自室の方へと歩き出したのだった。
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