第三十四話
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団長室に呼び出されたジャンとアルミンとミカサの三名は、対談用の長方形のテーブルを隔ててエルヴィンの向かいに座り、女型の巨人の正体を明らかにする為、主にアルミンの見解を辿りながら、それぞれに情報を共有し話し合いを続けていた。
そうして時間が経てば経つ程に、同期であるアニ・レオンハートが、女型の巨人の正体であるという可能性が肥大化していく中、突然荒々しく団長室の扉がノックされ、一同は口を継ぐんで扉へと視線を向けた。
「エルヴィン、入るぞ」
扉の向こうから聞こえてきた声はリヴァイのものであり、エルヴィンが部屋に入る許可を出す前に、バンと乱暴に開け放たれた扉から現れたのは、リヴァイだけではなく…満身創痍のハルも一緒だった。
ハルは扉が開くと同時に、リヴァイに背中を蹴り飛ばされ、受け身も取れず団長室の床に俯けに倒れ込んだ。
「っハル!?…リヴァイ兵長っ、これは一体どういうことですか!?」
」
ジャンは床に転がり、口元が切れ痣だらけのハルの顔を見て、思わず座っていた椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がると、リヴァイに向かって物凄い剣幕で声を上げた。
そんなジャンに対して、リヴァイは鋭い目を細めると、足元に倒れ小さく呻き声を上げているハルの背中を見下ろしながら、酷く冷たい声音で言った。
「喚くなクソガキ。これはコイツの愚かさが招いた、自業自得だ」
「っな、何が…!」
ジャンはリヴァイの言葉の意味が理解出来ず剣呑な表情を浮かべたが、向かいに座っていたエルヴィンが、ゆっくりと椅子から立ち上がりながら、重々しく口にした言葉に息を呑んだ。
「やはり、抜け出そうとしたのか」
「…は…?」
ジャン達が困惑した表情を浮かべる中、エルヴィンは険しい表情で、倒れているハルの元へと歩み寄る。
リヴァイはハルを睨み下ろしながら、丸まっている背中に、右足の靴底を押し当て、忌々しそうに言う。
「ああ。外出禁止令を破っただけじゃ飽き足らず、俺に楯突きやがった。壁外から帰還したばかりだってのに、随分と活きが良かったぞ…。なぁ、ハルよ?」
「うっ、ぐぅ…!」
ハルは容赦なく背を踏み躙られ、体が床に押し付けられることで肺が圧迫され、苦悶の声を溢す。
苦しげなハルと行き過ぎた懲罰を与えるリヴァイに、ジャンだけではなくアルミンとミカサも黙っていられず、リヴァイを咎めるように椅子から立ち上がり、身を乗り出すようにして声を上げた。
「兵長!やめてください!!」
「ハルに何てことをっ…!許せない!」
「リヴァイ兵長!コイツはいくら傷は塞がっても、痛覚は普通に有るんですよ!?いくらハルが命令違反を起こしたとはいえっ、これは行き過ぎですっ!」
アルミンとミカサ、そしてジャンがリヴァイに向かって反感の意を示すが、リヴァイは冷たい瞳を細めたままに、感情の無い平坦な声で三人に言い放った。
「これは罰じゃなくて躾だ」
「「っ」」
有無も言わせぬ様な威圧感に、三人は思わず息を詰まらせる中、エルヴィンはハルの前で足を止めると、リヴァイの肩を掴んだ。
「リヴァイ、もういい」
「っち」
エルヴィンに制止され、リヴァイは舌を打って、右足を漸くハルの背中から離した。
肺を押しつぶす様な圧迫感から解放され、ハルは床に額を押し付ける様にして咳き込んでいると、エルヴィンはそんなハルの傍に片膝を付いて座り、ハルの顔を覗き込むようにして、威圧的な低く地を這うような声で問い掛けた。
「ハル…、何故、命令違反を起こした」
その問いに、ハルは冷たいタイル張りの床から痣だらけの顔を上げると、怒りを滲ませた仰々しい瞳で、エルヴィンを睨み上げながら、掠れた声で問い返す。
「…っぇ…エルヴィン…団長…は、何を…考えていらっしゃるんですか」
「それは質問の答えになっていないぞ、ハル」
「…おいハル。お前のその耳はお飾りか?質問には答えを返せ…そんな簡単なことも分からねぇのか?」
「っぁ…ぐ!」
エルヴィンの問いには答えず自分の疑念を投げかけるハルに、リヴァイが再びハルの背中を無遠慮に踏み付けたのに、ジャン達は憤怒が足元から駆け上がってくるのを感じ、堪らず声を上げた。
「「リヴァイ兵長!!」」
「動くな、三人共」
ジャン達はリヴァイを止めようと駆け寄ろうとしたが、エルヴィンの威厳と威圧に満ちた声に制止され、身体が反射的に動かなくなる。
「これは君達だけの問題じゃない。人類の存亡に大きく関わることだ。ハルの私情を挟んだ身勝手な行動で、兵士だけではなく多くの民衆が危険に晒されるところだったんだぞ」
「っ」
エルヴィンの言葉はもっともな正論だった。
もしもハルが誰にも話さずアニとの接触を図り、単独行動を取ってしまった場合、アニがどのような行動を取っていたか…。場合によっては、多くの一般人までもが巻き込まれ、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまっていたかもしれない。
「…ハル、もう一度聞く。何故命令違反を起こした」
エルヴィンはハルの浅はかな行動を遠回しに指摘し、視線を床に落としているハルに、再び問い掛ける。
すると、ハルは酷く掠れた声で答えた。
「…直接…彼女の…口から、話を聞く為です」
その声音には、まるで舌を噛み切るような苦しげな響きが入り混じっていた。
「…彼女とは、アニ・レオンハートの事だな」
「…っ」
「君は、あの女型がアニ・レオンハートだと確信しているのか?」
エルヴィンの問いに、ハルは喘ぐような声で、床に放り出していた両手を爪が食い込むほどに握りしめながら呟く。
「…っ、そんな訳…ない…」
それから再びエルヴィンを見上げた。
その顔は泣き出しそうな表情でもあり、子供が大人に咎められ、お気に入りの玩具を取り上げられそうになっている時のような表情にも見えた。
「そんな訳がないから…っ、聞きにいかなきゃ…って…!私はただっ、アニと話がしたかっただけです!!」
「今の君は、とても冷静ではないな」
エルヴィンはそう、冷静さをすっかり欠いてしまっているハルの顔を嗜めるように瞳を細めて見つめながら言った。
それに、ハルは目の色をガラリと変え、溺れかけた川の流れの中で見つけた木の枝にでも腕を伸ばすような必死さを滲ませて、エルヴィンの両腕に縋りつく。
「…っ!エルヴィン団長!何故、私を此処へ呼んでくださらなかったんですか…っ、それは…団長は…既にっ、アニが女型だと確信しているからですか!?」
「…アルミン達からの報告を聞く限りではな」
その言葉に、ハルは息を呑んで、アルミン達へと視線を向けた。
「みんな…も、アニが…女型の巨人だと…思っているの?」
「…ハル…」
ハルの瞳は酷く脆く、薄いガラスのように不安定で、触れれば容易く割れ崩れてしまいそうな程に弱々しい。
ミカサはそんなハルに胸が酷く痛んで下唇を噛んだのに、ハルはその場からよろよろと立ち上がり、テーブルの上に両手をダンッと叩きつけ、テーブルを隔てた向かいの三人に、責め問い質すというよりは、赦しを乞うような表情を向けた。
「…ねぇ、ミカサ、アルミン、ジャンッ…み、皆も…ぁ、アニが女型の巨人だって…そう、思っているの?」
再び投げかけられたハルの必死な問いに、アルミンは重い口を開いた。
「…女型の巨人は、兵士を殺す時、必ず顔を確認してから殺していた。それは女型が、エレンの顔を見知っていたということになる。もちろん、それだけでアニだと特定した訳じゃないよ。…女型は、死に急ぎ野郎…エレンのあだ名で、同期の104期しか知らない言葉に反応を示した。…それが、僕たちの同期の中に、女型が居るって考えられる大きな要因の一つになったんだ」
「それ、で…どうして、アニ…だって…」
ハルはアルミンに震えた声で問いを連ねるのに、アルミンは神妙な声と表情で答える。
「皆には…ずっと、言えなかったことがあったんだ。…ソニーとビーン、二体の巨人の検体が殺された日、立体機動装置の検査が行われたのは、ハルも知っているよね?」
「うん…。でも、それには誰も引っ掛からなかったって…」
「アニが検査に提出した立体機動装置は、アニの物じゃなかったんだ」
ハルがこの真実を聞かされて取り乱さない筈がない。
しかし、アルミンはハルに真実を知らせなければならないと思った。そうしないと、ハルはずっと今の状態のまま、前に進めないと思ったからだ。
アルミンは下唇を噛んで意を決すると、不安げに自分を見つめるハルの顔を見据えて言った。
「アニが出した立体機動装置は、マルコの物だったんだよ」
「––––は…?」
アルミンの言葉を聞いたハルの顔が、みるみると青褪めていくのが、アルミン達には分かった。
ハルはあまりに衝撃を受け、激しい目眩に襲われたように両手で頭を抱えて、アルミンからよろよろと覚束ない足取りで後ずさった。
愕然としているハルに、アルミンは胸が締め付けられるのを感じながらも、罪悪に限りなく近い感情にひりつく舌を動かして、言葉を続ける。
「マルコの立体機動装置には、十字の傷があるのを、ハルも良く知ってるよね?…ずっと一緒に整備してきた思い出があるから、見間違う筈なんてない。…確かにその傷が、アニが提出した立体機動装置にあったんだ」
「そ、んな…」
ハルは後ずさった先の団長室の壁に背中を押し当て、茫然とジャンへ視線を向けた。
ハルの顔を見て、ジャンは苦しげに表情を歪めると、奥歯を噛み締め両拳を音がなる程に強く握り締めながら、視線を足下に落とした。
マルコが遺体で見つかった時、マルコは立体機動装置を身に着けておらず、巨人に体の半身を噛み千切られた状態で、街道の壁に寄り掛かるようにして死んでいたと、ハルはジャンから知らされていた。
巨人達が蔓延る状況下で、立体機動装置がベルトから取り外され、付近にマルコの外れた立体機動装置が見つからなかったというのは、かなり不自然なことだと思っていたが…
アニがもしも…、マルコの立体機動装置を本当に持っていたのだとすれば、それは一体何を示唆しているのか…
それは、ハルにとって、途方もなく恐ろしいことだった。
「…なんで今まで、言わなかったの…」
ハルは痺れた頭の中で、殆ど無意識に動いているような口で、アルミンに問い掛けた。
アルミンは悲痛の面持ちを浮かべて答える。
「…アニがあの事件に関与しているなんて、思いたくなくて…仲間を疑うなんてこと、したく、なかったから…」
「…っ」
アルミンの言葉に、ハルは頭を抱えたまま、この世の終わりのような顔で、団長室の白い天井を仰いだ。
それはまるで、現実から逃れる為に、どこかにアニが女型ではないと否定するための証拠がないかと必死で探し求めているようにも見えた。
そんなハルの、引き攣った白い喉元を見つめながら、アルミンは問い掛ける。
「…ねぇ、ハル。ハルはきっと、僕よりもずっと、女型がアニだって思ってるんじゃないの…?」
「アル、ミン…?」
ハルは酷く怯えた目で、アルミンを見つめる。
「僕は見てた。女型の目を潰そうとしていた時、ハルは明らかに動揺して、動きを止めた。攻撃を躊躇して…こう言っていたよね?」
アルミンははっきりと、馬上から見ていたのだ。
女型の巨人の体の肉を削ぎ上げることに全く躊躇などなく、圧倒的な力でねじ伏せようとしていたハルが、女型の巨人の顔を間近で見た時、明らかに動揺し、困惑していた瞬間を…
そして、その唇から、放たれた言葉を。
「…『アニ?』って…、言っていたよね?」
アルミンの声は、団長室の妙に冷え込んだ空気に、鐘の音のように明朗と響き渡った。
「ぁ……っ」
ハルはアルミンの言葉に両目をこれ以上ない程に見開くと、その細い首を酷く引き攣らせて、頭を抱えている手の指先を関節が軋む程に強張らせた。
「…ハルだから、分かったこともあった筈だ。証拠は無くても、アニと一緒に過ごしてきた時間が、本能的に女型はアニなんだって…感じさせることも、あったんじゃないの…?」
ハルにとってアニ達の存在は、アルミンにとってのミカサやエレンと同等の存在なのだ。
そう考えれば、ハルの心の痛みは、アルミンの想像に耐えないものがあった。
しかし、これがもしも事実であるとしたら、ハルは遅かれ早かれ現実を受け入れなければならないのだ。
起こってしまったことは変えられないし、時を戻す魔法なんてそんな都合の良いものもない。
それならば現実を受け入れ、死んでしまった同胞達の思いを背負って、前へ進んで行くしかない。
…この、残酷な世界では、それが出来なければ、決して生きてはいけないからだ。
ハルは背中を壁に押し付けたまま、ズルズルと床に座り込み、酷く掠れた声でうわ言のように呟いた。
「…ぁ、…れは…女型…は…アニ…でした…」
その声は、胸に氷の刃を突き立てられるような痛々しさと、悲しさを孕んでいる。
「ずっと一緒に…過ごして来たから、分かりました。…あんな風に、空色の瞳を…細めて、悲しそうに私を…見るのは……アニ…だ。私の顔を見て…泣きそうな顔になって…、殺さず…離れて行ったのは……、アルミンのことも…殺さなかったのは……女型が、アニだからです…っ」
「ハル…」
エルヴィン達は喘ぐように答えたハルを、見下ろす。
「でも…っ、そんなのって…ない…とてもっ、耐えられません…っ私はこの五年間、ずっとアニと一緒に過ごして来たのに…っ、私は…どうして、気付かなかったのか…っ、一体彼女の何を、見て来たのかっ…」
ハルは胸元の御守りを見下ろしながら、自責の念に駆られ、言葉を雫のように落としていく。
しかし、そんなハルの敢えて自分自身を追い詰めようとする思考の流れを、リヴァイが杭を打つような口調で堰き止めた。
「そうじゃねぇだろ、ハル」
「…え?」
リヴァイは座り込んでいるハルの前に片膝をついて座ると、ハルの顔に鋭く射抜くような視線を向けて言った。
「お前が見るべき場所は、其処じゃねぇだろ」
「リヴァイ…兵長…?」
その言葉の真意が分からず、頭を抱えたまま不安げな瞳を揺らすハルに、リヴァイは鋭い語気で言い放った。
「お前は許せるのか…?アニ・レオンハートは、…いや、その女と同郷だという二人も、お前のことをずっと欺き続けて来たんだぞ…?」
ハルはリヴァイの言葉に対して、必死に平静さを装おうとしたが、余計に声が震えてしまう。
「…っや、やめて…ください…」
リヴァイの視線から目を逸らすハルの顔の横に、リヴァイは両手を荒々しくダンッと壁を掌で叩きつけ、逃げ場を失ったハルを更に責め立てるように言い放つ。
「現実から目を逸らすな!」
「っぅ」
ハルは悲痛に顔を歪めて、瞳を閉じようとする。
「下を向くなっ!!」
しかし、リヴァイはそれを決して許さなかった。
「っぅぁ…ぁあ」
リヴァイの厳しい言葉はハルの心の逃げ場を容赦なく塞ぎ、氷水に体を押し込まれて、肺に残った僅かな酸素まで奪い取っていくかのようだった。
苦しげに喘ぎ頭を掻き毟るハルを、ジャンはいよいよ見ていられなくなって、リヴァイの肩に掴みかかった。
「ッ兵長!!もうっ…もうやめてください!!コイツの、ハルの気持ちも少し考えてやって下さいよッ!!」
腹の底から絞り出した声は、切実さを通り越して最早嗚咽のようだった。
しかし、リヴァイはジャンの方を振り返ることは無く、悲痛にもがき苦しむハルをみじろぎ一つさえしない、深く鋭い視線で貫くように見つめながら、言い放った。
「お前が言うように、コイツのことを本当に考えるなら、クソみてぇな情を早々に、コイツの中から切り離すことが最善なんじゃねぇのか…?」
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