第三十三話
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背後から陣形を追い駆け迫ってきていた巨人達の襲撃を、ハルが迎撃に向かってくれたことにより回避に成功し、イヴァンの遺体を背負ったディータとロドリグも、無事陣形へ合流を果たすことが出来た。
エルヴィンはカラネス区から4キロ程離れた旧市街地近辺の平原で、再び陣形を停止し、緑の信煙弾を上空に撃ち上げると、ハルの帰還を其処で待つことにした。
その間兵士達は馬の休息や補給等を行っていたが、四十分程経過しても、ハルが陣形に戻ってくることは無く、皆に不安が過ぎり始めていた。
ハルが中々帰還して来ないことに焦燥したゲルガーは、堪らずカラネス区までの帰還ルートを地図で確認しているエルヴィンに向かって、酷く取り乱した様子で言った。
「エルヴィン団長!ハルを迎えに行かせてくださいッ!!」
ウォール・ローゼの門まで距離が近づいている今、南に向かって兵士を進めることで巨人を壁に引き寄せてしまうと、最悪の場合市民に危険が及ぶ可能性も出てくる。その上、巨大樹の森から離れて既に時間も経過している。もしかすると、帰還してきたルートとは違うルートで、巨人達がこちらに接近して来ている可能性もあるのだと考えると、兵士を容易に南に向かわせるわけにはいかなかった。
「駄目だ」
エルヴィンの返答に、悔しげに歯を食いしばるゲルガーを見て、エルヴィンの近くに居たミケは、神妙な面持ちになって言った。
「ゲルガー、落ち着け。ハルなら大丈夫だ」
しかし、ゲルガーは頭を横に振り興奮した様子で、ミケに身を乗り出すようにして訴える。
「そんなのっ、分からないじゃないですか!?アイツが無茶ばっかなのはっ、ミケさんだって良く知ってるでしょう!?」
ゲルガーの言葉に、ミケは辛そうに眉間に皺を刻むと、その横にいたナナバが諭すような口調で、ゲルガーの右肩に手を置く。
「ゲルガー、気持ちは良く分かるよ。私達だって心配だ。…でも、これから戻っても、新たな巨人を陣形に引き寄せてしまう可能性もあるんだ。そうなったら、ハルが懸命に私達を守ろうとしてくれた思いを、無駄にしてしまうことになるんだよ」
「…っ、クソ!」
ゲルガーは頭では分かっているものの、感情が伴わず、硬く両手の拳を握り締めると、唇を噛んで悔しげに項垂れた時だった。
ミケが急に鼻をスンと鳴らして、平原の南側へと顔を向けた。
それを見たナナバが、ミケが向いた方へと同じく顔を向けて、ハルを探すために手にしていた双眼鏡を目に押し当てた。
「…っ!見えた!ハルだ!!こっちに向かって来てる!」
そうナナバが声を上げると、周囲に居た兵士達や104期の兵士達も集まってくる。
ゲルガーはナナバに身を乗り出すようにして問いかけた。
「ハルは無事なのか!?」
「ああ、無事だ。こっちに向かって手を振ってる」
安堵した様子で口元に笑みを浮かべて、双眼鏡から目を離したナナバがゲルガーに向かって言うと、ゲルガーは肺の中の空気を全部吐き切るような深い溜息を吐いて、体をくの字に折り曲げた。
「よ…良かった…」
やがてハルは陣形に合流を果たすと、エルヴィンが馬上のハルを見上げた。
「ハル、良く戻った。大丈夫か?」
ハルは息も上がりかなり疲れている様子で、愛馬のアグロの同じく、呼吸を荒立てていた。
ハルは呼吸の合間に話すように、言葉を途切れさせながらも、陣形に無事合流出来たことに何処か安堵している表情で頷いた。
「なっ、何とか…はぁっ、ギリギリ、でしたがっ…持ちました。兵長のブレードのお陰です…っ助かりました…」
リヴァイが託し補給していたブレードは、ハルの鞘から跡形も無くなっていた。どうやら、ギリギリまで巨人との交戦を続けていたらしい。
そんな馬上のハルの足をバシッと叩いて、ゲルガーは声を上げた。
「この馬鹿がっ、無茶しやがって!」
「す、すみません、ゲルガーさん…」
ハルが眉をハの字にして謝罪をするのに、ゲルガーはもう辛抱堪らんと地団駄を踏む。
「お前は心配かけないって言った矢先にこれかよ!?お前がそんなんじゃっ、父さんいくつ命があっても足りねぇぞ!?」
そんなゲルガーを、隣に居たナナバが目を細めて殆呆れた表情で言った。
「ゲルガー、ハルの兄になったり父になったり…忙しいな」
しかし、それにミケはムッとした表情になって、ゲルガーに向かって腕を組んだ。
「言っておくぞゲルガー、ハルの父親ポジションは俺のものだ」
「いやミケ!話が面倒になるからちょっと黙ってくれ」
ナナバは思わず口調が少し荒くなって声を上げる中、ハルはエルヴィンに向かって後方の状況報告を入れた。先程よりも、大分呼吸は整って来たようだ。
「団長。目に見えて追いかけてくる巨人は撃退しましたが…私の耳に巨人の足音は入らなかったので、後方はしばらく、安全かと思います」
その言葉に、エルヴィンは少し表情を和らげると、こくりと頷いた。
「ハル、本当に良くやってくれた。感謝するよ」
ハルはエルヴィンからの言葉が嬉しくて、少し誇らしげになって微笑んでいると、傍にディータとロドリグの二人が、心苦しそうに表情を落として、ハルの元へと歩み寄ってきた。
「ハル…すまない…っ、俺達のせいで…」
「迷惑…掛けちまったな。…本当に、申し訳ない…っ」
謝罪するロドリグとディータに、ハルは首を左右に振ると、亡くなった兵士達の遺体が乗せられている荷馬車の方へと視線を向け、黒い瞳をそっと細めて言った。
「…大切な幼馴染、なんですよね…イヴァン、さん」
それから、ハルはゆっくりと瞬きをすると、再びディータとロドリグを見て、心底嬉しそうに微笑んだのだ。
「良かったです…本当に、イヴァンさんを家族の元へ帰すことが出来て……」
「「!」」
ハルのその言葉に、ディータとロドリグは息を呑み、それからハルに深く頭を下げながら、嗚咽の混じった声で感謝をした。
「っああ…っああ!っありがとう…ハルっ」
「本当に…っ、お前のおかげだ…ハルっ!」
涙する二人に、ハルも目尻が思わず熱くなってしまって、それを堪えるように口を引き結んでいると、ネス班長が歩み寄って来た。
「ハル、良く戻ったな。降りて少し休んでくれ。アグロも、大分疲れているだろう。こいつの世話は、俺に任せて良いから」
ネスがアグロの首を撫でながら言うのに、アグロは嬉しそうに尻尾を大きく左右に振り始める。
「はい。ありがとうございますネス班長。…アグロ。良く頑張ったね」
それにハルもアグロの首をネスと一緒に撫でると、アグロは得意げに首を上下に振りながら一鳴きする。
「ヒヒン」
アグロの様子にハルとネスが顔を見合わせて笑っていると、不意にミケの両腕がハルの両脇に伸びてきて、ひょいと子供のように持ち上げられると、そっと地面に降ろされる。
「ミ、ミケさん…」
「相変わらずお前は軽いな…」
ミケの大きな手で頭をわしわしと撫で回されているハルを見て、ゲルガーが父親のポジションが危ぶまれ悔しげにしている中、ハル と仲の良い104期のメンバー達が駆け寄って来る。
「っハルっ!」
「もう!!遅いよ!!」
「うわっ!?」
サシャとクリスタがハルに勢い良く飛び付いて、ハルはそのまま地面に押し倒される。
そんなハルを、アルミンとミカサ、ジャンとコニー、そしてライナーとベルトルトとユミルが見下ろしながら、皆一様にほっとした表情を浮かべていた。
仲間に押し潰されん勢いで取り囲まれているハルを、エルヴィン達は和やかに見守っていたが、あの様子では到底体を休めそうにもないなとも思い、顔を見合わせ苦笑を浮かべていたのであった。
※
サシャ達からの熱い抱擁とライナー達からの有難いお言葉の雨嵐から漸く開放されたハルは、もうすっかり喉が乾いてしまっていて、補給班から支給された水を飲もうと水筒の栓を外そうとした。…が、何故か上手く開けられない。
「…っ…ぁ、れ…?何でだろ、あ、開かない…」
「ハル」
手に上手く力が入らず、ハルが四苦八苦していると、背後で名前を呼ばれて振り返れば、そこには腕を組み、怪訝な顔をして立っているリヴァイの姿があった。
「!…リヴァイ兵長?」
「お前は何を独り言ぶつぶつ言ってやがる。…気持ち悪ぃ」
目を丸くして首を傾げるハルに、リヴァイは汚物でも見るような視線をハルに寄越しながらも歩み寄り、次に左手を差し出してきた。
「手を握ってみろ」
「え?」
突然の事に、ハルは丸くしていた目をさらに丸くして、今度は反対側に首を傾げる。それにリヴァイは苛立ったように片眉を眉間に寄せた。
「二度も言わせるんじゃねぇ。…早くしろ」
「は、はい!」
そう急かされて、ハルは慌てながら右手に持っていた水筒を左手に持ち替え、利き手の右手でリヴァイ差し出された左手を握った。
「…あの、兵長。握りましたが…?」
戸惑った顔でリヴァイの顔を窺うハルに、リヴァイは目を細めた。
「俺はてめぇと握手してる訳じゃねぇぞ。もっと力入れて握れ」
その言葉にハルはリヴァイの意図を理解して、「ああ!なるほど!」とリヴァイの手を握る右手に力を込めた。
しかし、やはりハルの手には中々力が入らず、手が小刻みに震えるばかりで、リヴァイはそんなハルの小さな手を見下ろしながら、溜息混じりに言った。
「…もういい」
「すっ、すみません…」
ハルは肩を落としてリヴァイの手を離す。
「…握力が殆ど無くなってやがる…、巨人と戦う前に補充したガスも、ほぼ底を付いてたらしいな。随分無茶したみてぇだが…」
リヴァイが腕を組みながら、少々ドスを効かせた低い声で言うのに、ハルはいやはやと苦笑し、首の後ろを触りながら答えた。
「す、すみません…。でも、途中で引き返して、壁に近づいている陣形に巨人を引き連れて戻るわけにもいきませんでしたから…。…流石にちょっと…アグロも私も疲れてしまいましたが…」
「当たり前だ。少なくとも六体は後ろからついて来てやがっただろうが……まさか、全部倒して帰ってくるとは思わなかったがな…」
リヴァイが溜息混じりに言うと、ハルはにっこりと笑った。
「兵長が、ブレードを託してくださったお陰ですよ」
ありがとうございますと頭を下げるハルに、リヴァイは徐に組んでいた腕を解くと、ハルに少し寄って右手を伸ばし、頭の上に乗せて言った。
「よくやった。…お前のおかげで、仲間を家族の元に連れて帰ることが出来る。…ありがとう」
そう言ったリヴァイの表情は、今まで見てきた中で一番に柔らかく、僅かに微笑んでいるようにも…見えなくも、ない。兎に角、貴重なリヴァイの柔和な表情に、ハルは驚いて息を呑んだ。
「!」
「おい、何驚いた顔してやがる」
そんなハルにリヴァイが目を細めて凄むと、ハルは慌てて胸の前で手を振りながら、少し照れくさそうに視線を足元に落として答えた。
「い、いえっ…!何だか…リヴァイ兵長にそう言っていただくと…自分が少し誇らしく、感じられるような気がして…つい…」
「誇っていい」
その言葉にはっとして顔を上げると、リヴァイは真っ直ぐにハルの顔を見つめて言った。
「少なくとも俺は、お前を誇らしく思ってる」
「っ兵長…」
リヴァイの言葉は、ハルの胸に優しく、嬉しい熱を持ってじんわりと響いた。
まるで体の疲労が一瞬で消えて無くなってしまうような、魔法の言葉のようにも感じられた。
「あ…ありがとうございます…!」
喜色を表情に浮かべているハルに、リヴァイは少々不本意そうな表情になると、ハルの手から水筒を奪い取り、蓋を開けて、それをハルの胸元にずいと押し付けて、少々口早になって言った。
「水飲んでさっさと休め。もうすぐ出立だぞ」
「っ、はい!」
ハルはリヴァイから水筒を受け取って溌剌と頷く。するとリヴァイは、今度こそ、ふっと口元に笑みを浮かべて、踵を返し、エルヴィン達が居る指令班の方へと歩いて行った。
「…今、兵長…笑ってた…かな?」
ハルは遠のいていくリヴァイの背中を見つめながら、幻でも見たような気分でそう呟き、徐に水筒を口に運んだ。
相変わらず水は味も温度も感じないが、乾き切った喉を潤し、胃に染み込む感覚が心地良かった。
「…何だか、美味しい気がする」
ハルは頭上に広がる夕空を仰ぎながら、そうぽつりと呟いた。
微かに南から吹いてくる乾いた風が頬を撫でる感触が、何処か悲しく胸の奥を締め付ける。
漸く巨人の脅威から逃れ、壁内に帰還できるというのに、心は酷く重く、暗澹とした陰が鎌首を擡げるのに、ハルは瞳を閉じて、今回の壁外調査で命を落とした同胞達の冥福を祈った。
そうして間も無く、陣形は再び動き出し、ウォール・ローゼ東部の、カラネス区へと向かったのだった。
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