第三十三話
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そして、陣形が再びウォール・ローゼのカラネス区へ向け撤退を開始し、幾許か経った時だった。
「巨人だっ!!」
陣形の最後尾を走る荷馬車の荷台に、大勢の仲間を失い、憔悴して座り込んでいた兵士が、ふと視線を後方へと向けた時、二体の巨人が此方へと向かって迫って来ている姿を視界に捉えると、荷馬車から立ち上がって声を張り上げた。
そしてその二体の巨人の前には、イヴァンの遺体を背負ったディータと、ロドリグが必死に馬を走らせ、陣形に向かって逃げている姿があった。
「あれはっ、ディータッ!…っ馬鹿が!」
同じく最後尾の荷馬車に乗っていた遺体回収班の班長は、二人の姿を見て表情を曇らせると、赤い信煙弾を上空へと撃ち上げた。
「後列が巨人を発見!」
後列から上がった信煙弾を確認した兵士が、陣形の先頭に立つエルヴィンに報告を入れると、エルヴィンは表情を険しくして、兵士達に命令を下した。
「全速移動ッ!」
それに、傍を走っていたリヴァイは、エルヴィンの馬の横に並走し、更に指示を仰ぐように声を掛けた。
「大きな木も見えなければ、建物も見えない。思うように戦えねぇな––––」
「壁まで逃げ切る方が早い」
「っち」
エルヴィンの返答に、リヴァイは舌を打つと、後方の指揮を補佐する為、下がろうとした時だった。
「リヴァイ兵長ッ!エルヴィン団長ッ!」
二人の後方を走っていたハルが、アグロを走らせ傍に寄って来た。
「何だハル、クソでも漏れそうか」
そんなハルにリヴァイは訝しげに問うと、ハルは「いいえ」と大きく頭を横に振り、真面目な瞳をたたえながら、微かに緊張の響きが混ざった声音で、二人に問いかけた。
「お二人は、荷馬車を…放棄するおつもりですか?」
「…ああ、そうだ。それが一番、リスクが少ないだろう」
エルヴィンはハルの方を見ずに、視線を前へ向けたまま、敢えて感情を押し殺した、酷く平坦な声で答えた。
その返答にハルは眉根を寄せると、エルヴィンの葦毛の馬にアグロの体を寄せ、迫るような面持ちになって、声を腹の底から絞り出すようにして言った。
「…っ連れて、帰りましょう」
ハルのひたむきな視線と思いが、エルヴィンは自身の横顔に突き刺さるのを感じていた。だからこそ、ハルの顔を見ることが出来ず、エルヴィンはただ口を引き結んで、ゆっくりと瞬きをしただけだった。
基本的に命令や決定に対しては従順であるハルが、エルヴィンの指示に対して反発を示すのに、リヴァイは顔を顰めて、ハルを睨みつけながら言った。
「おいハル。お前もこんな時に、ガキみてぇに喚くんじゃねぇっ!」
しかし、そんなリヴァイに対して、ハルは一瞬下唇を口惜しげに噛み締めると、アグロの手綱を強く握り締め、二人の胸に直接言葉を打ち込むような切実な声を張り上げた。
「っ、喚きますよ!だって、お二人がその選択肢を選ぶ必要っ…ないです!!」
「「!?」」
ハルの言葉は皮膚の表面をジリジリと焼くような熱を孕んでいて、リヴァイとエルヴィンは平手で頬を打たれたように目を見開くと、ハルの顔を見て息を呑んだ。
「私が後方の巨人も、迫って来ている巨人も全てっ、撃退します!」
啖呵を切ったハルの黒い眼光が、ギラギラと強い決意を抱き輝いているのを見ながらも、エルヴィンはそんな無茶はさせられないと首を横に振った。
「…ハル。君は女型と交戦したのにも関わらず、遺体回収班に回りかなり疲弊している筈だ。それ以前に、君は我々にとって…」
しかし、そんなエルヴィンの言葉を遮るように、ハルは昂然と言い放った。
「私は出来ます!!」
「っ」
その何処までも鋭く研ぎ澄まされた刃の様な意志を突き付けられて、エルヴィンは気圧されたように言葉を飲み込んでしまう。
ハルは熱く燃える様な瞳を、ゆっくりと目蓋の裏で撫でつけるように瞬きをすると、左隣を駆けるリヴァイへとその視線を向けた。
「…リヴァイ兵長。きっと私はこの時の為に、兵長から回転斬りのご指導を頂いたんじゃないかって、思うんです」
「…何?」
リヴァイは鋭い瞳を細めて、ハルの真意を探るような視線を向けると、低い声で問い返した。
ハルは自身の胸元のホルダーの中にある、操作装置の柄に縫い付けたマルコのエンブレムを見下ろしながら、靡く黒い前髪の下の瞳を寂しげに細め、詠嘆的な口調で言った。
「壁外調査の前に、ディダーク墓地へ行った時……トロスト区襲撃の際に命を落とした、兵士達の遺族の方々を見ました。…あの戦いで命を落とした殆どの兵士の墓には、骨も何も埋まっていませんから…、愛する人の死を受け入れられず、苦しみ続けている人達が大勢いらっしゃいました…。…でも、同期の…マルコのご両親に会った時、仲間が遺品を届けてくれていて……っそれが残っているだけでも、息子の死を受け入れて前に進めるって……何処かで孤独に、寒く寂しい思いをせずに済んだんだと……それがせめてもの救いになったんだと、仰っていたんです…!」
「ハル…」
エルヴィンは、そんなハルの顔を、眼窩の中の精悍な青い瞳を細めて、静かに見つめた。
ハルはまだ17歳と若いが、多くの死を目の当たりにし、そして乗り越えてきた。それ故に人の命の尊さを、儚さを、良く理解し、大切に思っている。
その思いを直向きにたたえた瞳をゆっくりと上げると、エルヴィンとリヴァイの顔を見つめて、凛とした声音で言い放った。
「…分かってます。エルヴィン団長やリヴァイ兵長が、誰よりも皆を連れて帰りたいって思っていらっしゃるって……ですからっ、仲間も連れて帰って、皆も助かる選択肢っ、私を選んで、掴んでください…!」
「「!?」」
エルヴィンとリヴァイは、ハルのあまりに清廉な心意気と揺らぎの微塵も無い真っ直ぐな視線を向けられて、胸の中の心臓に沸き立った熱い血を直接注がれたような心悸に飲み込まれ、魅入られるようして言葉を失った。
今まで多くの決断を下してきたエルヴィンとリヴァイだったが、大切な何かを切り捨て選択肢を選ぶ時は何時だって、不安や恐怖、悲しみや苦しみ、そんな負の感情に襲われ、身を焼くような罪悪感に首を締め付けられて、毎度の如く踠き苦しみ続けて来た。
しかし、今回ばかりは、違っていた。
この苦境の中、暗闇に光る一つの光は、手にすれば必ず、自分達が目指す場所へと導いてくれると、本能で確信できる選択肢が、二人の目の前には確かにあった。
「ふ…っ、」
エルヴィンは思わず口元に笑みを浮かべ、天晴というかのような声音で囁いた。
「君は本当に…私たちの自由の翼だ…」
そんなエルヴィンの横顔を見て、リヴァイは意を決したように大きく瞬きをすると、ハルの横に馬を寄せた。
「ハル、これを持っていけ」
「!」
リヴァイは自身の鞘の中にあるブレードを操作装置に取り付けると、ハルの鞘に押し入れて、全てのブレードを補給させた。
遺体回収をギリギリまで行っていたハルは、ガスの補給は済ませていたものの、ブレードの補給までは行えていなかったからだ。
「俺は足を負傷して戦えねぇ。…お前が持っている方が、役に立つだろう」
リヴァイは忌々しそうに自身の右脚に視線を落としたが、ハルに思いを託し、気合を入れるように、その背中をバシッと叩いた。
「仲間を頼む」
「っ…はい!!」
リヴァイの言葉に、ハルは大きく頷き、ニッと歯を見せて笑みを返すと、エルヴィン達の元を離れ、アグロの鼻先を後方へと向けて、疾風の如く陣形の後方へと駆け出した。
そんなハルの背中を目で追いながら、リヴァイは自分に回転斬りを教えてくれと懇願してきた時の、ハルの言葉を思い出していた。
『…リヴァイ兵長が何かを捨てて、前へ進まなければいけなくなってしまった時、…それを手放さずに済む道を切り開けるような…そんな、…兵士になりたいんです』
そう言っていたハルは、リヴァイの鬼のような厳しい指導にも耐え抜き、ボロボロになりながらも決して諦めず、重ね続けた努力の先で、しっかりとその信頼を掴み取ったのだ。
「リヴァイ。良い弟子を持ったな」
エルヴィンがそう呟いたのに、リヴァイは自身の空になった鞘を見下ろしながら、ふっと僅かに口元を緩めた。
また多くの仲間を失い、冷え込んだ暗い胸の中に、陽炎のような希望の光が浮かび上がるような気がした。
それは自分が、長いこと求め続けていたものだったようにも思える。
信じ託せば、必ず答え、そして自分の元へと帰ってくる。そんな、確かな存在。
「ハル…お前なら、やり遂げられる」
リヴァイは微かな高揚感すら得ながら、馬の手綱を固く握り締め、自分の耳にだけ届く声で、そう呟いた。
他者に対してこんな感情を抱いたのは、何時振りだろうか…
もう随分昔のことのようにも思えるが、地下街の塵溜めで暮らしていた幼い自分に、生きる術を、そして戦い方を教えてくれた、一人の男に向けていた以来のこと、なのかもしれない…
まさかこんな感情を、自分よりも一回りも年が離れた新兵に向けることになるとはと、リヴァイはそっと自嘲じみた笑みを、口元に浮かべたのだった。
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