第三十二話

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「とても正気とは思えねぇ、当初の兵站拠点作りの作戦を放棄。その時点で尻尾を巻いてズラかるべきところを、大胆にも観光名所に寄り道、その挙句ただ突っ立って、森に入る巨人を食い止めろと…」

 巨大樹の木特有の太い枝の上に登ると、平原の奥にある低山の山並みまで見渡すことが出来た。
 
 その景色の中には人類を囲う壁は見えず、頭上に広がる青い空もいつもより随分と広大に感じられて、ハルは突然下された意図の分からない命令に苛立つジャンの隣で、雲がゆっくりと流れていく様子を仰いでいた。

 ハルは不思議と空を仰いでいると、酷く背中が疼くような感覚を覚えることがあった。それは訓練兵の頃も時よりとしてあったことだったが、調査兵になってからはその感覚がより顕著になっているのだということを、ハルはこの瞬間に自覚する。

「アイツっ、ふざけた命令しやがって」

「聞こえるよ」
 
 自分達とは少し離れた樹上に居る刈り上げ頭の上官を睨み上げながら不機嫌そうに言ったジャンの背中に、すぐ後ろの別の木の枝に立っているアルミンが声を潜めて注意する。

 しかしジャンは特に気に留めることも無い様子で、上官を睨み上げたまま、不満を募らせた。

「それに…ロクな説明がないってのが斬新だ。最も、奴の心中も穏やかじゃない筈だがな…」

「というと…?」

「極限の状況で部下に無能と判断されちまった指揮官は、よく背後からの謎の負傷で死ぬって話があるが、別に珍しい話でもねぇってこったよ」

 ジャンは見上げていた上官から視線を落とし、自身の手に握られている左のブレードの刀身を見つめながら、足元の小石でも蹴るような突き放した口調になって言うのに、アルミンは不安げな面持ちになって問いかけた。

「え…ジャン。それじゃあどうするの?」

 それにジャンは疲れた様子で肩を落とし、泥濘みに足を踏み入れてしまった時のような、気怠げな口調で言った。

「マジになるなよ。少しこの状況に苛ついただけだ。…どうするってそりゃ、命令に従う。巨人を森に入れない。お前もそうするべきだと思うんだろ、アルミン?」

 ジャンが自分を振り返ってそう問いかけて来たのに、アルミンは軽く息を呑んだ。

「え?」

「なにやら訳知り顔だが」

「…えっと」

 ジャンの問いにどう答えるべきか戸惑っていると、それにジャンはアルミンの心中を勘繰るように目を細めた後、隣で先程から空を仰いでいるハルへと顔を向けた。

「おいハル。お前はさっきからずっと空を見上げてるが、何かあるのか?」

「いや…特に、空には何もない……っ!」

 ハルはジャンの問いかけに首を軽く横に振った時、ふと鼓膜に遠くからこちらに向かってくる巨人の足音が触れて、息を呑み視線を足音がする方向へと向けた。

「…ハル?」

 急に頬に緊張を走らせ、顔色が変わったハルに、ジャンは怪訝な顔になって首を傾げると、ハルは巨人の足音が聞こえてくる平原の奥を指差した。

「凄い数の巨人が、こっちに集まって来てる…」

「「!?」」

 ジャンとアルミンはハルが指を差す方へと視線を向けると、遥か向こうから未だ米粒程の大きさで群がり此方に向かってくる巨人達の姿が見えた。

 その巨人達はあっという間に兵士達が待機している巨大樹の下に群がり、自分達を喰らおうと木の幹を両手で引っ掻きながら腕を伸ばしてくる。八十メートルもある樹上までは流石に登ってくることはないと思いながらも、やはり自分を喰おうと狙っている巨人達が、足元で群がっている光景を見下ろすのは気味が悪く、恐ろしい。

 アルミンは群がる巨人達を見下ろしながら、今までの出来事を踏まえた上で、この作戦の意図を練り出そうとした。

「(何故陣営をこんな所に来させたんだ…?エルヴィン団長は一体何を考えている?…っいや、考えるのはそこじゃない。女型の巨人はエレンを追っている。そして団長もそのことを知っている。そう仮定する。そこから考える…!…もし、その過程が成り立つなら、此処に待機をする理由は一つしかない。エルヴィン団長は、此処で女型をっ…!)」

 捕らえようとしてる。
 
 そこまで推測を行き着かせた時、ジャンは緊迫した声で言った。
 
「おい、アルミン…ハル。命令は、巨人を森の中に入れるな…だったよな?…つまり、交戦する必要なんか、ないはずだよな?」

「!?」

 ジャンの声に、考え込んでいたアルミンはふと再び視線を足元へと落として、大きく息を呑んだ。

 アルミンが考え事をしていた間に巨人達は樹木に群がり、巨人同士で体を押し潰し合うようにしながら、腕を突き伸ばして、不敵な笑みを貼り付けた顔を自分達に向けて来ていた。巨人達の吐き出す腐敗臭を混じえた息が、足元から生温い湿り気を含んで這い上がってくる。

 そんな時、ハルは巨人のひしめく音とは違うワイヤー音が聞こえて、ふと背後を振り返り、巨大樹の森の奥の方へと視線を向けた。

「……っ!?」

 それに、後ろに立っていたアルミンがハルの険しい表情を見て、不安げな面持ちになると、首を傾げて問いかける。
 
ハル?森の奥から何か聞こえるの?」

「っ女型が森の中に居る…!今、森の中で仲間が…戦ってる…!」

「「!」」

 ハルはアルミンの問いにこくりと頷くと、鼓膜に触れるワイヤー音やブレードが軋み音を上げる音、そして女型特有の風を切るように走る足音に、両手のブレードの柄を固く握り締めながら答えた。

 それにジャンとアルミンも、視線を森の奥の方へと向ける。

 今、この森の中で、仲間達が命を掛けて女型の巨人と戦っているのだ。

 アルミンは森の奥を見つめるハルへと視線を戻すと、先程から浮かんでいた疑問を投げかけた。

「ねぇ…ハルってさ、もしかして、耳が良くなってるの?」

「…うん。体に異変が出てから、聴覚が過敏になってるんだ…。随分遠くの音まで、聞こえるようになってる」

 アルミンは既にハルの体のことを周知している為、特段隠そうとすることもなく、ハルが答えると、アルミンは腑に落ちたように肩を竦めて頷いた。

「そっか…だから左翼側に居たのに、ハルは右翼から迫ってくる巨人の大群を察知出来たんだね?どうして気づけたんだろうって疑問に思ってたけど、納得したよ」

 すると次の瞬間、森の奥、おそらく女型の巨人が居るであろう場所から、激しい爆発音のような音が鳴り響いた。その音はジャン達の耳にもはっきりと聞こえた。

「っ!?」

「っ何だ…この爆発音はっ…!」

 ジャン達は爆発音に驚き身体を強張らせる中、ふと足元にいた巨人が徐々に木々の幹を伝って樹上へ登って来ているのがジャンの目に入り、アルミンとハルに少し高い場所へ待機場所を移るよう言った。

「っ少し移動するぞ、アルミン、ハル

「「うん!」」

 それにアルミンとハルは頷き、登ってくる巨人から距離を取るように樹上を移動すると、器用に樹木を登ってくる巨人を振り返った。

「野郎コツを掴んできたみてぇだ。木登りが上手くなってやがるぞっ」

 ジャンは忌々しそうに巨人を睨め付けながら言うと、アルミンは冷や汗を滲ませながら、木に登れる巨人と、地上で只管腕を伸ばし続けるだけの巨人を見比べた。

「学習能力があるってことだ。怖いことに、個体差があるだろうけど…」

 それに、ジャンは先程から胸に漂う違和感に口を引き結ぶと、森の奥で聞こえてくる騒音や、この状況下から、今回の壁外調査の真の目的を推測する。

「アルミン、ハル。今、森の中で何かやってるみてぇだが、何となく察しが付いて来たぞ。あの女型の巨人を捕獲する為に、ここまで誘い込んだんだな。…もっと正確に言えば、奴の中にいる人間の捕獲だ。…だが、どうして俺達にその事を伝えなかった?」

 ジャンは腑に落ちない顔で森の奥の方を眺めながら言うのに、ハルは顎に手を当てて、足元に群がる巨人達を見下ろしながら言った。

「団長には教えられない理由があったってことだ。私達を信用できない理由が…。そんな理由があるとすればそれは、巨人になる人間やその協力者が、兵団に居るってことだよ。間違った企画書だって、団長がエレンの居場所を特定させない為に、敢えて配ったとしか考えられない…」

 ハルの言葉に、ジャンはアルミンを見遣る。

「っ…アルミン。お前もそう思ってたんだろ?兵団の中に、居るって…」

「…うん、居ると思う」

 アルミンがハルと同じ見解だと頷くと、ハルはこれまでの情報の断片を掻き集め、推測しながら、爆発音がひとしきり鳴り止んだ森の奥へと視線を向けて言った。

「そうなれば…今森の奥で捕獲作戦に参加してるのは、信頼に値する五年前から生き残っている兵士だけ…かもしれない」

「この作戦が成功すれば…この世界の真相に迫れるだろうが。…その為だとしても、人が死に過ぎてる」

 ジャンが表情を歪めて視線を落として言うのに、ハルはその横顔を見つめながら静かに問いかけた。

「ジャンは…団長は間違っていると思う?」

 それにジャンは眉根を寄せた、真剣な顔をハルに向けた。

「正しいとは言えねぇだろ。内部の情報を把握してる巨人の存在を知っていたなら、対応も違ってた筈だ」

「…いや、間違ってないよ」

 しかし、アルミンは強い眼差しをジャンに向けて言った。

「なっ、何が間違ってないんだ?兵士がどれだけ余計に死んだと思ってんだっ」

 アルミンの発言に驚くジャンだったが、アルミンは青い瞳を光らせ、良く徹る明瞭な声で言った。

「ジャン、後でこうするべきだったって言うことは簡単だ。でも、結果なんて誰にも分からないよ。…分からなくても選択の時は必ず来るし、しなきゃいけない」

「!?」

 ジャンはアルミンの言葉に、ハッとして息を小さく呑む。

 その隣で、ハルはアルミンの言葉に、回転斬りを指導してくれると言ってくれた日の夜、リヴァイが話してくれた言葉を思い出していた。

『…何度も何度も、道を選ばなきゃならねぇ時があった。……だが、一度だってその道の先にある結果が分かったことは無かった。…それでも、選択の時を迫られれば、選ぶしかない。そうやってクソみてぇな道を、進んで行くしかねぇんだよ…俺たちは』

 ハルは胸元に視線を落とすと、揺れる色褪せた御守りを見つめた。

「百人の仲間の命と、壁の中の人類の命。団長は選んだんだ…百人の仲間の命を切り捨てることを選んだ。…大して長くも生きてないけど、確信していることがあるんだ。何かを変えることが出来る人間が居るとすれば、その人はきっと、大事なものを捨てることが出来る人だ。化け物をも凌ぐ必要性を迫られたのなら、人間性すら捨て去ることが出来る人のことだ…!何も捨てることが出来ない人にはっ、何も変えることは出来ないだろう!」

 ハルはアルミンの力強い言葉に、御守りに視線を落としたまま、ゆっくりと目蓋を閉じる。

 そうすると、浮かんでくるのは、あの女型の顔だった。

「…捨てることが出来ない人間は……何も、変えられない…か…」

 ハルは自分にしか聞こえない程の小さな声で呟いた時だった。


『ぎゃぁぁぁぁぁああああああっ!!!!!』


「「!?」」

 突然、森の奥から、辺りの空気を切り裂くような甲高い悲鳴が轟いてきた。

 その悲鳴はまるで、追い詰められた野生の獣が、最後の力を振り絞るときに上げる雄叫びのようでもあった。
 
「うっ!?」

 ハルはその悲鳴が鼓膜を劈き、頭の中に杭を打ち込まれるような激しい頭痛に、視界に白い光がバチバチと激しく発光して、激しい目眩に見舞われる。

 聴覚が過敏になっているハルにとってはその悲鳴は鼓膜を引き千切るような痛みを伴い、ハルが必死に両耳を押さえて立ち眩み、倒れそうになるのを、傍に居たジャンが慌てて支えに入る。
 
「おいっハル!?大丈夫か!」

「耳っが…ぁっ」

「っ!」

 繰り返される女型の巨人の激しい叫び声に、ハルが苦痛に顔を歪めて苦しんでいるのを見て、ジャンはハルが両耳を押さえている手に自分の手も重ねてぐっと耳を塞ぐと、頭を抱き込むようにして胸元へと引き寄せた。
 
 やがて悲鳴が止むと、ハルは冷や汗を滲ませた顔を緩慢に上げて、ジャンに礼を言った。

「っ、もう大丈夫…ジャン、ありがとう…っ」

 しかし、その顔は酷く辛そうで、耳鳴りが余韻を残しているのか、顳顬の辺りを手で抑えているハルの汗で額に張り付いた前髪をジャンは指先でそっと払いながら、心配げに顔を覗き込んだ。

「っ全然、大丈夫って面してねぇぞ……お前の耳じゃ、今のはキツかっただろ?」

「少し驚いたけど…本当に、平気だよ。心配してくれてありがとう……っ!?」

 ハルはそう言ってジャンに微笑みを向けた直後、樹木の下に群がっていた巨人達が突然森の奥へと向かって走り出した。

「なっ…!?巨人が森の中に入って行くっ!?」

「一体、何が起こってるんだ!?」

 ジャンとアルミンが困惑している中、ハルはブレードを握り直し、森の奥へと駆けて行く巨人の背中を睨め付けて言った。

「…女型の巨人がっ、呼び寄せてるんだっ!」

 すると、樹上にいた班長が待機している兵士達に向かって焦った様子で命令を下した。

「総員!森の中に入る巨人を食い止めろっ!!」

 ハル達は森の中へと向かって行く巨人達を懸命に撃退しようと努めたが、巨人達は兵士達に見向きもせず、女型の巨人の叫び声が聞こえた森の奥へと一目散に駆けて行き、そしてその数が多過ぎたことで、巨人達を完全に撃退することは出来なかった。


 やがて、森の奥から青い信煙弾が空へと擊ち上げられた。

 
 それは撤退を意味する信煙弾であり、ハル達は煙弾を確認したと同時に班長達から馬に乗って巨大樹の森を離れるよう命令を下される。

 しかし、それは撤退だけではなく、敗走をも意味していた。

 今回の壁外調査の目的であった、女型の巨人を捕獲出来ていないことは明らかであり、今回の壁外調査の目的を、何一つ果たせぬまま、多くの損害を出し、ウォール・ローゼへと、帰還しなければならなかったからだ。

第三十二話 既視感




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