第三十二話
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「しかし、壁を出て一時間足らずで蜻蛉返りとは、見通しは想像以上に暗いですね…奴は先頭の指令班とは、逆の方向に行ってしまいましたし」
ジャンは先導するゲルガーの背中に向かって言うと、ゲルガーは怪訝な顔になって、顔だけで後ろを振り返った。
「奴…?…まさか、右翼側から来てる女型の奇行種のことか?お前等、そいつと交戦したのか?」
「女型の奇行種…ではなく、おそらくエレンと同じ人間だと思われます。交戦してみて予感が確信に変わりました」
ゲルガーの左後ろを走っていたハルが真剣な面持ちで答えると、ゲルガーは眉間にグッと皺を寄せて、右後ろを走るジャンを見た。
「なぁ、ジャン。ハルが戦った巨人ってのは…女型のことか?」
それにジャンは複雑な表情になりながら頷く。
「…はい」
ジャンが頷いたのに、ゲルガーの眉間の皺が更に深まる。
「怪我、したか?」
「…はい」
少し間を開けて再びジャンが頷いたのに、ゲルガーは「そうか…」とため息混じりに呟くと、ゆっくりと左後ろを走るハルへ顔を向け、そしてアグロに馬の胴体を寄せつけながら、雷の如く激しい怒声を上げた。
「っこの、大馬鹿野郎っ!!!」
「ひっ!?」
ゲルガーは立派なリーゼントの先をハルの額に突き刺しながら激怒すると、ハルはその迫力に思わず顔を引き攣らせて、びくりと肩を竦める。
「お前は自分がどういう立場にあるのか分かってんのか!?こ、こんな話エルヴィン団長にしたらっ、団長だけじゃなくミケさんにまで俺がドヤされるじゃねぇか?!下手したら減給だぜ?!」
「そ、そうなったら私の給料から差し引いて貰ってください…」
「はあ!?馬鹿か!?俺はそこまで狡いことしねぇよ!」
ゲルガーに再びお叱りを受けているハルの様子を見ていると、ジャンとアルミン、そしてライナーとクリスタは、訓練兵時代を思い出すようで懐かしさを感じていた。
「何か…懐かしいな。訓練兵の時は、よくサシャのとばっちり受けて教官に叱られてたよな…」
ジャンが感慨深くなって言うのに、ライナーも同調して頷く。
「…ああ、俺も同じことを思い出していた…。まだ調査兵になって一月しか経っていないが、かなり昔のことのように感じるな」
「本当にそうだよね……でも、そっか、まだ一ヶ月しか経ってないんだよね」
「私達、調査兵になってからは、訓練兵だった時以上に毎日必死だったから…。でも、ハル、ああやって怒られてちょっと落ち込んでる姿も可愛いんだよね!」
アルミンは自身の胸元の自由の翼のエンブレムを見下ろしながら言うと、クリスタは何故か頬を赤らめてハルの姿を食い入るように見つめて言うのに、ジャン達はクリスタのハルへの寵愛っぷりが日を追うごとに肥大化していることに若干慄きながらも、ここは頷いておくことにした。
と、その時、陣形の前方から緑の信煙弾が撃ち上げられた。エルヴィン団長が率いる指令班が居る方からだった。
「なっ!?緑の煙弾だと!?」
撤退の合図である青い信煙弾ではなく、陣形の進路を示す緑の煙弾が撃ち上げられたことに驚愕するジャンに、アルミンはいつもより少し低い重々しい声で言った。
「陣形の進路だけを変えて、作戦を続行するみたいだね」
それに、クリスタが狼狽の色を顔に浮かべる。
「そんなっ…撤退命令じゃないの?」
「作戦続行不可能の判断をする選択権は、全兵士にある筈だが…まさか指令班まで煙弾が届いてないのか?」
ライナーは切羽詰まった表情で喉を唸らせるようにして言う中、アルミンは上空に漂う煙弾を見上げたまま、馬の鞍に取り付けられたポシェットの中の煙弾銃へと手を伸ばす。
「分からないけど、今の状況じゃやることは決まってる」
ゲルガーはアルミンの言葉に、その通りだと頷いた。
「ああ。団長が進むと決めたのなら、俺達は進むだけだ。アルミンっ!煙弾を撃ってくれ」
「はい!」
アルミンはポシェットから取り出した煙弾銃に、緑の信煙弾を装填すると、エルヴィン団長が示した南東の方角へ煙弾を撃ち上げた。
そうして暫く走っていると、ジャン達は右翼側の別班と合流し、進路が示された通り平原を駆け抜けていく。と、平原の先の方に、長身の針葉樹が立ち並ぶ、巨大樹の森が見えて来た。
巨大樹の森とは、高さが八十メートル以上もある名の通り巨大な木々が密集した森で、ウォール・マリアが陥落する以前は、自然豊かな観光地として有名な場所でもあった。
現在では、調査兵団にとって壁外遠征において巨人の脅威から身を守る為の重要な拠点となっている。
「おいおいっ、何でこんな観光名所に来るんだ?本来の目的地からも帰還地点からも、偉い外れようだぜ?」
ジャンは戸惑いながらも、ゲルガーと先程合流した別班の班長が、巨大樹の路地には入らず、森の周りを迂回し始めたことに困惑した様子で言うのに、アルミンもジャンと同様困惑しながら、横に聳え立つ神秘的な巨木群を見上げながら言う。
「分からないけど、これがエルヴィン団長の判断だ。何か意図があってのことだと思うけど…」
「どんな意図だそりゃあ。観光名所で俺ら新兵の歓迎式でもやるつもりか?」
「「いや、それは無いと思うよ」」
ジャンは冗談を言ったつもりだったが、真面目に声を揃えて答えるアルミンとハルに、ジャンは溜息混じりに目を閉じ肩を竦めた。
「っ冗談だよ…!…どっちにしろ、あのデカ女が追って来てんだ。どんな意図があるにしろ、こんなところで立ち止まる訳にはいかねぇ。此処を通過して、どこか他の場所へ向かうとしか考えられんが…」
ジャンは迫り来る女型の脅威に焦燥を感じながら、不安げに巨大樹の森を見上げて言うと、不意に班を先導していた別班の班長が声を上げた。
「総員止まれっ!」
命令を受け、ジャン達は馬の手綱を引いて歩みを止めると、班長から馬を降り、近くの木に馬を繋ぐよう指示される。
ジャン達は困惑しながらも命令されるがまま指示に従い、馬の手綱を頃合いの木の幹に繋ぐと、招集をかけられ、班長とゲルガーの前に整列した。
「いいか新兵共、よく聞け!我々はこれから迎撃体制に入る。抜剣して樹上待機せよ!森に入ろうとする巨人がいれば、全力で阻止するのだ!」
そうして下された命令に、皆が唖然としている中、ジャンが率先して疑問を投げ掛ける。
「え?あの、班長っ…それはどういった」
「黙って指示に従え!」
しかし頭を刈り上げ無精髭を生やした班長は、兵士達に詳しい説明をする事もなく、そそくさと巨大樹の樹上へと立体機動で登って行ってしまう。
「マジかよ…何がどうなってんだっ…」
クリスタやライナー、そして別班の班長の元の調査兵達が、戸惑いながらも樹上へと登っていく中、動揺を隠せずに居るジャンとアルミン、そしてハルに、ゲルガーは何やら自身の馬のポシェットから何かを取り出すと、三人の元へと歩み寄ってきた。
「…ほら、お前達も突っ立ってないで早く樹上に登れ。巨人に接近されちまう前にな。上に登ったら、装備のチェックを怠るなよ?」
ゲルガーはそう言いながら、ジャンとアルミンに先程取り出したであろう包み紙で覆われた野戦糧食を一つずつ手渡した。
最早それが喉を通るような精神状態ではなかったが、ゲルガーの心遣いは二人の困惑した頭を、少し冷静なものにさせてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「いただきます」
ジャンとアルミンは一つの野戦糧食の包み紙を剥がしているゲルガーにお礼を言う中、ハルは不安げな表情をゲルガーに向ける。
「あのっ、ゲルガーさん…一体これはどういうことなんでしょうか。…今回の壁外調査は、一体なにが目的で…っモガ!?」
傍に歩み寄り問いかけてくるハルの口に、ゲルガーは包み紙を外し終えた野戦糧食を押し込んだ。
「もう分かっただろ?この壁外調査は、鼻から兵站拠点作りなんて目的にしちゃいなかったってことだよ。…この壁外調査には、別の意味がある……そういうことだ」
ゲルガーが巨大樹の森の奥の方へと視線を向けて言うのに、ハルはモグモグと口の中に入った野戦糧食を食べ、ゴクリと飲み込んで抗議的な視線を向けた。
「んぐ…っあの、ゲルガーさん…そんな無理矢理口に突っ込まなくても…」
それにゲルガーはハルの額を指先で弾くと、「いたっ」と額を掌で抑えるハルに肩を竦める。
「そうでもしねぇと、お前食わねぇだろ?…俺は向こうの樹上に上がる、お前は隣の樹上に、ジャンとアルミンと一緒に上がれ。 く れ ぐ れ も !俺の目の届かない場所に行くなよっ!?」
ゲルガーはハルの味覚障害のことを知っている為、敢えて無理矢理ハルの口に野戦糧食を押し込んだようであり、無茶をしがちなハルに釘を打つようにして忠告を入れると、踵を返し樹上に上がるため胸のホルダーから操作装置を引き抜いた。
そんなゲルガーの背中を、ハルは慌てて呼び止める。
「ゲルガーさんっ…!」
「あ?何だ」
呼び止められ、ゲルガーがハルを振り返ると、ハルは生真面目な顔になって、深々と頭を下げた。
「心配掛けて…ごめんなさい」
少し気落ちした声音で謝罪をするハルに、ゲルガーは虚を突かれた様子で目を丸くしたが、やれやれと浅く溜息を吐くと、再びハルの元へと歩み寄り、下げられている頭にぽんと軽く片手を置いてわしわしと撫で回した。
「…だったら、もう二度とすんなよ?」
「っはい」
ハルはゲルガーを見上げながら頷くと、ゲルガーはニッと口角を上げて笑って見せ、巨大樹の樹上へと立体機動で登って行く。
ジャンはそんなゲルガーの背中を目で追いながら、少し悔しげに表情を曇らせて野戦糧食にガリっと齧り付いたのに、アルミンは苦笑を浮かべた。
「ジャン、なんだか凄い顔になってるよ?」
「ああっ…分かってる」
そう答えたジャンに、「自覚はあるんだ」とアルミンは笑いながら、ハルを好きになる人は、中々心中穏やかでは過ごせ無さそうだなと、心の中で思ったのだった。
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