第三十二話
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ハルはアグロの鞍の上に立ち、女型の巨人の肩口で揺れる金髪を見上げながら、精神を集中させる為、意識的に深い呼吸を繰り返す。
「(…君の正体を暴くことが出来れば…、家族や…マルコ達が命を落とさなきゃいけなかった理由も…分かるのかな…)」
ハルは既に、女型の巨人の頸には人間が居ると確信していた。
そしてその人物が、恐らく兵団内に居る…というところまでも–––
そうでもなければ、大勢居る調査兵の中から顔を確認するだけでエレンを捜し出す事は難しい。
何よりも、エルヴィンがエレンの居るリヴァイ班の配置場所を兵士たちに特定されないよう、敢えて誤った作戦企画書を配布していたのだとすれば、エルヴィンは壁外調査を行う前から女型の巨人、或いは女型に加担する人物が兵団内に居るということに気づいていたと考えられる。
恐らくその人物は、ハンジがソニーとビーンと名付けた巨人二体の被験体を殺した犯人でもあり、…何よりも、ハルにとっては、失った家族や仲間達の仇でもあるのだ。
「(…もしもそうなんだとしたら…私は出来ることを全て出し尽くして君をっ…止めるっ…!!)」
ハルははっと強く息を吐き出すと、体制を低く屈め、自身の中で一番充実した瞬間に、女型の左太腿に向かって左のアンカーを射出した。同時にアグロの鞍から飛び上がると、立体機動に入る。
それを合図にして、周りに居たジャン達も女型の巨人を取り囲むようにして散開を始めた。
しかし、女型はハルの立体機動装置がガスを吹かす音を聞いて瞬時に振り返り、左脚を動かしてアンカーが太腿に突き刺さるのを回避しながら、低空を飛んで向かってくるハルに左腕を振り下ろしてくる。
「っやっぱり、反応が良いねっ…!」
ハルは最初に射出した左のアンカーに女型が反応することを今まの行動パターンから予測していた為、既に右のアンカーを振り返る女型の右肩を目掛け、射出していた。
「っ!」
ハルは自分を潰そうとしてくる女型の掌を卓越した立体機動術で体を翻すようにして避けると、女型の右肩に射出したアンカーが突き刺さる音を聞いて、一気にワイヤーを巻き上げ、ガスを瞬間的に吹かして女型の頭上に大きく飛び上がった。
「速いっ」
「すごい…っ、まるで、翼が生えてるみたいだっ…」
「…っ」
ジャンとアルミンは、まるで獲物を狩る猛禽類のように、俊敏に立体機動するハルに見入ってしまっていたが、ライナーはどこか苦しげに表情を歪めて、奥歯を噛み締めていた。
ハルは女型の頭上で、見開いた黒い双眼を忙しなく動かしながら、リヴァイに指南を受けた通り、瞬時に次の攻撃を仕掛ける道筋を頭の中でほぼ感覚的に組み立てる。
『いいか、ハル。回転斬りを仕掛けるのに一番重要なのは、タイミングとポジションだ。仕掛ける相手が奇行種みてぇな予測不可能な行動を取る野郎の場合は、動きに注視し、そこから得た行動からお前の足りねぇ頭で想像しろ。回転を始める場所と刃先を突き立てる場所を決め、何処で一旦離れて次の攻撃に切り替えるかまで判断したら、最後まで目を閉じるな。回転で意識が飛びそうになるだろうが、それはまぁ……我慢しろ』
ハルは上空から見下ろす女型の身体に、回転斬りの道筋を投影しながら、アンカーを回収し終えると、女型に向かって急降下する。
対して女型はハルの体を掴もうと左腕を伸ばしてくる。
それと同時にハルはアンカーを地面に射出し打ちつけると、両手の操作装置をまるでピアノ奏者のように指を巧みに動かしながら操作し、身体の回転を始めて、女型が伸ばしてきた手の甲から二の腕まで、回転を一切緩めることなく一気に斬り下ろす。
「っんぐ!!」
激しい回転を繰り出しながらも意識を飛ばさぬよう、ハルは奥歯を砕けんばかりに噛み締めて、体が翻り女型が視線に入る度に、確実にその身体と行動を認識、把握する。
最初の頃は三半規管がグチャグチャになり、ワイヤーは絡まる、右手の操作装置も逆手で持つ分操作の感覚が変わって扱い難いやらで、正直めげてしまいそうになったが、リヴァイが回転斬りを伝授してくれると言ってくれた日から、ほぼ毎日のように旧調査兵団本部から馬を走らせ指導に当たってくれたその恩に報いたくて、ハルは陽が落ちても訓練場に松明を焚いて遅くまで研鑽を積み、そうしてやっと、回転斬りを形に出来たのだった。
「す…げぇ…っ、リヴァイ兵長の回転斬りを、この短期間で習得…っしちまったのかよ…」
ハルが繰り出す斬撃は、ジャン達には目で追うのがやっとな程のスピードで、最早どのようにブレードを扱い、肉を削ぎあげているのかは、全く認識出来ない。
ジャンはハルの立体機動に圧倒されていたが、ふと女型の巨人が左腕の肉を削ぎ落とされ、咄嗟に頸を右手で覆い隠そうとしているのが見えた。
「っハル!女型が頸を隠したぞっ!!」
ジャンが馬上からハルに向かってそう叫ぶと、ハルは全身の筋肉に力を込め、ガスを逆噴射させて回転を女型の左肩付近で止めると、そのままの慣性で女型の背後に回り込んだ。
ジャンが忠告を入れてくれた通り女型が頸を右手で覆い隠している背中が視界に広がり、ハルは地に刺していたワイヤーを巻き取りながら、黒い双眸を獲物を狙う蛇のように鋭く細めた。
『リヴァイ兵長、もしも頸に攻撃を入れられない場合は、一度大きく離れて、再び機を狙うべきでしょうか?』
『…ああ。それが安全策だろーが…繋げられるなら両目を狙え。攻撃の間隔は、強敵程開けるべきじゃねぇからな。お前が巨人の隙を狙ってやがるのと同じく、奴等もお前の隙を狙ってやがる。それを肝に銘じておくんだな』
「っ隙は、作らない…!」
女型の巨人には知性がある。
考える隙を与えればそれだけ、こちらが不利になっていくということは明白だった。
ハルは女型の左腕の傷が未だ塞がっていないことを確認すると、あえて頸付近に向かってアンカーを射出し、ブレードを構えた状態で接近する。
「なっ!?ハル!?」
それに地上にいるジャン達は息を呑んだ。
何故敢えて女型が手で覆い隠している頸に向かって斬りかかるのか、いくら回転斬りを繰り出したところで、手ごと頸を削ぐのは不可能だからだ。
黒板を爪先で引っ掻くようなワイヤー音に、ハルの接近を感知した女型の巨人が頸を押さえたまま振り返り、ハルと向き合った状態で大きく後方へと飛び退く。
その瞬間に頸に刺さっていたアンカーとワイヤーが引っ張られ、ハルの体はぐんと大きく宙に振り上げられてしまうが、ハルは敢えてそれを利用し体が女型の巨人の頭上へと振り上がった瞬間、全身を握り潰されるような凄まじい圧迫感に耐えながらも、両手のトリガーを名一杯握り込み、ガスを最大出力で噴射する。
「うぁぁあああああっ!!!」
ハルは意識を飛ばしてしまわないよう自らを奮い立たせるように声を上げながら、体を激しく回転させ、女型が頸を押さえている右手首から、右肩の筋肉、腰を通って右の太腿と足首の腱までを一直線に抉り落として行ったのだ。
それに女型の巨人は体の右重心を支えることが出来なくなり、せめて頸は守ろうと背中から地面に大きく倒れ込んだ。
「っハル!アイツやりやがった!!」
「このまま行けばっ、ハルなら…っ、もしかして倒せるんじゃ…!」
女型の巨人が倒れ込んだのを見て、ジャンとアルミンは希望の光を見出したように顔に喜色を滲ませる中、ハルは身体中に浴びた女型の血液が皮膚を焼く感覚に耐えながら、鈍になったブレードを地上で素早く交換し、休むことなく再び仰向けに倒れている女型の巨人の眼前へと飛び上がって、その顔の横にアンカーを射出した。
「っ次は、両目だっ…!」
そして、長い金髪の前髪から覗く、女型の巨人の青い両目に、真新しく鋭いブレードを突き立てようとした時だった。
『ハル、アンタって本当…しょうがないよ––––』
「っ!?」
眼下にある女型の巨人の顔が、ハルの中の大切な人と不意に重なった。
自分を見つめる青い瞳の表面は、涙の膜に覆われているように、濡れている。
その瞳は悲しみに溺れ、切なく揺れていて、…それでも、何故か胸が苦しくなる程に優しい眼差しで、ハルのことを見つめていた。
ハルはその瞳と、表情に、鳴らないはずの心臓が、ドクリと大きく鼓動したような気がして、息を呑み、黒い瞳をこれ以上ない程大きく見開く。
…脳裏に浮かぶのは、五年という月日をずっと一緒に過ごして来た…大好きな、彼女の顔だった。
「ぁ…」
体からは血の気が失せて行くというのに、額からは嫌な汗が滲み出る。
頭の中が沸だったように泡を上げては弾けるようで、ハルは酷く青褪めた顔を、嘘だと現実を否定するように左右に振りながら、喘ぐように強張った喉を鳴らして、その名前を口にした。
「っ… ア 二 …?」
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