第三十一話

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「奇行種の煙弾を確認したが、あのいい尻した奴がそれか?」

 ハルとアルミン、そしてライナーの三人は女型の巨人の背後を並走している中、ライナーは女型の巨人の後ろ姿を見ながらそんなことを言った。

「…奇行種じゃないよ。あれは巨人の体を纏った人間だ」

 それにハルが顔を渋らせ、ライナーを見て言うのに、ライナーは鋭い小さな瞳を丸く見開いて、ハルの顔を見返した。

「何だって?」

「っちょっと待って!先に煙弾を撃たないとっ…」

 そんな中、アルミンがハッと気づいたように馬の鞍に取り付けられているポシェットから信煙銃を取り出す。それにハルは自身の信煙銃が壊れてしまったことを思い出して、アルミンに申し訳ないと眉を八の字にして言う。

「ごめんアルミン。あの女型の巨人との戦闘で、信煙銃を壊してしまったんだ…」

「大丈夫っ、僕が撃つから…」

 しかし、アルミンが信煙弾を撃つ前に、後ろから黄色い信煙弾が撃ち上げられた。黄色の煙弾には、緊急事態を知らせる意図が込められている。

「ちょっと待て、ジャンが撃ったみたいだ」

 ライナーが後ろを振り返って言うのに、アルミンとハルも背後を振り返ると、ブーフファルトに乗ったジャンが信煙銃を鞍のポシェットにしまい込みながら、こちらへと走り寄って来ているのが見えた。

 しかし、信煙弾はジャンが上げた直後、右翼側からも撃ち上げられた。ジャンが撃ち上げた信煙弾と同じ、黄色の信煙弾だった。

「右翼側から上がったのか?作戦遂行不能な痛手ってことか?」

 ライナーが厳しい顔付きになって言うのに、ハルは鎮痛な面持ちなって、下唇を噛んだ。

「っ…」

 信煙弾が撃ち上げられたのは、巨人の大群が迫ってきた方角であったからだ。
 後ろからハル達に合流したジャンは、アルミンの馬の横にブーフファルトを並走させ、切迫した表情で三人に状況を知らせた。

「右翼索敵が一部壊滅したらしいっ、巨人の大群がわんさと来たんだ。何でか知らねぇけど、足の速い奴らが何体もいる。エルヴィン団長の初動が早かったお陰で、駆けつけた左翼側からの増援部隊が何とか食い止めてるがっ、もう索敵が殆ど機能してない。既に損害も出ちまってるが、この状況が長く続けば全滅しちまうっ」

 ジャンの状況報告に、ハルは女型の巨人の背中に目を付けながら、喉の内側を鳴らすようにして呟いた。

「っ、あの巨人が、巨人の大群を率いて来たんだ…」

「え?」

 その言葉に、アルミンは右隣を走るハルの剣呑な横顔を見た。

 ハルは徐に右翼側の方へ視線を向けると、ハルの右隣を走るライナーも、黄色い信煙弾の名残が漂う右翼側の空に目線をやった。

「右翼側から巨人の足音がして、迎撃体制を取るよう口頭伝達を回して居た時、最初に現れたのがあの女型の巨人だった。…そして、その後ろから大量の巨人達が現れたんだ」

「女型の、巨人?…何でっ、あんなところに巨人が居るんだよ?奇行種か!?」

 ジャンは怪訝な顔になって視線を前方へ向けると、陣形の前方へ向かって走る金髪の巨人の後ろ姿を見て、アルミン達へ問い掛けた。それに、アルミンは首を横に振る。

「いや違う。あの巨人は巨人の体を纏った人間。エレンと同じことができる人間だ」

「…なんだって?」

 ジャンは怪訝な顔をさらに険しくて問い返すと、ハルもアルミンに同調するようにこくりと頷き、黒い双眸を細めて再び女型の巨人を見据えた。

「私も、アルミンと同じ考えだよ。…ただの奇行種と枠に括るには、あの女型の巨人は危険過ぎる」

「アルミン、ハル。なんでそう思うんだ」

 アルミンとハルにそう問いかけるライナーに、まずはアルミンが答えた。
 
「巨人は人を喰うことしかしない。その過程で死なせるのであって、殺すのは目的じゃない」

 そしてアルミンの言葉に続くようにして、ハルも口を開いた。

「…でもあの巨人は、『初列・索敵班』の先輩を握り潰し、ネス班長やシスさんを踏み潰そうとした。…他の巨人とはその本質が、明らかに違うんだ」

ハルが言うように、きっと超大型や、鎧の巨人が壁を破壊した時…大勢の巨人を引き連れてきたのはアイツだ。目的は一貫して、人類への攻撃。…いや、どうかな…」

 アルミンは思案顔をハルに向けると、ハルはアルミンにこくりと頷きを返し、ゆっくりとした口調で言った。

「…誰かを、捜しているんだと思う。恐らくだけど…エレンのことをだ」

 ハルの言葉に、ライナーは困惑した様子で首を捻った。

「エレンだと?エレンの居るリヴァイ班なら、アイツが来た右翼側を担当している筈だが?」
 
 それに、他の三人はおかしいと一様に驚き顔になる。

「右翼側?俺の作戦企画書では、左翼後方辺りになってたぞ?」

「僕の企画書には右翼前方辺りに居ると記されていたけど…っ、きっと違うよ…」

 ライナーの企画書とジャンの企画書、そしてアルミンの企画書は其々リヴァイ班の配置が違うようであり、それはハルも同じであった。

 あのエルヴィンがリヴァイ班の配置を誤った企画書を兵士達に配る筈は無い。…そう考えると、エルヴィン団長はリヴァイ班のいる場所を兵士達に特定されることを避けようとしていたと考えるのが妥当だ。

 しかし、何故敢えてそんな企画書を、仲間達に配布したのだろうか…?

 ハルは内心でエルヴィンの意図が何なのか分からず困惑していながらも、エレンが配置されているであろう場所を考える。

「私の企画書には左翼後方になって居たけど……エレンはきっと、一番守りが固い場所…中央後方辺りに居るんじゃないかな?」

 ハルの言葉に、アルミンも同意見だと頷いた。

「うん。僕もそう思うよ。エレンが前線に配置されるとは考え難いから…」

 アルミンとハルが思考を巡らせている中、ジャンは空気を切り替えるような明瞭な響きを持った声で話を切り出した。

「アルミン!ハル!今は考え事をしてる時間はないぞ。奴の脅威の度合いを煙弾で知らせるのは不可能だっ…!そのうち指令班まで潰されちまう…そうなれば陣形が崩壊して全滅だ…!」

「何が言いたい」

 ライナーが声を低くして問い返すと、ジャンは視線を落とし、重たい口を懸命に動かすように、言葉を途切れさせながら、その問いに答えた。

「つまりだな…、この距離ならまだアイツの気を引けるかもしれねぇ…俺たちで撤退までの時間を稼いだり出来る…かもしれねぇ。…なんつってな–––」

「!…ジャン…」

 自嘲じみた笑みを浮かべながら言ったジャンの横顔を見つめて、ハルは双眸を目を細めた。

 自分で自分の言葉を笑う…というよりは、笑いたいと自己嫌悪に浸るようなジャンの言葉に、アルミンは驚きを隠せない面持ちで言った。それはジャンらしくない、と、言いたげな顔だった。

「アイツには本当に知性がある。アイツから見れば僕らは文字通り虫けら扱い。叩かれるだけで潰されちゃうよ?」

 アルミンの言葉に、ジャンは恐怖に顔を歪め、顳顬に冷や汗を浮かべて呟いた。

「マジかよ…そりゃ、おっかねぇな…っ」

 それでも戦うことを避け、逃げる道を選ぼうとはしないジャンに、ライナーもアルミンと同様に意外さを隠せず、問い掛けた。

「…お前、本当にジャンなのか?俺の知るジャンは、自分の事しか考えてない男の筈だ」

 ジャンはふっと苦虫を食った顔をして苦笑を浮かべる。

「失礼だなおいっ…」

 それから大きく息を吸い込むと、再び恐怖と向き合うように、前を走る女型の巨人の背中を見て、ジャンは言葉を噛み締めるようにして言う。

「…っ、俺は、ただ…誰の物とも知らねぇ骨の燃え滓に、がっかりされたくねぇだけだ…!」

「っ」

 その言葉に、ハルは息を呑んで、ふと自身の胸のホルダーに入っている操作装置の柄へと視線を落とした。左の柄には、マルコの形見であるエンブレムが縫い付けられてる。

『…山のような仲間の死体を焼いたあの夜、次々と骨になってくのを眺めてたら、もうどれがマルコか分からなくなってよ。でも、足元に落ちてた誰のものとも知らねぇ骨の燃えカスを見てたら、あいつの言葉を思い出したんだ。…それで俺は、調査兵団に入ることを決めた』

 マルコの墓参りをしていた時、ジャンが話してくれた言葉を、ハルは思い出しながら、そっと瞳を閉じた。

「(ジャンは…凄いな)」

 感慨に打たれ、ハルは心の中でそう呟いた。

 ジャンは自身の決意を曲げることのないように、今目の前に居る未知の脅威から逃げ出さず、立ち向かおうとしているのだ。

 なら、傍に居る自分が為すべき事も、決まっていると、ハルも心を、決めた。

「俺には今何をすべきかが分かるんだよっ!そしてこれが俺たちの選んだ仕事だっ!力を貸せっ!!」

 ジャンは誰かに背中を押されるように、ライナー達へ緊張の影を頬に浮かべた必死な表情を向けると、自分自身に鞭を打つように声を張り上げる。

 その言葉を皮切りに、ハルは胸のホルダーから操作装置を抜き取り、ゆっくりと目蓋を開いて、自身の手の中にあるマルコのエンブレムを見下ろしながら言った。

「––––やろう」

 マルコならきっと、少し口元に微笑みを浮かべながら、そう答えるんだろう…。ハルはそんなことを考えながら、囁くように言った。

 そんなハルの横顔を、アルミンとライナー、そしてジャンは息を呑んで見た。

 ハルは女型の巨人の背中を、黒い双眸で射抜くように見つめながら、操作装置にガチャリとブレードを取り付けて、それをゆっくりと引き抜く。

「私達なら出来るっ…!」

 二刀のブレードを体の横に構え、迷いなく言ったハルの黒い瞳は、何処までも透き通り、闘志に燃える炎が揺らいでいるようにも見えた。
 
 そんなハルとジャンの決意に、アルミンも答えなければと思った。

 恐怖と戦いながらも、前に進もうと抗う二人に背中を押されるようにして、アルミンは自分が成せるべき事を懸命に見出して、深緑色のフードを深く被りながら、ジャンとハルに言った。

「フードを被るんだっ!深く!顔がアイツに見えないように!アイツは僕らが誰だか分からないうちは、下手に殺せない筈だから!」

「「!」」

 その言葉に、ハルとジャンは目を見開く。そしてアルミンに続いてライナーもフードを被りながら、女型の巨人の背中を見据えて言った。

「なるほど…エレンかもしれない奴は殺せないと踏んでか。気休めにしては上出来。ついでに奴の目が悪いことにも期待してみようか」

「…アルミン、お前はエレンとベタベタ釣るんでばっかで気持ち悪ぃって思ってたけど…やる奴だと思ってたぜっ」

 ジャンは口元に強張ってはいたが笑みを浮かべて、フードを被りながら言った。

「え?あ…どうも、…でも気持ち悪いとか酷いな」

 それにアルミンが不本意そうに表情を曇らせたのを見て、ハルもくつりと喉を鳴らして笑いながらフードを被る。

「ジャンはアルミンがエレンと仲が良いから、嫉妬してたのかも」

「え」

 ハルの発言にアルミンが水色の瞳をキョトンとまん丸にしたのに、ジャンは全身の毛穴が開くような悪寒を感じて、思わずハルに向かって声を上げた。

「おいハルっ!いくらお前でも今の発言は看過出来ねぇぞ…っ、取り消せ今! す ぐ に っ !」

 それにハルは苦笑を浮かべながら、肩を竦めるようにして謝罪する。

「ご、ごめんなさい。ジャン」

「…許す」

「「(甘過ぎる)」」

 ハルの謝罪を特に渋ることもなくあっさりと受け入れたジャンに、アルミンとライナーが心の中で相変わらずだと呆れている中。

 ハルは一度大きく深呼吸をした後、表情を真剣なものにして女型の背中を見据えながら言った。

「…皆、あの女型の巨人の運動能力は、今まで見てきた限りでは普通の巨人とは比べモノにならない。対人格闘術を学んだ人間が、そのまま大きくなったって考えても過言じゃないくらいにはね…」

「…とんでもねぇ化け物だな」

 ハルの言葉に、ジャンが眉間に皺を作り唸るように呟く。

「だから先手は、あの女型の動きをある程度は把握してる私が打つ。皆はまず、女型の動きを確認して欲しい。…それと、これは一つ、言っておきたいんだけど…」

 ハルは申し訳なさそうになって言うのに、ライナーは怪訝な顔になって首を傾げる。

「何だ?」

 それに、ハルは辺りを見回しながら難しい顔をして言った。

「…頸を削ぐのは、難しいかもしれない。障害物の無い場所で、あの女型を討伐するのはリスクが大き過ぎるから」

 それにはジャンも同意見だと頷いた。

「…まぁ、そうだよな。ただでさえ、この環境は普通の巨人を討伐するだけでも大いに不利になる場所だ。…だとすりゃ、第一の目的は女型を討伐することじゃなく、体に損傷を与え、女型を少しでも長く此処に留まらせて、陣営が撤退出来るように尽くすことだ」

 ジャンの言葉にアルミンは「うん」と頷いて、ブレード引き抜く。
 
「散開してっ、攻撃を仕掛けよう!」

 アルミンの声掛けに、ハルとジャンとライナーも皆お互いに顔を見合わせて頷き合う。
 
 それから、ハルは右手のブレードを、逆手に持ち替えた。

ハル…お前、その逆手っ…!」

 それに気づいたジャンはハッとしてハルの顔を見ると、アルミンとライナーも驚いた顔をハルに向けた。

 ハルがリヴァイから回転斬りの特訓を受けていたことは知っていたが、回転斬りを習得し実践で使えるようになるには、少なくとも一ヶ月以上は時間を要するだろうと言われていた。
 兵士の中でもそれを教えられるのはリヴァイとミケの二人しかおらず、技術的にも非常に難しい技だからだ。

 しかし、ハルがリヴァイから回転斬りの特訓を受け始めたのは、たったの十五日前からだった。
 
 まさかもう使えるようになったのかと、驚きの視線を向ける三人に、ハルは手にしている左の操作装置の柄にある、マルコのエンブレムに祈るように口元を押し当ててから言った。

「全力を出さないと通用する相手じゃなさそうだから。出し惜しみなんて、出来ないよ…」

 そう言ったハルの声音は、今まで聞いたことが無いほど固く鋭いものだった。

 ハルの優しげな光をたたえている双眸が、一つの瞬きで、ガラリとカードが表と裏に変わるように一変し、研ぎ澄まされた刃のような眼光を帯びたのを、ジャン達は見た。

 ハルが本気になった。

 そう直感すると共に、何処か高揚感すら、ジャンは抱いていた。
 
 ハルはアグロの鞍の上に両足を置き、立ち上がる。
 深緑色のローブの裾を躍るように靡かせるハルの姿を、ジャンとアルミン、そしてライナーは、無意識に呼吸をすることすら忘れてしまったように、夢中で見つめていた。

 ハルの背で靡く自由の翼が、やけに眩しく、感じたからだ。

「ったく…マジで格好良いよな……なぁ、マルコ…」

 その背を見つめながら、ジャンはそう呟く。
 
『僕は将来、ハルみたいに、何処迄も真っ直ぐで、優しくて、格好良い人間になりたい』

 マルコが家族に送る手紙に、いつも決まって書いていたという言葉を思い出しながら、ジャンはそっと右手のブレードの柄に口元を祈るように押し付けて、女型の背中を見据えた。

 そして、ハルが女型に向かってアンカーを射出したと同時に、ジャン達は女型の巨人を囲うように、一斉に散開した。


第三十一話 女型の巨人



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