第三十一話
名前変換設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
第57回壁外調査は、南の空に太陽が高々と聳える正午に幕を開け、ウォール・ローゼ東部に位置するカラネス区の外門から、ウォール・マリア南部を目指して、エルヴィン団長を筆頭に出立した。
今回の壁外調査は、ウォール・マリア奪還作戦に向けエレンの試運転も兼ねた拠点開発を目的としており、如何にして被害を最小限に抑え、目的地まで向かい、そして無事にウォール・ローゼへと帰って来れるかが重要となるものだった。
外門周辺の旧市街地を、援護班の支援を受けながら突破すると同時に、エルヴィン団長は全兵士に手筈通り長距離索敵陣形を取るよう指示を下す。
それにより兵士達は其々班ごとに持ち場へ着く為、四方八方に展開し陣形を組み立てながら、ウォール・マリア南部へ向けて馬を走らせた。
ハルが長距離索敵陣形で配置されている場所は、『次列一・伝達班』、ゲルガーを班長にエルヴィンの率いる『次列中央・指揮班』の左後方に位置する場所だった。
深い紺色の色紙に、絵筆で白い絵の具を滴り落としたような細かい雲が浮かぶ空の下は、風も無風に近くやけに静謐としていて、少々気味が悪い程だった。
緑生い茂る平地を、アグロの蹄が蹴り上げる音と息遣いが、やけに大きく耳に響くようだったが、ハルはもっと遠くの音に重きを置き、精神を集中させて息を潜めるよう浅く呼吸を繰り返しながら、耳を欹てていた。
「…っ」
そうしてしばらく平地を駆けていると、右翼前方側の方から、地鳴りのような音が聞こえ始め、ハルはハッとして息を呑んだ。
それも、単体の巨人が地を踏み鳴らす音では無く…、まだ距離は遠く数まで把握するに至らないが、かなりの数の巨人が此方に向かって来ているということは確かだった。
ハルはアグロのお腹の横を足の側面で二度叩き、走る速度を上げて右前方を走っていたゲルガーの横に並んだ。
「ゲルガーさんっ!」
「っどうしたハル?何かあったか?」
「巨人の足音が右翼前方から聞こえますっ!それも、かなりの数ですっ!」
ハルの報告にゲルガーは「何?」と眉を顰め渋を飲んだような顔になると、右翼側の方へ視線を向け、忌々しいと言わんばかりに舌を打った。
ゲルガーはハルの『未知の力』を解明する為に行われていた実験に、何度かミケとナナバと共に立ち会うことがあった為、ハルの聴力が人の数倍高いということは既に把握済みであり、特にハルの言葉を疑うこともせず、ハルの言う地鳴りについて詳しい状況を問い掛けた。
そもそも、ハルが壁外調査の指揮を執るエルヴィンの近くに配置されたのは、ハルの『未知の力』が未だ解明されておらず、監視対象にあるからという理由だけではない。
ハルの並外れた聴力を利用すれば、陣形に迫る巨人を回避する為の初動を早めることが出来るという理由も含まれており、ゲルガーはハルの警告は疑わず直ぐに報告を入れるようエルヴィン団長から直接指示も受けていたのだった。
「っくそ、まだそんなに進んでねぇってのに……ハル、その巨人の群れと距離はまだありそうか?」
「はいっ…ですが、やけに音が近づいてくるスピードが早い気がします…、『初列・索敵班』とぶつかるまで、そう時間があるとは思えません」
ハルは黒い双眼を閉じ、より一層神経を集中して耳を欹てながらゲルガーの問いに答えると、ゲルガーは今までの壁外調査の実践経験から妙な胸騒ぎを感じて、ハルに緊迫した険しい表情を向けると、エルヴィン団長の居る右斜め前方を顎で指し示した。
「何だか妙だな…っハル、お前は団長に直接、口頭伝達して来い!短い時間で聞こえてくる状況も変わるかもしれねぇからな。俺は右に警戒体制を取るように回してくるっ!」
「っはい!」
ゲルガーから指示を受け、ハルは再びアグロの走る速度を上げると、右前方を走るエルヴィン団長の元を目指し平原を駆けた。
立派な芦毛の馬に騎乗しているエルヴィン団長の後ろには、調査兵団内でも手練れの兵士が四名横一列になって走っており、その中の一人がアグロの蹄の音に気付いて背後を振り返ると、ハルの顔を見た後、前を走るエルヴィン団長の背中に声を掛けた。
するとエルヴィンは馬を走らせたまま、ハルの方を顔だけで振り返り、そのターコイズブルーの瞳と目が合って、ハルは声を張り上げた。
「エルヴィン団長!口頭伝達です!」
「…どうした。何か問題か?」
ハルはエルヴィンの芦毛の馬の横にアグロを並走させると、右翼前方側から聞こえてくる地鳴りについての報告を入れる。
「はいっ!右翼前方から、複数の巨人の足音が聞こえます。…それも、馬より足が速い巨人が多い…間違いありません。集団でこちらに向かって来ているようです!」
「!」
ハルの言葉にエルヴィンは目を細めると、剣呑に眉を寄せた。後ろを走っていた兵士達は、困惑した様子で首を捻る。
「右翼前方?しかし、まだ信煙弾は上がって居ないぞ?」
「いや、ハルの耳は信用に値する。ミケの鼻同様にな。…ハル、このまま右翼側に迎撃準備を取るように口頭伝達を回せ。そちらに何班か加勢に回す。君は伝達に専念し、くれぐれも戦闘は避けろ」
エルヴィンは手にしていた煙弾銃に緑の信煙弾を込め、左前方に信縁弾を撃ち上げながらハルに指示を下す。エルヴィン団長が撃つ緑の信煙弾には、陣形の進行方向を示す意味合いがある。
「了解っ!行くよっ、アグロ!」
「ブルルッ!」
ハルはエルヴィン団長の命令を請け負うと、アグロの気合を入れるように太い首の後ろを撫でる。それにアグロは活気良く鼻を鳴らして、右翼側へと駆け出した。
やはり右翼側に向かえば向かう程、地鳴りの音がより鮮明になってくる。
「っ酷い音……一体何体居るんだっ」
ハルは巨人の数を特定しようと懸命に耳を欹てるが、地鳴りが激し過ぎて数を割り出すことは難しかった。しかし、それだけの大群で、且つ馬よりも足が早い巨人だとすると、今の陣形のままでは巨人の襲撃を迎撃することも、ましてや避ける事すら難しいだろう。
被害を最小限に抑える為には、一刻も早く状況を右翼側の班に伝達し、迎撃体制を取らせる必要があった。
ハルは懸命にアグロを走らせていると、漸く『初列ニ・索敵班』の二名を視界に捉えた。本来ならば左翼に配置されている筈のハルに、東棟で同じ兵舎の先輩にも当たる二人の調査兵は、ハルの方へと困惑顔を浮かべながら向かって来た。
「先輩方っ!口頭伝達ですっ!」
「グランバルドっ、エルヴィン団長が進行方向を左翼側に変えたようだがっ、何かあったのか!?」
「まさかっ、陣形の真正面から、巨人が現れでもしたのかよ?」
ハルは先輩二人の馬にアグロを並走をさせ、地鳴りが段々と近づいてくることに内心焦燥しながら、状況をやや口早になって報告する。
「いえっ!右翼側から巨人が集団で押し寄せて来ているんですっ!迎撃準備を取るように、エルヴィン団長から指示が出ましたっ!」
ハルの口頭伝達に、先輩二人は顔を見合わせると、困惑顔を更に色濃くする。
「なっ…右翼だと?左翼の間違いじゃないのか?まだ此方は巨人を目視しもしていないぞっ!?」
「っ!?」
その時、ハルはふと巨人の大群が作り出す怒涛のような足音に紛れるように、一体の巨人がその大群から抜きん出て、此方に向かってくる足音に気付き、視線を右方前方に向けた。
すると、疎らに生えた木々ばかりで障害物のない平地の奥から、十五メートル級の巨人がこちらに迫って来ているのが見えた。
「っ右前方から十五メートル級、一体接近っ!」
ハルが緊迫した声を上げると、少し遅れて二人も巨人の襲来に気付き、一人は赤い信煙弾を上空へ撃ち上げ、もう一人は抜剣し戦闘態勢を取りながら、ハルに指示を下した。
「内容通り右翼前方からだな…グランバルドっ!お前は後方に伝達を回せっ!奴は俺達が引き付ける!」
「っ了解!」
ハルは先輩兵士からの指示に『初列四・索敵班』の元へ向かう為、アグロの手綱を強く引いて大きな体を捻ると、陣形の後方を目指して駆け出す。
すると、視線の先で赤い信煙弾が撃ち上がるのが見え、それから間もなく三名編成の班とかち合う。『初列四・索敵班』だ。
ハルはその班の班長である栗毛の馬に、アグロの黒い体を寄せた。
「班長っ、口頭伝達です!右翼前方側から集団で巨人が迫っています!前方の『初列ニ・索敵班』は巨人と交戦中っ!直ちに迎撃準備を取ってください!こちらに左翼側から、何班か加勢が入ります!」
「何っ!?」
その伝達内容に班長が目を丸くした時、前方で悲鳴が上がった。
「うわぁぁああああ!?やっ、やめろおっ!?」
「っ先輩?!」
悲鳴が上がる場所へ、ハルと四班は馬を走らせると、視線の先で先程目視した十五メートル級の巨人に体を拘束され、先輩兵士が眼前に引き寄せられているのが見えた。
そして仲間を助けようと、もう一人の兵士が頸に斬り掛かかるが、まるで蠅を掴むように、巨人に握り潰されてしまう。
「っ!?」
骨が砕かれ、真っ赤な鮮血がボタボタと地に滴り落ちる音が、ハルの耳にはやけに鮮明に聞こえてしまい、体の芯が一瞬で凍りつくような悪寒を覚え、喉の奥を震わせた。
しかし、ハルは巨人が次に起こした行動に、息を呑み目を見張る。
金髪に青い目を携えた巨人は、手に拘束していた先輩兵士のフードを、先程先輩を握り潰し血が滴るもう片方の手の指先で摘み、脱がしたのだ。
そして、顔を確認するように青い目を細めた後、先程の先輩兵士と同様に、その体を握り潰したのを見て、ハルは動揺で震えた息を吐き出した。
「…っな、に?」
その行動は、巨人の本質とは大きくかけ離れたものだった。
巨人は人を喰うことを目的としていて、その『過程』で人を殺している。
しかし、目の前に立つ巨人は、殺す為に、先輩兵士を握り潰したのだ。
「っ畜生!」
巨人が握り潰した兵士を地に放ったのを目の当たりにし、仲間を殺され怒り立った四班の班長が声を上げて抜剣するのに、ハルは慌てて班長の前に立ち、制止に入る。
「っ待ってください!!班長は伝達を回してくださいっ!!巨人の集団ももう直ぐそこまで迫っているんです!」
「だがあの巨人を先に仕留めなければっ!」
それでもハルを押し除けて巨人に挑もうとする班長に、ハルは右方前方から今まさに目視が出来る距離まで近づいた、巨人の大群を指差し、敢えて圧の掛かった声を発した。
「っ班長!!向こうをっ、見てください!」
「っ、な!?」
彼等は此方に地を踏み鳴らしながら駆け押し寄せてくる巨人の群れを見て、目に見えて分かるほど露骨に青褪め、息を大きく呑んだ。
「あの巨人達は馬よりも足が速い個体ばかりですっ!すぐに迎撃態勢を取らないと、右翼は壊滅的打撃を受けてしまうんです!先程の信煙弾だけではっ、この意図は伝わりません!」
捲し立てるように言うハルに、班長は巨人の群れと前方に居る奇行種を交互に見やりながら、表情を険しく歪める。
「だがアイツはどうするっ…!放置するにも明らかに危険な奇行種だぞ!?」
それにハルはアグロに取り付けた鞍のポシェットから煙弾銃を取り出し、中に黒い信煙弾を込め、左翼前方の方へ走り出した女型の巨人の方へとアグロの鼻先を向けて言った。
「あの巨人は私が追いますっ!班長!行ってください!」
それに班長は苦渋の表情を浮かべながらも頷き、自身の班員である二人の兵士に指示を下す。
「っくれぐれも気をつけろよ!グランバルド!おい、お前は左方に伝達を回せ!!お前は左後方。俺は後方に回す!」
「「はっ!」」
兵士二人が威勢良く返事をし其々指示を受けた方へと馬を走らせ、班長が後方に向かうのを確認すると、ハルはアグロを走らせて、奇行種の背中を追った。
しかしその奇行種は、普通の巨人と比べて体の造りが女性らしく、エレンが巨人化をした時と同様に体のバランスが人に近いものを感じた。そして何より、普通の巨人が人間に対して起こす行動と、大きくかけ離れている。
「あの巨人…ただの奇行種じゃない。取る行動もっ、あの体つきも……まるでエレンが巨人化した時みたいだっ」
ハルは女型の巨人の様子を注視しながら少し後ろを走り、黒い信煙弾を上空へ撃ち上げた。
しかしその瞬間、女型の巨人が背後を振り返り、ハルを確認すると、突然地面を蹴って大きく飛び上がったのだ。
「っ飛ん…っ!?」
ハルは女型の巨人の大きな足の裏が頭上から落ちて来るのを、反射的にアグロの頭を左に向け、回避することに成功した。
しかし直撃は回避出来たものの、地面が衝撃波で大きく波打ち、アグロがバランスを崩し竿立ってしまった為、ハルはアグロの背中から地面に転がり落ちてしまう。
「っ!」
地面に後頭部を強打するギリギリで受け身を取り何とか負傷は免れたが、半分失敗もしている受け身だった為、頭を守ろうとした両腕を強く地面に打ち付けてしまい、手にしていた煙弾銃が手から離れ、地面に跳ねて転がり破損してしまった。
「っ何だ、今の動きは…っ!?」
まるで鍛えられた人間のように機敏な女型の巨人の攻撃に困惑しながら、ハルは痛む両腕を何とか地面に付き、歯を食いしばりながら体を起こそうとする。…と、地面がドシンとすぐ傍で音を立てて揺れ、大きな影が自分に覆い被さってきた。
「っ」
その瞬間、ハルは全身の血の気が引いたのが分かった。
巨人の息遣いが両耳の鼓膜を撫で付けるように震わせ、頸に熱い息が吹き掛かってくるのを感じて、ハルは固唾を飲みながら、ゆっくりと背後を振り返り、顔を上げた。
すると、眼前には青い大きな瞳と、金髪が見えた。
巨人が、自分の顔を覗き込んで居たのだ。
そして女型の巨人は、ハルの黒い双眸と目が合うと、その瞳を大きく波立たせるように振るわせた。
それはまるで、感情のある人間のような反応だった。
「え…?」
ハルはそれに酷く動揺して浅く息を吐き出すと、女型の巨人はハルから視線を逸らし、再び立ち上がって左翼側へと走り出したのだ。
「今のはっ、何っ…?」
ハルは女型の巨人が自分を殺さなかったことに動揺し、遠のいていく女型の巨人の背中を見つめながら呆然と地面に座り込んで居たが、アグロが鼻を鳴らしてハルの顔に擦り寄って来たことでハッと我に帰り、慌ててアグロの鞍に飛び乗ると、再び女型の巨人の後を追いかけたのだった。
→