第三十話
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「マルコの、お母様、ですか…?」
ハルはマルコの墓石から立ち上がり、ジャンと肩を並べるようにして栗色の髪の女性と向き合うと、女性は「えぇ」と頷いた。
「私はエイミア・ボットと申します。……もしかしてお二人は…、ジャン君と、ハルちゃん、ではないですか?」
エイミアはマルコとそっくりの目元を綻ばせ、上品に小首を傾げて問いかけてきたのに、ハルとジャンは驚いて目を丸くする。
「な、何故ご存知で…」
ジャンが困惑しながら問い返すと、エイミアはぱっと表情を明るくして、ジャンとハルの元へと歩み寄った。
「あぁっ、やっぱり!マルコがくれる手紙に、いつも貴方達の事が書いてあったから、もしかして…と思ったの」
「マルコが…私達のことを?」
その話はハルもジャンも聞いたことが無く、心臓が妙な打ち方を始めるのに、ハルは些か困惑しながら首を傾げると、エイミアはハルとジャンの顔を交互に見つめた後、淡褐色の瞳を穏やかに細めた。
「えぇ…手紙だけじゃなくて、一年に一度家に帰って来た時も、貴方達の話を聞かせてくれていたから……なんだか初めて会ったような気がしなくって…」
その言葉に、ジャンとハルは呆然として、何も言えなくなってしまった。
本来ならば自己紹介をしてお悔やみの言葉を言うべなのに、靴底が地面にべったりと張り付き、鼻の奥がツンとして、強張った喉から出て来るのは、乱れた浅い息だけだった。
エイミアはマルコの墓石へと視線を落とすと、太陽の光を受け僅かに水気を残した墓石が輝き、まるで空に浮かぶ綿雲を持って来たように、ふわりと白い花を揺らす勿忘草の花束を見て、「まぁ…」と感嘆の息を吐く。
「お墓、綺麗にしてくれたのね…?勿忘草の花束も…とても素敵だわ。調査兵団の本部から此処まで来るのは、とても遠かったでしょう?本当に…ありがとうね?」
「「いえっ」」
礼を言われて、ハルとジャンは声を揃えて恐縮するのに、エイミアはふふっと肩を竦めて笑った。それからマルコの墓石の前に屈み、腕に抱えていた紫陽花の花束をそっと置いた。
「マルコ、ちゃんと二人にお礼を言った?良かったわね…」
マルコに語りかける声は、母親の愛情が惜しげ無く込められた、温かで、穏やかなものだった。
それでもその華奢な背中には、言葉だけでは言い表せないほどに深い、悲しみと寂しさが滲んでいて、ハルは胸の奥が鋭い爪先で引っ掛かれるような痛みに、奥歯を噛み締め、両手をぐっと握り締めると、熱を孕んだ喉から言葉を絞り出す。
「お母様っ、この度は…お悔やみを…っ」
しかし、エイミアに頭を下げようとして、喉が、握りしめた両手が、ぶるりと震え強張った。ハルは中途半端に頭を下げたまま、真っ白な顔で固まってしまう。
そんなハルの横顔を、ジャンは気遣いげに見つめた。
「…ハル?」
違う。
ハルは、そう思った。
お悔やみって…何だ。そんな言葉だけ吐き出して、頭を下げて、最愛の息子を失った人が、救われるのか。
そんなわけが、無い。
私はそれを、良く知っているのに……
「っ、ごめんなさい…っエイミアさん…!」
「!?」
「ハルちゃん…?」
痛みに耐えるような悲痛な声を、舌を噛み切るように絞り出して、ハルはエイミアに向かって土下座をした。
そんなハルにジャンは息を呑み、エイミアはハルを振り返った。
ハルは額を乾いた地面に強く押し付けながら言った。
「あの日…っ、私はマルコと同じ班で、その班長でした。その上、トロスト区奪還作戦の際には、誘導作戦の指揮補佐を担っていたのにっ…私は自分が弱かった所為で、戦場を離れることになって…っ!」
言葉を紡いでいく度に、あの時のことを思い出していく程に、胸の底から込み上げてくる自責の念で言葉が詰まってしまわないよう、ハルは地面についた両手を、土を引っ掻くように握り締める。すると爪と皮膚の繋ぎ目がビリビリと熱く痛んだが、そんなことはどうでも良かった。
「マルコが命の落としたのは、トロスト区奪還作戦中でした。っですから…、彼の、マルコの命の責任はっ、この私にあるんです!…マルコが命を落としたのはっ、私の所為ですっ」
ごめんなさい、ごめんなさい、ハルは地面に額を押し付けながら何度も謝罪を繰り返す。
ジャンはそんなハルの姿を見ていられなくなって、ぎりっと奥歯が軋むほどに、強く歯を食いしばった。
そしてハルの隣に両膝をつくと、胸元でぎゅっと両手を握り締めて感情に堪えるように顔を伏せているエイミアに、ジャンもハルと同様地に両手をついて、頭を深々と下げた。
「違うんです…っ、責任は俺にあります…!マルコは、奪還作戦の際は俺と別班だったのにも関わらず、俺の立体機動装置が故障して、巨人に喰われそうなった所を助けてくれたんです。それなのに俺は…っ、アイツが助けを求めてた時に…っ、助けてやれなかったんです…っ!」
それから、込み上げてくる悔しさや情けなさ、自分自身に対しての苛立ちに、爪を掌に突き立てるように拳を握り締め、空気の無い水の中で踠き苦しむような声で言った。
「俺はアイツから貰ってばかりでっ、何も返せなかった…っ!」
頭を下げる二人の姿を見て、エイミアは胸元で握りしめていた手を解き、静かに首を横に振って、その両手でジャンとハルの背中に、そっと触れた。
「二人とも、どうか顔を上げて。ハルちゃんにも、ジャン君にも、マルコの命の責任なんてものはないの。だからどうか謝らないで……それに、あなた達にこんなことさせていたら、マルコに怒られてしまうわ」
それでも顔を上げられずに居る二人に、エイミアは悲し気な顔に微笑みを浮かべた。
「ジャン君」
「…はい」
名前を呼ばれ、ジャンは鉛のように重たい頭をゆっくりと持ち上げて、エイミアの顔を見た。
エイミアはジャンの瞳と目が合うと、マルコと同じ淡褐色の瞳を柔らかく細め、徐に肩掛けにしていた小さな鞄から、何かを取り出した。そしてそれを掌の上に乗せ、ジャンに見せる。
「貴方がマルコのことを、見つけてくれたのよね?…それに、これをシャーディス教官に渡して、家に届けるよう言ってくれたのも、ジャン君でしょう?」
エイミアの手にあったのは、兵服の胸ポケットにつけられる訓練兵団のエンブレムだった。そのエンブレムには薄らと、血の痕が残っている。それは、マルコが火葬される前に、遺体からジャンが個人的に回収し、シャーディス教官に家族へ届けて欲しいと渡したものだった。
その後教官とは会う機会が無かった為、エンブレムが家族の元へ届いていたのか知らなかったが、どうやら教官はジャンの願いを聞き届けてくれたらしい。
ジャンはそれに安堵して、息を吐き出すように静かに呟いた。
「…教官…届けてくれて居たんですね…」
「ええ。シャーディス教官が家まで足を運んで、届けてくれたの。あの日に命を落とした子達は、殆ど何も残っていない……遺体があったのかどうかさえ、分からない人たちも沢山居る……それなのに、マルコは本当に幸運だった。マルコが私達の息子だって…っ、気づいて、見送ってくれた人が居てくれて、孤独に埋葬されることがなくて…本当に、良かったっ…!」
エイミアはマルコのエンブレムを胸に掻き抱き、ジャンに向かって深く頭を下げた。
「ジャン君、本当に、ありがとうっ…!マルコを見つけてくれた人が、貴方で本当によかったわ…っ!」
「っ」
ジャンはその言葉を受けて胸に悲しみが迸り、グッと表情を大きく歪めて、その悲痛な表情を隠すように、再びエイミアに頭を下げた。
「それに…ハルちゃん」
エイミアは次にハルへと顔を向ける。
NAME1##は名前を呼ばれて顔を上げると、震える唇で小さく返事をした。
「は、い」
地面に顔を押し付けていたハルの前髪には土や草が付いてしまっていて、エイミアはハルの前髪についた汚れを、優しく指先で髪を梳くように払いながら言った。
「マルコが家に送ってくれる手紙には、いつもハルちゃんとジャン君のことが書いてあってね…?マルコは決まっていつも、書いていた言葉があったの…」
その言葉に、ハルは黒い双眸を大きく見開いた。
先の言葉を求めて縋り付くようなハルの表情に、エイミアは一度深呼吸をして、一つ一つの言葉を大切にしながら、話してくれた。
「『僕は将来、ハルみたいに、何処迄も真っ直ぐで、優しくて、格好良い人間になりたい。憲兵になるのは、その為の一歩なんだ』…って」
「!?」
その言葉に、ハルはトロスト区襲撃後、目が覚める前に見ていた夢の中で、マルコが言ってくれた言葉を思い出した。
『…僕さ、ハルのそういうところ、すごく好きだったよ。何処までも真っ直ぐで、正直で、優しさに溢れてて……そんな君に、何度も何度も、僕は救われてきた。…ジャンだって、ハルと同じくらい優しい癖に、不器用でさ……そんな二人のこと、本当に好きだったし、憧れてたんだ』
それじゃあまるで、自分が見て居たのは夢なんかじゃなくて、本当にマルコが自分に会いに来てくれたみたいじゃないか…っ
そう呆然とするハルと、俯き悲しみに堪えるジャンを交互に見つめながら、エイミアは優しい口調ままに、懐かしさや愛おしさを滲ませた声音で、最愛の息子に想いを馳せるように言った。
「手紙だけじゃない。家に帰って来た時も、自分の話はそっちのけで、ハルちゃんとジャン君の話ばかりで。…それでも、二人の話をしてる時のマルコの、誇らし気で、得意気で、楽しそうで、嬉しそうな顔が、私も夫も…大好きだった。…私達がいつも思い出すマルコの顔は、二人の話をしているマルコの笑顔なの」
エイミアは、大きく瞳を見開いて、下唇を噛み締めているハルに手を伸ばし、抱き寄せた。
紫陽花の花の香りと、優しい温もりに包まれて、ハルは大きく黒い瞳を風に吹かれた水面のように震わせた。
それはもうずっと、長い間忘れてしまっていた、母親の温もりだった。
「ハルちゃん…私たちに、マルコからの素敵なプレゼントを残してくれて…本当に、ありがとう…っ」
ハルの耳元で、エイミアは涙声になって言った。そしてもう一度、今度は言葉を噛み締めるようにして、言った…
「ありがとうっ」
再び紡がれた言葉に、ハルは張り詰めた心の糸が、体の中でぷつりと音を立てて切れた気がした。
すると大きな悲しみの波が怒涛のように心の底から押し寄せてきて、喉の奥で喘ぐような、乾いた嗚咽が溢れ出す。
「…ぁ…ぁあっ」
「っ」
すると、エイミアがより一層強くハルを体を抱き締めた。
その温もりは、ハルが無意識に蓋をしてしまっていた涙腺を、いとも簡単に溶かしてしまう。
「マル、コッ…マルコォ…っ!」
喉からボロボロと、大切な友人の名前が、涙と共に溢れてくる。
マルコと過ごした時間、マルコが向けてくれた表情や言葉が、止めどなく、湧き水のように脳裏を過っては消えて、エイミアの肩越しに見える墓石に刻まれたマルコの名前が、涙でボヤけて行く。
それが酷く悲しくて、寂しくて、ハルは何度も溢れ出る涙を両手で拭うけれど、とても切りが無くて、止めることなど出来なかった。
そうして拭い切れなかった涙が、鼻の横を流れ落ちて、口端から舌に触れる。
涙の味がした。
『あの日』と同じ、味がした。
巨人に弟を喰われ、泣き叫んだ、大切な人を失った、あの時と何も変わらない、悲しくて虚しい味がした。
「何で…なの…どうしてっ、いつもこうなんだ…私はただっ、皆と一緒に居られれば…それでいいんだ。…それなのにどうしてっ、奪われる…っ、…父さん、母さん…ヒロ…ユウキっ、ミーナ、トーマス…皆っ…マルコっ…!!」
「っハルちゃん…」
「っ、…く、そ」
エイミアは耳元で響くハルの悲痛な叫びに、顔を歪める。
ジャンは下唇を噛み締めると、口の中に血の味が広がるのを感じた。
目の端からは堪え切れず熱い涙が溢れ落ち、それを皮切りに嗚咽しそうになる口元を、グッと掌で押さえ付けると、くぐもった声が溢れた。
大切な友人達が眠る、広大な墓地に、ハルの喉を振り絞るような慟哭が響く。
仲間達の幻でも探すように、泣きながら空を振り仰げば、長く墓地の上空を旋回していた鷹が、南の空へと飛んで行くのが見えた。
その鷹に、マルコへ想いを届けて欲しいと、ハルは縋るようにして言った。
「マルコ…っ、君に…会いたいっ…!どうしようもなく…っ、会いたいよ…!」
私とジャン、そしてエイミアさんの心を、此処からじゃ見えない、ずっと遠くにいるマルコに、ほんの少しだけでもいい、心の端の欠片一つでもいいから…届けて欲しい。
そして、笑ってほしい。
『やっぱり、ジャンもハルも、お互いがいないと駄目だね』って、君にさよならを言えなかった夢の中で、そう言ってくれた時のように…
『二人とも、僕がいないと駄目だね』って、少し呆れながら…
ただ、笑って欲しい。
第三十話 君に 会いたい
青い空を、一羽の鷹が、ピィと一鳴き残して、飛んで行く。
鷹の翼を撫でる春風が運ぶ、涙の香りと、花の甘い香り、その中でふわりと過ぎるのは、優しい彼の微笑みばかりで…
ハルとジャンは、この日、誓いを立てた。
この先、どんなに苦しいことがあっても…
どんなに辛い選択肢を、迫られる事があったとしても…
マルコや、ミーナ達に恥じない道を選んで、未来の為に前へ進むことから、決して逃げ出さないと。
決して折れ倒れてしまわないように、心の奥深い場所に……魂に、しっかりと誓いの旗を、突き立てたのだった–––––
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