第二十五話
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「っ…!?」
ハルは突然目が覚めた。夢と現実の間を感じる間も無く、それは本当に突然だった。
見慣れない部屋のベッドの上で飛び起きると、パイプベッドが大きくギシリと軋む音と、ガシャリと鎖が打つかる音がして、ハルは荒んだ呼吸のまま手元に視線を落とした。
自分の手には無骨な鉄の手枷がつけられていて、両手ともベッドの縁に括り付けられている。
それにハルは「どうして…」と思わず呟いたが、その疑問を打ち消してしまうほど酷い頭痛がして、奥歯を噛んで呻いた。
「目が覚めたか」
喉の奥で響かせるような低い声がして、ハルはズキズキと痛むこめかみを抑えながら、俯けていた顔を上げた。
そこには調査兵団の兵服を纏った、長身で金髪の、顎に髭を生やした兵士が、木張の壁に寄りかかり腕を組んで立っていた。肩幅もあり丈夫そうな体つきをしており、頼もしい印象を与える兵士は、ライトブルーの瞳に値踏みするような影を浮かべてハルを見つめていた。
ハルはその視線に居心地が悪くなって、病室というよりは、小さな会議室に簡易ベッドを持ち込んできたような部屋を見回しながら問いかけた。
「あ、あの…貴方は…?それに此処は一体、どこ…なのでしょうか……?」
それに彼は寄りかかっていた壁から背を離し組んでいた腕を解くと、部屋の扉の方へゆっくりと歩き出す。
「俺は調査兵団所属の、ミケ・ザカリスだ。だが二つ目の質問には、未だ答えをやるわけにはいかなくてな…」
ミケは芝居がかったゆっくりとした口調で言うと、部屋のドアノブに手を掛け、扉を僅かに開いた。そこには兵士が控えていたようで、ミケは耳打ちするよう抑えた声で「グランバルドの目が覚めた。エルヴィンに伝えてくれ」と指示を下した。兵士の姿はハルから見ることは出来なかったが、聞こえた返事はハキハキとした男の声で、兵士の駆け足が廊下を駆けて行く音があっという間に遠のいて行く。
それにミケは扉を静かに閉めると、ハルを振り返り、側へと歩み寄った。
ハルはおずおずとミケを見上げる。
「ミケさん…あの、分からないことが多すぎて、質問が、沢山あるんです、けど…」
「だろうな。そんな顔だ」
「教えては、頂けないんですね…」
無表情まま軽くあしらわれてしまって、ハルは肩を落として苦笑すると、ミケはふうと息を吐き出して、ベッド横の、カーテンで閉め切られた窓の傍の壁に、再び腕を組んで寄りかかった。
「察しが良くて助かる。…悪いが、詳しい話はこの後来る男としてくれ。俺からは何も話してやれんからな」
「了解、です…」
恐らくエルヴィン団長からそう命令されているのだろうと察したハルは、特に食ってかかることもなく頷いた。口を引き結んで、手枷のついた己の手元を静かに見下ろすハルの横顔は、酷く青白く、ミケは心配になって目を細めた。
「体の調子は、あまり良くなさそうだな…さっきもずっと、魘されていたぞ。悪い夢でも、見ていたのか?」
問いかけると、ハルは呟くように小さな声で言った。
「夢…なら、いいんです」
自由を奪われた両手を祈るように握りしめて、顔を俯ける。そうするとハルの黒髪がさらりと耳の後ろから滑り落ちて、悲しげな影を浮かべていた目元を覆い隠した。
「夢だったら、本当に…」
「…そうか」
ミケはハルの心中を察したように静かに呟く。
「身体が辛いようなら、横になって構わないぞ」
「い、いえ…大丈夫です。エルヴィン団長が、いらっしゃるんですよね…?」
ハルは首を左右に振ってミケを見上げると、ミケは驚いたように目を丸くした。先程扉に控えていた兵士に指示を出した時は、ハルには聞こえないよう声をかなり落としていたつもりだったからだ。
ミケはハルの元へと歩み寄ると、前屈みになってスンとハルの首元に鼻を寄せて匂いを嗅いだ。
「!」
突然のことにハルは思わずびくりと身を跳ね上げ、困惑してミケを見た。が、ミケは悪びれる様子もなく、顎を触りながら興味深そうに言った。
「お前、耳が良いな。…それに、やはり変わった匂いもする。今までに嗅いだことのない匂いだ。面白い…」
「あ、あの」
ハルはあわあわと口を動かしながら間近にあるミケの顔に身を硬らせていると、扉の外の廊下から、激しい足音が聞こえてきた。そしてその足音の主は、扉を破壊しそうな勢いで開け放ち、部屋の中に飛び込んでくる。
「あーっ!?ミケ!?また初対面の子の匂いかいでるのぉ!?」
「…ハンジ、お前も来たのか」
現れたのは茶髪を一本に束ね、眼鏡をかけた長身の女性兵士で、兵服にはミケと同じ自由の翼のエンブレムが描かれている。
彼女は眼鏡の後ろのアーモンド色の瞳を嬉々と輝かせ満面の笑みを浮かべており、ミケは少々呆れたように鼻からふうと溜め息を吐いて、ハルから身を引いた。
「あったりまえだろう!?もうずっとウズウズしてたんだからさぁ!!」
それに彼女はミケと場所を入れ替わるようにしてハルの元へとやってくると、ずいと顔をハルの眼前に寄せた。それに思わずハルは身を引いたが、引いた分だけ彼女は間合いを詰めてくる。
「ああっ、会いたかったよハル!!初めまして、私はハンジ・ゾエって言うんだよろしくねぇー?実は君に、聞きたいことが山程あるんだけど!もし良ければお茶でもしながらゆーっくり、」
ハンジはまるで肉を目の前にしたサシャのように陶然とした表情で、興奮しているのか息を荒らげながら話し掛けてくる。しかし、ハンジは話の途中で、ガッと背後から何者かに頭を鷲掴みにされて言葉を呑み込んだ。
「おいてめぇ、ハンジ。何勝手なことしてやがる。話すのはこっちが先でお前は後だ。そしてその機会は今日は来ねぇ、諦めろ」
あまりにハンジとの出会いが強烈すぎて気づくのが遅れてしまったが、ハンジの後ろには人類最強と謳われる調査兵団のリヴァイ兵長と、調査兵団団長のエルヴィン・スミスが立っており、ハルは慌てて姿勢を正す。
ハンジは頭を鷲掴みにされたまま顔をリヴァイの方へと向け、抗議の声を上げた。
「えー!?そんなぁ!?折角猛ダッシュして此処まで来たのにぃ?!」
「ごちゃごちゃ喚くな」
リヴァイは淡々とした口調でハンジを叱りつけると、ハンジはぶつぶつと不満を言いながらも、ハルから漸く身を引いた。
「リ、リヴァイ兵長と…、エルヴィン団長っ…」
ハルは兵服を着ておらず、白いシャツにスラックス姿だったが、癖でジャケットを整え敬礼をしようとして、それが出来ないことに慌てた。しかしエルヴィンは掌を差し出して、敬礼をしようとしたハルを制した。
「敬礼は不要だ。ハル・グランバルド君。目が覚めたばかりで申し訳ないが、どうしても君と、逸早く話をしておきたくてね…」
それにハルは困惑し切った表情で、自身の体を見回しながら言った。
「話とは、一体何でしょう?何分、今はとても混乱していて…自分がなぜこのような状況にあるのかも、全く理解が出来ていないんです」
「…ああ、分かっているよ。まずは何故君が此処にいて、何故手枷を付けられているのか、その理由から話しをしよう。…此処、失礼するよ」
エルヴィン団長はハルのベッドサイドに置かれていたパイプ椅子に腰を落とすと、その傍の壁に、リヴァイが背中を寄りかけて気怠げに腕を組んだ。ハンジは相変わらず好奇の目をハルに向け、何やら上着から手帳を取り出し、メモの準備をし始めた。
ハルは査問でもされるような雰囲気に緊張して背中を伸ばすと、そんなハルを見つめて、エルヴィンは事の経緯を振り返るため、ゆっくりとした語り口調で話を始めた。
「…君は巨人によるトロスト区襲撃の際、住民の避難のため、首席で訓練兵団を卒業した能力を見込まれて、ミカサ・アッカーマンと共に、駐屯兵団のイアン班に配属後、後衛部で巨人の討伐と住民の避難誘導を行なっていた。…そして住民の誘導が終わり一時撤退の鐘が鳴ると、アッカーマンと共にイアン班を離れ、中衛部の同期達の元へ向かい、ガスを失い壁に登れなくなった仲間達と共に巨人の群がった本部の補給棟へと向かった…。その際、巨人の奇行種…エレンを本部へと誘導し、群がっていた巨人を排除すると、君たちはガスとブレードを補給し壁を登ることに成功した。…ここまでで、相違は無いか?」
「間違いありません」
ハルはこくりと頷く。
「そうか。では続けよう……その後君は、エレンの力を利用し、広場の大岩を使って破壊された門を塞ぐ、トロスト区奪還作戦の際、駐屯兵団所属のシグルドの補佐に就き、巨人を壁に誘導し引きつけておくため、同期達を率いて奮闘した…。その際の君の活躍は、同期達のみならず駐屯兵団の兵士達からも称賛されていたよ。ただの巨人だけではなく、奇行種も多く討伐したそうじゃないか…?」
称賛されることは喜ばしいことではあったが、自分の力だけで成し得たことは何も無かった。仲間達の協力がなければ、巨人を壁に誘導することも、奇行種の討伐を損害なく成し遂げることなど出来なかった。
ハルは首を「いいえ」と左右に振って、恐縮だと視線を手元に落とした。
「皆の助力あってこそ、成し得たことです。…私だけでは、どうすることも出来ませんでした…勿体無いお言葉です」
エルヴィンはそんなハルを、興味深そうに目を細めて見つめた。
「…謙虚だな。その性分が、年の近い訓練兵達を率いるに至ったのだろう…。我々が不在の中、良く戦ってくれた。同じ兵士として感謝するよ。ありがとう」
思わぬエルヴィンの言葉に、ハルは慌てて顔を上げると、手枷のついた両手を胸の前で振った。
「わっ!私はただ、自分の為に戦ったまでです。兵士として…とは、胸を張って言い切れません。団長に、お礼を言われるようなことは…」
そんなハルを見て、ハンジがにんまりと面白そうに含み笑いを浮かべた。
「すっごく真面目だねぇ君わ?…ちょっとエルヴィンに似てるんじゃない?」
「黙ってろハンジ。お前が喋ると話が逸れるんだよ」
リヴァイは溜息混じりにそう言うと、ハンジは特に意に返す様子も無く「はーい」と軽い返事をする。それにリヴァイの眉間の皺が深くなったのが見えたが、ハルは気づいていない振りをした。触らぬ神に祟りなしという言葉が、頭に過ぎったからである。
「理由は何であれ、多くの兵士と住民が救われたことは確かだ。それは胸を張っていいと、私は思うが…?」
エルヴィンは首を軽く傾げて、恐縮するハルに表情を僅かに和らげ声を掛けた。
それにハルも軽く下唇を噛んだ後に、深くエルヴィンに向かって頭を下げた。
「ありがとうございます」
それも姿勢正しく何とも生真面目な礼で、ハンジは思わずぶふっと吹き出して笑ったが、ギロリとリヴァイに睨まれて、ゴホンと咳払いをして誤魔化す。
「…ここからが、君の知りたい話だろう。エレンが大岩を運び始めた際、誘導班だった一部の104期訓練兵と君は、エレンの護衛に加勢しに向かった。その際、巨人に捕まった駐屯兵団のイアンを助けようとして、巨人に捕まってしまい、吹き飛ばされてしまった…その時のことは、覚えているか?」
「…はい。ですが、その後の記憶が…ありません」
ハルは頷き、それから表情を曇らせて、先程から頭痛が治らないこめかみの辺りを片手で押さえた。
それに、エルヴィンは決定的な理由を、一つ一つ区切るように、はっきりとした口調で言い放った。
「無理もない。何故なら君は、その時に一度、死んだのだから」
「っ!」
死んだ。
その言葉に激しい衝撃を受けて、ハルは双眼を溢れんばかりに大きく見開き、息を呑んだ。
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