第二十九話
名前変換設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「ん…」
ハルはゆらゆらと揺り籠に揺られているような心地の中で、ふと目が覚めた。
ボヤけた視界が徐々に輪郭を持ち始めると、もうすっかり陽が壁の裏側に沈んで、夜の闇が下り暗くなった調査兵団本部の景色が広がる。
「あ、れ…?」
しかし、自分は歩いていないのに、見えている景色がゆっくりと流れ揺れていることに、ハルは自分が誰かに背負われているのだと気が付いて息を呑むと、低く少し掠れた声がすぐ傍でした。
「目が覚めたか」
「リ、リヴァイ兵長…っ!?」
その声は紛れもなくリヴァイのものであり、ハルは今の現状が理解できずに困惑した。
「な、何故私は兵長に背負われて……い、一緒に居酒屋に居たはずでは…」
ハルはキョロキョロと辺りを見回し、ハンジ達の姿を探しながら問い掛けると、リヴァイはふと歩みを止めて、僅かにハルの方を振り返る。
「…覚えてねぇのか」
それにハルは居酒屋での出来事を思い返し、リヴァイにおしぼりを口の中に押し込まれたところまでしか思い出せないことに気がついて、「はい…」と神妙になって頷く。
するとリヴァイは「…そうか」とだけ呟いて、再び兵舎の方へと向かって歩き始めた。
「あの、ではもう飲み会はお開きに…なったんですか?」
ハルはそう首を傾げると、リヴァイは少し不機嫌そうな口調になって、最後に舌を打つ。
「ああ。もう門限だ。…あいつら、さっさと先に戻りやがって…」
結局飲み会は門限ギリギリまで続き、酔っ払った一同はハルをリヴァイに託して早々に其々の兵舎へと戻って行ってしまった。リヴァイも久々に酒を飲んで酔いが回っていたが、彼等の中で一番正気を残していたのもリヴァイだった為、自ずとハルを兵舎へ送る役割は、リヴァイが負うことになってしまったのであった。
「そうですか…なんだか、少し残念です…」
ハルはリヴァイの背中で、ハンジが誘ってくれた飲み会にあまり参加出来なかったことを少し寂しげに呟くと、リヴァイが再び立ち止まった。
それにハルはハッとして、リヴァイの背中から体を離す。
「兵長っ、すみません!私、自分で歩きますっ!」
「…いい、黙ってろ」
しかし、リヴァイはそう言って再び歩き出す。
「で、ですがっ」
「聞こえなかったのか」
「す、すみません…」
リヴァイの釘を打つような言葉に、ハルはそう謝罪すると、ふと辺りに風が吹いた。
夏を間近にした夜風は心地よい涼しさで、リヴァイの刈り上げられたえり足の上で、短い黒髪の毛先が揺れるのを、ハルはぼんやりと眺めていると、リヴァイが短く息を吐き出すように言った。
「…悪かったな」
不意にリヴァイから謝罪を受けて、ハルはキョトンと目を丸くして首を傾げた。
「何が、です?」
「…俺が、てめぇの顔面を蹴り飛ばした」
その言葉を聞いて、ハルは「…あぁ」と漸くリヴァイに背負ってもらうことになってしまった事の発端を思い出した。
「(ハンジさんに、リヴァイ兵長が心配してくれていたと聞いて舞い上がってしまったら、兵長の回し蹴りを食らったんだっけ…)」
ハルは苦笑しながらも、さほど気に留めている様子もなく、リヴァイの背中で首を横に振った。
「謝らないでくださいよ、兵長。それよりも、私は兵長が飲み会に来てくださったのが、嬉しかったですから」
「…仕方なくだって言っただろ」
「仕方なくても、嬉しいんです」
「…」
ハルの言葉にリヴァイはそれ以上何も言わず、二人の間には静寂が流れたが、不思議とハルは居心地の悪さを感じなかった。
それはリヴァイの纏う雰囲気が、普段と違って何処か和らかく感じていたからだ。歩む足取りはしっかりとしてはいるが、どうやら少しお酒が回っているのかもしれない。
そんなリヴァイの頸を見つめていると、ハルは何故だか急に、自分の中に押し留めていた感情が、雪崩のように溢れ出してしまって、思わず口を開いた。
「––––兵長、…すみません…」
「あ?」
今度はハルの謝罪を受けて、リヴァイはピタリと足を止めると、ハルの方を振り返った。
そこには、自分の両肩を掴みながら、夜空を仰ぐハルの顔があった。
空に浮かんでいる星を眺めながら細められた黒い双眼には、淡く光る三日月の煌めきが、映り込んでいた。
「…エレンは巨人化に成功したと、ハンジさんからお聞きしました。それなのに、私は何一つ見出せないままで…全然、前に進めていない」
その言葉はまるで独り言のように小さく零されたものだったが、ハッキリと自分自身のことを、情けないと、嘆く響きがあった。
リヴァイは「そうらしいな」と短く呟くように答えると、徐に再び歩き始める。
石畳の上を歩くリヴァイのブーツが、コツコツと規則正しいリズムで音を立てる中、ハルは訓練兵団に入った当初の頃からの記憶を遡りながら、懐かしさを滲ませた声音で、ゆっくりと話しを続けた。
「エレンは本当に…凄いですよね?兵長。…いえ、凄いんです。訓練兵として、一緒に過ごしてきた時からずっと…、エレンは…誰よりも真っ直ぐなんですから」
そう話すハルは何処か誇らしそうでもあり、リヴァイはトロスト区奪還作戦が終わってからというもの、ほぼ毎日のように顔を合わせているエレンを思い浮かべながら、顔を顰める。
「あの無鉄砲なクソガキがか?…人違いじゃねぇのか」
リヴァイがそう言うのに、ハルはくつくつと喉を鳴らすように笑いながら、「人違いじゃないですよ」と言った。
それから、エレンがジャンに今後のことを言及され、自分の肩に乗っているものの重さを感じながらも、それを担うと覚悟を決めていたエレンの姿と、今の自分を重ね合わせる。
「エレンは今、すごく不安で…怖くて…苦しくて…堪らない筈なのに、それでも人類の為に…自由の、為に…前に進んでる。それって、誰でも出来ることじゃないです。背負うものが大き過ぎて、自分なんかじゃ…って…逃げ出したくなっても、おかしくないのに…」
ハルの声が段々と弱々しくなっていくのに、リヴァイは静かに問い返した。
「…お前は、そうなのか」
「え?」
「お前は今、逃げ出したいのか」
もう一度、今度はハッキリと問われて、ハルは答えに悩んだように視線を胸元に落とすと、見下ろした胸の内を絞り出すように、言葉を途切れさせながらも、今の自分の嘘偽りのない思いを口にした。
「……逃げ出したいというよりは、…すごく、焦ってます。壁外調査までもう時間がないのに、…スタートラインに立つことも出来ずに足踏みしてる自分が情けなくて……一体、どうすることが正しいのか、本当に、今自分がしていることが、私の守りたい人たちの為に、なるんだろうかって…不安で…」
すると、リヴァイは少し間を開けた後、溜息一息で終えるように囁いた。
「…何が正しいか何てもんは誰にも分からねぇよ」
リヴァイはゆっくりと歩みを進めたまま、ハルが見上げていた夜空を仰ぐ。
「俺だってそうだ。…何度も何度も、道を選ばなきゃならねぇ時があった。……だが、一度だってその道の先にある結果が分かったことは無かった。…それでも、選択の時を迫られれば、選ぶしかない。そうやってクソみてぇな道を、進んで行くしかねぇんだよ…俺たちは」
リヴァイの言葉には、今までの経験と、そして多くのものを失い、何かを得て、また失ってと、何度も何度も心を痛めつけられても、歩みを決して止めず進んできた心の強さのようなものを感じて、それと同時に自分自信の青臭さを見せつけられたような気がして、ハルはそんな自分を心の中で恥じながら頷いた。
「……そう、…ですね」
ハルは、リヴァイの強さの源を、少しだけ垣間見れたような気がした。
彼の見た目は少し怖くて、冷徹に見られがちで、実際にも少し怖いが、心の中には洗練された美しい器が一つあって、その中は静かな優しさで満たされている。
ハルはそんな木々を支える大地のようなリヴァイの支えになりたいと感じて、口を開いた。
「リヴァイ兵長」
「なんだ」
「私に、回転斬り、教えてくれませんか?」
「…あ?」
ハルの思わぬ言葉に、リヴァイは怪訝な表情になって再び足を止めると、ハルを振り返った。
リヴァイと目が合ったハルは、うきうきとした顔になって、少し興奮気味に早口になって言った。
「以前の立体機動術の訓練の時、リヴァイ兵長が回転斬りをしていたところを一度だけ見て……あの技が使えるようになれば、複数の巨人と戦う時にかなり有効的ですしっ、…それに、私はミカサに比べて斬撃の威力が弱いんです。ですから、回転斬りの遠心力を利用出来れば、威力も上げられるのではと思ったんです!」
やけに意気揚々と話すハルに、リヴァイは眉間に暗がりでも分かるほど深い皺を刻んで、気怠げに言った。
「なんで俺がそんな面倒臭ぇことしなきゃいけねぇんだ。ただでさえエレンの子守りで忙しいってのに…」
「それと後もう一つ、理由があります」
「?」
ハルは目の端に皺を作るような笑みを浮かべると、自身の左胸に掌を押し当てて、真っ直ぐにリヴァイを見据えて言った。
「リヴァイ兵長が何かを捨てずに済む選択肢を、一つ増やせる兵士になりたいと、思ったからです」
「!」
その言葉に、リヴァイは目を見開いて息を呑んだ。
ハルはどこまでも澄み渡った双黒の瞳をリヴァイに向けたまま、言葉一つ一つを丁寧に紡ぐように、真摯な思いを乗せて言った。
「私が強くなれば…リヴァイ兵長が何かを捨てて、前へ進まなければいけなくなってしまった時、…それを手放さずに済む道を切り開けるような…そんな、…兵士になりたいんです」
そう言い切ってから、ハルはふと照れたような顔になって、首の後ろを触りながら肩を竦めた。
「…な、なんて…少し、でしゃばり過ぎ…ですかね?」
そんなハルにリヴァイは浅いため息を吐くと、徐に顔を前に向け、兵舎に向かって歩みを始めながら言った。
「やるからには必ず、次の壁外調査までにモノにしろ」
「え」
「暇が出来たら教える。そんなに時間も取れねぇがな」
リヴァイの言い方はかなりぶっきら棒ではあったが、ハルは表情をみるみると喜びに輝かせると、リヴァイの背中で思わず感極まった声を上げた。
「っ!ありがとうございます!ありがとうございますっ!兵長っ!」
「オイ耳元で大声出すんじゃねぇクソガキ。唾が飛んだぞ…っち、汚ねぇなっ」
「す、すみませんっ!」
リヴァイが身を攀じて舌を打つのに、ハルは慌てて着ていたノーカラーシャツのポケットからハンカチを取り出して、リヴァイの左耳の裏を拭いた。
「!?」
そのハンカチの柔らかな感触と、何だか甘い花のような香りがして、リヴァイは首の後ろがザワリとして、思わず足を止めてバッとハルを振り返る。
「テメェ…っ何してる!?」
しかしハルは何故リヴァイが怒っているのか分からず、白いハンカチを手にしたまま、キョトンと目を丸くして首を傾げる。
「え、だって兵長、唾が飛んだって––––」
「っいいから触るな!っ大人しくしてろ!」
「はっ、はい!」
ハルはリヴァイに物凄い剣幕で怒鳴られ、慌ててハンカチをポケットにしまった。
それからハルはリヴァイに言われた通り口を引き結んでいたが、何だかリヴァイの頸の辺りが少し赤くなっているような気がした。
第二十九話 新たな道を 切り開く力
「駄目だ全然なってねぇ、もう一度だ」
「っ…はい!」
日が傾き始めても、訓練場で回転斬りの特訓をリヴァイから受けているハルの姿を、ハンジとミケは、調査兵団本部内の団長室の窓から見守りながら言った。
「凄いなぁハル、リヴァイの鬼のスパルタ指導にも全然めげてないね?」
「段々とコツも掴み始めているな。やはりハルは筋が良い。俺の班に欲しいな」
「えぇ!?私だって欲しいよ!ミケ、抜け駆けは絶対に駄目だからね!」
「…さぁ、どうかな」
「ふっ…」
そんな二人のやりとりを聞きながら、エルヴィンは自身のデスクに座り、長距離索敵陣形の班の配置を、後四日後に迫った壁外調査に向けて最終確認をしながら、口元に笑みを浮かべた。
リヴァイもエレンの監視と訓練指導のため調査兵団本部から離れた場所にある旧調査兵団本部に寝泊まりをしているが、ハルの回転斬りの指導の為に、夕方になると本部まで毎日馬を走らせ、夜遅くまで訓練に付き合っていた。
ハンジ達にしてみれば、面倒臭がりのリヴァイが随分とマメなことをすると珍しく思っていたが、リヴァイをそうさせるに至ったのは、直向きなハルの人柄故だろうと、納得もしていた。
ハルがリヴァイに、殴られ蹴られ詰られながらも何度も立ち上がり、ブレードを逆手に持って、回転斬りの訓練を重ねる姿を、ハンジは腕を組み、大きなガラス窓に体の半身を寄り掛けて見下ろしながら、感慨深く呟くようにして言った。
「ねぇ、エルヴィン。あの子は…ハルはさ、「未知の力」なんてものが無くたって十分、私たちの力になってくれる。…そう、思わないかい?」
ハンジの言葉に、エルヴィンはふと、自身の手に握られている黒い万年筆を見て、小さく口元に笑みを浮かべて頷いたのだった。
「…ああ。きっと、そうだろうな」
完