第二十九話
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ハル達が調査兵団の兵服を身に纏うようになってからの日々は、それはもう疾風の如く流れて行った––––
長距離索敵陣形、馬術や立体機動術等の座学や実践訓練に皆血眼になって取り組んでいる内に、気が付けば第57回壁外調査が行われる折り返し地点、残り15日前を迎えて居た。
ハルは日々の訓練を終えると、ハンジとミケ班達の元へと足を運び、ハルの中に身を潜めている『未知の力』を分析する為、ハンジによって提案される様々な実験を試していたが、未だ解明するに至っていなかった。
この15日間で分かった事といえば、ハルはエレンに比べ蒸気と共に傷を修復する治癒能力がかなり弱いという事と、聴力が人の数倍に高まっているという事くらいで、この実験の第一目的である、『翼を発生させる』為の糸口すら掴めていないというのが現状だった。
「っすみません、ハンジさん!」
調査兵団本部の裏に建てられた、さまざまな実験器具や資料の山で雑然としている研究室の中で、デスクに座り顎に手を当て、何やら考え込んでしまっているハンジに、ハルは深々と頭を下げた。
その謝罪には歯を食いしばるような忸怩たる思いが滲み出ていて、頭を下げたままのハルの旋毛を見つめながら、ハンジは気に病むことはないと首を横に振った。
「いや、謝るのはこっちの方だよ。…すまないね、ハル。毎度訓練終わりに無理をさせてしまって…、君の『未知の力』の解明に繋がる糸口を未だ掴めていないのは、私の力不足が原因だ」
ハンジは現在、ハルの実験と同時進行している、エレンの巨人化実験で発覚した『明確な目的意識を持って自傷行為を行う』ことが巨人化に繋がる事象を元に、ハルにも同様の実験を行なってはみたが、傷つけた腕から蒸気が上がるばかりで、ハルの翼の発生に繋がることはなかった。
ハルの力の発生条件がエレンと異なるとなれば、その方法を見出すのにはそれなりの時間が掛かってしまうだろう。
ハンジはハルの力の解明に根気よく取り組んで行くつもりだったが、壁外調査の日が迫って来ているという事と、エレンが巨人化に成功したという事が、ハルの胸中に生まれた焦燥を日追うごとに肥大化させてしまっていた。
「っ、そんなことはありません!ハンジさんの力不足だなんて…っ、非は私にあるんですっ!…皆さんが私の為に、貴重な時間を割いて協力してくださっているのにっ、私は…っ何も答えられないままでっ…本当に…本当に情けないですっ…!」
「ハル…」
今日も実験で散々に傷を付けた両手を握り締め、自責の念に駆られながら頭を下げているハルの額から離れた前髪が、力なくゆらゆらと揺れている。
その姿は痛々しくも、ハルの透明な硝子のような直向きさが表れていて、ハンジは早くこの肉体的にも精神的にも負担が伴う実験から解放してやりたいとも思うが、ハルはエレンと同様に、壁内人類の悲願であるウォール・マリア奪還に繋がる調査兵団にとって大きな希望となり得る存在であり、一個人としての同情だけで、ハルを実験から解放してやれる程の余裕は、今の調査兵団にも…そして人類にも、最早残されてはいなかった。
ハルの心を蝕む根本的な問題を取り除く事は出来そうにないが、せめてハルの胸の中で駆け回る焦りが少しでも落ち着くよう、ハンジは椅子から立ち上がり、微笑みながらハルの両肩を掴んだ。
「そんなに自分を責める必要はないよ。元々、ハルはエレンとは違って、翼が生えた時に意識は無かったんだ。自分が何も知らないことをやって見せてと言われても、それが難しいってことはこちらも理解しているし、何より君自身が一番、頑張ってくれているんだってことも、良く分かってる。…それに、今日が駄目でも、明日には何か分かるかもしれないだろう?だから、諦めずに一緒に頑張ろう。ハル!だから顔を上げて!」
「…っ、ハンジさん…」
促され顔を上げると、ハンジはポジティブな笑みを浮かべて、親指をグッと立てて見せた。
ハルはハンジの前向きな言葉と明るい表情に救われ、体の横で握り締めていた両手から少し力を抜くと、ほっと息を吐くように、ハンジの名前を呟いた。
そんなハルの目元には疲労が滲み、薄らと隈も浮かんでいて、ハンジはふと、新兵の訓練全般を担っているネスが食堂で話していたことを思い出した。
今季の新兵は筋が良い者が多く、特に南駐屯地の訓練兵団を首席で卒業した、エレンと幼馴染であるミカサとハルの二人は、座学や実践訓練、何に置いても他の兵士より頭一つ抜きん出ているらしい。それは才能も少なからず影響しているだろうが、一番の要因となっているは彼女達の並ならぬ努力だと、ネスは話していた。
ハルに関しては訓練が終わり、ハンジ達との実験を終えた後も、太陽が沈み切るまで立体機動術の訓練や体力づくり、部屋に戻れば座学の復習と寝る間も惜しんで自分を追い込んでいるらしい。
ハルの監視役を担っているジャンからの定期報告書には、このままでは体調を崩しそうで不安だと、懸念の言葉が書き記されていたが、ハンジもそんなハルが心配でならなかった。
研鑽を積むことは大切なことだが、それで身体を壊してしまっては元も子もないからだ。
細い糸が張り詰めている、そんな危うさがあるハルの顔を見つめながら、ハンジは顎に手を当てると、少し何かを考え込んだ後に首を傾げた。
「…ねぇハル。この後、時間あるかい?」
「?はい。…しかし、ハンジさん達はこれから夕食の時間では?」
ハルは頷きながらも、少し戸惑った様子でハンジに問い掛けた。それにハンジはニッと口角を上げ、中指と親指を擦り合わせてぱちんと景気の良い音を鳴らす。
「じゃあ!ご飯っ、外に食べに行こうよぉ!」
「…え?」
予想もしなかった言葉に、ハルはきょとんと目を丸くする中、ハンジは腰に手を当て、楽しげに弾ませた声音で言う。
「もうロクに休みもなく頑張って来たんだ!それくらいしても、バチは当たらないだろっ?」
ハンジが言うように、調査兵団はトロスト区襲撃後から休みなく皆働き続けており、休暇というものは全く取れていなかった。…が、神様からのバチだという以前に、エルヴィン団長から罰が下されるのではと、ハルは不安げな顔になった。
もちろん、兵士が仕事を終え外食に出ること自体には何の問題もないのだが、ハルの場合は現在、調査兵団の監視を受ける身であるため、外を出歩くのは少し憚られる。
「確かにそうですが…。私は監視を受ける身ですし、調査兵団本部から外に出ることを、団長が許してくださるかどうか…」
「大丈夫だよぉ!私が一緒なんだしさっ?何の問題もないって!」
「えぇっ」
ハルの心配を他所に、ハンジは笑いながらバシバシとハルの背中を叩くと、軽くスキップをしながら自分のデスクへ戻り、兵服のジャケットを脱ぎ始める。
すると、研究室の奥に並べられた本棚の裏から、腕に沢山の資料を抱えたモブリットがひょっこりと顔を出し、ハルに向かって申し訳なさそうな表情を向けた。
「すまないな、ハル。ハンジさん言い出したら聞かないんだ。付き合ってやってくれ」
「い、いえ、私は構いませんが…」
しかし、ハンジは椅子の背凭れに脱いだジャケットを掛けると、モブリットを振り返って声を上げた。
「何言ってるのモブリット!?君も一緒に来るんだよっ?!」
それにモブリットは「えぇ!?」と顔を引き攣らせた。
「いやしかしっ、ハンジさんが今日中に巨人捕獲用装置の開発案をまとめるよう命令を…」
「それは後回しでいいからっ!早く準備するんだモブリットォッ!?」
「そんな無茶苦茶な…」
新しい装置開発のため参考になる資料を探し回っていたモブリットだったが、ハンジの言葉に折角厳選し掻き集めた資料を腕に抱えたまま、肩を落として項垂れた。
しかし、そんなモブリットにハンジは腕を組み足を肩幅に広げると、ドンと胸を張り、懐の広さを見せつける様な得意げな顔になって言い放った。
「因みに、今日は私の奢りだ!!」
「ええっ?!いいんですか!?優し過ぎます分隊長!!すぐ準備しますっ!!」
するとモブリットは項垂れていた顔を弾かれる様にして上げると、先程の曇った顔が一気に晴れ渡り、満面の笑みになって抱えていた資料を自分のデスクの上に乱雑に置くと、研究室の外へと物凄い勢いで駆け出して行った。
「な、なんて早さだ…」
「ささっ!ハルも早く着替えておいで!」
急変したモブリットに圧倒されていたハルだったが、ハンジにポンと肩を叩かれ、促されるままに一度自室に戻り私服に着替えると、指定された待ち合わせ場所の広場へと向かったのだったが…––––
「一体どうして…こんなことにっ…!」
ハルは酷く当惑しながら、自身の太ももの上に置いた汗ばんだ両手を握り締めると、歯を鳴らすような声でそう呟いたのだった。
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