第二十八話
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「ぎゃああああ!!!?」
「ヒヒーーーンッ!!!?」
ハルと黒毛の馬は調査兵団本部隅々にまで響き渡るほどの絶叫を上げ、その場に大きく飛び上がると、ハルは反射的に傍にいた黒毛の馬の首に飛び付き、黒毛の馬はパニックを起こして嘶きながら、厩の突っ張り棒を飛び越え、訓練場の方へと走り出してしまった。
「お!?おいお前らぁ!?」
それにネス班長が頭を抱えて慌てる中、ユミルは悪戯が大成功し、満足した様子で再び腹を抱えて笑った。
「ヒッヒッ!腹がいてぇっ!しっ、死ぬぅっ!!」
「おいユミルてめぇっ何やってんだよ!?ハルっ、おいハルーっ!!」
ジャンはすっかりと青褪めた顔で、黒毛の馬の首にしがみ付いたままのハルを追い駆けるが、馬の脚に人の足が敵うわけも無く、虚しく離されていく一方だった。
「…はあ、こりゃ面倒なことになったな」
「ああ、もうあんなところまで行っちゃったよ」
腕を組んでやれやれと項垂れるライナーの隣で、ベルトルトは目の上に手で庇を作って、段々と小さくなって行く黒毛の馬とハルを眺めがら心配げに言った。
「おーい!お前ら戻ってこーい!!くそっ、シャレット!二人を追うぞっ…ってシャレットぉぉお!?また俺のバンダナを!?」
ネス班長はこのままハル達を放っておくのは危険だと、シャレットの手綱を掴み跨ろうとしたが、その瞬間再びシャレットが白いバンダナに齧りつき始めてしまう。
すると、突然訓練場の最奥でくるりと体を反転させた黒毛の馬が、今度はサシャ達が居る方に向かって戻ってくる。
砂埃を舞い上げながら物凄い勢いで、馬の荒々しい足音とハルの叫び声が段々と近づいてくるのは、それは恐怖でしか無かった。
「なあ、拙くないか?」
「拙いですね、こっちに向かって来てますよ!?」
コニーと、サシャが嫌な予感と身の危険を察知して顔を引き攣らせると、ハルを追いかけていたジャンも馬の暴走を止められないと諦め、踵を返してサシャたちの元へと逃げ戻ってくる。
「おい逃げろお前らーっ!!」
皆が逃げ惑う中、クリスタは意を決して、馬の前に立ちはだかる。
「ストーっプ!!止まってぇええ!!」
「おいクリスタ!?」
両手を広げ黒毛の馬の前に出たクリスタに、ユミルがギョッとした時。馬は大きく棹立ちになってクリスタの前で止まったが、その勢いで馬の首にしがみ付いていたハルが大きく空に円弧を描くようにして投げ出された。
「ヒヒーンッ!!」
「うわぁああああああ!?」
自分達の頭上を飛んでいくハルを、茫然と目で追うことしか出来なかったクリスタ達は、ハルがそのまま地面に突き刺さるようにして落下したのを見てやっと我に返ったように声を上げた。
「「ハルー!!?」」
皆がハルの元へと駆け寄り、ジャンが地面に鬱向けになって倒れているハルの体を抱え起こす。
「おいハル!!大丈夫かしっかりしろ!!?」
「ブクブク」
しかし、ハルは白目を剥いて口から泡を吹きながら意識を失っていた。
それを見たサシャが青褪めて、ひっと喉を引き攣らせる。
「しっ、死んでる!?」
「いや死んでねぇよ!?失神してるだけだ!」
ジャンが堪らずツッコミを入れる中、コニーは泡を吹いているハルを引きながら見つめて言った。
「馬鹿だ、こいつとんでもない馬鹿だっ」
「相変わらずだな…」
「いつかハル、バッタが原因で死にそうな気がするよ…」
ライナーが冷や汗を滲ませながら額を抑えて溜息を吐くと、ベルトルトは苦笑を浮かべて呟く。
クリスタは黒毛の馬の手綱を掴んで、落ち着かせるように撫でながらも、ユミルを睨み上げて言った。
「もう!ユミルのせいだよ!?」
「ぶっ!もっ、もぅ許してくれっ、腹痛くて死んじまうからっ!」
しかしユミルには反省の色が全くなく、地面に蹲って悶えている。
アルミンとミカサは肩を並べて、目を覚ませと体をジャンに揺さぶられているハルを見下ろしながら、神妙になって言った。
「あの馬とハルをペアにするのは、危険な気がするんだけど…」
「アルミン、それは私も同感。これじゃあ壁外に行く前に、ハルが死んでしまう」
しかし、結局黒毛の馬はハル以外には一切懐く様子も無かった為、必然的に黒毛の馬とハルは、ペアを組むことになったのであった。
※
基本的な乗馬術の訓練を受けた後は、新兵達全員が調査兵団本部棟の講義室に缶詰になって、壁外調査で行われる長距離索敵陣形を頭に叩き込む講義が、ネス班長によって行われた。明日からの訓練もしばらくは実戦よりも座学が主体になるらしい。
ハル達は夕方になると、再び厩に向かい馬達とコミュニケーションを取った後、ネス班長から広場に集まるように指示を受けて足を向けた。
「ハル、大丈夫か?」
ジャンはトボトボと珍しく肩を落として歩いているハルに声をかけると、ハルは苦笑いを浮かべながら頷いた。どうやらユミルによって引き起こされたバッタ事件が、未だ精神的に尾を引いているらしい。
「あ、うん…大丈夫。はは」
そんなハルに、コニーは頭の後ろで腕を組みながら、呆れた様子で言った。
「ったくダラし無ぇよな、バッタに噛まれたって死ぬわけじゃねぇんだから、良い加減克服しろっての」
「面目ない…努力はしてるつもりなんだけどね。もう体が、拒否反応起こしちゃってさ」
ハルが頬を指先で触りながら肩を竦めるのに、ベルトルトが真面目な顔になって言った。
「でも、あの子を選んだなら、ハルもちゃんとトラウマ克服しないと、だよね」
それにはライナーも同調して、深々と頷く。
「そうだな。お前がまずトラウマを克服しないと、パニック起こしたアグロを落ち着かせることなんて到底無理な話だ。その度にクリスタを頼るわけにもいかないんだぞ」
「そ、そうだよね…」
ハルはがくりと項垂れて、疲労の滲む溜息を吐く。ちなみにアグロとは、ハルと相棒になった黒毛の馬の名前だ。
「こりゃあ今度特訓だな。お前の部屋にバッタを投げ込んでおくよ」
「そんなことしたらハルショックで死んじゃうよ。やめて」
ユミルの発言に、クリスタが食い気味に真顔になって制止する。冗談のようにも聞こえるが、ユミルは本気で行動に移してしまう懸念を拭えないからだ。
「死因がバッタですか…ちょっとダサいですね」
「それは、洒落にならない」
サシャの言葉にミカサが眉先を眉間に寄せながら神妙な面持ちで言うのに、ハルは急に具合悪そうに口元に手を当てて、若干前のめりになった。
「あの、みんな、そろそろ話題変えない?あんまりバッタバッタって聞いてると、なんだか気持ち悪くなってきて…うぇっ」
「このトラウマを克服するには、天と地がひっくり返りでもしない限り無理そうだね」
「ああ、同感だぜアルミン」
アルミンの見解に、ジャンはえずくハルを見つめながら腕を組んで頷く。
もはや単語だけでもハルは拒否反応が出るらしい。むしろ訓練兵団に入団した頃よりもトラウマが悪化しているような気がするのは、確実に面白がってちょっかいを掛けるユミルが原因だろう。
そんな話をしながら広場に向かっていると、不意に耳馴染んだ声に呼び止められる。
「おい、お前ら!」
それはエレンの声で、ミカサとアルミン以外はトロスト区襲撃以来姿を見ていなかった為、久しぶりの再開だった。
エレンはハルやミカサ達よりも早くリヴァイ班の元で調査兵として訓練を受けていた為、すでに調査兵団の兵服とローブを身に纏っていた。
「エレン!」
ミカサはエレンを見るや否や腕を掴んで、身を乗り出すようにしながら矢継ぎ早に質問攻めをする。
「何か酷いことはされてない?体の隅々まで調べ尽くされたり、精神的苦痛を与えられたりっ!?」
「いやそんなこと無ぇよ」
エレンが苦笑しながら肩を竦めると、ミカサはくっと目の下に剣呑な影を浮かべ、舌を打つようにして言った。
「あのチビはやりすぎた。いつかしかるべき報いを」
「お前まさかリヴァイ兵長のこと言ってんのか?」
それにエレンは少々慄いたように問い返す中、コニー達もエレンの元へと歩み寄った。
「よぉエレン!」
「久しぶりですね!」
コニーとサシャが笑顔でエレンに手を振ると、エレンも久しぶりに仲間達の顔が見れて、喜びと安堵を入り混ぜた笑みを浮かべて頷いた。
「ぁぁっ!なんだか久しぶりに会った気がするぞ。…でも、」
しかし、この調査兵団本部にコニー達が居るということは、それは彼らが駐屯兵や憲兵ではなく、調査兵になる道を選んだということを表していた。
「お前ら此処に居るって事は、まさか調査兵になったのか?」
「それ以外に此処にいる理由あるかー?」
エレンが声を低くして、神妙な顔つきになって問いかけると、コニーは苦笑を浮かべて、腰に手を当てた。周りに居たハル達も、エレンの顔を見て頷きを返すと、エレンは「そうか…」と静かに溢す。
「じゃあ…、憲兵になったのはジャンとアニと、マルコだけ–––、」
そう呟いた時、背後から足音がして、エレンは振り返った。
其処にはジャンの姿があり、エレンは思わず驚愕して声を上げる。
「まさかっ、お前まで!?」
驚くエレンに、ジャンは平静を装い、低い声で言った。
「マルコは死んだ」
「え…?っ今、なんて言った…!?マルコが死んだって言ったのか?」
エレンは両目を見開き、酷く動揺しながら、震えた声でジャンに問い返す。
ジャンはそれに静かに眼を細め、視線を足元に落とすと、体の横の拳を握りしめた。
「誰しも劇的に死ねるわけでもねぇらしいぜ。どんな最期だったのかも分からねぇよ…。あいつは誰も見てないところで、人知れず死んだんだ」
「っ…マルコがっ」
エレンは翠色の瞳を悲痛に見開いたまま立ち尽くしていた。
ハルと同様に、仲間の亡骸を捜索し、火葬に立ち会うことが出来ていなかったエレンは、今マルコの死を初めて知らされて、そう簡単に立ち直ることなど出来る筈もなかった。
エレン達の間に、悲しみに包まれた静寂が漂う中、ネス班長が、広場から新兵たちに向かって声を掛けた。
「おーい、新兵集まれ!兵服が届いたぞー!」
ネス班長と隣に控えていたシスの腕には、新兵達の真新しい調査兵団の兵服が綺麗に折り畳まれ、積み重なっていた。
ジャン達はネス班長の元へと足を運び、名前を呼ばれた者から、自由の翼のエンブレムが刺繍された、兵服と深緑のローブを受け取り、着替える。
太陽が傾き始め、本部にはオレンジ色の西日が差し込み始めた。
その光を浴び、南から吹き込んでくる少し冷たい夕風にローブを靡かせながら、目の前に立つ仲間達の背中を、エレンは後ろから、じっと見つめていた。
彼らの背中は、先の見えない、霧掛かった世界の中に浮かび上がる、陽炎のような希望の光のように、エレンの目には映っていた。
そして、それは幻で、もしかすると自分の願望が呼び起こした亡霊だったのかもしれないが、ジャン達と共に肩を並べて立つ、マルコの背中も見えたような気がして、エレンは目を眇める。
マルコはエレンの方を振り返ると、いつもの穏やかな微笑みを浮かべていた。
言葉こそ無かったが、エレンにはマルコが、「僕も一緒に行くよ」と、言ってくれていると…そんな気がしたのだった。
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