第二十八話
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「敬礼!!」
調査兵団本部の訓練場入り口付近にある厩の前に、朝一番で集合を掛けられたハル達は、今日からしばらくの間、一ヶ月後に行われる兵站拠点作りのための壁外調査に向け、訓練全般を担当することになっているディータ・ネス班長に向かって、ジャンの声掛けに合わせ敬礼する。
第二十八話 自由の翼
新兵達の敬礼を受け、栗毛が立派な大きな馬の隣で、ネス班長は色白で短い顎髭を生やした顔に、面倒見の良さそうな笑みを浮かべた。
「俺は班長のネスだ。そして相棒のシャレット。こいつは髪の毛を毟るのが好きだから、禿げたくない奴は気をつけろ。よろしくな!」
「…ブルルッ」
ネス班長はシャレットの首を優しく撫でながら、新兵達一人一人に目を向け、陽気に声を弾ませて挨拶をしていると、その隙にといった様子で、シャレットがネス班長の頭に巻かれている白いバンダナにむしゃぶり付いた。
「なっ!?」
ネス班長はシャレットに奪われないよう必死になってバンダナを両手で抑えたが、チラチラと見える白い布の下に隠されていた頭部の髪がすっかり無くなっているのに、ジャン達は気づいてしまった。
どうやら先程の話は作り話ではなく、ネス班長の髪がどうやって失われたのか、皆想像に容易かった。
「おいやめろシャレット!?誰か押さえろ!!」
ネス班長は新兵達に助けを求めたが、皆シャレットに髪を毟られるのが怖くて、敬礼の姿勢を保ったまま静観していた。
しかし見兼ねたクリスタがシャレットにそっと近づくと、その大きな背中を懸命に爪先立ちしながら、伸ばした腕で優しく撫でた。
「どうどう、落ち着いてシャレット。それは飼葉じゃないんだよぉ」
「…ブル」
そのあやし方はどうかとも思うが、シャレットはクリスタに撫でてもらったことによって落ち着きを取り戻すと、尻尾を左右に大きく振りながら、ネス班長のバンダナを口から放し、クリスタに顔を擦り寄せて甘え始める。
ネス班長はシャレットの猛攻からやっと解放され、安堵の溜息を吐き涎塗れになったバンダナを再び頭に撒き直しながら言った。
「た、助かったよレンズ。すまないな…っゴホン」
ネス班長は威厳を取り戻すように咳払いを一度すると、集まった新兵の人数と同様に、厩に控えている馬達の方を振り返る。馬の涎のせいでバンダナが透けており、最早巻いている必要性を感じられなかったが、そこは皆敢えて口を閉ざしていた。
「で、ではお前達にはこれから、壁外調査において重要な移動手段でもあり、命を預けることにもなる、大切な相棒を選んでもらう。お前達も知っているとは思うが、調査兵団の馬は品種改良を重ねて、長距離を走り続けられる体力、そして巨人の前に出てもパニックを起こさないよう特別な訓練を受けている。お互いに良い信頼関係を築くことが出来れば、戦場でもきっとお前達の助けになってくれる筈だ。だからこそ、ちゃんと馬の眼を見て、真摯な気持ちで向き合うことが大事だからな?」
ハル達はネス班長に促され、良く訓練されているのが一目で分かるほどの立派な体つきをした馬たちの傍へと足を寄せた。
クリスタは毛色もざまざまな馬達の丸い瞳を見て、隣にいたユミルを見上げると、嬉しそうに声を弾ませて微笑んだ。
「ふふ、なんだかワクワクするねっ!ユミル!みんな可愛い子ばかりだよ?」
「…そうか?私からすりゃあお前の方がよっぽど可愛いけどな」
それにユミルは腰に手を当てながら、クリスタの顔を覗き込むようにして口元笑みを浮かべて言った。
ジャンは端から一頭一頭の馬を見定めるようにして歩いていると、ふと焦茶色の毛並みの大きな馬が、ジャンの顔を見るや否や、ベロッと長い舌で舐め上げた。
「ブルルルルッ」
「うお!?なんだお前…っ、おい!いきなり舐めるなよ!!」
突然のことに驚いたジャンは、馬の涎が付いた顔を兵服の袖でゴシゴシと拭いながら後ずさる。
その様子を見ていたネス班長は、珍しいなと少し意外そうな顔をして、ジャンの肩を後ろからポンと軽く叩いて言った。
「ほう、キルシュタイン。そいつに目ぇ付けられたか?コイツはこの厩の中で一番の暴れ馬でな、人見知りも凄いんだが…しかし脚は一段と疾いし体力もある、良い馬だ。戦場ではかなり助けになるだろうな?」
「そ、そうなんスか?」
ネス班長の言葉に、ジャンは少し眉間に皺を寄せながらも、じっと目の前の馬の瞳を見つめた。そうすると、焦茶色の毛並みの馬も、大きな宝石のような瞳を徐に細めて見つめ返してくる。
ジャンが馬と真摯に向き合っている中、サシャは餌箱に入った飼葉を一心不乱になって頬張っている薄い栗毛の馬を、傍にしゃがみ込んでじっと見つめながら、首を傾げた。
「この子、さっきからずっと食べてますね」
「まるでお前みたいだな」
そんなサシャにコニーはにっと悪戯な笑みを浮かべて言うのに、サシャはムッとコニーを見上げて、飼葉を頬張っている馬の隣に居た、周りの馬とは少し小柄な馬を指差して言った。
「なっ、そんなこと言ったらこの子だって、コニーにそっくりですよ!」
少しクリーム色がかった毛並みのその馬は、大きな丸い目が印象的だった。体は大きくはないが、体全体の筋肉のバランスが良く、引き締まった体付きをしている。
ミカサやアルミンも、順調にお互いの気性が合う馬を見つけている中で、ハルは厩の奥の方に座り込んでいる黒毛の馬と目が合って、足を止めた。
「ブルル…」
「わぁ」
黒毛の馬は見たところとても大人しそうだったが、脚の筋肉が他の馬の付き方と少し違うようにハルには見て取れた。膝から太ももにかけての筋肉量が凄く、毛並みも艶やかで健康的で、ハルは思わず「立派な馬だなぁ」と感嘆した。
「そいつが気になるのか?ハル」
ライナーが黒毛の馬を瞳を輝かせて見つめているハルに気がつき、声を掛けると、ハルは大きく頷いた。
「うん!なんだろう…こういうのを、ビビッと来た!って、言うのかな。脚の筋肉も凄いし、何よりあの子の目が…すごく知的なんだ」
ハルが厩のつっかえ棒を掴んで、珍しく少し興奮していると、ネス班長がハルの元へと歩み寄って来て、「それはいい見立てだ」とニッと口角を上げた。
「グランバルドの言う通り、こいつは物凄く頭が良くて、脚も早い。能力的には何の申し分もないんだがぁ…一つ、難点があってなぁ」
「難点、ですか?」
ネス班長が顎髭を触りながらうーんと唸るように言うのに、ハルは首を傾げると、ネス班長はこの場に居る全員の視線を一瞬にして引き寄せる程の、予想外且つ衝撃的な難点を口にしたのである。
「こいつはな、バッタが嫌いなんだよ」
「…え?」
その言葉にハルが思わずキョトンと目を丸くする中、周りにいたライナー達は一斉に口を引き結んで、ネス班長を見た。
ネス班長は彼等の視線には気づかないまま、胸の前で腕を組むと、やれやれと首を振って話しを続ける。
「バッタを見ると飛び上がってパニックを起こすんだよ。そうなったら落ち着かせるのにそりゃ手間が掛かる。まぁそれ以外で動じることはないんだが、どうしてもバッタだけが駄目みたいでなぁー」
その話を聞き終わると、ハル以外の全員が、もう堪らないと言った様子で盛大に吹き出し、笑い声を上げた。
「「ぶっはははは!!!!」」
「そりゃあいいじゃねぇかよ!?まっ、まるでお前の馬バージョンじゃねぇーの!?」
「バッタ嫌いって…ぶふっ!そ、そんなのっ、もう奇跡じゃないですか!?運命じゃないですか!?」
コニーとサシャがお腹を抱えながらゴロゴロと地面で笑い転げている中、ユミルはハルと黒毛の馬を交互に指差しながら、ひっひっと軽く呼吸困難になりながら言った。
「腹いてぇっ、マッ、マジでウケるっ!お前等、さ、最高だよっ!」
そんな三人にハルは目を棒のように細めて、不満げに言う。
「いや、流石に笑い過ぎだよ」
「ブルル!」
それにはハルだけではなく、厩の奥で座り込んでいた黒毛の馬も、首を上下に振って少し不満そうに鳴いた。すると、傍にいたライナーが必死に笑いを堪えながら、ハルの肩をポンと叩いた。
「いやハル、良かったじゃないか。良い相棒に、出会えてよ。…ぶふっ」
しかし結局堪え切れずに吹き出したライナーに、ハルの眉間に珍しく皺が寄る。
「なんだ、ハル。お前もバッタ嫌いなのか?」
ネス班長はニヤニヤと笑いながら首を傾げてそう問いかけてくるのに、ハルは大きく首を左右に振って言った。
「いえっ!嫌いと言いますか、ただ少し苦手なだけです!!」
しかし、それを聞いていたミカサとアルミンが、ネス班長に即座に挙手をしながら言った。
「ネス班長嘘です。ハルは嘘を吐いています」
「苦手とか嫌いという次元ではなく、最早トラウマなんです」
「は?トラウマ?」
二人の言葉にネス班長がポカンと口を開ける中、身を捩って笑っていたユミルの視界の端に、ピョンと跳ねるバッタの姿が見えた。ユミルは悪巧みしている時の特有の笑みを浮かべて、地上を跳ねていたバッタを捕まえる。と、それを見ていたクリスタが、ユミルの腕を掴んで制止する。
「ちょ、ユミルやめなよ!ハルが可哀想だよっ」
「なんだよ良いだろ?ネス班長にも、今後の為にハルの弱点を知っておいて貰った方が良いって」
そう言ったユミルには最早悪戯心しか無かったが、クリスタの制止を押し切り、ゆっくりと黒毛の馬に話しかけているハルの背中へと忍び寄る。
「君もバッタが嫌いなんだね…。その気持ち、よく分かるよ。私達は似たもの同士だね」
「ブルル…」
黒毛の馬がハルに引き寄せられるように立ち上がり、伸ばされた手に顔を擦り寄せている中、ユミルはその油断し切っている背中に声を掛けた。
「なぁ、ハル。ちょっと良いか?」
「ん?何?どうしたの…っ!?」
ハルは振り返ると、眼前に差し出されたユミルの掌の上に乗っていたそれなりに大物の生物を見て、黒板を引っ掻いたような声を、喉を引き攣らせて鳴らした。
「バッタ」
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