第二十七話
名前変換設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
※
ハルは真新しい訓練服に袖を通すと、部屋を出てすぐの廊下の壁に寄りかかっていたジャンに、「ほらよ」と洗顔用のタオルを投げ渡された。くすみも無く糸のほつれも無いところを見ると、どうやらおろしたてのようで、ハルが「これ新品みたいだけど、私が使ってもいいの?」と問いかけると、ジャンは「俺の使い古しをお前に使わせられねぇだろ」と肩を竦めた。
ハルは別に気にしないと言ったが、そんなハルにジャンは呆れた様子で溜息を吐き、「俺が気にすんだよ!」と少し投げやりな口調で返した。
それから二人は洗面所のある東棟の二階へ向かったのだが、そこで目にした光景に、ハルは思わず顔を引き攣らせてしまう。
「おっ、男臭ぁ…」
ジャンも部屋から洗面所までの短い道中でちらりと口にはしていたが、東棟と西棟には調査兵団に入って3年目までの兵士が同じ棟内で生活している為、朝の時間帯は洗面所が設置されている二階廊下が大混雑するらしい。
訓練兵時代でも朝方に洗面所が混雑することはあったが、それよりも圧倒的な暑苦しさと狭隘さを感じてしまうのは、調査兵団に属している兵士達はもっぱらの戦闘職であるため堅いの良い者達が多く、尚更に視覚的な圧迫感を与えられてしまうからなのだろう。
「あれだ。…我慢してくれ」
ジャンは片眉をひくつかせ身を硬らせているハルの肩を同情しながら軽く叩いて言うのに、ハルも男子寮に女一人で突っ込まれいる状況を今まざまざと理解させられて、ぎこちなく頷いた。
「…そうだよねぇ。だってここは東棟、なんだもんね」
「まー、そういうことだ」
「おっ!ハルとジャンじゃないか」
中々男達がひしめくシンクに足を進められないハルと、ハルの心の準備が整うのを傍で気長に待とうとしていたジャンに、耳馴染んだ声が掛けられ、二人は後ろを振り返った。
其処にはこちらにひらひらと手を振るライナーと、まだ眠気が残った顔で欠伸をしているベルトルトが居た。
「ライナー、ベルトルト!おはよ」
「ああ、おはよう」
「おはようハル。…ふぁあ、昨日は、よく眠れた?」
ベルトルトは大きく欠伸をした後、涙目になりながらハルの顔を覗き込んで問いかけてきたのに、ハルはこくりと頷いて、それから二人の顔を見て首を傾げた。
「うん。ぐっすり眠れたよ。ベルトルトは相変わらず眠そうだけど…ライナーは、大丈夫?」
顎に少々髭を生やしたライナーは、ジトッとした視線を隣に立つベルトルトに向ける。
「ああ。こいつのお陰でそれはぐっすり眠れたな」
「そんな…だってあのまま放っておいたら、三人とも窒息しそうだったじゃないか…」
「だからって落とすことはないだろうっ!」
ライナーの抗議を受けて、ベルトルトは首の後ろを触りながら「ごめん」と苦笑する。いつものマイペースな調子のベルトルトに、ライナーはやれやれと肩を竦めながらハルの顔を見ると、少し心配気に眉尻を落とした。
「しかし、お前も災難だったな?西棟が満員で部屋が空いていない何て…、此処の物置き部屋を使う羽目になったんだろう?女一人じゃ流石に危険だからって、ジャンが近くの部屋に監視で着いたと聞いたが––––、ジャンで大丈夫なのか。前科持ちだぞ」
「ぜ、前科持ち…」
「おいその物騒な言い方はやめろよライナーっ!」
ハルが苦笑を浮かべる中、隣居たジャンが目尻を釣り上げてライナーを睨みつける。しかし、ライナーも珍しく顔を顰めて腕を胸の前で組むと、ジャンを見据えて言った。
「だが事実だろう。ジャン、今度ハルにおかしなことをしたら、こっちももう情けは掛けないからな」
「ジャン、それは僕からも同じことを言わせてもらうよ。本当に…気をつけてくれ」
それはライナーだけではなく眠そうにしていたベルトルトにまで笑顔で凄まれ、深々と釘を打ち付けられた気分になったジャンは、思わずたじろぎながらも頷いた。
「お、おう」
そんな三人の様子を複雑な心情で眺めていたハルに、突然今度は聞き慣れていない声が掛けられた。
「おお、お前が噂の『逸れ新兵』か!?」
「え…?」
初めて聞く声と、聞き慣れないワードに、ハルは一瞬自分ではなく他の人に声を掛けているのではないかと不安になったが、こちらに歩み寄ってきた黒髪を低い位置で一本に束ねた先輩兵士と目が合って、その『逸れ新兵』が自分を指しているのだと察する。
彼はハルの前で足を止めると、腰に手を当て少々意外といったような顔をして、ハルの顔を覗き込むようにして言った。
「何だ、思ってたより小さいな…。奇行種を何体も倒したっていうから、もっとガタイの良い奴だと思っていたんだが…」
「あ、あの…先輩、『逸れ新兵』とは一体…」
マジマジと先輩兵士に見つめられて、ハルはなんだか居心地が悪くなり、怪訝な顔になって問いかけると、彼はニッと人当たりの良さそうな笑みを浮かべて言った。
「ああ、悪ぃな。お前のことは西棟に入れなかった逸れ者ってことで、『逸れ新兵』って呼んでいたんだよ、勝手にな」
「な、なるほど、そういうことですか…」
事情は把握したが何だか珍獣扱いされているみたいだとハルが苦笑を浮かべると、彼は突然満面の笑みを浮かべて、ハルの肩に腕を回し陽気な調子で言った。
「それにしてもお前っ、こんな細っこいのにやるじゃねえか!!俺の駐屯兵団の友人も、お前に助けられたって話してたんだぜ!」
「「!?」」
ハルは「わっ」と声を漏らして少し驚いた程度だったが、それを目の当たりにしたジャン達の顔が剣呑になったのは言うまでもないだろう。しかし、今にでも飛びかかりそうな顔をしている三人のことを気に留めていない様子で(というよりも気づいていない)、笑みを浮かべたまま彼はハルの肩を組んだまま離そうとしなかった。
「っ先輩のご友人が?」
ハルは一体誰のことだろうと気にかかって問いかけると、彼は「ああ!」と頷く。
「名前はシグルドっつーんだ。よく知ってんだろ?」
「!シグルドさんのっ…!」
そう言われてみれば、シグルドさんと先輩の年齢はちょうど同い年くらいにも見える。
「俺はルーク・シスって言うんだ。頼もしい仲間が増えて嬉しいぜ!これからよろしくな!!『逸れ新兵』!!』」
シスと名乗った先輩兵士は、ぐっと俺指を立てて歯並びの良い歯を見せつけるようにして笑った。
「はい…っ!よろしくお願いします、先輩!でも、私の名前はハル・グランバルドなので、先輩が良ければ…その、名前で呼んでいただきたいです」
「あー、そうだよな。これから戦地を共にする仲間に失礼だった。ハル、悪かったな」
「っいえ、シス先輩。声を掛けてくださって、とても嬉しかったです。これからいろんなこと、教えて下さい。先輩方に少しでも早く近づけるように、頑張ります…!」
そう言って微笑んだハルに、シスは急に口をつぐんで、組んでいた肩を離し、真顔になった。
「……?あ、あの、シス先輩?」
それにハルが小首を傾げると、シスは真顔のままハルの顔を覗き込んで、ふむと顎に手を当てて言った。
「…お前、可愛いな」
「え?」
ハルが思わぬ言葉に素っ頓狂な声を溢してしまうと、シスは急に上体を上げて踵を返し、洗面所に群がる兵士達に向かって手を振り声を掛けた。
「おーい皆!ちょっとこっち来てくれ!噂の『逸れ新兵』!ハル・グランバルドだぞー!」
すると、兵士たちは一様にハルの方を見て、「おお!」と興味津々といった様子で集まってくる。
「おお!!コイツが噂の…」
「全然想像してた奴とちげえじゃねぇか!誰だゴリラみてぇな奴だって言ってた奴!!」
「え、ぁ…」
あっという間に兵士たちに取り囲まれてアタフタとしているハルの方を見ながら、ベルトルトは眉間に皺を寄せて言った。
「ライナー、ジャン。なんだか嫌な予感がするんだけど、それって僕だけじゃないよね」
「ああ、同感だ。かなり危険な予感がする」
「クソッ…あいつ絶対に此処でも天然人誑し発揮するじゃねぇかっ…!」
ライナーは腕を組んで表情を曇らせながら神妙に頷く中、ジャン両手で頭を抱えて、深く重たい溜息を吐きながら嘆いたのだった。
→